やさしさに包まれたなら



――「待てえっ、このくそガキっ!」
 後ろから番兵たちが血相を変えて追って来る。あたしは彼らの手からただ逃げたいという一心で、小さな足をがくがくさせながらひたすら走った。ふと気がつくと、右側の家と家の間に大人の入り込めないような狭いすき間がある。まさに番兵があたしの服の襟をつかもうとしたとき、あたしは覚悟を決めてそのすき間へとびこんだ。
「ちっ、すばしっこいやつだ」
 番兵は舌打ちすると、シーヴズ・ギルドの他の子どもたちをとらえに向かった。「仕事」のためなら子どもも使う、それがシーフの世界の掟なのだ。あたしの背後から、番兵につかまって泣き叫ぶ子どもの声や番兵の怒鳴り声が聞こえてくる。でもそんなことに気をとられていたら、あたしまでつかまってしまう。あたしは心を鬼にして息を殺して、草むらや廃材の間をかき分けながら、昼なお暗い路地をただ一目散に駆けた。

 なんとかしてシーヴズ・ギルドの建物に帰ってきたときには、手や服は泥にまみれ、体のあちこちにかすり傷ができていた。番兵の追跡を逃れてシーヴズ・ギルドまで帰ってきた子どもは、あたしのほかに何人かしかいなかった。しかしそうして帰ってきた子どもたちに、ギルドの団長は怒鳴り声を浴びせた。
「このバカめが、ヘマしやがって! 子どもだと思ってチームを組んでやらせたらこのザマだ」
 そういいながら団長は、あたしたちを何度も拳骨で殴りつけた。あたしがいくら泣いて悲鳴をあげても、団長は手をゆるめなかった。
「ちょっと、いいかげんにしなよ、リラちゃんったら、まだ八つなのに…」
 団長のおかみさんの一声で拳骨の雨は止んだが、団長の怒りはおさまらない。
「こいつは晩飯抜きだ。とっとと寝床にぶちこんどけ!」
 あたしが涙でくしゃくしゃになった顔をぬぐう元気もないまま、空腹をこらえながら疲れと痛みでくたくたになった体を固い寝床で休めていると、団長のおかみさんが小声であたしを起こしてくれた。あたしがゆっくりと体を起こすと、おかみさんはあたしにパンとスープを持ってきてくれた。
「このことは内緒だよ。それにしてもあいつ、あんなに怒らなくたっていいのに」
 あたしはパンをかじってる間も、目から涙がこぼれるのを止めることができなかった。

――目が覚めた。ベッドから体を起こして辺りを見渡すと、弱々しい朝日がカーテンのすき間から深くさしこんでいる。確かにここはあたしの部屋だ。勉強机、ハンガーにかかった服、ミニコンポ、子犬のぬいぐるみ、ファッション雑誌…。ちょっとしゃれっ気はないけど、あとは何の変わりもない普通の女の子の部屋だ。

 あたしの名はリラ・マイム。もとは別の世界で盗賊稼業をやってたんだけど、光夫と一緒に冒険をしたのがきっかけで、今は光夫と一緒の世界で暮らしている。
「やだなあ…。まだ五時前なのに…。しかし最近、何でこう昔の夢ばかり見るんだろう。みんな今ごろどうしてるのかな…」
 そんなことを考えていると眠れなくなって、もんもんとしながら布団にくるまって過ごした。そんなことをしていてもしょうがないので、少し早いけど起きることにする。白いブラウスに腕を通し、チェックのスカートをはいてそろいのベストのボタンを留め、胸元にリボンを留めて足元は紺のハイソックス。これであたしも、外から見る限り普通の女子高生だ。

 身じたくを整えて食堂に来ると、テーブルの上には朝食が並んでいる。
「なんかリラ、最近えらく早起きね。ちゃんと寝てるの?」
 絵美子さんが言う。彼女は四十台半ばのキャリアウーマンで、光夫とは以前からの知り合いにあたるらしい。光夫はもし高校に行くのであれば、あたしをサポートしてくれる保護者役がいた方がいいだろうと言って、彼女にあたしのことを紹介してくれた。以来あたしは、彼女のマンションに厄介になっている。
「いや…。最近よく昔の夢を見るの」
「リラ、あなたの昔の話って何? 話したくないのなら無理に話さなくてもいいけど…」
「そのうち話すわよ」

 朝食を食べ終わるとブレザーを羽織り、カバンを持って玄関を出る。駅まで歩いて電車に乗り、満員電車の窓から五月の街を見ているといろんなことが頭に浮かんでくる。

――あたしが暁の女神様に願いをかなえてもらって、光夫のいるこの世界に来てからもう半年ばかり、そして高校に入学してからも一カ月が経とうとしている。後先なんて何一つ考えずに、ただ光夫に会いたいという一心だけでこの世界に来ては見たものの、そこははるかにあたしの想像を超えた世界だった。何十階もある高いビル、スピードを上げて走る車や電車、夜でも大勢の人でごった返す真昼のように明るい繁華街…。来てしばらくの間は、何がなんだかわからないまま時間が過ぎてしまった。何か確かなものをつかみたいと思って、この四月から高校に入学することにしたけど、それでもまだ答えは見つからずにいる。

 電車を降りて、ごった返す駅前でちょっと辺りを見渡すと、スカートの丈をうんと切りつめた女子高生が携帯でメールを送っている。若い女性たちは顔にメイクをして、流行のファッションに身を包んでいる。あたしは彼女たちから自分の制服に目を移すと、スカートの裾をつまんで小さくため息をついた。

――今から一カ月ほど前、桜の花が咲き誇っていた季節。あたしは入学式がすむと、その足で光夫に会いに行った。
「お待たせ、光夫。式長引いちゃってさ」
「いいよ。全然待ってないから」
 あたしたちはそのまま、桜の花が咲く公園を二人で歩いていた。
「あーあ、くたびれちゃった。校長の話、長いんだもん」
「入学式なんてそんなもんだよ。…それよりリラ、おまえもなかなかやるじゃないか。おまえの入った高校、けっこう勉強難しいんだろ? あんなにわか勉強で入れちゃうんだから」
「あに言ってんだか…。言っとくけどあたし、あの旅の途中から勉強はしてたんだからね」
「はいはい。でも去年の暮れ、いきなりおまえが『ねえ、あたしが高校行っちゃ変じゃない?』ってきいてきたときには、正直言って驚いたよ」
「いや…何かあたし、ここに来て何やってるんだろうって思ってね…。バイトするときでも、高校行ってないと面接で断られたり、決まった先でも不良みたいに見られたりするし。この際、ここで本気でやってこうって思うんだったら、ちょっと腰落ち着けて何かやってみるのもいいかなって思っただけで…」
「確かにおまえ、ここに来てしばらくの間、何か悩んでるみたいだったもんな。あっちにいたころはそんなことなかったのに。…でもリラ、どうしたんだ。今日のおまえ、何かそわそわして落ち着きがないけど」
 あたしはあらためて身の回りを見回すと、ぼそっとして言った。
「…いや、この制服なんだけど、こういう堅苦しいかっこってどうも苦手でさ…」
「じき慣れるよ。おれが高校行ってたときだってそうだったし」
「そうかなあ…。実はあたし、絵美子さんにも同じこと言ったんだ。そしたら絵美子さんったら『リラ、私だって会社の中では制服着てるし、男性社員はみんな背広着てネクタイ締めてるのよ。それがいやだからと言って、みんなが好き勝手なかっこしてたら仕事にならないでしょ? そのための訓練だと思ってがまんしなさい』なんて言うの」
「いいこと言うなあ…。絵美子さん」
「でもあたし、そんな会社には入りたくないな…」
「おれだっておまえにそういうとこは合わないと思うよ。でもおまえ、だったら何すればいいかを見つけるためにわざわざ高校入ったんだろ」
「そりゃそうだけど…。でもあたし、今までスカートなんてはいたことなかったから、何か落ち着かなくて…。下スースーするし」
「そう言えば、リラがスカートはいてるとこなんて今まで一度も見たことないもんな」
「悪い? 別にいいじゃない。ズボンの方が身軽で動きやすいんだもの。小さいころはお古をもらうこともあったけど、それ以来もう何年もはいてないなあ」
「悪いなんて言ってないだろ。でもリラ、その制服、けっこうおまえに似合ってるよ」
「またそうやって、すぐ調子のいいことばかり言うんだから…」
「ほんとにかわいいってば…。まあこれから大変だと思うけど、がんばってくれ」

――そんなに似合ってるかなあ…。あたしは自分の好きなかっこしたいだけなのに。
 そうは思いながらも、ここに来てから周りの目を変に意識せずにはいられないのはなぜだろう。シーフをやってたころは別にそんなことなかったのに。それでもあたし、この制服を着るときには今でも裾のところが気になってしょうがない。

 教室に入ると、同じクラスの友美が元気よく声をかけてくれた。
「おーす。リラ、宿題やった?」
「うん。だけど難しくてさ、ずいぶん時間かかっちゃった」
 友美はロングヘアの明るくて快活な子で、屈託のない性格で受けがよく、クラスのまとめ役だ。あたし、学校の連中って今一つ反りがあわない面があるけど、彼女だけは例外で、家が近いせいもあってすぐに仲良くなってしまった。彼女はいろんな流行に敏感でうわさ話には目がなく、あたしにもいろんなことを教えてくれるんだけど、これがあたしにはけっこうありがたいんだ。
「へへへ、あたし、ちょっとわかんないとこあってさー。これから晋也に聞こうと思ってるんだけど…」
「あんた、最初からそうする気だったんでしょ」
 晋也というのは学校であたしの隣に坐っているメガネの男の子だ。こいつは友美とは幼なじみで、一流大学に行くのも夢じゃないと言われている成績抜群の優等生なんだけど、照れ屋で気が小さい。また友達が少ないらしく、休み時間はいつも一人で文庫本を広げている。
 うわさをすれば何とやらで、晋也が現れた。
「おはよー。悪いんだけど、数学の宿題、ちょっと見せてくれない?」
「いいけど…。そんなことしてたら成績よくならないよ」
「まーまー。そんなかたいこと言わないで…」
 朝礼が始まる。あたしのクラスの担任は佐和先生という、まだ若い生物担当の女の先生だ。この先生はいつも白衣をびっちり着こなして、職員室ではいつもタバコをふかしている。多少大ざっぱでいいかげんなとこはあるけど、気さくでいろいろ話相手になってくれるし、なかなか美人でスタイルもよく、生徒からは男女を問わず人気がある。そのかわり年輩のおばさん先生たちからは目の敵にされてるけど。

 朝礼が終わって授業が始まるけど、この授業というやつはあたしにとってかなりつらい。朝から夕方まで固い椅子に坐って面白くもない話を聞かされるなんて、ほかの子はよくがまんできると思う。まあ辺りを見回すと、晋也こそ一生懸命ノートをとってるけど、友美は居眠りをしたり、こっそり机の下でマンガを広げたりしてるけどね。それにしても学校から帰るとさらに塾とか予備校とかいうところに行く子も少なくないなんて、全く信じられない。まあ技術家庭と体育の時間だけは、盗賊稼業と冒険で鍛えた手先の器用さと運動神経を見せてやるんだけどね。

 上の空で先生の話を聞いているうちに、あたしはいろんなことを考えていた。ここに来てしばらくの間はここの世界に慣れるのに必死で、ものを考える余裕なんて全然なかったけど、今になってやっといろんなことが見えてくるようになった気がする。
――何であたし、高校なんか行こうと思ったんだろう。あたし、生まれてこのかた、学校と名がつくところに行ったことなんか一度もなかったのに。学校に来ているみんなは、何のためにこんな制服着て、学校に行ってこうまでして勉強してるんだろう。受験だか何だか知らないけど、こうやって大きな会社に入ったって、毎朝満員電車で見かける、堅苦しいスーツに身を固めていつも疲れた表情を浮かべたこの世界の大人たちを見ていると、この人たちって本当に幸せなんだろうかと思ってしまう。だったらお宝を求めてあちこち冒険する方がよっぽどスリリングで楽しいのに。
――あいつもあたしに会うまで、ずっとこんな生活を送ってたのかなあ。


 あいつ――光夫にはじめて会ったのは、冒険者の集まる「青い小鳩亭」という店の中だった。彼はフィリーという妖精と二人で、自分の世界――あたしが今いるこの世界――に帰る方法を探すための仲間を探していた。そのときは、生意気で口の悪い妖精フィリーの方が印象に残っていて、彼の方は今一つぱっとしない、むしろ「冒険」ということばとはおおよそ縁のなさそうなやつというのが第一印象だった。それでも彼について行こうと思ったのは、ここのところいい稼ぎにめぐりあえなかったし、冒険の途中であちこちの宝を漁るのも悪くないかな、少なくともこいつらと一緒にいると退屈しないですみそうだしと思った程度で、特別に深い理由があったわけじゃない。

 そういうわけで、光夫のもとに集まったのは、あたしのほかに小さいころにいじめられた経験を持つために人間不信になったウェンディ・ミゼリアと、少し体の弱いティナ・ハーヴェルの二人だった。おまけにカイル・イシュバーンという大魔王復活をもくろむ魔族の青年と、マリエーナ王国のわがまま王女、レミットまでもがあたしたちの邪魔に現れて、ほんとにこんなメンバーで大丈夫なんだろうかと思いながらも、「魔宝」という願いをかなえてくれるアイテムをさがす旅に出発した。

 しかしはじめは期待していたほどいい稼ぎにもめぐりあえなかったし、パーティーの仲間との関係もしっくりいかなかった。そんなある日、あたしは立ち寄った町で、町外れにあるライゼンという洞窟には財宝が隠されているといううわさを耳にした。あたしはもしかしたら一稼ぎできるかもしれないと考えて、さっそく光夫に洞窟探検の話をもちかけた。
 そのとき、「ポロロン」とリュートの音がした。振り向くと、吟遊詩人のロクサーヌがいた。この人はいろんなことをよく知っていて、時折ふらりと現れるとあたしたちにいろいろな助言を与えてくれる。
「大丈夫よ。モンスターをこわがってて冒険ができると思ってるの」
「特に財宝の間はバジリスクがいるそうです。しかもこのバジリスクは、人間を石化する能力をもつかなり強力なやつですよ」
「そうなったら逃げるだけよ」
「ちょっと待て、リラ。おれたちの第一の目的は魔宝をさがすことだろう。こんな危険なことして道草食ってるわけにはいかないじゃないか」
「そうですよ、リラさん」
「光夫にウェンディ…。だったらあんたたちは行かなくてもいいよ。ともかくあたしは財宝がほしいの」
「ひどーい。せっかくリラさんのためを思って言ったのに…」
「たくウェンディったら、そうやってすぐひねくれるんだから…」
「もういいです。みんなそうやって、私のことのけ者にするんだから」
「いいのよ、ウェンディ。こんな自分勝手なやつ、ほっときなさい。そのかわりどんな目にあっても知らないから」
「ああフィリー、あんたに指図される筋合いなんかないわよ。バーカ」
「むっかー」
「やめろよ、フィリー。もともとおれだって冒険のついでにあちこちで宝をさがせると言ってリラを誘ったんだし…。そのかわり、おれも一緒に行くから」

 ウェンディとティナ、フィリーを残して、あたしは光夫とライゼンの洞窟に入った。二人でザコモンスターたちを倒しながら洞窟の奥に入ると、ちょっと開けた空間に出た。魔法で辺りを照らしてみると、まばゆいばかりの財宝が目の前に現れた。
「うひょひょー。何が『危険だ』よ。何ともなかったじゃない」
 そのときだ。お宝に喜ぶあたしをあきれ顔で見ていた光夫が叫んだ。
「リラ! 危ない、後ろ…」
振り向くと、バジリスクの大蛇のような姿が薄明かりの中に浮かび上がった。あたしが逃げようとしたとたん、バジリスクは口から毒液を吐きかけてきた。とっさに身をかわしたからよかったものの、毒液がかかった左腕が急にずしりと重くなった。見ると肘から先の左腕が石に変わっていた。
「くっ…。どうしよう」
「リラは先に逃げろ。おれがこいつをくいとめておくから」
 光夫は剣でバジリスクに何太刀かあびせたが、そうするとバジリスクは弱りながらもますます怒り狂って光夫に襲いかかってきた。そしてバジリスクがまた毒液を吐きかけると、毒液をもろに受けた光夫の全身がみるみるうちに石に変わっていった。
「光夫…!」
 あたしは息をのんだが、ここにいたらあたしも光夫と同じ目にあうしかない。あたしは感覚のなくなった左腕を右腕でかかえて、何とか広間を抜け出した。しかし石化した左腕の重さがずしりとのしかかってきて、いつものように身軽に動くことができない。歩くにつれて両足ががくがくしてきた。何度も転んで傷だらけになり、歩けなくなって真っ暗な洞窟の中にへたりこんでしまった。
――せめて…せめてあいつだけでも、元に戻さないと…。

 そのとき、闇の中からぼうっと光が浮かび上がるのが見えた。ロクサーヌとフィリー、そしてウェンディとティナだった。
「リラ! その左手…。光夫はどうしたの?」
「あれほどやめろと言ったのに…。だから言わんこっちゃない」
 あたしはくいさがるようにしてロクサーヌにたずねた。
「光夫…光夫が全身石にされちゃったの。ねえロクサーヌ、石化した人間を元に戻す方法はないの?」
「バジリスクを倒せば何とか元に戻るようですが…」
「リラさん、行きましょう。私が支えてあげますから」
「ティナ…」

 ウェンディとティナに支えられながら、あたしは痛む足を引きずって財宝の広間に向かった。そうして二人の肩に支えられていると、あたしの胸に今まで感じたことのない、暖かいものがこみあげてきた。そして、あたしはいつの間にかしゃくり上げていた。
「リラさん…。泣いているのですか?」
「ううん、ウェンディ…。何でもない」
 広間に戻ると、光夫は石になった姿のままそこにいた。
「リラさんはあそこの岩陰で休んでてください。バジリスクは私とウェンディさんとで何とかしますから」
 ウェンディとティナは二人でバジリスクに立ち向かったが、苦戦は免れない。それを少し離れたところから見ていると、くやしくてたまらなくなった。
――このままではウェンディやティナも石にされちゃうかもしれない…。みんなには何の責任もないのに…。
 あたしは岩陰からとび出して、無我夢中のまま右手に魔法の気を集中させ、それをバジリスクめがけて放った。それはあたしが今まで出したこともない強力な魔法だった。しかしあたしが息をのんだのはこの次の瞬間だ。バジリスクはよろけたものの、残る力をふりしぼってあたしに襲いかかろうとした。するとティナがバジリスクの胴体を後ろからつかんで、軽々と放り投げた。バジリスクが洞窟の壁面にたたきつけられたところにウェンディが物理魔法を加えると、バジリスクは完全にのびてしまった。
――あの体の弱いティナのどこにこんな力が…。それにさっき、ティナの瞳が一瞬赤く光ったような気がするけど…。
「ティナ…。やるじゃない。あんたにこんな力があるなんて」
「えっ…。いったいどうなったんですか?」
 ティナはきょとんとしている。どうやらティナ自身、何が起きたのかわからないらしい。

 しかしそう言ってる間に、あたしの左腕がすっと軽くなっていくのを感じた。動かしてみると、今までのように指一本まで自由に動く。そして光夫の方を向き直すと、みるみるうちに光夫の体に生気が戻っていくのが。
「あ…。体が動くようになった」
 あたしは思わず光夫に駆け寄った。
「よかった…光夫。でもあんた、バカだよ。あたしなんかのために、自分まで危険な目にあって」
「ほんとにこいつ、素直じゃないんだから…。そのバカに助けてもらっといて、その口のきき方はないんじゃない? 第一、目から涙流しながらそんなこと言ったって、全然説得力ないわよ。それにしてもあんた、文字どおり血も涙もないやつかと思ってたら、どうやらそうじゃなかったみたいね。いや、鬼の目にも涙ってやつかな?」
「言ったな、フィリー」
「何もこんなときにケンカしなくたって…」
 ウェンディがあきれ顔で言った。
「でもみんな何とか助かってよかったですね」
「ティナ…いいよ。あたしもう、このパーティーから抜けるわ。一人で勝手な行動を取ってメンバー全員を危険にあわせるなんて、冒険者として一番してはいけないことだものね」
「リラ、それだったらおまえを危険にあわせたおれこそリーダー失格だよ。おまえはメンバーの中で一番冒険についていろんなことを知ってるから、今抜けられたら困るんだ。それにリラってその元気で前向きな、どんな敵をも恐れない性格で、いつもパーティーを盛り上げてくれるじゃないか。さっきだって何とかバジリスクを倒すことができたのは、ウェンディ、ティナ、フィリー、ロクサーヌ…それにおまえがそれぞれ自分の力でできることをやったからだろう。個性も得意なこともみんな違うけど、だからこそ仲間が一緒になって、いろんなことができるんじゃないか。それにリラ、こんなことでパーティを抜けたりしたら、おまえとおれたちの両方に後味の悪いものが残るだけだよ」
「…あんたってほんとにお人よしなんだから。そんな甘ったるいこと言ってたら、シーフの世界では生きていけないわよ」
「あいにくだけど、おれはシーフになるつもりはないからな」
「私、バジリスクを倒せて、少し自信がついたような気がします」
「ウェンディさん、私もそうですよ。それにリラさんだって、さっきからずっと、自分の腕のことよりも光夫さんのことを心配してたじゃないですか」
「うん…みんな、迷惑かけてごめん。そして助けてくれて、本当にありがとう」
「…ま、いいか。今度の一件はリラにとってもいい薬になったみたいだし」
「フィリーって相変わらず一言多いんだから」
「まあまあ、こんなところでケンカはよせ。せっかくお宝も手に入ったことだし、こんな辛気くさい洞窟、早く出よう」
 このときになってはじめて、あたしたちがパーティーとして団結できるようになったような気がする。そしてあたしが光夫のことを意識するようになったのも、このときからだった。

――あたし、この世界に来たときには、光夫と一緒になれるということだけでうれしかったはずなのに、今ではこんなところで何やってるんだろう。そりゃここに来てみて、なぜ光夫が自分の世界に帰りたがったのかもわかる気がする。でもあたしが思い浮かべていたのは、本当にこんな退屈で窮屈な生活だったのかなあ…。


#2へ 文庫TOPへ