『子育てで、考えた。』 2000年6月16日
我が家には子供が三人いる。長男が六歳で、この子はダウン症という障害をもっている。次男は四歳、三男は二歳で、男ばかりの兄弟であじけがない。長男はハンデキャプがあるので、行動もしれているのだが、目を離すとどこまでも歩いて行ってしまう。次男は自転車が最近自由に操れるように成ったので、そこいらへんを走り回っている。三男は言葉もよく喋るようになり、徐々に人間に近づきつつあるのだが、まだ自分をコントロールするまでにはほど遠い。私達はこれから、この三人の子供を義務として育てていかなければならないのだが。

欧米ではだいたい三、四歳位から、親が子供に意見を聞くようになる。休みには何がしたいだとか、着る物は何がいいだとか、子供にもきちんと発言権を持たす。そうしてきちんと意見を聞いた上で、では、あなたがしたい事のためには、こうした方が良いだとか、そのためには、この部分はあなたが受け持て行いなさいとか、親はアドバイザー的な立場をとり、少しずつ子供の自主性を植え付けていく。この自主性を育てていくとゆうことが、彼ら自身、または、社会形成に大きな意義をもたらしている。

例えば、現在アメリカで車の免許を取るための費用は十二ドル(千四、五百円)くらいなもので、車の操作方法等は親や友達から教わり、自動車学校に通う人は少ない。勿論、費用が安い分実地試験は車持ち込みで行う。ペーパー試験も、同日に三回か四回、受け直しがきく。こんなに簡単に車の免許が取れるのに運転マナーは日本より良い。横断歩道で立ち止まっていると、止まってくれる車は、断然アメリカの方が多い。

それから私は建築関連の仕事を海外でも日本でもしているのだが、日本のゼネコンが行っている”あなた達は低脳ですよ”といっているような作業員への安全教育や管理には辟易している。表からは見えないが、利益を出すために殆どの現場が無理な工程で動き、それが事故を誘発する矛盾。欧米人が首を傾げるラジオ体操しかり。アメリカでは夏場、日なたでの外部作業はさせないが、この国では炎天下で長袖着用まで義務付けられ、狭い足場のためにしょっちゅうムチ打ちをする。とにかく、学校に限らず、社会人までもが管理と規則でがんじがらめなのだ。安全、安全と言っているのとは裏腹に、実際には安全にかける費用もシステムも低いのが現実なのに。

私はアメリカ、オランダ、イギリス、オーストラリアで仕事をしたが、日本ほど元請け側がガーガー叫ぶ国は珍しい。欧米では一人、一人の自主性を優先している。それがために押しつけるのではなく、安全が保てるような環境作りを重視して、工法なり労働条件を考えるし、働く側も自分達の意見をきちんと述べ、条件が揃うまで動かない。また、付け加えておくと、働く側も自主管理が絶対的に必要になるのは言うまでもない。先進国の中で、朝八時から仕事を始める国はこの業界日本だけで、他はみな六時か六時半である。遅刻は勿論許されない、仕事中にたばこは吸えない。能率良く動けない人間は、勿論クビになる。だから働きたいと思う若者も真剣な奴だけが残る。

日本人は安全教育、安全管理というまえに、もう一度原点に返り、子供の教育方法や育て方からやり直す必要があると思う。自分からしようとしない、自分から動かない、そんな若者を、一度振るいにかける勇気と厳しさをもてないだろうか。切るという行為は大変だが、人を変えていく上では必要なことだと思う。甘やかして保護一辺倒になれば、人は自ずとつけあがるのだ。大切なのは自分でする気だ。

欧米の子育てから考えさせてもらった。