『デンマーク・クリスチャニアで考えた』 2000年9月27日
<クリスチャニア>
このコミューンについて、私は表に出して引用して書いていいものかどうか大変迷った。しかし、そこにあることは事実だし、書くなという理由もなんだない。ただ、私が心配なのは、今まで殆ど知られていなかったことと、刺激のある場所なので、へたな興味だけでそこを訪れて彼らに迷惑をかける人が出てきてほしくない、という気持ちがある。

私がこのクリスチャニアを知ったのは、ノルウェーのオスロを出る前だった。あるノルウェー人の友達に、”コペンハーゲンを通るなら、クリスチャニアに寄ってみればいい。きっと何か面白い話しに出会うよ。”と教えられた。私にはそこがどんな場所か想像もつかなかったが、ある種のコミューンだということは解った。南にただ漠然と下るのも味気ないし、ぜひ立ち寄ろうと思った。

(最近これを書くにあたり、色んな方面からこのクリスチャニアに関する情報を得ようとしたが、まったく手がかりすら得られなかった。勿論旅行のガイドブックには載るような場所ではない。デンマーク政府の情報にもふくまれない。ヤフー・デンマークで検索しても何もかからない。外部からここを調べようとしても、どうも不可能に思われる。勿論現在もそれが存続しているのかも分らない。)

朝早くコペンハーゲンの駅に着いて、クリスチャニアの場所をツーリスト・インフォメーションで訪ねたが、どうも一般的な機関や役所でもけむたがられる場所のせいか、対応にでたおばさんの受け答えも冷たかった。
”ねえあなた、いったい何をするためにあんな所に行くの?。旅行者の行くところじゃないワ。悪い事は言わないから、あそこに行くのはやめなさい。”
それでも私が食い下がると、このおばさんはしぶしぶ市内地図のある一点に、投げやりに丸を書いてよこした。

クリスチャニアは市の中心からさほど遠くない場所にあり、私はそこまで歩いて行った。その地区は特別に外部と仕切られた場所にあるわけでもなく、住宅街の中のひとブロックがそのまま小さなコミューンになっていて、どこからでも入って行ける感じだった。私は、一応正面のアーチ型のゲートをくぐって中に入って行った。

まだ朝早いせいか、コミューンの中はあまり人影が見当たらなかった。そのコミューンの広さを的確に掴むことはできなかったが、その当時、200メーター角のブロックひとつ位の広さだったと思った。中には自立生活をしていく上で、必要な物は大体そろっているように見えた。パンを作る場所があり、畑があり、修理工場があり、髪を切る場所があり、ニワトリが遊んでいたし、カフェやバーもあった。中心には池もあった。雰囲気的にはアメリカの西部開拓時代の感じを、私はそこにだぶらせていた。板張りの建物が多かったせいかも知れない。勿論、このコミューンには誰でも入れた。粗末なカフェやレストランには値段書きの黒板があり、ベジタリアン中心のメニューと値段が記してあり、値段も高くはなかった。

朝九時を回った頃、私は一番早く開いていたカフェ・バーに入った。コペンハーゲンに着いて何も食べていなかったし、疲れてもいた。私はコーヒーとトーストを貰って、隅のテーブルに座った。店の中はほどほどの広さがあり、カウンターにはイスが5、6個並んでいたが、まだその時間では客もいなかった。だがしばらくして、私は後からその店に入ってきた、身なりのきちんとした中年の男性に、同席してもいいかと声を掛けられた。まだ他に人がいないので、その人も話し相手がほしかったようだ。その人はイギリス人で、本を書いていると言っていた。きちんと名前も教えてもらったが、私は余程相手に興味がないかぎり、他国人の名前は聞いても、右から左へ消えていってしまう。彼は過去、この開放的で独立した場所が気に入って、クリスチャニアへは何度か来ていると言っていた。


クリスチャニアの自治は独立しているのである。この自治区がどういうふうに出来たかは、井上ひさし氏の書かれた<古里古里人>の中に書かれている。それをかいつまんで引用させてもらうと。
”昔、この地区には百六十棟の兵舎があり、そこにいつの間にか多くの浮浪者が住みつくようになった。住人は畑を作ったり、ハンド・クラフトを作ったり、或いはポンコツ自動車の修理工場を作ったりして、自治を始めた。何故そこに千人以上の人間が集まったか、その理由は西欧の消費生活という強迫観念に対抗するためだった。このクリスチャニアでは、スプーンひとさじの砂糖、オレンジを半分、といった具合に必要な分だけ買える。うんぬん・・・。”
(井上ひさし氏著、古里古里人。P291より)

どんな国でもそうだろうが、ある特定の場所で自治権を独自に持つことは、大変難しいことだと思う。住人達によほど確固とした計画案と目的、責任感があり、国、行政、国民、特に近隣の住民に理解が得られなければ、これが可能にはならないだろう。おそらくデンマークのここの住人達がこれを計画した時点では、それだけの条件が揃っていたのだと思う。古里古里人の中にも、”デンマーク政府はここを潰そうとしたが、意外に一般市民の支持があって・・・。””普通の学校では勉強嫌いで手の付けられない悪がきが、この自治区の学校に行くと、喜んで鉛筆を持つ。一般市民はそういうとこを認めて、・・・。”と書いてある。そして、コミューンの広さ自体も大きなお城程度の広さにすぎない訳だから、計画がうまく進んだのだと思う。


だが、時の経過と人の入れ替わりにより、当初の目的と責任感に、少しずつズレがでてきて、その時の状況を生み出したのだと思う。私がインフォメーションのおばさんに、”行くな”と言われた原因は、治安の悪さや荒廃した場所だからではなく、その時の若者達に原因があったようだ。私がこのイギリス人と話しをしている間に、起き出してきた若者達が少しづつ店に姿を見せるようになっていた。そして、店内のあちらこちらから<葉っぱ>の煙がたちあがり、いつに間にかその煙が店中にたちこめていた。聞いた話しによると、この自治区に警察は介入しないという。そのせいでだろうか、ここの若者達は朝から<葉っぱ>を吸っていた。そういった姿勢が目立ってしまい、おそらく周りの人達から顰蹙をかう原因になっていることは間違いなかった。

勿論全てのメンバーが同じという訳では決してない。中にはしっかりした考えを持った人間もいた。私がこのイギリス人の作家さんと話しをしている席に加わり、一緒になって世界の事、政治の事、社会の事を真剣にディスカッションした者もいた。私は本当はこの人達のことを中心にここは書こうと思っていたのだが、クリスチャニアを引っ張り出してしまったら、そっちの話しが長くなってしまった。しかし、私はここで大変すばらしいディスカッションをした。隣に作家さんもいたせいか、この時のディスカッションは大変中身の濃いものだった。


<学生達>

欧米の若者達。特に大学生クラスになると、本当によくディスカッションをする。旅に出て泊まった安宿やユース・ホステルのロビーに4,5人集まると、誰かが何かの話しを持ち出してきては、話し始める。勿論たまには女の子の話しもでてくるが、政治、経済の話しも本当によくしている。私がヨーロッパにいた頃は、中東できな臭い匂いが立ち込めていた頃で、アメリカが軍事行動を起こしたりすると、夕方ロビーではその話しで持ちきりになる。そして、アメリカ人がそこにいると、必ず槍玉に挙げられていた。

若者達とのディスカッションで記憶に残るものとしては、アルゼンチンでの話しがある。ほんの一昔までアルゼンチンという国は、堂々と公衆の前で政府の非難ができない国だった。街中でヒソヒソ話しをするにも、誰に聞かれているか分らないので、皆、戦々恐々としていたらしい。私がアルゼンチンを訪れた頃も、まだその雰囲気は漂っていて、いくら旅行者でも過激に政府を非難するようなことは避けたほうがいいと言われていた。だが、この国では、思いがけない場所で、アルゼンチンの学生達と話すことができた。

私は今までにも書いたように、山によく登った。南米といえばアンデス山脈がある。当然登ることは行く前から決めていた。長いアルゼンチンの国土の中ほど、チリと背中合わせになる所に、バリローチェという観光名所がある。南米のスイスと言われるくらい、白い雪を被った岩山があって、湖があって、美しい所だ。私はとある人を、すぐ近くのネウケンという街で訪ねた後、ここに行った。そして、山にここから入った。


私がブエノスアイレスから来た六人の大学生と話が出来たのは、この登山の時に泊まった山小屋でだった。彼らがどういうグチや不満を漏らしたかは、あの頃のアルゼンチンの現実から察すれば創造がつくと思う。彼らは本当に真剣に国を憂い、将来の希望を述べ、そんなに簡単には出て行けない世界の話を私に求めた。私は彼らと夜遅くまで話し込んだ。しっかりした意見、しっかりした態度、しっかりした自覚、日本の多くの大学生のものとはまったく違ったものを彼らに感じた。

私は日本の大学生を中心とする若者達に、彼ら同世代の欧米の若者のような、膝を着き合わせてディスカッションをする姿勢を、もっと持ってもらいたいと思うのだが・・・。


<クリスチャニアから退散して>

笑い話になるから、クリスチャニアを出た後のことを書いておこう。

私はその作家さん達と昼頃まで話し込んだ。時間にして3時間近くになる。話し込んでいる時には神経を張り詰めているので、それが徐々に効いてきている事など感じもしなかった。だが、クリスチャニアを離れて歩き始めた時、それは一挙に来た。凄い感情の高ぶり、心臓のたかなり、感情の変化。<葉っぱ>をじかに吸う事はなかったが、あれほど長く煙を吸っていれば、ようは同じ事だ。私は何故かそこから、人魚の像がある公園を目指して歩いて行った。何故そっちに行きたいのかよく分らなかった。ただ、オスロ行きの船を見かけた時には、無性に悲しくなった。こうゆう時に意思が強いと、非常に困る。何とか自分をコントロールしようともがいてしまう。<葉っぱ>を吸ってしまった時には、そのままリラックスしてしまえばいいのだ。逆らおうとするから苦しくなる。やっとの思いで公園にたどり着いて、そのまま私はベンチの上でダウンしてしまった。

朝から酔っ払ってしまうと、その日一日がどんなに辛いか。皆さんもご存知だと思う。