Part・5
<私にはちょっと・・・> 2000年9月16日
世の中には、本当に頭の良い人が沢山いる。どうしてあんなことが出来たり、いとも簡単にこなせるのか分らない。たぶん頭の中のメモリーが私より数倍多くて、回路も複雑なのだろう。だが、頭が良くて切れる人の中にも、色んな種類の方がおられる。ノルウェーでお世話になった方々にも、そんな方が沢山おられた。特に”私はホモです。”と言われる方には、本当にお世話になったが、ムフフ・・・だった。

ノルウェーには避暑を兼ねて出かけた。ヨーロッパにいた頃は、春と秋を中心に働けるだけ働いて、暑い夏と寒い冬は、北に行ったり南に行ったりしていた。ノルウェーにはドイツ、デンマーク、スウェーデンを経由して、電車とヒッチハイクで行った。しかし、私が訪ねた年の北欧は最悪だった。近年稀にみる長雨が続いたせいで、なかなかうまいバイトにあり付けなかった。

短期のバイトを狙う場合、どうしても季節労働の農場仕事などがねらい目なのだが、その年は生育不順、不作などで、バイト探しには向かない年だったようだ。北欧などの国では、夏場に限って、こういった農場などの人手不足を解消するため、他国からのボランティア的なアルバイトを募集する。そのためのオフィースもオスロ市内にはあった。だが、この年に限ってはそれもダメだった。


そんな状態だったので、私は時間潰しに何かしようと思って、オスロ駅のツーリスト・インフォメーションに出かけた。そして、そこで今回の話しに繋がる一人の男性に声を掛けられた。
”こんにちは。日本の方ですか?” 旨い日本語だった。
”ハー。そうですが・・・。”
彼はニコニコ笑いながら、オフィースの中に入ってこいと言った。

彼、Wさんは大変スマート(”痩せている”ではなく、”頭が良い”意味)な人だった。
オスロ大を卒業後、日本の東大に留学し、その当時はイギリスのオックスフォード大学に席を置いていた。喋れる言葉が七カ国語。ノルウェー語、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、それから中国語。日本語はダメだと言っていた。この人位、ツーリスト・インフォメーションに適した人はいないと思った。入れ替わり立ち代りに訪れる各国の旅行者に対して、見事なくらい言葉を変えながら対応できるのだ。私はオフィースの中からその対応振りを感心しながら見ていた。

このWさんと知り合ったことがきっかけで、ノルウェーでの新しい展開がはじまった。
まず、彼は一組の夫婦を紹介してくれた。その夫婦の奥さんの方は、<エーゲ海のアツーイ夜>に登場してもらっている、たいへん綺麗な北欧美人で、この人も日本の文部省のスカラシップを使って、家族で日本に留学していた。ダンナの方は黒人のアメリカ人で、アメリカの弁護士のライセンスを持っているのだが、奥さんの国に住むと決めて、その時はノルウェーの弁護士資格の取得のために、猛勉強中だった。

私はこの夫婦に並々ならぬ恩義を感じている。仕事がなかなか見つからず落ち込んでいた時、この二人には大変励まされた。その上、ひと部屋私に提供してくれて、居候までさせてくれた。海外でお世話になった人達の中でも、最も忘れがたい夫婦だ。

この夫婦の紹介で私は、ノルウェー中部、スウェーデンとの国境にほど近い小さな町で、博物館の館長をしているという人を紹介された。その人は五十才前の優しそうな人だった。彼は私の旅の話しと目的、現在置かれている状況を聞くと、”どうだろう、この週末私は町に帰るが。一緒に来て、イチゴの摘み取りをしてみないか。”と言った。

ノルウェーとスウェーデンの国境にまたがる高山の湿地には、夏になると黄色い実をつけるイチゴが生息する。そのイチゴは大変良い値段で取引され、クリスマス時期、ケーキのデコレーションなどに使われるとらしい。ただ、イチゴの木が10から15センチほどの低木なのと、車を置く場所からけっこうな距離を歩かないとならないので、大変な重労働になるという。それでも私は迷わずついていくことにした。だだひとつ、大きな誤解があることを知らないで・・・。

オスロからその町までは、車で二時間弱の距離だった。途中、有名なスキーヤーが出た町や、スキーのジャンプが初めて行われたジャンプ台なども教えられたが、この館長さん、へんなことも言うようになった。
”あの教会の神父。彼も男好きでね・・・。”
”・・・?”
”あァ、この町にも一人いたな。”
”・・・?”
−ハッハァー、この人も彼らのお仲間か・・・−

そうなのである。最初に私に親切にしてくれたWさんしかり、インフォメーションの仲間しかり、この人達は皆さんホモ友達だったのである。
−これは困った。−
こうなるとわが身の安全を考えないとならない。”海外では男も危ない”有名な話しだ。
”実は私、ストレートなもんで、そういった話しはどうも・・・。”(ストレートは、普通っていう意味)
彼はやっと誤解に気付いたようだ。私がWさんの友達で、Wさんの友達の中には東南アジアのタイから、わざわざボーイ・フレンドを呼んで、同棲しておられる方もいる。私もそちらの方面と勘違いしたようだ。一瞬沈黙したが、この人、良い人である。それからは普通の話しに戻り、変な気?はなくなったようだった。ただ、私は十日ばかり館長さんの家に滞在し、二人だけで生活したが、内心不気味だった。おまけに男の裸の写真の本が沢山あるのを見ると嫌なものだ。


この館長さんへの誤解がないように書くと。本当に彼は誠実で、色んな事で私に気をつかってくれた。
イチゴのピッキングは1週間ばかりして、けっこう誉められるくらいの量をとった。これを町のマーケットに売らなければならないのだが、その税金のことも彼がうまくやってくれた。本当に良い人なのである。

それと、彼の博物館には、カメラマン兼記録係の青年がいた。北欧の徴兵制度には、本人の気持ちに配慮した方法がとられていて、銃口を人に向ける事を拒否する人間には、兵役の代わりにシビル・ワーク(地方の博物館や公共の施設で働くこと。ただし、兵役が二年に対し、三年間の義務になる。)が与えられている。この青年も兵役の代わりにそこで働いていたのだが、館長さんは彼の事も大事にしていた。勿論この青年もストレートだ。(ちなみに、<国境で考えた>の中で、ノルウェーの山中で、車で死にかけたと書いたが、その車は彼のものだった。)


私の知り合いのノルウェー人のホモの方は、殆どが立派な学歴があり、インテリで社会的ステータスもお持ちになっている。そのせいか、無理に言い寄られる事もなかった。ただ一度、タイ人のボーイフレンドと同棲している彼が、人差し指で私の肩をつついて、”ウフッ。”とやられた時は、さすがにブルッときた。そして欧米ではこういった人達は実におおっぴろげで、周りの人達の理解も深い。だが私にはちょっと難しい。

寒い国に住むノルウェー人は、暑い国の異性が好みと聞いた。わざわざ東南アジアまで結婚相手を見つけにいく人もいて、ノルウェーではタイから嫁いで来た数人のタイ女性とも知り合い、お世話になったが、恋の駆け引きでも、この国では面白い話しがあった。それはいずれまた。

世界を歩いていると、ホモの方には時々出会い、興味のある目で見られる。されど私はストレートの男だもので、そういった方には極力近づかないようにしていた。しかし、それでもモーションをかけてくる御仁はいる。

アルゼンチンのメンドッサという、ワインで有名な街のホステルに泊まった時にも、一度モーションをかけられた。ドミトリーの二段ベッドの下で寝ていた私は、ウトウトし始めて間もなく、腕に何かが触っている感じで目を覚ました。すると、上のベッドから手が下りてきていて、私の体に触ろうとしているのだった。私はさすがに気色が悪く、最初は体をずらしてその手から逃げていたが、あまりしつこいので頭に来た。
”ファッキン・ブラリー、ワットゥ・アー・ユー・ドゥーイング?”(こんちくしょー。てめい何やってんだ。)
スーと手は引っ込んで行き、翌朝その御仁はケロッとしておられた。