ぼんやりとそんなことを考えているうちに、午前の授業が終わっていた。あたしが絵美子さんのつくった弁当を広げると、友美が寄ってきて人さし指であたしの額をこづいた。
「こーら、リラ、暗いぞ。一人でお弁当食べるなんて」
「あ、ああ…」
「リラ、さっきの体育の時間、すごくいいタイム出してたじゃない。何かスポーツやってたの?」
「いや、別に…。でもあんたも足は速いのね」
「まあそれだけだけどね。そういえばリラ、一人で下宿してるんだって? えらいじゃない」
「うん…まあね」
「リラって、以前外国にいたらしいけど、どこの国なの?」
「あんたに言ってもわかんないと思うけど…。ここよりずっと人が少なくて、のんびりしてて…」
「ふーん。でもあたし、リラって入学以来いつも一人でいるし、ちょっと悪いうわさが立ってたから気になってたんだ。でも今まで外国で暮らしてたから、ここの雰囲気になじめなかったんでしょ?」
「何よ、悪いうわさって」
「ううん…何でもない。引っ越してきたばかりでつきあいづらいかもしれないけど、学校のみんなだってほんとはいい人ばかりだから、どんどん声をかけてみるといいよ」
「でもさ…。みんな休み時間になったら、テレビとか歌手とか、そういう話ばかりしてるじゃない。あたしってそういうの全然知らないから、いまいち話に乗れなくて…」
「そんなの関係ないってば。もうお弁当も食べ終わったみたいだし、これから校庭に行かない?」
 友美はそう言って、あたしを校庭の外に連れ出そうとした。空き教室の前を通りかかったとき、その教室の中から何人かの男子生徒の声が聞こえてきた。ピンと感じるものがあったので、扉のすき間からのぞいてみると、晋也が三人の男子生徒に取り囲まれていた。その様子から見て、三人が晋也から金をせびろうとしているのは明らかだった。
ここまで見て、あたしはむらむらと全身の血が沸き立ってくるのを感じた。あたし、弱いものをいじめるやつって、絶対に許せないんだ。あたしは友美が止めるのも聞かずに、連中の前に踏み込んでいた。
「ちょっとあんたたち、何のつもりなの」
 晋也も例の三人組も、呆気にとられている。
「何だこの女」
「話は全部聞かせてもらったわ。あんたら最低なやつらね」
「何言ってんだ。おれたちはこいつに根性をつけさせてやろうとしているだけだぜ」
「人から金を巻き上げるのがあんたたちの根性なわけ? 大した根性もあったものね」
「しょうがないだろ。こいつは医者の一人息子で、金持ってるんだ。これくらいの金とったところで何ともないよ」
「だからといって、そんなことするわけ…」
 あたしは怒りで唇をかみしめた。
「ところでおまえ、何でそんなに怒ってるんだ。おまえとこいつとは、何の関係もないじゃないか」
「そういえばこいつ、リラ・マイムとかいうらしいぜ。こいつも何か生意気なんだよな。ちょうどいい機会だから、まとめてシメてやろうぜ」
「なあリラ、何で女子がみんなお前をシカトしてるか知ってるか。前いたところでは相当なワルで、問題起こしてそこにいられなくなったから、一人でそこに逃げてきたんだろ。みんなそういううわさしてるぜ」
「バカには何とでも言わせとけばいいのよ。でももしそのうわさが本当だとしたら、あんたたちどうする?」
 そう言いながらあたしはブレザーを取り、ブラウスの袖を肘のところまでまくり上げていた。
「マジでやる気か?こいつ」
「それにおまえ、大学生くらいの男とつきあってるそうじゃないか。こないだの連休に腕を組んで街を歩いてたっていうの、とっくにばれてるぜ」
「彼女の一人もつくれないようなやつに言われる筋合いはないわね」
 その一言で連中はますますいきり立って、あたしに殴りかかろうとした。しかしあたしはそれをかわして言った。
「あたし、確かにここにくる前にはやばいこともかなりやったわ。でもあんたたちみたいな卑怯なまねはしなかったわよ」

 そう言い終わらないうちに、あたしは一人の胸ぐらをつかんで体ごとぶん投げた。こいつは背中を強く打って、立ち上がれなくなった。
 残りの二人はちょっと驚いたけど、それでもあたしにつっかかろうとした。すかさずあたしは一人の攻撃を受け止めて、その勢いで顔面に数発パンチを食らわせてやった。すぐに彼は鼻血を出してうずくまった。
 最後の一人はすっかり取り乱している。
「リ、リラさん…暴力はいけないよ…」
「そうやって自分の都合のいいときだけいい子ヅラする…。最低のゲスだわ」
 そう言ってあたしは、そいつもぶっとばしてやった。
――こんな連中、あっちのモンスターやごろつきに比べりゃ屁でもないわ。
 そのとき、一連の出来事を呆気にとられながら見ていた晋也がやっと口を開いた。
「もうやめてよ! こんな乱暴なことするなんて…。リラさんには関係ないじゃない」
「あんた、ここまでされて、まだそんなこと言ってるの? こんな連中におとなしくペコペコしてるなんて、あんたにはプライドってものがないの?」
 晋也は黙ってしまった。

そのときチャイムが鳴った。その音で我に返ると、教室のまわりに人だかりができている。その中で友美も青い顔をして立っていた。ちょうど通りがかった先生は、例の三人が倒れているのを見て色を失った。
「だれだ、こんなことをしたのは!」
 そしてしばらく辺りを見回した後、あたしの方を向いて言った。
「どうやら君みたいだな。放課後職員室に来るように!」

 放課後。あたしは職員室に呼び出されて、教頭と机を挟んで向かいあっていた。
「リラ・マイムさん、君が暴力をふるった生徒三人は、保健室で診てもらったところ大したことなかったからよかったものの、一歩間違ったら大けがになってたかもしれないんだよ」
「でも、あの三人は御船君を脅していたのです。ほかにも被害にあった人がいるそうじゃないですか。こんな連中はどうせ口でいくら注意しても聞かないから、これくらいしないとだめだと思います」
「確かにいじめはよくない。しかしだからといってこんな暴力をふるうなんて…」
「でも、ほかの生徒達もいじめがあるのを知りながら、見て見ぬふりをしてたじゃないですか。先生だって全然まじめに取り合おうとしないし…。それで先生は勉強しろとか高校生らしくしろとか、そういうことばかり言うなんておかしいと思います」
「ともかく、校内でこんなことが起きたなんて外に知れたら、うちの学校のイメージにもかかわるんだよ」
「学校のイメージとか見栄とか、そういうことの方が大切なんですか」
「ずいぶん反抗的な態度だな。そういえばリラさん、君もあまりいいうわさを聞かないんだけどね。成績もよくないようだし、休日に大学生くらいの男と二人で街を歩いていたとか…」
「そんなこと関係ないじゃないですか。それに何で、学校の外のことまで先生に干渉されなきゃいけないんですか」
 あたしは怒って、いつの間にか席を立っていた。
「何という口のきき方だ!」
 教頭も顔を真っ赤にして怒った。
「いいかげんにしてよね。何であたしがあんたみたいな石頭おやじの言うことを聞かなきゃいけないのよ」

 そのままあたしは職員室をとび出して、わき目もふらずに校門の外へと駆け出した。マンションに戻って制服を脱ぎ捨て、私服に着替えて電気もつけずに自分の部屋のベッドに寝転んでいるうちに、いつの間にか外が暗くなりかけていた。 ちょうどそのころ、絵美子さんが青い顔をして帰ってきた。
「リラ、会社に学校から電話があったわよ。どういうことなの?」
「あたし、悪いことをしたとは思ってないわ。それにあたし、高校もやめようと思うの」
「何言ってるの。高校やめるって、ほかに何かやるあてあるの」
「それはないけど。ともかくあたし、もう高校には行きたくないの」
「リラ…何のためにあなたを引き取ったと思ってるの? 高校に入ってから、ほんの一カ月しかたってないのに…」
「何よ、高校行こうとやめようと、あたしの勝手じゃない。あんたに指図される筋合いなんかないわよ。何様のつもりだか知らないけど」
 そのとき、絵美子さんの顔色が変わった。
「リラ…。あなたがうちに来たとき、どんなにうれしかったか。でも人に暴力をふるったり、そんな口のきき方をしたりするような人をここにおいておくわけにはいきません。今すぐこの家から出ていきなさい!」
 その声は涙でかすれていた。
「ああ、出ていくわよ!」

 あたしはそのままマンションをとび出した。もう外はほとんど暗くなっていて、街灯がぽつりぽつりとつきはじめている。しばらくの間とめどもなく街をさまよっていると、冷たいしずくがあたしのほおを打った。見上げると、暗くなった空から雨のしずくがいくつも降ってきた。ぬれるのもかまわず、あたしは歩き続けた。通りでは人々の広げた傘が雨の粒をはじき、いくつものしずくが街灯の光を反射させてキラキラと光っている。道を走る車の赤や白のライトも、雨の中ににじんで見える。そんな景色をひとつひとつ見ていると、なぜか両目に涙があふれてきた。
――絵美子さん…あのとき確かに泣いていた…。
 服がぬれて肌寒くなってきたので、店の軒で雨宿りをした。はるかかなたでは高層ビルの窓の電気がかすんで見える。ぼんやりと高層ビルを見ていると、なぜかあたしはウェンディのことを思い出していた。

――ウェンディは旅のはじめのころ、誰に対しても心を閉ざして、自分の殻に閉じこもっていた。そしてそんな自分自身すら信じることができないようで、いつもおどおどしていた。正直に言ってあたしは、そんな彼女が嫌いだった。あるときあたしは、ウェンディがちょっとした失敗でうじうじしてるのを見かねて、つい強い口調でこう言った。
「ウェンディ、いいかげんにしなさいよ。あんた見てるとイライラするわ」
「どうせリラさんには、私の気持ちなんかわかんないんです!」
「あんたねえ、いじめられっ子だったかなんだか知らないけど、そんなことにとらわれてばかりいてどうするの」
 そう言うと、ウェンディは下を向いて口を閉ざしてしまった。
「そんなこと言ったら、あたしなんかどうするのよ」
 そしてあたしは自分の過去の話をした。生まれてすぐに両親に捨てられ、シーヴズ・ギルドに拾われてシーフとして生きてきた過去のことを。今思うと、何でそんな話をしたのだろう。これまで他人にそんな話をしたことなどなかったのに。
 あたしが話し終わると、ウェンディは口を開いた。
「リラさん…そんなひどいことされて、なぜそんなに明るくいられるんですか? 自分を捨てた両親のことを恨んだことがないんですか?」
「明るい…。ふざけないでよ。他人を恨んで何が変わるというの? 自慢じゃないけどあたし、そんなこと考えてる暇なんかなかったわ。そんな暇があったら、自分が今日明日生きていくために何をするか、それを考えて行動していく方が先でしょう」
「…リラさんって強いんですね」
「強い…そんなんじゃないわ。自分はそうしなきゃ生きてけなかっただけよ」
「私、そんなに強くなんかなれません!」
「どこまでひねくれてんだか、こいつ…」

 そこであたしはふと顔を上げて、暗い夜空から落ちる天粒を眺めていた。
──あのときと同じだ…。あれから何も変っちゃいない。
 あたしはかじかむ拳をきゅっと握りしめた。


──そうやってあたしとウェンディがにらみあっていたとき、光夫が来た。
「何ケンカしてるんだ、ウェンディ、リラ」
「ちょっと光夫、ウェンディのこの性格、何とかならないの?」
「ど、どうせ私は!」
「ウェンディ、リラは弱いものいじめをするような人間じゃないって、わかるだろう。それにリラはウェンディのことを誰よりも思ってるからこそ、つい強い行動に出ちゃったんだと思うよ」
「そーよ、あたしはリラとウェンディって、けっこう似たもんどうしだと思うけどな。そういうふうにひねくれてて素直じゃないとこなんかね。それにこないだみんなで遊園地に行ったときには、イルカのショーを見て二人一緒になってはしゃいでたじゃない」
「フィリー、おまえがいると話がややこしくなるからひっこんでろ。ともかくリラももうちょっとウェンディの気持ちを考えてやるべきじゃないか。パーティーの中でケンカなんかしてたら、魔宝さがしどころじゃなくなるぞ」

――光夫…。彼は旅の途中も、あたしたちの話をよく聞いて、あたしたちのことを信じてくれた。今はもうあいつしか頼れない…。
 あたしは顔を上げた。そして近くの電話ボックスから、光夫の携帯電話にダイヤルした。
「光夫…。あたしだけど。今どこにいるの?」
「リラか。どうしたんだ。家にいるけど」
「今からそっちに行っていい?」
「いいけど」

 光夫のアパートに着いたときには、雨はまだ降り続いていた。光夫がドアを開けると、あたしは彼の胸に飛び込んだ。
「リラ…。服、びしょびしょじゃないか。着替えないとカゼひくぞ」
 カーテンの陰で光夫のだぶだぶの服に着替えると、光夫はコーヒーを入れてくれた。あたしが事のてんまつを話しても、光夫は別に驚かなかった。
「やめたければやめれば? そもそもお前が高校に行くと言い出したときから、これはちょっと冒険だなとは思ってたんだ」
「やっぱりあたし、学校なんてところに行こうと思ったのがまちがいだったのよ。…ねえ光夫、あんたほんとにこの世界に帰りたいってずっと思ってたの?」
「…それはおれだってわからない。特にこっちに帰ってすぐのときは、今の生活よりあの冒険のときの方がずっと楽しかったし、自分自身生き生きしてたと思っていた。今でもときどき、もしかしたらあっちに残ってた方がよかったかもしれないと思うことがある。でもやはりおれはこの世界の人間だし、やはり遅かれ早かれここに帰らなきゃならなかったと思ってるんだ。それにここに帰るという目的があったからこそ、あの冒険だって続けることができたし、その結果おまえやウェンディ、ティナともここまで知り合えたんじゃないかと思うしね」
「そりゃ、ここに来てあんたの気持ちだってちょっとはわかったけど…。ねえ光夫、しばらくここに泊めてくれない? もう絵美子さんちにも帰れないの」
「別に止めはしないが…。入学一カ月目で暴力沙汰を起こして高校を中退し、男と同棲している…。こんな女の子を世間はどんな目で見るかねえ」
「ちょっと光夫、あんたまで学校の先生みたいな口のきき方するの? 何とかなるわよ。あたし、今まで一人でやってきたんだし」
 その瞬間、光夫の手があたしのほおを打った。光夫があたしに手をあげるなんて、あの旅の途中にもなかったのに。
「おまえ、この世界に何しに来たんだ」
 光夫は厳しい口調で言った。
「そりゃ、どうしてもあんたに会いたかったから…」
「確かに自分の生きてきた世界とこことではやり方が違うかもしれない。だからといって今のようないいかげんな考えでいたら、仮に高校をやめたとしても、何をやってもうまくいかないぞ。ともかくここに来た以上、甘ったれた気持ちは一刻も早く捨てるんだな」
「そんなこと言ったって、あたし…」
「リラ…おまえらしくないぞ。細かいことにとらわれない、明るいさっぱりしたいつものリラはどこに行ったんだ。おれの知ってるリラは、そんな後ろ向きのうじうじした人間じゃなかったはずだぞ」
「光夫…。あんただって、何もわかっちゃいないんだから。あたしらしいって、いったい何なのよ。あたしだってうじうじしたり、落ち込んだりすることくらいあるんだからね」
「リラ、他人は自分の事を何もわかってないなんて言うけど、だったらおまえは他人の事をわかろうとしてるか? …これ、覚えてるだろう」
 そう言うと光夫は洋服ダンスの引き出しから何かを取り出した。それはウェンディが編んだ手編みのマフラーだった。
「これ、あたしがここに来る前、ウェンディがあたしに渡した…」
「ウェンディだって孤児院でがんばってるんだろ? なのにおまえがそんなことでどうするんだ」
「ウェンディ…」


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