コリン・アイルランド |
「もしドラ」ならぬ「もしレス」の事件である。
「もし連続殺人犯がレスラーの『FBI心理分析官』を読んだら」
連続殺人犯になることを決意したコリン・アイルランドは、ロバート・K・レスラーのベストセラー『FBI心理分析官(Whoever Fights Monsters)』を読み込み、プロファイリングを研究した上で犯行に及んだのだ。そして、捜査の裏をかき、一人ほくそ笑んでいたのである。
コリン・アイルランドは1954年3月16日、ケント州ダートフォードで生まれた。母親は17歳だった。妊娠を告げられた父親は逃げた。出生証明書の父親の欄は空白である。故に彼は今日に至るまで、父親が誰であるかを知らない。
働き手がいないわけだから、アイルランドの幼年時代は困窮を極めた。母親はなんとか親元から独立しようと試みたが、無学な彼女には低賃金の仕事しかない。独立しては戻り、独立しては戻りの繰り返しだった。
1961年、母親は電気技師の男と結婚するが、貧困は相変わらずだった。というのも、この男が怠け者だったからだ。余り働かないのである。そして、たびたび家賃滞納で借家から追い出された。アイルランドはそのたびに転校を余儀なくされ、転校先では「貧乏人」といじめられた。
1964年、貧困にも拘らず、母親は次男を出産した。その間、アイルランドは里子に出された。一方、義父はというと相変わらずの怠け者だ。我が子を顧みることなく家を飛び出し、そのまま帰って来なかった。
1966年、母親は再婚を果たすが、やはり貧しいままだった。
「このままでは自分は駄目になる」
アイルランドが家出を決意したのは1970年、16歳の時のことである。しかし、ロンドンに向かう途中で4ポンドを盗んで捕まり、鑑別所に入れられてしまう。その後の彼の人生はムショとシャバを行ったり来たりの繰り返しである。その間に2度ほど結婚しているが、いずれも長続きはしなかった。
1993年初頭、既に38歳になっていたアイルランドは己れの人生を振り返り、つくづく情けなくなった。
「このままでは駄目だ。この世に生まれたからには、後世に名前を残さなければならない」
前科者で無職の彼に出来ること。それは有名な犯罪者になることだった。最も手っ取り早いのが連続殺人犯だ。イギリスには切り裂きジャックをはじめとして、イアン・ブレイディーやピーター・サトクリフ、デニス・ニルセン等、有名な連続殺人犯が山ほどいる。彼らに名前を連ねることでアイルランドは己れの存在を後世に残そうとしたのである。そして、当時ベストセラーだったロバート・K・レスラー著『FBI心理分析官』を読み込み、犯行を練り上げたのだ。
エセックス州サウスエンド・オン・シーに住んでいた彼は、40kmほど離れたロンドンで犯行に及ぶことにした。これは「連続殺人犯は居住地から半径10kmの場所で犯行に及ぶ」との記述を受けた選択だ。また、首都での犯行は話題になりやすい。
では、誰を殺そうか。
ゲイを殺すというのはどうだ? プロファイラーはゲイの犯行と推理することだろう。俺はゲイではないから、しばらくは逮捕されずに済む。よし、ゲイを殺そう。
アイルランドはロンドンの有名なゲイ・スポット、コールハーン・パブに出向いて「取材」した。
「261 Old Brompton Rd, London」
そこでは各々のゲイたちが、身につけたハンカチーフの色で己れの性向の自己主張をしていた。アイルランドは店員に訊ねた。
「あの色は何?」
「あれはマゾの傾向がある方です。サドの相方を探しています」
おお、マゾか。ならば、殺しやすいではないか。俺はサドになればいいのだな。その色を確認してから、アイルランドは店を後にした。
1993年3月8日、アイルランドはコールハーン・パブで、振り付け師のピーター・ウォーカー(45)と出会い、共に彼のアパートへと向かった。早速、プレイの始まりである。アイルランドはウォーカーに猿轡を噛ませ、手足をベッドの四柱に縛り上げた。そして、顔面を殴り、ナイフで胸を切りつけ、最終的にビニール袋を被せて窒息死させた。
遺体の陰毛を焼いた後(何故にそんなことをしたのかは理解に苦しむが)、部屋を掃除し、証拠(指紋等)をすべて隠滅した。その過程でウォーカーがHIV陽性であることが判明した。
「なんだよ、この野郎! 俺に感染させる気だったのかよ!」
カッとなったアイルランドは、ウォーカーの口と鼻孔にコンドームを押し込んだ。そして、2つのテディベアを「シックスナイン」の体位にして遺体の脇に置いた。
アイルランドが現場を離れたのは翌日の早朝だった。夜のうちに出て住人に目撃されることを恐れたのだ。そして、通勤電車に乗り、犯行時に身につけていた衣服や手袋、靴等を窓から捨てた。周到な彼は着替えまで用意していたのである。
やがて帰宅したアイルランドは、サマリア人(びと)協会に電話を掛けて、こう告げた。
「ピーター・ウォーカーという男のアパートに犬が閉じ込められている。可哀想だから助けてあげてくれないか」
プレイの邪魔だからと隣りの部屋に隔離された飼い犬のことである。この報告により遺体の発見は早まる筈だ。アイルランドは間もなくマスコミが騒ぎ出すことを想像し、心を躍らせた。
ところが、待てど暮らせどマスコミは騒ぎ出さなかった。警察が本件を「度が過ぎたSMプレイの結果」と判断し、記者会見を行わなかったからである。それでも一応、捜査は進められたが、一向に進展しなかった。理由は2つ。まず、警察はそれまでゲイを蔑ろにしていたため、協力がほとんど得られなかった。そして、つい先日に「たとえ同意があろうともSMプレイは違法」との判例が出たばかりだった。己れの罪が問われるかもしれないのに、情報提供する者などいない。
アイルランドは次第に苛立ち始めた。何故に報道されないのだ? ひょっとしたら警察は殺人だと思っていないのではないか? 犯行が完璧に過ぎたのがいけなかったのかも知れない。いずれにしても、もっと殺さなければならないだろう。
1993年5月28日、アイルランドはコールハーン・パブで、図書館員のクリストファー・ダン(37)と出会い、共に彼のアパートへと向かった。アイルランドはダンを裸にして縛り上げ、煙草による陰嚢への攻撃を含む一連の拷問の後、口中に布を押し込めることで窒息死させた。
拷問の過程で、アイルランドはダンにキャッシュカードの暗証番号を聞き出している。無職の彼は現金が必要だったのだ。そして、翌日に顔を隠して200ポンドを引き出した。
なお、この件も警察は「度が過ぎたSMプレイの結果」と判断した。殺人事件として報道されることはなかった。
1週間後の6月4日、アイルランドはコールハーン・パブで、ビジネスマンのペリー・ブラッドリー(35)と出会い、共に彼のアパートへと向かった。行われたことは前回と同じである。縛り上げて拷問し、暗証番号を聞き出して殺害する。このたびは首を縄で絞めることで目的を果たした。そして、所持金の100ポンドを奪い、翌日にはATMで200ポンドを引き出している。
3日後の6月7日、アイルランドはコールハーン・パブで、アパート管理人のアンドリュー・コリア(33)と出会い、共に彼のアパートへと向かった。このたびも縄で首を絞めて殺害した。コリアは暗証番号を吐かなかった。故にアイルランドが奪ったのは所持金の70ポンドのみである。
部屋を掃除したアイルランドは、コリアもまたHIV陽性であることを知った。カッとなった彼は、飼い猫を絞め殺し、コリアのペニスと猫の尻尾にコンドームをはめて、あたかも「シックスナイン」をしているかのように遺体をアレンジした。これにより警察はようやく気づいた。ピーター・ウォーカーとアンドリュー・コリアを殺したのは同一人物であることを。
なお、アイルランドはこのたび初めてミスを犯した。窓枠の指紋を拭き忘れていたのである。
5日後の6月12日、アイルランドは警察に匿名の電話を掛け、4人の男を殺害したことを告白した。
「もう1人殺そうと思うが、あんたたちにはそれが阻止できるかな?」
かなり挑発的な内容だった。
アイルランドの最後の犠牲者はマルタ人のシェフ、エマニュエル・スピテリ(41)だった。彼は6月12日に件のパブでアイルランドと出会い、これまでと同様に殺害された。
このたびはアイルランドはスピテリの寝室に火を放った。付近一帯に延焼させて事を大きくするつもりだったようだが、残念ながら延焼はしなかった。
その後、アイルランドは警察に匿名の電話を掛け、このように告白した。
「FBIによれば5人殺さないと連続殺人犯とは呼ばないらしい。だから5人殺した。これで終わりにするつもりだ」
この時点でようやくマスコミが騒ぎ始めた。「ゲイ・スレイヤー(The Gay Slayer)」と命名されたアイルランドは大喜びだ。彼には逮捕されない自信があった。何しろ証拠は何一つ残していない。目撃者はいない。プロファイラーも俺と犯行を結びつけることは出来ない。はっはっは。せいぜい頑張りたまえよ、明智くん。
ところが、完全犯罪というやつは、社会がこれだけ高度化するとなかなか難しいものなのだ。難しくさせている要因の一つが監視カメラだ。目撃者がいなくても油断ならないのだ。
間もなく警察は、6月12日の晩に駅の監視カメラが撮影したビデオから、エマニュエル・スピテリに同行する1人の男を発見した。
「30〜40歳の白人男性。身長は180cmほど。体格はよく、髪は短く、髭を剃っている」
このビデオがテレビで公開されると、警察には40件以上の情報が寄せられた。その多くがコールハーン・パブの客だった。
「この男なら店で何度か見たことがある」
「この男に話しかけられたことがある」
逮捕は時間の問題と考えたアイルランドは、かつての弁護人の元を訪れて、このように弁明した。
「たしかにビデオに映っているのは私だが、殺してはいない。彼のアパートの前で別れたんだ」
この頃にはアンドリュー・コリアの殺害現場に残されていた指紋の照合も済んでいた。もはや云い逃れは出来なかった。かくして「プロファイラーに挑んだ男」、コリン・アイルランドは2日後の7月21日に逮捕された。そして、5件の殺人で有罪となり、終身刑が云い渡された。
思うに、アイルランドの誤算は、プロファイラーさえ騙せば逮捕されないと過信したことだろう。しかし、プロファイリングだけで逮捕に至ったケースなど、この世には1件も存在しない。それは地元警察の地道な捜査を補助するものに過ぎないのだ。事実、警察はプロファイリングに頼ることなくアイルランドを追いつめた。本で得た知識だけでは太刀打ちできない経験を現代警察は習得しているのだ。
(2011年2月20日/岸田裁月) |