『消耗品の日本人で考えた』 −(2)−2001年1月21日
−働く者達−
日本に帰国して、こと私が働く業界の、人間の程度には何度も失望させられた。
周りにいるオッチャン連中はこんなもんかと思ったが、日本の4本、5本の指に入る大手建設会社の現場管理者の言葉ずかいのなんたることか。まだ20代の若い管理者が、ひと回りもふた回りも歳上の人間をつかまえて、人を見下げた、人を諭すような言い方をする。さすがに私も最初の頃は、これだけは我慢できなかった。

しかし、これもよく考えれば、バカな先輩連中から受け継いだことである。日本の建築現場で働く労働者の態度、言葉使いは確かに悪い。日本語というのは言い方によって、微妙にニアンスが変わるし、方便を使った話し方の中には、えらくドスのきいたものもあったりする。だから言葉の問題かというと、そうではない。労働者の人と成りに問題があるから、相手もそうなるという、相乗効果でそうなっている。


大変厳しい言い方をすれば、日本の現場で働く労働者の皆さんは、電気、設備のエンジニア系の作業員を除いて、若かりし頃はあまり勉強の好きな人達ではなかった人達だ。(勿論、中には成績優秀な方もおられて、都合上、そうせざるをえなくて、そうなった人もいると思うので、そういうひとには、この言い方は勘弁ねがいたい。)若い頃ヤンチャだった人達の多くが、現在の日本の現場を支えている。彼らに充分な言葉使い、マナーがあるかというと、残念ながらない。そういった皆さんを相手に下手にでれば、どうしてもなめられる。だから、学生時代は気の弱い、真面目一方で生きてきた連中も、ここぞとばかりに、優位な立場を利用して、ああいう管理者としては世界的にも珍しい、横柄な態度を身に付けてしまっていて、先輩から後輩へと受け継がれてきている。

日本の進学率は、世界でも稀に見る高さだということは、皆さんも知っていると思う。しかし、欧米の進学率、特に中学から高校への進学率は、大体何処も50%前後である。16才になれば、多くの若者が社会に出て行き、職探しに奔走する。欧米の若者の大多数は、この歳くらいから自立を始めるのだ。

日本では後継ぎという言葉が廃れかけているが、特にヨーロッパなどでは、この歳くらいから手に職をつけるという考え方が、今も根強く残っていて、親の跡を継いで職人になるという者は多い。おまけに年季の入った熟練工は、社会でも高い評価を受け、尊敬の対象にされるので、人と成りも確りした人が多い。

また、欧米人の人材育成に対する考え方は、日本のように、一人前と半人前の境をどこで区切るのかはっきりしないものとは違い、大体3年を境に分けているところが多いようだった。最初の3年間はトレーニング期間と呼ばれ、賃金も安い。しかし、3年の期間を満了すると、翌日からは一人前としての扱いが受けられるようになる。勿論、賃金もこの日を境に一人前の賃金に上げられるわけだ。だが、この割りきった制度には問題もあって、それまで安く使ってきた者を、ここで切ってしまうケースが多い。そうなると、トレーニングは終わったが仕事がないという者が多く生まれてしまうのである。欧米の職人の世界では、ここからが本人の実力がものを言うようになる。

日本を旅立つ前、私は、先にも書いたように、欧米人をなめていた。職人仕事は日本人の方が器用でうまいと思っていた。しかし、ヨーロッパで働く頃には、それが大きな間違いであり、自分の無知さかげんから出た独り善がりだったと思えるようになっていた。これもヨーロッパの人達の芸術や建造物を確り見ていれば、こういった勘違いもなかったのだろうが・・・。
オランダで懇意にしてもらっていた木工所の職人さん達。昔、遠洋航海に出て行った船の装飾品や装備を、木で作っていた技術は、今でも生きている。ギリシャ、イタリア、スペインなどの、プラスター(左官)仕事が生んだ建築物は数多い。これらの国の人達は、移民としてオーストラリア、アメリカ等に渡り、それぞれの国に技術を持ち込んだ。イギリスでは、漆喰技術にたまげた。1メートル近いコテを器用に扱い、何度も水を打ち、仕上がった壁は鏡面になる。それぞれが見事なものだった。

プライドを持った人間が多く働く環境と、そうではなく、行き場がないから、仕方なくその仕事を選んだ人間が多くいる環境では、おのづと形成される社会は違ってくる。残念ながら、現在の日本の現実は後者のものである。皮肉な言い方をすれば、高学歴社会を崇拝する観念が、いまだにヨーロッパなどでは存在する、多くの職種に分散して行く、人の選択権のバランスを壊してしまった。手に職を持つということは、安定した生活のベースとしては大変いいことなのだが、これから日本人は、この分野では苦労するに違いない。


私は<ちょっとおもしろい話>の<オーストラリアのマフィア屋さん>という話で、現役バリバリで、イタリア系オーストラリアン・マフィアの大ボスの甥で、本人も幹部という男が、普段はなんと現場で左官をしている。という話を書いた。この人には、カルチャー的ショックを受けたのだが、なにをおいても驚くのは、回りで一緒に働いている人達が、彼の素性を知っていながら、職場では差別していないことだった。(勿論、各自内心では、へたに近づく気はないようだったが)そして、本人自身も、仕事上のボスに対しては絶対服従していたし、本当に真面目に働いていた。こういったことは、まず日本では100%考えられないことだ。こういった人間社会は、本当に凄いことだといまだに感心している。職業の選択権の自由がある社会とは、こういうことになるのだろうか?

<子育てで考えた>で書いたように、小さな子供の頃から、自主性を持たせるように育てることは、本当に大切なことだ。社会に出てからも再教育。毎日わざわざラジオ体操まで準備して、何からなにまでこまごまと注意をうける。そこまで言われないと、我々日本人は動けないのかと情けなくなるが、回りを見回すと、確かにその程度の人間が多くいるのも事実だ。ラジオ体操をしなければならない先進国の国民は日本だけ。(実際にまともに体を動かして体操してるのはごくわずか。)朝礼をして、まともに話を聞いているのもごくわずか。実際にはムダな時間といえる。ただ、何かあった時に、企業側からすれば、やっておいたはずだ。言っておいたはずだ。という、口実にはなる。だったらいっそのこと、向こうのように切ってしまえばいいものを、そうしてしまえば後がいない。だから表面では甘やかして、裏で埋め合わせにゴチャゴチャいう。なんとも情けない社会だと思う。

今回、私は欧米人の社会を持ち上げすぎかもしれないが、断っておくが、勿論彼らの社会だってふざけるなと言いたくなることは多々ある。ヨーロッパやアメリカのきちんとした熟練工達は、社会的地位、サラリーマン達とはくらべものにならないほどの収入があり、(残念ながら、やはり白人中心に)生活も安定している人が多いが、それに至るまでの人達には問題も多い。例えば労災保険。日本の建築業界では労災保険を掛けていても、事故が起きればペナルティーで最悪営業停止、作業停止を食らうため、労災が起こっても裏で事実をもみ消しするケースが、残念ながらある。労災保険はなんの為と思ってしまうのだが、欧米でこういうことは、まず出来ない。そのために保険を上手く利用して、楽をしようと考える人間が結構多い。何でたかがこんな事で2週間も3週間も休んで、おまけに保険まで、と言う事がままある。かと思えば、急に弁護士がやってきて、たいした事故や怪我でもないのに、あなたを告訴するとかいう話もあるわけだから、まったくたまったものではない。

あと、日本から来たばかりの人が、広告に踊らされて、後でひどい目に合うといった話をよく聞くが、口八丁、手八丁の屋からはどこにもいる。自分をうまく売り込むのは彼らの得意とするところだ。ひとつのことに熟練もせず、何でもこなそうとする人達のことをカーボーイと呼ぶ。この呼び名を最初に聞いたのはイギリスだった。それも、イギリスに1人だけいた、日本人の大工さんから、日本のとあるゼネコンの失敗談を交えてだった。ロンドンの郊外で、このゼネコンはゴルフ場のクラブハウスを手がけた。工事も終わり、オープンセレモニーの当日、日本大使も招かれていて、大使はその日、ハウスにできた日本風の風呂に入ったそうだ。体を洗い、立ち上がろうとしてフォーセットを掴んだ瞬間。取れたそうだ。この大工さん、”下手なカーボーイ使ったな。”と言っていた。

(ちなみに、イギリスの職人さん達に、間違ったイメージを持たれてはこまるので書いておくが、きちんとしたビルダー達は、何職種かのプロ達がグループを組んで動く場合が多い。良いグループを見つける事が大切なのだ。私達が懇意にしてもらっていたグループは、大工のオヤジをトップにしたグループだったが、この人は大変律儀で、最後の10ポンドになるまで、”あとこれだけあるので、何かしようか。”と言う人だった。こういった生粋の英国風紳士の職人と手を組んで働けば、恥をかかずに済む。)

この国は島国である。地つながりの他国がないから、多民族のことは想像してみるしかない。おまけに、同等の先進国は、遥か遠い所ばかりにあるから、自分の目で見て、自分たちと比較対象することも難しい。メディアがくれる情報にしても、所詮限られたものだ。先生なんて呼ばれる政治家にしても、実際に長く他国の現実を学んできた者などいやしない。日本人がしてきたことといえば、華やかなアメリカの良い面ばかりを目標に、追い求めてきただけだ。

さあ。これからわれわれはどうする?