『怖さで、考えた』 2000年6月20日
日本に帰国してよく聞かれたことに、「どこの国が一番良かったですか」、という質問がある。
人間性、国民性を考えればニュージーランドが一番良かったし、これからの将来を見据えて考えればオーストラリアになる。それから、自分が一番居心地が良かった国はといえば、他人に無関心でいてくれるイギリスということになるし、何も考えずゆっくり過ごしたいとなれば、東南アジアのタイとかになる。 ただし、世界は十年単位で変わっている。全てが今もそうとは言いがたい。
次に言われることが、「よくあんな危険な国で暮らせたね」、である。ここ十年の間に、世界各地で多くの日本人が殺されている。マスコミを通して断片的で圧縮されたニュースをみれば、日本の人はそうなるのかなと思う。しかし、日本に帰国して十年。残念ながら私には、この国が住んでいて一番怖い国に思える。
私はきれい事は書きたくないし、出来るだけ自分がしてきたことは、経験として書いていきたいと思っている。私は良くないと思われる事もした。インドやアメリカでマリファナやコケインに手を出した。アメリカでは時として国際電話がタダになるシークレット・ナンバーが売られていて、ただ電話をかけるためにダウンタウンの最も危険な地区にも足を踏み込んだりもした。それから、あまり知られてはいないが、南米や中南米はアメリカよりも危険だ。だから護身用にピストルも所持したことがあるし、アメリカでトレーニングもした。
やばいことも、危険地帯に足を突っ込みもしたが、それほど怖いとは思わなかった。自由な環境に自分がいたこともあるだろうが、それよりももっと自分の気持ちを割り切れたのは、そういった社会では、悪い奴は悪い。良い奴は良い。ある程度彼らの社会ではこれがはっきりしていることと、特にアメリカでは法がしっかり守ってくれるというこがある。単刀直入にいえば、殺られる前に殺ってしまおうと思っていればいいのだ。後は法が守ってくれる。そして、早くその環境に馴染むことだ。
ちなみにアメリカの悪にはまだ余裕がある。あれほど豊かな国だ。欲のために悪をする奴が多いが、南米、中南米の悪は違う。本当に生きていくために悪をする奴が多い。だからこっちの方が怖いのだ。
それともうひとつ私がこの国の怖さを感じることに、事件、事故に対する社会の配慮のなさがある。オーストラリアで私が最もお世話になった家族のことを引き合いにだしたくはないのだが、たぶん許してもらえると思うので例として書くことにする。私は最初この家族の次男と友達で、その関係でこの家族と親しくなった。今では自分の息子のように思って心配してくれていて、私の二番目の古里はこの家族の元にあるといってもいい。
私が居候をしていた頃、この家族は六人家族で、息子三人と養女の長女がいたが、友達の次男は旅に出ていて家には居なかった。その頃、この家庭の雰囲気は決して明るいとはいえなかったが、お母さんだけはいつも明るくて優しかった。そして、父親も大変な働き者だった。そんな中で、いつも二人の気を病んでいたのが、私と同い年の長男だった。彼はそうとう荒れていた。アルコールに溺れ、ドラッグに手を染め、私がこの家族と知り合う以前、ある事件を起こしていた。お母さんの話によると、ドラッグのバイアーをしていたことで恨みをかい、バットで寝込みを襲われ、瀕死の重傷を負ったそうだ。この時彼はガール・フレンドと一緒にいたのだが、警察は犯人について、一切の事を彼女に口止めした。私もよくこのガール・フレンドを知っているが、彼女の口からこのことが出ることは一度もなかった。お母さんは、もし犯人がわかれば恨みを晴らしたい、といっていたが、私は内心これで良いのではないかと思った。こうする事で、不幸が尾を引かないからだ。
この長男は二年前に他界した。どんな理由で死んだかは知らされなかった。私が彼に最後に会ったのは、1989年、二度目にこの家族を訪ねた時だった。その時もアルコールに溺れていた。だが、アルコールの入ってないときの彼は本当に良い奴だった。この時は二人して牧場の牛の水飲み場に、よくザリガニ取りに出かけた。何かしているときの彼の笑顔はとても輝いていた。だが、一度アルコールを口にすると、やはり人が変わった。一度などあまり暴れるので、残念だが、両親が警察を呼ぶはめになった。
親、兄弟は決して当人を悪く言わない。むしろ良い面や良かったことを持ち出して話してくれる。これは欧米では一般的な光景だ。自分の息子が犯罪者でも、母親はき然とマスコミの前に立つことが多い。アメリカの警察の前を通ると、犯罪者に面会に来ている家族に会うが、彼らも実に堂々としたものだ。これはいくら親、兄弟でも、あくまでもそれぞれを独立した人格として扱い、それぞれの人生を分離して捉えるというやり方を、子供の頃から植え付けられてきた人達だから出来ることだと思う。この意識が人にあれば、後は事故、事件が尾を引かない方法を社会が配慮すればいいのだろう。
毎日のように日本でも事故、事件が起きていて、お決まりのようにマスコミは加害者、被害者を問わず、親族にまでインタビューを敢行する。特に加害者の親族えのインタビューをみるたびに、気持ちが重くなる。先に書いたような条件があればこそ、欧米のマスコミと同じことが許されるかもしれないが、日本は違う。親族の中にひとりでも犯罪者が出れば、その親族全てが下手をすれば人生を棒に振らなければならなくなる。これはもの凄く恐ろしいことだ。親族の、それも年老いた人が、インタビューに対して自分のことのように謝る姿は、見ていて本当に気の毒になる。見ている人によっては、それが誰だかは判るのだ。それはまるで人が人を追い詰め、社会から抹殺しているようにも見える。
そして、法や人間の中途半端さも、この国にいて、もの凄く恐ろしく感じられることだ。おそらく、この国の中途半端な悪ガキを、みんな連れてアメリカや中南米に行くと、その半数以上は向こうのストリート・ギャング達に殺されるだろう。その日本の悪ガキどもと喧嘩でもして、相手を運悪く大怪我、へたをして殺しでもすれば、私もはもうこの社会にはいられないし、家族も路頭に迷うことにこの国ではなってしまう。また、泥棒が入って、身を守るために致し方なく相手を殺したとしても、過剰防衛うんぬんになるし、身の狭い思いをしなければならない。そういった恐ろしいものがこの国にはある。
海外で生きてきて、その場その場の環境で怖いと思ったことはなかった。それよりもむしろ、与えられた自由の中をひとりで生きていて、判断ミスを犯すことの方が、私にはよほど怖いことだった。