――ケンカをしてからというもの、あたしとウェンディとの間にはギスギスした空気が流れていた。そんなとき、ある街で宿がどこも満員だったので、町外れの教会に一晩の宿を頼むことにした。
「えーっ、ほんとにここにするの? あたし、教会っていまいち好きになれないんだけどな。人を助けるだなんだって、なんかウソっぽいじゃん」
「そんなこと言ったってしょうがないだろ、リラ。ここがいやなら野宿するか?」
「わ、わかったわよ」

 玄関の扉を開けると、驚いたも何も、レミットの仲間になったカレン・レカキスがエプロンをして、子どもと一緒に掃除をしてるじゃない。
「カ、カレン、こんなとこでいったい何やってるのよ!」
 あたしたちは叫んでいた。
「ああ、ここの教会の孤児院、人手が足りなくて困ってるみたいなの。そこで私たちがここの孤児院の手伝いをしようというわけよ」
「カレンのエプロン姿というのも、けっこうさまになってるなあ…」
「バカ言ってんじゃないわよ、光夫」
 フィリーが光夫の頭をこづいた。
 そのとき、建物の奥の方から黒煙と異様なにおいがたちこめてきた。
「まさか…火事?」
「すいませーん。料理をしてたんですが、ちょっとこげすぎちゃいまして…」
 そののんびりした声は…ぽけぽけお嬢様、紅若葉だ。すぐに若葉が鍋を持って出て来た。
「あらー。光夫さんたちもいらしてたんですか」
「ちょっと、若葉、その鍋何とかしてよ!」
 何をどう料理すればこんなにおいがするのかわからないが、鍋はすさまじい異臭を発している。みんな思わず鼻や口をおさえた。
 すぐにけたたましい声がして、奥の部屋からわがまま王女、レミット・マリエーナがとびだして来た。
「もーっ、若葉、いったい何やってるのよ」
「姫さま、まだお仕事の途中では…」
 レミット付きの侍女、アイリス・ミールもレミットの後を追って出て来た。
「げ…。何でこいつらがいるわけ?」
「さあ…。姫さま」
 そのとき、あたしたちの背後で元気な声がした。
「ただいまー」
 その声の主は、ウサギのような耳をした森の民フォーウッドの少女、キャラット・シールズだ。彼女は花や木の実のいっぱい入ったカゴを持って、子どもたちの集団の先頭に立っている。
「キャラットお姉ちゃんって、森の花や木のことをとてもよく知ってるんだ」
「この草笛も、お姉ちゃんに作り方教えてもらったんだよ」
 そう言って孤児院の子どもたちはみんなで草笛を鳴らした。そしてみんな、草やドングリでつくった人形やおもちゃを手にしてうれしそうにはしゃいでいる。どうやらキャラットは子どもたちを連れて、花や木の実をとりに森に行ってたらしい。
 そこまで顔ぶれがそろったとき、教会の神父さんが帰ってきた。
「おやおや、あなたがたもレミットさんのお知り合いですか」
「こんなやつら、知り合いじゃないわよ!」
「あなたがたが来てくれたおかげで、子どもたちも大喜びですよ」
 そのときウェンディが口を開いた。
「あの…。私たちも何かお役に立てないでしょうか」
「ええもちろんです。もしよろしければ、明日一日相手をしていただけないでしょうか」
「ちょっとー。ここでもあたしたちのジャマする気?」
「そんな…。私がジャマだなんて」
「やめようよレミット、こんなところで…」
 キャラットにたしなめられると、レミットもおとなしくなった。
「しょうがないわね。今回だけは見逃してあげるわ。一時休戦よ」
「とりあえず今日はもう夕方だから、みなさんゆっくり休んでください。夕食の用意をしておきますから」

 夕食の後、案内された部屋はティナと相部屋だった。
「ま、教会ってどっか偽善者っぽいとこあると思ってたけど、どうやらここは違うみたいね。でもあのガキンチョも単なるわがままかと思ってたら、意外といいとこあるじゃない。孤児院の手伝いをしたいなんて」
 あたしはベッドに寝転んでティナに話しかけた。外はもうとっぷりと日が暮れて、満月がぽっかりと夜空に浮かんでいる。ティナは椅子に腰かけて、ランプの光の下で針仕事をしている。
「リラさん、そういう言い方はないと思います。レミットちゃん、ああ見えてけっこうさびしがりやのとこがあるから、子どもたちに何か自分に似たものを感じたんじゃないでしょうか」
「さびしがりやねえ…。ともかく王家に生まれたというだけで、ぜいたくな王宮に住んでいろんな人にちやほやされて、あれだけわがまま放題して、あたしにはわかんない世界だな」
「そんなもんでしょうか。あの子の目を見てると、そういうふうには見えないのですが」
「まああたしにしてみりゃ、あんなぞろっとしたドレス着て、窮屈なしきたりだか何だかにしばられるなんてまっぴらだけどね。金持ちというのはちょっとうらやましいけど」
「リラさんのドレス姿というのも、一度見てみたいですね」
 そう言ってティナは、くすりと笑みを浮かべた。
「何よー」
「いえ…。すみません」
「ま、いいわ。ところでウェンディもさっき、自分から手伝いがしたいと言ってたわね。あの引っ込み思案のウェンディがあんな態度をとるなんて」
「ウェンディさんも、心の中でいろいろ悩んでるんだと思います。何とかしてその答えを見つけたいんじゃないでしょうか」
――そうか…ティナって幼く見えるところがあるけど、ほんとはあたしより三つも年上なんだよね…。
「まあ、本当に引っ込み思案だとしたら、わざわざこんなとこまでついてくるわけないしね。実を言うと、あたしも両親がいなかったんだ。だからああいう子どもたちを見ると、あたしもほっておけないの。ウェンディにもそういうとこがあるのかもね。ところでティナ、さっきから何作ってるの?」
「そ、それは…。秘密です。光夫さんやウェンディさんにも言わないでください」
 ティナはあわてて今まで作っていたものを隠した。
「悪いけどティナ、疲れたから今日はもう寝させてくれない? あんたもあまり夜更かししないで早く寝た方がいいわよ」
「ええ。私ももうすぐ寝ますから」

 どのくらいの時間眠っていただろう。何かうめくような声で目が覚めた。ランプに火をつけて辺りを照らしてみると、声を出していたのはティナだった。彼女は体中から汗を出し、両手で口をおさえながらうずくまっていた。そしてその表情は苦しみにゆがんでいた。ティナはこれまでにも貧血になったり、体調を崩したりすることがしばしばあったが、このような発作ははじめてだった。
「ティナ! どうしたの!」
「大丈夫です、リラさん。たまにこういう発作が起きることがあるのです」
「どう見てもこれが大丈夫には見えないわよ。じっとしてて、光夫や神父さんを呼んでくるから」
「大声を出さないでください。お願い、このこと、光夫さんだけには絶対に言わないで…」
 そう言ってティナはあたしの手首をつかまえた。その手には、普段の病弱なティナからは想像できないほどの力がこもっていた。そしてティナの顔を見ると、また一瞬瞳の中に赤い光が見えたような気がした。
――この力…。ライゼンの洞窟でもそうだったけど、ティナのどこにこんな力が…。
 そうやってしばらくたつうちに、なんとかティナの発作も収まってきた。彼女はぐったりと眠りに落ちたが、あたしはなかなか眠ることができなかった。

 翌朝起きたティナはいつも通りの表情をしていた。そこからは夜中の発作のことを想像することはできなかった。
「ほんとに大丈夫? 体調が悪いなら、今日一日休んでていいのよ」
「私の体のことなら大丈夫です。でも夜のこと、ほかの人、特に光夫さんだけには絶対に言わないと約束してください」
 ティナの表情はあまりにも真剣だった。
 そのとき光夫があたしたちのそばに寄ってきた。
「リラ、ティナ…、夜中に目が覚めたら、おまえたちの部屋の方から声がしたような気がしたんだが…。何ともなかったのか?」
「いや、ネズミが出てティナがこわがってたから…」
「ネズミですか? いやですねえ。私もネズミは苦手なんです」
 いつの間にか若葉が来ていた。
「若葉、また道に迷ってんじゃないの?」
「いいえ、朝食ができてるそうですから、皆さんをお呼びしようと…」
「ともかく何ともなくてよかった。何せティナの体のことがあるからな。…あ、若葉、食堂はそっちじゃないってば」
 光夫と若葉が行ってからあたしが黙って目で合図をすると、ティナも黙ってうなづいた。

 その日はみんなで子どもたちと遊んで過ごした。あたしと光夫、カレンが男の子とスポーツをする一方で、ティナがオルガンをひくのにあわせて若葉とキャラットが子どもとゲームをした。レミットも子どもたちに遊びを教えてもらって、ちょっぴり恥ずかしそうだ。
 しかしウェンディは料理や洗濯をしたり、部屋のカーテンを取り替えたりしている。てきぱきした手つきで仕事をこなすときのウェンディの表情は、いつもよりずっと生き生きしていた。
「ウェンディ、あんたも一緒に遊べばいいのに」
 フィリーに言われても、ウェンディは手を動かすのを止めなかった。
「いいんです。私こういうの好きですから」

 そうこうしているうちに空が暗くなりかけて、後片付けをしている途中にカレンがあたしに声をかけた。
「リラ、いっそシーフなんかやめて、冒険者になったら? 今日見てて思ったけど、あなたはなかなか素質あるわ」
「いや、あんたに比べりゃあたしなんてまだまだ…」
「最初はみんなそういうものよ。だったらおねえさんがけいこつけてあげようか? みっちりしごいてあげるから」
「いや、そんなんじゃなくてさ…。あのお子さま軍団をしっかりまとめてここまで連れて来るなんて、そんじょそこらの冒険者にできることじゃないわ」
「そんなことないわよ。若葉もキャラットも、ああ見えてほんとはすごくしっかりした子だわ。それにレミットって変に強がってるけど、ああいう子見てると、ついついそばにいてやんなきゃと思っちゃうしね。ところでリラ、ウェンディにもちゃんとお礼を言っといた方がいいんじゃない? あの子、昨日の夕食でリラのとなりに坐ったとき、何か気まずそうにしてたわよ。こんなんだったら、冒険もうまくいかないしね」
 そのときのカレンの表情は、何か昔のことを思い出しているようだった。

 その日の晩、子どもたちを寝かしつけた後、神父さんはあたしたち全員を食堂に集め、お茶を入れてくれた。
「全く行きずりの冒険者の皆さんにここまで親切にしていただけるなんて、何とお礼を申せばいいのやら…。特にレミットさん、あなたはマリエ−ナ王国の王女様だと言うではないですか。このような方がここにいらしてくださるなんて、全く信じられません」
「え、そんなんじゃ…」
 レミットは照れて真っ赤になっている。
「姫さま、子どもたちと一緒に遊んでたとき、本当に楽しそうでしたよ」
 アイリスに言われると、レミットはまた顔を赤らめた。
「しかしウェンディさん、あなたが働いて下さったおかげで、本当に助かりました。ウェンディさんの料理、子どもたちも喜んでましたよ」
「私も料理は好きなのですが、ウェンディさんに比べればまだまだです。もっと勉強しなければ…」
「あんたはそんな次元の話じゃないと思うけど…」
 相も変わらずノーテンキな若葉に、フィリーが突っ込みを入れた。
「そ、そんな…。私が役に立てるなんて、これくらいしかないから…。以前からそうだったんです。みんな私が来ると、つまらなさそうな顔をするし…。今日だってそうなんです。若葉さんやキャラットさんは、自然にしててもみんななついてくれるのに…」
「違うわ。ウェンディが自分の自然な気持ちで自分のやれることをやったから、子どもたちも喜んでくれたのよ」
「そうだよ。ウェンディは昨日ボクが森でとってきた木の実でジャムを作ってくれたじゃない。あのジャム、すごくうまくできてたよ」
 カレンとキャラットが言い終わると、神父さんも口を開いた。
「ウェンディさん、あなたは困った人を見ると放っておけない、心の優しい人なのですね。そしてそのために、無理に自分一人で物事を抱え込んで、苦しい思いをしてきたのですね。でもあなたのそのような心があるからこそ、みんなはあなたのことを理解してくれるはずです」
「ウェンディ、お前はもう一人じゃないよ。おれがついてるし、リラやティナだっているじゃないか」
「そうですよ、ウェンディさん。私も人形つくったりするけど、裁縫の腕はとてもウェンディさんにはかないません」
「それにレミットたちだって何だかんだ言って協力してくれたしな」
「バ、バカ! あたしたちはあんたの敵なんだからね」
「全く、レミットったら…。でもウェンディ、もしあんたをいじめるようなやつがいたら、あたしたちがぶっとばしてあげるから。それにウェンディ、あたし、実を言うと心の中ではあんたにちょっとだけあこがれてたんだ。だってあたし、料理も裁縫も全然できないじゃん? あたしはいつか小さくてもいいから家を買って、将来の自分の家族と幸せに暮らしたいと思ってるんだけど、だったらもっと勉強しなきゃね」
「リラ、料理や裁縫ができなくたって、お前には得意なこといっぱいあるじゃないか。おまえってけっこういいお母さんになると思うけどな」
「光夫、その『けっこう』ってどういう意味よ」
「あ、いや、その…」
「あら、リラがお母さんになるとしたら、旦那さんはやっぱり光夫クンかしら」
「何言ってるのよ、カレン!」
 ウェンディはさっきからのあたしと光夫とのやりとりを見てくすくす笑っている。そういえばウェンディが人前でこんな笑顔を見せるなんて、今まであまりなかった。
「皆さん、ありがとうございます」
「ともかく、皆さんは明日ここを発たれるのですね。皆さんの旅が幸多いものになることを祈っています」

 みんなが寝室に戻ってから、あたしはウェンディの寝室に行った。
「ウェンディ、ちょっとだけいいかな?」
「どうぞ、空いてますから。ここに坐ってください」
 あたしはベッドに腰を下ろした。
「ウェンディ、ごめん。こないだはあんなこと言っちゃって」
「いいんです。私こそ変に意地を張ったりして、いやな子になってました。…私、四歳のときに父が死んで、その少し後に母が再婚したんです。でも私はこの家の雰囲気になじめず、そのうちに家族も私に冷たくあたるようになりました。私の母はそんな私のことを見て、ずっと気に病んでいたんだと思います。そしてそんな性格のせいで、どこに行ってもいじめられて友達できなかったし…。そして家を出て、パ−リアの街で家政婦の仕事の手伝いをしてたんですが、そこでもなかなか周りとうまくいかなくて…。光夫さんから冒険の話を持ちかけられたとき、そんな自分を変えるチャンスかもと思ったんです」
「ウェンディ…。自分のせいで母親が苦しんできたと思ってたのね」
「はい…。でも今日やっとわかったような気がします。私だって決して人から嫌われてないんだって」
「ウェンディ、人から嫌われてはいけない、よく思われなきゃいけないなんて、そんな風に考え過ぎない方がいいんじゃない? あたしなんかまわりに迷惑かけなきゃ今まで生きてけなかったのに。まあそれはちょっと極端だけど、みんなも言ってたようにあんたには得意なこといっぱいあるんだから。今度の旅にしても、あたしたちはあんたにだいぶ世話になってるし」
「ありがとうございます、リラさん」
「ともかくウェンディ、あんたは十分強いと思うよ。ここまで旅ができるなんて、十分大したものよ。…ところであたし、さっきカレンにああ言われたとき、あんたも笑ってなかった?」
「いえ…ごめんなさい。私もリラさんがどんなお母さんになるか楽しみです。でもリラさん、あんなに手先が器用なのに、料理や裁縫が苦手なんですか」
「そりゃ破れた服をつくろうくらいはやってるけど、編み物や刺繍、それに料理なんて全然やったことなかったからね。そのときはいろいろ教えてくれない? あ、話し込んじゃったね。明日出発だから早く寝なきゃ。お休み、ウェンディ」

 翌朝孤児院を出てレミットたちと別れて以来、少なくともあたしの目の前ではティナの発作は起きなかった。しかししばらくの間、あの夜のティナの苦しみ方が頭の奥から離れなかった。何度か光夫に言おうかとも思ったが、そのたびにティナの表情が目の前にちらついて、言葉にすることができなかった。
――あのこと、ほんとに言わなくていいのかなあ…。ロクサ−ヌなら何か知ってるかもしれないけど、そういうときに限ってロクサーヌは来ないし。それにしてもライゼンの洞窟での力といい、あの発作といい、絶対ただの病気じゃないわね。ティナ、絶対何か隠してる…。
 しかしこの日以来、ウェンディはもっと大きく変わっていた。以前に比べて物事に積極的に取り組むようになったし、他人に対しても素直に接することができるようになった。そして旅が終わってから、ウェンディはあの孤児院に住み込みで働き始めた。

――あたしはしばらくウェンディの手編みのマフラーを手にしたままぼんやりしていた。
「ねえ光夫、旅のはじめのころ、あたしとウェンディってケンカばかりしてたよね。そのときはウェンディって暗くてうじうじしてて、いやな子だと思ってた。でも今になって、やっとウェンディの気持ちがわかるようになった気がするの」
 しばらく黙っていた光夫が口を開いた。
「リラ、なぜ絵美子さんがおまえを引き取ったか知ってるか?」
「えっ…」
「聞いてないみたいだな。だったら彼女の口から聞いた方が早いだろう。ともかく、今夜は絵美子さんちに帰ってきちんと謝るんだ。行きづらいのなら、おれも一緒に行ってやる」
 光夫が身じたくを整えて玄関に出ると、あたしは何も言わずに光夫のそばに寄り添った。光夫はそのままあたしを抱きとめると、唇に軽くキスをした。
――光夫…。あたしがこの世界に来て、この部屋で光夫と再会したときもキスしたよね。あれ、あたしのファーストキスだったんだ。そのとき誓ったよね。あたしと光夫はもう二度と離れないって。たとえ何を無くしても、この唇のぬくもりだけはなくしたくない…。
 二人でアパートを出たときには、夜もかなり更けて雨も小降りになっていた。二人で一つの傘の下に入って、とばりの下りた静かな暗い通りを二人で歩いていると、この世界にあたしと光夫の二人しかいないような気がしてきた。あたしは湿った夜気から逃れるように、光夫の背中にそっと抱きついた。
「光夫…しばらく、このままでいて…」
 光夫は黙ってうなづいた。そのまま一緒に歩いていると、光夫の肌のぬくもりが服を通じてあたしにも伝わってきた。

 マンションの前まで来ると、門のところで絵美子さんがぼんやりと立っていた。かなり泣いたらしく、瞳ははれぼったかった。そして全身雨にぬれて、髪もくしゃくしゃになっていた。
「リラ…。無事でよかった。今までずっと、あなたをさがしていたのよ」
 そのまま絵美子さんはあたしを抱きとめた。その服は雨にぬれて湿っぽかった。
「怒らないの?」
「ええ、もういいのよ。あの後すぐ、あなたの友達から電話があったの。クラスの子がいじめられてたから、それを止めようとしてこうなったんだってね。光夫くん、わざわざ手間とらせてすまなかったわね」
「リラ、絵美子さんともじっくり話し合ってみるんだな。その上でわかんないことがあれば、何でもおれに相談すればいいよ」


 光夫が帰った後、部屋に戻ってシャワーを浴び、パジャマに着替えると絵美子さんは食事を温めてくれた。そういえばあたし、まだ夕食を食べてないんだった。夕食を食べ終わると、絵美子さんはあたしに一枚の写真を見せてくれた。そこには彼女と一緒に、男性と女の子が写っていた。
「この写真…」
「ここに私と一緒に写ってるの、私の夫と一人娘なの。今はもういないけど」
「えっ…」
「三年前、二人とも事故にあって…。私はそのときたまたま用事が会って一緒にいなかったけど、もしあの子が今も生きていたら、ちょうどあなたと同じくらいの年になっていたわ」
「ご、ごめんなさい、絵美子さん…」
 あたしは思わず泣き出していた。
「いいの、リラ。あの事故のすぐ後は、私もなぜ代わりに自分が死ねなかったんだろうとか、そんなことばかり考えてふさぎこんでたの。でも今は私一人だけでもこうやって生きていくことができる、そのことに感謝しているわ。そして自分がそうやって生きていくことができる以上、他の困った人を一人でも助けていきたい、そう思ってあなたを引き取ったの。でも私は単に家族を失った寂しさをあなたで紛らわそうとしていた、それだけなのかもね。そして私はいつの間にか自分の好みや考えをあなたに押しつけるようになっていた…。あなたにだって自分の考えや性格というものがあるのにね。私にはあなたを引き取る資格なんてあるのだろうか…。あの後あらためて考えたの」
「そんなこと…」
 それからあたしは、ここに来てからずっと心の奥にしまっていたことを全て絵美子さんに打ち明けた。別の世界で生まれたこと、自分の生い立ち、光夫に会って冒険をしたこと、そしてこの世界に来たこと…。信じてもらえるとは思わなかったが、それでも構わなかった。あたしにとっては、本当の自分を誰にも見せずに隠しておくことの方がもっとつらかった。
 あたしが話し終わると、絵美子さんはしばらくきょとんとしていたけど、しばらくするとあたしの手を優しく握って言った。
「リラ、あなたもずっと一人でつらい思いをしてたのね。確かにちょっと信じられない話だけど、あなたがウソをつくような子じゃないってことくらいわかるわよ」
「ありがとう、絵美子さん」
「高校、やめたいならやめてもいいのよ。いやいや行ったって何も得るものはないだろうし。そのかわり、これなら自分もやっていけるというものを、自分の手で見つけなさい。私もあなたのそばにいて、できる限りの手助けはするから」
 あたしはそのまま鼻をすすりながら、絵美子さんの膝枕にもたれていた。
「あたし…今までずっと一人で生きてきたけど、ギルドの団長のおかみさんだけはあたしのことかわいがってくれたんだ。何かあのときのこと思い出しちゃってさ…」
「そう…。あの子も昔は、よくこうやってそのまま寝ちゃったの。…思い出すわね」


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