学校に行くと約束はしたものの、翌朝起きたときは気が重かった。ハンガーにかかった制服を手に取るのにはかなりためらいがあった。
――何やってんだろ、あたし。高校なんか行きたくない、こんな制服なんか着るのいやだって言ってるのに。
 鏡の前で身だしなみを整えていると、絵美子さんが声をかけた。
「リラ、高校行くの?」
「ああ、昨日みんなにあれだけ言われたら、行かないわけにいかないじゃない」
「リラ…。自分の進路は人に言われて決めるものじゃないのよ。自分の頭で考えて、自分の意志で決めなさい」
「そんなこと、言われなくてもわかってるわよ。でも…ありがと」
「どうしたの?」
「この制服…おとといもう二度と着ないつもりで、くしゃくしゃにして放りなげといたんだけど、ちゃんとしわを直してたたんどいてくれて」
「あなたの考えることなんてお見通しよ」
 そう言って絵美子さんはほほ笑んだ。
 朝食のテーブルにつくと、インターホンが鳴った。絵美子さんが出ると、友美が来ている。
「リラ、ちゃんと起きてる?」
「まあ友美ちゃん…わざわざリラを迎えに来てくれたの?」
「うん。ちゃんと来るかどうか心配だったから…」
「ちょっと待ってよ。まだご飯食べてるとこなんだから」
「早くしないと遅刻しちゃうよ」
 あわてて朝食をとると、あたしと友美はダッシュで駆け出した。駅に着くと、友美は息をきらしながらついてきた。
「あ−あ、こんな革靴はいて走ったら、靴ずれができちゃいそう。ハイヒールや厚底靴なんて、あんなもの履く女の気が知れないわ」
「待ってよ、リラ。あんたって足速いんだから」
「遅刻するとか言ってせかしたの、あんたでしょ。元シーフをなめてもらっちゃ困るわ。でもこの走りに何とかついて来られるなんて、あんたもなかなかやるわね」
「でも走ったかいあって、何とか学校には間に合いそうじゃない」

 それでも教室に入るときには足取りが重かった。
「なんか入りづらいな…」
「大丈夫大丈夫。あたしがついてるから」
 友美に背を押されて教室に入ると、たちまちあたしは女子たちに囲まれた。
「リラ、すごいじゃない! あの連中を一人でやっつけるなんて。昨日一日、学校中リラのうわさでもちきりだったんだから」
「あの教頭のハゲにガツンとものが言えるなんて大したものよ」
「あんたみたいな人がクラスにいてくれないと困るわ。学校やめないでよ!」
 あたしはもみくちゃにされそうになった。
「あーら。あたしが不良だとか、問題起こしてここに逃げて来たとかいってたの、だれだったっけ?」
 その瞬間、一同が凍りついた。
「ごめん、リラ。リラっていつも一人で、ちょっとみんなと雰囲気違ってたから…」
「冗談よ。全然気にしてないから。あながちウソってわけでもないし。みんなに対して変に意地張ってたあたしも悪かったよ」
 席につくと、晋也が何人かの男子に引っ張られて来た。
「さあさあ御船、さっさと告白しちゃえよ」
「せっかくおまえの前にも天使が舞い降りたんだから」
 晋也はてれくさそうな顔をしておどおどしている。
「あんたらねえ、そんなんじゃないわよ。誤解しないでくれる? 晋也だってそうよ。あんたがしっかりしないからあんな連中になめられるのよ。言っとくけどあたし、人助けをしただけだからね」
「おい、せっかくこいつがお前と仲良くしたがってるのに、その言い方はあんまりじゃないか?」
「…わかったわよ、ごめん、晋也」
 そこで男子たちがまた晋也をはやしたてた。
――何か変なムードになってきたな…。
「ちょっとあんたたち、もう予鈴鳴ってるのよ。さっさと席につきなさい」
 佐和先生が教室に入ってきた。
「せんせー。今日は白衣の下に何着てるんですかー」
「おれたちも今度メシに誘ってくださいよ」
「あーあーうるさい。黙った黙った」

 昼休み。友美があたしのところに寄ってきて、声をかけた。
「今日はいい天気だから、外の芝生でお弁当食べない?」
 外に出て二人で弁当を広げる。
「何か疲れちゃったな。あんなに人からちやほやされたの、はじめてよ」
「そんなこと言ってるけど、晋也とリラ、けっこういいコンビじゃない」
「あんたまでそんなこと言う気? みんなに冷やかされて、いい迷惑だわ。言っとくけど、あたしにはもうつきあってる人がいるんだからね」
「いいじゃない。晋也は今まで友達いなかったから、つきあってあげたら? 友達としてならいいでしょ。晋也の頭とリラの運動神経があれば、こわいものなしじゃない」
「結局あんただって、そうやって人をだしにして楽しんでるんだから…」
 あたしは空を見上げて一息ついた。
「…あたし、わかんないな。この世界の人たちって、何で学校なんか行ってるわけ? そんなに勉強がしたいわけでもないのに」
「確かにリラの気持ちはわかるよ。あたしだって毎日学校行って授業受けて、これがいったい何の得になるんだろうって思うもん。でもあたし、やっぱり大学だって行きたいし、大人になったら仕事についていろんなことをやってみたいなって思うんだ。そのためにも高校くらいは出とかなきゃね」
「そんなもんかな…。将来来るんだか来ないんだかわかんない幸せのために、今をがまんしなきゃいけないわけ?」
「そんなんじゃないよ。今日だって学校のみんなと一緒にいて楽しかったでしょ? 一緒に遊んだりふざけたりする仲間がいる、それだけで十分学校に来る価値はあると思うけどな。あたしだって勉強はいやだけど、学校来ると友達がいて楽しいしね」
「そりゃ確かにそうだけど…。でもこんな制服着せられて、みんなと同じことさせられていやじゃない?」
「えーっ、この制服かわいいじゃない。あたしは好きだよ」
「そういうの、わかんないな…。だいたい、何であたしがこんなぺらぺらしたスカートなんかはかなきゃいけないのよ。あたし、スカートなんて嫌いなのに」
「そんなこと言っちゃって、そのスカートの丈を校則よりもつめてはいてるのはだれだっけ?」
 そう言って友美は、あたしのスカートの裾をつまんで引っぱった。
「何すんのよ! いいじゃない。みんなやってんだから」
 あたしは友美の手をはらって、手で裾をおさえた。
「ま、気持ちはわかるけど。でもあの教頭ににらまれるかもしれないから、ほどほどにね。それにおとといあんたが暴れたとき、ちゃんと見えてたよ。ただでさえうちの男子なんてスケベばっかりなんだから、ちょっとは気をつけなきゃ」
「バカ…。ま、あいつらは幸せ者だわ。あれでも見物料としては安すぎるくらいよ」
「全然懲りてないわね、あんたって」
 振り向くと佐和先生がいた。友美も面食らってあわてている。
「まあ先生もあんたくらいの年にはちょっと背伸びしておしゃれしたいと思ってたから、気持ちはわかるけどね。私はおかたい女子校に行ってたでしょ? あそこは制服だって野暮だったし、校則もここよりずっと厳しかったんだから。それにまわりは金持ちのお嬢さんばかりでしょ? そんな中で変に見栄はってつっぱってばかりいて…何やってたんだろうね、私。でもあんたたち、無理にそんなかっこしなくたって十分かわいいよ。私なんか学校であんたたちみたいなのの相手してると、ストレスがたまって肌も荒れる一方だし、化粧やマニキュアをしてくるとつるし上げ食うし、そんなこんなで余計なところに肉はついてくるし」
「先生、タバコは美容の敵ですよー」
「こら、ところでリラさん、学校来てみてどう?」
「はい。でもみんながこんなに気を使ってくれなかったら、このままずっと学校に来てなかったと思います」
「まあともかく、何かあったら先生に言いなさい。ところであんたたち、そろそろ教室戻って午後の授業の準備した方がいいんじゃないかしら」
 二人で並んで教室に戻る途中、あたしは友美に話しかけた。
「ねえ友美、あたし、確かに私服のときはラフなのばかり着てるけど、ほんとのこと言うと女っぽいかっこするのがいやなわけじゃないんだ。あたしはシーフをやってたから服も自然と動きやすいものになった、それだけだよ。あたしは小さいときからどろんこになって走ったり跳んだりしてばかりで、人形持っておとなしくおままごとするなんてことなかったしね」
「そんなの気にすることないじゃない。リラはリラらしいのが一番だよ」
「自分らしい…か。みんながそう言うけど、あたしらしいってどういうことなんだろう」
「リラ、もっと自分に自信持てばいいのに。それにね、リラってもうちょっとかわいい服着ても似合うと思うよ」
「えっ、そうかなあ…」
「じゃあ今度の日曜、一緒に服買いに行こうよ。あたしがコーディネートしてあげるから。あと友達も何人か誘ってさ」
「いいけど。お金だったら今までにバイトしてためた分があるし」
「まあ任せときなって。チェックした最新の流行を教えてあげるから」



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