『中国で、考えた。』 2000年6月6日
六月四日で、中国の天安門事件が起きて11年すぎた。私はこの事件の前年に帰国していて、最後の訪問国が中国だったので、興味深くみまもった。

1988年。足かけ七年かけて南米大陸にたどり着き、最後の訪問相手と決めていた、あの小野田寛さんを訪ねたあとで、私はあえて来た道を引き返した。本来なら南米から太平洋を渡り帰国すれば完全な世界一周になるのだが、日本出国当時はまだ外国人に自由な往来が許されていなかった中国が、往来を認めるようになっていた。機会というものはそう度々来るものではないし、思い立ったが吉日、即計画変更と私はする。南米からイギリスに飛び、イギリスで財布を少し膨らませた後ホンコンに飛び、ホンコンで中国のビザを確保し、中国に入国した。滞在は約二ヶ月、北京まではお金が不足であがれなかったが、中国大陸の南半分はしっかり歩いた。

そして、帰国してあの事件がおきたのだが、私にはあの事件が、学生の先走りに思える。
私のような気楽な一人旅をする人間は、だいたいがローカルな人達と同レベルで移動をし、物を見、考える。お世辞にも綺麗とはいえない中国の船でホンコンから広州に渡り、列車の二等席や二等寝台を、地元の人達と一緒に駅や港で列に並んで手に入れる。泊まるところも厳選に吟味した安宿で、勿論使うお金にしても、ブラック・マーケットで両替した人民元を使う。そんな、少しでもローカルな人達の生活をかいま見ようと思う気持ちで動けば、ツアー旅行者では決してかいま見れないものがみれる。

私が感じたままにいうと、学生には世界の情勢や広い知識があるかもしれないが、それに続く人民との間に、あまりにも大きな知識や情報、意識の格差がありすぎた。もしあの時、学生達が民主化に成功していたら、果たして、つもりつもった欲求を吐き出そうとして待ちかまえている、あれだけ多くの人間をまとめられただろうか。たといカリスマ的な指導者が出てきても、また同じように、力で人民を押さえつけることになって、世界のひんしゅくをかうはめになっていたと思う。

とにかく、ローカルの中国の人達のエネルギーは凄まじいものだった。まず私が呻ってしまったのは、列車での移動中でのことだったが、ゴミを当然のように窓から外に捨てるのだ。列車内では、食べ物を発砲スチロールの容器に入れて売り歩いていたのだが、食べ終わった後の容器は、そのまま車外に消えていく。各車両にゴミ箱はあったはずだが、そんなのお構いなしだ。一度乗り合わせたホンコンの女性のグループに、食べ終わった後で、容器の処理をどうしようか相談したら、彼女たちも目で外を示したが、果たして自分達も右にならえで良いものか考えてしまった。たぶん中国のことだから、昔は竹の葉でも使って、食べ物を売り歩いていたのではないだろうか。その時の習慣がこんな結果につながってしまったのだろう。

そして、次に頭にきたのが公共のマナーの悪さ。現在の中国では、相当自動車事情はよくなっているようだが、ほんの十年前までは自転車がウジャウジャしていた。自転車がない我々旅行者は、もっぱらバスに頼る。別に長距離便のバスではなく、ただの市内バスなのに、何故か乗り込もうとする人が、降りる人無視で入り口に殺到する。降りる人の中には老人も子供もいるが、お構いなしだ。頭にきて、若い男でもいると殴りたくなる事がしばしばあった。まあ、中国の子供やばあちゃんは、こういったことで強くなるのだろうが。

いずれにしても私は、中国移動中にこういった光景は至る所で目にしたし、生きるためだろうが、小さな子供をだしにして、お金を無心する親もみた。悪い言い方をすれば、世界の人様に見せるには、あまりにもお粗末過ぎる現実がおおすぎた。勿論こういったことばかりではない。当の学生にしても話をしてみると、あまりにも世間知らず。何故か金持ちの子が多く、学費の高さに驚いた。そして、例のごとく、アメリカに強い憧れを抱いていた。大都市の駅に行ってみれば、すでに地方から職を求めての人の移動がはじまっていたが、まだ中国の人はどこに行くにも許可が必要な頃であれだから、一挙に制限撤廃となると、どうなるかは想像がつく。

ただ、私はあの事件の舞台となった北京には入っていない。北京には広州や上海よりも多少は外国人や留学生が多いだろうから、北京の学生はもっと国際的で、進歩的なのかもしれないが、それでも私には不足しているものが多すぎたと思う。

もうあれから11年経った。中国の人も、以前に比べれば数段見識がまして、国際的なセンスも芽生えたのではないだろうか。中国の場合も、人民が成長すればするほど後ろ盾となり、土台となって学生を支えられる。あの当時中国政府は徐々に開放政策を進めていたのだ。他の社会主義国家も、同じように民主化路線に転換していたが、文化や民族性を異とする、欧米に近い国々でおきている波に乗り遅れおくれまいとしたことが、不幸な結果を招いた。もっと利用すべき物は利用して行動を起こせば良かったのにと私は思う。