『ぶつけられて、考えた。』 2000年6月19日
車を当て逃げされた。二度目である。一度目の時は、買って一年にも満たない時だった。当て逃げする人の気持ちはだいたい解る。ただその後で、良心の呵責があるかないか、だけである。
世界中で車を飾り上げる民族は、何故かアジアに集中している。確かに仏教国が多いのでそうなるのだろう。崇める神の写真を車内において、回りを花のレイやきらびやかな飾りで覆っている。だが、同じアジアの中でも日本の場合は、ちと違う。どちらかと言えばファッション系で、綺麗さと清潔さをだいじにする。
ところが、これが欧米人になると基本的な所で変わってくる。車はあくまでも道具という意識が中心にある。例えばフランスのパリなどで車を路側駐車すると、次に前後に止める人は、間隔をめいっぱい詰めて止める。こうなるとその場所から出るために取る手段はひとつしかない。自分の車で前後の車を押し広げて出るのだ。こういうことができるのも、結局は、車・イコール・道具という意識があり、バンパーなんて所詮はぶつかった時役立つ物で、少々傷ついても何でもないという意識の現れだろう。
また、アメリカで見た光景などはもっとあっけらかんとしたもので、信号で止まっていた前の車に、後ろから来た連れの車がわざとぶつかり、二台の車の若者達が大いに気勢をあげていた。ま、確かに全ての欧米の人達が同じというわけでもなく、一度など、私の目の前で事故を起こしたアメリカの若い女の子なんて、同乗の友達を気にするよりも、自分の車を見て泣き叫んでいた。
今回私の車が当て逃げされたが、もう今更どうにもならない。また諦めざるをえないだろう。場所もバンパーの角だし、走るのにはまったく問題ない訳で。ただ、修理を考えると少々痛い。車両保険には入っているが、相手の解らない事故だと保険も出ない。
そういえば、私にはひとつ相手に気まずい思いをさせた事故がある。アメリカにいた頃、日本から従姉妹が遊びに来て、ロサンゼルスの空港に彼女たちを迎えに行く途中に、友達の車で事故ってしまった。
事故を誘発したのは、州外から来た旅行者の車だった。サンタモニカ・フリーウェイからサンディエゴ・フリーウェイに乗り換えるため、私は一番右の車線に移った。そして、その直後に前を走っていた数台の車が一斉に急ブレーキを踏んだ。どうも馬鹿な州外の車が、非常用パーキングで違法駐車をしている車を調べていた警官に道を聞くため、無理に割り込んだのが原因らしかった。私が乗っていた古い車は、前の車に当たる事は避けたが、スピンして真横を向き、左の車線に頭を出して止まり、そこに後ろから来た車が私の車に接触した。私とそのインド系の相手は、すぐに近くにいた警官の所に行って事故処理を頼んだのだが、何故だかその警官は車を一瞥しただけで、さっさといなくなってしまった。私は相手と顔を見合わせた。意味不明だった。しかし、相手の車が新車ということもあり、私は自分の住所と電話番号だけは残して別れた。
帰宅して車を借りた友達にそのことを話すと、友達は、”これは非常にラッキーだ。この事故はなかったことになったし、相手の車は保険でなおる。このままほっておけばいい。”そう言うのだ。そして、この事故はそのままになってしまった。
いまだに私は相手の人に対して申し訳なく思っているのだが、何故あの警官はあの時取り合わなかったのか、いまも釈然としない。有色人同士の事故だったせいか、事故を誘発した原因があり、そこに自分がいたせいか。私には解らない。
しかし、こんな事を書くと、何だ、やはりアメリカの警官と法はその程度かと思われると、非常に困る。むしろ私はアメリカの法のほうが、余程やり方がフェアーだと思っているからだ。その一例を書いておこう。
私はロサンゼルスのウエストウッドで、歩行者として警官に捕まったことがある。あの時は、路側のコインパーキングに車を止めて仕事をしていて、気がついた時にはとっくにメーターはコイン切れになっていた。それで急いでコインを追加するために車に走ったのだが、私は道の反対側に車を止めていて、道を横切らなければならなかった。しかし、その時二十メートル先の歩行者信号は赤だった。だが、私は無視して道路を横切った。それを白バイの警官がしっかり見ていた。
私はそれまで、この町ではこうすることが違法だとは知らなかったし、まさか歩行者が捕まろうとは思いもしなかた。が、その黒人の警官は私のそばまで来て、それが違法で、チケットに書いてある日に裁判所に出頭するよう言った。(自転車も走る場所を間違えれば捕まる。)アメリカでは州や市で法が色々違うことがある。しかし、違反を犯しても必ず言い分は来てくれる。そのために裁判所に出頭を求められる。
歩行者も捕まる。違反を犯しても必ず話は聞いてくれる。果たしてこの日本はどうだろう。スピード違反で捕まれば、その場でサインを求められる。なにがあってもその場で相手に認めさせたいようだ。日本に帰国して免許の更新に行ったとき、歩行者で捕まった話をそこの警官に話した。そうしたら、日本は国も道路も狭い、アメリカのような大きな国の真似はできない。とのこと。果たしてそうだろうか。狭い方が危険が多いのではないか。この国は歩行者も自転車も野放し状態だ。これらが事故を誘発しているケースはたくさんある。私にはそれが、ただ単に仕事を増やさないための口実に聞こえる。
私事だが、免許の更新についてひとこと。先に書いたように、帰国して私は免許の更新に行った。ただ、私の勘違いで、更新は帰国後三ヶ月以内にすればよいと思っていたのだが、実は一ヶ月以内だった。その勘違いのため過去日本で持っていた普通車と自動二輪の免許は失効した。理由は何であれ、だめな物はだめとのこと。この国では免許を取るのに大変な時間とお金を要する。普通免許はアメリカの免許を切り替えられたが、自動二輪の免許を取り直そうと思ったら、それは大変なことだ。免許取得費用の高さについて日本政府は何も講じていないのが実情で、おまけにお役人は決まりばかりいう。世界には、免許は一生物という先進国もある。
ま、それ以前に、向こうの人はまず話を聞いて判断してくれる。