『消耗品の日本人で考えた』 2001年1月5日
−はじめに−
この4、5ヶ月の間に、私の仕事の取引先である、ある大手の会社だけで、実に3人の人が、うつ病、職場放棄などで行き場を失った。この人達が、職務上何か問題を起こした訳ではけっしてない。逆に大変良い人達で、私も大変お世話になった。M君など入社当時から、父親がこの会社の重要な取引先に勤めていたこともあり、物凄いプレッシャーやパッシングを受けていたが、そんなことものともせずこれまで頑張って来た男だったが、そんな彼ですらここまで来て、切れてしまった。
この会社の労働条件は、他の日本の多くの企業のそれとなんだ変わらない。ひと月何十時間に及ぶボランティア残業。それにしてはお粗末な賃金。先日東京の地下鉄の車内に掛かっていたある雑誌の広告に、この会社の社長の年収が4億だか5億だか(もっとだったかも知れない)だと書いてあった。私はこの社長の下で働く末端の従業員の労働条件や心情を知っているので、その金額を見た時思わず周りにいた友達共々憂鬱な気持ちになってしまった。
しかし、これが日本の企業の現実であることは間違いのない事実だ。多くの人達はそれを何ら疑いもせず、資本主義という社会である以上しかたのない事だと納得する。そして上に立つ人間が勝者で、自分も、我が子も、そのたった1割の人間に仲間入りするために、時として不正にも、時として愛情をも切り捨てて、勝者になるがために人生を賭ける。それしかないのだろう。そうするしかないのだろう。だが、本当にそれしかないのだろうか。
本当にこんなものなのか。本当にこれしかないのか。
実は私が世界に旅立つ前に、自分の中で何度も繰り返した自問である。その答えがどうしても欲しくて私は旅に出た。そして、帰国して一度はその答えを書いた。だが残念ながらかたちにはならなかった。
今回くしくも私の周りで数人の人が、社会と企業の犠牲というかたちで姿を消した。彼らをかばうだけのインパクトのあるものは書けないかもしれないが、私の仕事を通して、見て、感じた、他の先進国の現実をもう一度書いてみようと思う。
日本という島国の中で、これしかないんだ、と思っている人達に、それだけではないことを知ってもらいたいし、若い人達にも希望を捨ててもらいたくないと思うからである。
<2001年。21世紀の始めに。>
−ユニオンで考えた−
帰国後、私が海外の現地の会社で働いていた、と言うと、人によっては、”欧米人はアバウトで、あまり働かず、不器用だろう。”という。実は、日本を出る前、私が持っていた欧米人感もこれに等しい。
これは日本人の思いあがりであり、傲慢である。
そのことを、私はオーストラリアでのっけから知らされることになった。
オーストラリアで初めて建築会社の仕事が取れた時、まず、始業時間の早さに驚いた。
欧米の建築現場は、オーストラリアに限らず、大体何処も朝6時、ないし6時半には仕事を始める(昔、朝日が昇るとともに仕事を始めた習慣が、そのまま現代までいきている。終業は午後3時、ないし3時半)。これは冬場でも変わらない。この時間には必ず現場で手を動かし始めなければならない。ラジオ体操も朝礼もない。勿論、まずコーヒーでもなんて、とんでもない話だ。朝、それも真っ暗なうちから仕事を始めるのは大変である。特に大きな国では、遠くから来る人間には辛い。アメリカで知ってる奴は、3時に起きて来ていた。若い連中はまずこれに馴れないと、即、仕事を失うことになる。
そして、次に私が厳しいと感じたのが、休憩時間以外では、タバコも吸えないことだった。立ち話、腰を下ろしての休憩も含めて、作業時間中に無駄な時間を浪費している光景を、私はここで見ることはなかった。一日の仕事のサークルで、9時に一度休憩があり、12時にランチを取る。この休憩時間だけ、おのおのが各自のボックスに帰り、タバコが吸えて休めるのだった。
どうしてこれだけ物事が徹底できるのか、最初は不思議だったが、その理由が解るにはそれほど時間は掛からなかった。要は、ゼネコンと各サブコンのユニオン(労働組合)間に、しっかりした契約と取り決めがあるのだ。まずここが日本の社会と大きく違う点だった。
オーストラリアの場合、例えば左官さんが新聞なり職安で仕事を見付け、その会社に電話して仕事が取れたとすると、まず彼はその職種のユニオン・オフィースに行き、そのユニオンのメンバーにならなければいけない。そして、そこで貰った自分のナンバーと会社のナンバーを、現場に初めて入場する時点で、現場のスーパー・バイザーに提示しなければならない。誰でも入れる訳ではないのだ。
各ユニオンは業界でも大変な力を持っていて、日本の様にゼネコンから仕事を貰って小さくなっているようなことはない。彼らは自分の意見、要求をきちんと述べる代わりに、先に書いたようにそれだけのことはしている。
このオーストラリアのユニオンというのは、世界でも有名なもので、建築業界に限らず、ありとあらゆる職種のユニオンがある。特に私が建築現場で感心したのが、レーバー(雑役、仕事の補助等)・ユニオンだった。各業種のサブコンは、必ずこのレーバーを付けて入るし、ゼネコンも常時入れる。勿論、レーバーを付けるだけの予算も計上されている。オーストラリアの現場で驚いたことに、現場の綺麗さ、整理された環境があるが、要は各サブコンが常にレーバーを使い、その日の後始末をきちんと済ませていることに他ならない。
日本の現場はどうか。週に一度、作業員全員で一斉清掃である。欧米の現場で、15分なり30分、掃除のために仕事をストップすれば大変なことになる。日本のゼネコンはそれなりの理由付けをするが、これはあまりにも身勝手と私は言いきる。日本のゼネコンには、それだけの頭もなければ、そこまで考えた予算組みもない。ただ単に、エゴを他人に押し付けているだけである。
そういえば、レーバー・ユニオンの方には、何度か苦言を頂いたことがある。彼らは、雑役、人夫仕事が主な仕事なのだが、我々、外の人間が彼らの仕事に手を出すと、たちまち注意を受ける。自分たちの仕事を取るなというのである。日本の現場管理者からすれば、これは本当に理想的なことだと思う。日本の現場管理者は、ありとあらゆることをやらされる。欧米のスーパーバイザーは、一様にエリートで、あたまも切れ、プライドも高い。その代わり、少々の現場は1人で管理する(ゼネコン自体がマネージメント方式のせいもある)。だが、日本の場合、あまりにも雑務が多すぎて、欧米で1人で管理出来る現場も、3、4人かかってしまう上に、若い頃は雑役係りに追われ、プライドもない。それが結局は中堅クラスになって、鼻の高い、低脳なプライドしか持たない人間を生んでしまっている。
ユニオンといえば、アメリカ・ニューヨークに入って、最初に取った仕事でも、私は驚かされた事がある。
アメリカという国は、知っての通り契約社会であり、常に保障で頭を悩ませ、ちょっとしたミスが、身の破滅を招く国であることは、よく知られている。だから、裁判で負けた時のための、保障用の保険も存在する。
私は最初、あのワールド・トレード・センター・ビルの43階で、とある保険会社のオフィースの改造の現場をみるように言われた。そして、ここでひとつ大きな問題が起きた。天井の蛍光灯の位置を、50センチ動かす必要が生じたのである。実際には、本当にたわいのない話だったが、ボスは私に真顔で言った。”電気屋はいくらチャージするか聞いたか?”これがアメリカの契約社会なのかと、私はこの時初めて知った。日本では無条件でサブコンに押しつけることだが、これを守ることが、アメリカのゼネコンと、ユニオンが交わしている約束なのだ。
ニューヨークでは、新規の現場をスタートするにあたり、私は上司と共に、ユニオン・オフィースに顔をだしたこともある。ゼネコンは、その現場での管理、運営、安全面での条件を、ユニオンに提示しなければならないのである。そうしてユニオンの審査、合意を得ない限り、人ひとり入ってこない。アメリカは各州によって条件は違うようだが、基本的な部分はあまり変わらないと思う。勿論、法でも多くの制約がある。特に安全面。ビルダー、レーバー等の、作業員への保護条件は厳しくて、日本のゼネコンの建前と都合優先のものの比ではない。
例えば、夏場、高温下での屋外、屋上での日中の作業は、日本では無規制で行われているが、アメリカでは日中の作業は避けて朝、夕に分けて行われているし、荷揚げ用、作業員用エレベーターにしても別々に準備されていて、日本のようにゼネコンが予算を削るために、人間は階段を息を切らして歩いて上がるようなことはない。そして、インスペクッションがあるため、日本の工期のない現場で多く見られるラップ作業が少ない。安全に関しては、日本は特に服装面でもこまかくいうが、欧米ではこの事は大変アバウトである。彼らは夏場を中心に、半ズボン、Tシャツで働くのが一般的になっている。
このことは以前、<子育てで考えた>で書いたが、要は本人の自主性を尊重するからである。先に書いたように、欧米の現場では、朝の朝礼も、ラジオ体操もない。これらのことが何を意味するかといえば、自分のことが自分で管理できないような人は、我々には必要ないということである。このことは、もしかしたら、彼らの社会で最も厳しい個人に対する要求といえる。しかし、ある問題を除いては、私はこちらの方が合理的だと彼らの仕事を見て思った。ゼネコンは、こういった条件でも仕事が進められる環境作りに重点を置けばいいのだ。いづれにしても、この話に関しては、改めて書くことにしたい。
日本のようにユニオンが全く機能せず、発言力もない状態で、ゼネコンのご都合主義だけで全てが進められていっている現実で、日本のゼネコンは安全だけには力を入れているように周りには見える。新規で入っていけば、どこの作業所でも同じような教育を受け、誓約書を書かされる。やってる安全、衛生の担当者は、それが仕事なのだからと思い私は何も言わない。
だが、あまりにも日本の安全に対する考え方には矛盾が多い。
安く受注するためか、ムダが多すぎるせいか、欧米ほどに安全に対する予算が計上されてはいない。そして、工期を短く設定してしまうため、そのツケが全て現場に回される。これが最も多くの危険を生む要因であり、この業界の恥部といえる。そして、いまだに見た目優先の建物が主流のため、どうしても足場を用いる工事が多い。これらの中には、多くの危険が隠されているのだが、ゼネコン自体も行政も、それに対処する姿勢すらない。だから、実際に体を使う作業員に、口うるさく自覚を求めるしかないのだ。アメリカには、インスペクションという制度があり、私は日本にこのシステムを取り入れてもらいたいのだが、その話もまた改めてしたい。
ゼネコンの社員が悪いわけでもない。彼らもまた賃金労働者に過ぎないし、言われたことを疑いもせず守っているだけだ。欧米の企業の社員達に、サービス残業なんて言葉はない。週の規定労働時間をオーバーすれば、彼らはそれに見合ったお金を請求するし、貰えなければ裁判を起す。ちなみに私がオーストラリアにいた頃、土、日だけ働けば、平日4日分の給料が貰えた。日本の労働者からすれば羨ましい話だろうが、全ては彼らが自分たちで勝ち取った権利に過ぎないし、その裏には、厳しい生存競争がある。
私はこれまでユニオンの良い点ばかり書いてきたようにも思えるが、勿論、こういった社会にも問題はある。全ての者が、一様に権利と要求ばかり述べていれば、社会はマヒの繰り返しになってしまう。実際、オーストラリアで働いていた頃には、毎週どれかのユニオンがストライキをするため、週休3日はざらだった。予算が途中で足らなくなり、工事がストップする建物もあった。それでも社会はゆっくり、ゆっくり進んでいた。日本のように、お客様至上主義では決してないからだ。(なんと日本の企業は客にへつらうことか)
冒頭に書いたM君の父親もまた、大手のゼネコンの社員だった。物心ついた頃から父親と過ごした記憶は殆どない、と彼は言っていた。彼が切れた時、彼は家族に頼ろうとはせず、そのために行き場をなくし最悪の場面も考えたという。おそらく致し方なく企業に身を捧げて来た結果が、父親と息子の間にこんなにも大きな溝を生んだのだろう。
これだけ経済大国になった国で、働く者達が意をひとつにし、自分達の社会での位置付けや権利を明確にする行為は、私には必要なことに思えてならない。私は社会主義思想家でも共産主義思想家でもないが、そうしていかなければ、いつまでたってもこの国の人達は、欧米人達と机を並べて仕事をする環境に入りこめないだろうし、いつまでも悲しい話を生み続けていくだろうからである。そして、それは、本当の先進国のひとつの条件でもあるのではないだろうか。
(補足として付け加えておくが、多民族国家である大きな国、オーストラリアやアメリカ。特にアメリカでは、残念ながら民族間によって、どうしても格差がある。きちんとしたユニオンに入って、白人達と同レベルで働く者は、それほど多くの問題はなさそうだが、問題はそれ以外のレベルである。各民族はそれぞれにコミューンをもっているが、そのコミューン内でのビジネスには、やはり白人レベルとは大きくかけ離れたレベルが存在する。よく知られている、イ・リーガルのメキシカンクラスになると、厳しい現実しかない。これはどんな国にもある事だろうが。)

