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イアン・ブレイディー
マイラ・ヒンドレー

Ian Brady & Myra Hindley
a.k.a. The Moors murders (イギリス)



イアン・ブレイディー


マイラ・ヒンドレー

 デヴィッド・スミスは札付きのワルだった。16歳の時にモリーン・ヒンドレーを強姦し、妊娠したので籍を入れた。義姉のマイラ・ヒンドレーにはイアン・ブレイディーという恋人がいた。彼はデヴィッドにマルキ・ド・サドの素晴らしさを熱心に語って聞かせた。
「俺はもう4人殺している。これからも殺す」
 すげえなアニキ、とデヴィッドは思った。そして、2人で押し込み強盗の計画を立てた。

 1965年10月6日深夜、マイラに呼び出されたデヴィッドがアニキの家の前まで来ると、中から凄まじい叫び声が聞こえた。何事かと慌てて扉を開ける。
 ああ?
 信じられない光景がデヴィッドの眼に飛び込んで来た。ブレイディーが少年の頭に斧を振り降ろしていたのである。あたり一面血の海だ。斧は何度も繰り返し振り降ろされたが、少年はなかなか死ななかった。仕方がないので、電気コードで首を絞めてとどめを刺した。
「思いのほか手こずらせやがったぜ」
 ブレイディーが額の返り血を手の甲で拭いながら云った。そして、デヴィッドに向き直り、斧を差し出した。
「ほら、この重さを感じてみろ」
 デヴィッドは云われるままに柄を握った。それはズシリと重かった。その重さでふと我に返った。震えが止まらなくなった。


 イアン・ブレイディーは1938年1月2日、グラスゴーのスラム街ゴーバルズで、ウェイトレスの私生児として生まれた。12歳の時、母親は結婚してマンチェスターに移ったが、反撥する彼はゴーバルスに残り、窃盗を繰り返した。十代半ばでアル中になり、何度も警察のお世話になった。趣味は動物虐待で、猫をアパートの窓から放り投げることをなによりの楽しみとしていた。やがてナチスに魅せられて、マルキ・ド・サドの著書に没頭し、実録犯罪もの、とりわけてレオポルドとローブの事件に興味を示すようになった。
 21歳の時、ブレイディーは化学薬品会社の在庫管理の職を得た。そして、そこで運命のパートナーと出会う。マイラ・ヒンドレーである。

 マイラ・ヒンドレーは1942年7月23日、マンチェスターの労働者階級の家に生まれた。大きな鼻としゃくれを気にする、ごく普通の娘だった。そんな彼女がブレイディーに出会ったのは19歳の時である。タイピストとして雇われた化学薬品会社で最初にタイプしたのがブレイディーの書類だったのだ。どこかエルヴィス・プレスリーを彷佛させる青年に彼女は一目惚れしてしまった。しかし、ブレイディーはマイラを無視し続けた。冷たくされればされるほど、マイラは彼に引かれていった。
 会社のクリスマス・パーティーの後、マイラはブレイディーに家まで送ってもらった。そして、その時に初めてデートの約束を交わした。
「デートに誘われた! デートに誘われた!」
 日記の中の彼女は大はしゃぎだ。1週間後、映画を観た後、マイラはブレイディーに処女を捧げた。観た映画のタイトルは『ニュールンベルグ裁判』だった。

 マイラは「知的な」恋人が自慢だった。ブレイディーはドイツ・ワインの飲み方を教えてくれたし、ドイツ語も教えてくれた。彼はドイツ語の本を読んでいた。ヒトラーの『わが闘争』である。そして、マルキ・ド・サドの素晴らしさを語って聞かせた。
 ごく普通の娘は、次第に感化されていった。ナチ強制収容所の女看守、イルマ・グレーゼを気取って髪をブロンドに染め、レザーのブーツを履いた。ブレイディーはいたく気に入り、彼女のことを「マイラ・ヘス」と呼んだ。2人は次第に、2人だけの妄想の世界に飲み込まれていった。そして、かつてレオポルドとローブがそうしたように、選ばれし者であることを証明するために、完全殺人を目論むようになったのである。



ブレイディとヒンドレー

 1963年 7月12日 ポーリン・リード(16)
 1963年11月23日 ジョン・キルブライド(12)
 1964年 6月16日 キース・ベネット(12)
 1964年12月26日 レスリー・アン・ダウニー(10)

 手口はいつも同じだった。マイラが車に誘い込み、そして、ブレイディーと共に拷問して殺害し、荒地に埋めた。
 彼らはかなりうまくやっていた。少なくともレオポルドとローブよりは巧妙だ。目撃者はいないし、遺体も見つかっていない。このまま行けば殺人があったことさえ判らない。
 そこで彼らは仲間を増やすことにした。マイラの義弟のデヴィッドである。札付きのワルのあいつならいい仲間になるだろう。マルキ・ド・サドの素晴らしさを理解してくれた。今度はヒトラーの素晴らしさを語って聞かせよう。いや、その前にあいつの眼の前で殺人を実演してやろう。あいつならきっと判ってくれるさ。
 ところが、デヴィッドは2人が思っていたほどワルではなかった。完全にブルってしまったデヴィッドは帰宅するや激しく嘔吐し、妻のモリーンに相談した。そして、夜明けを待って、公衆電話で警察に通報した。
 数時間後、パン屋に変装をした刑事がブレイディーの家に踏み込んだ。そして、エドワーズ・エヴァンズ(17)の無惨な遺体を発見した。かくして、英国史上、最も冷酷な連続殺人事件は幕を降ろした。

 この2人の犯行は本当に胸クソが悪くなるので、あまり詳しく書きたくないのだが、やはりこれだけは触れておかなければならない。
 2人はマンチェスター駅のロッカーにスーツケースを預けていた。その中には公に出来ないような写真や録音テープが入っていた。写真の多くは彼ら自身のポルノグラフィーだったが、被害者の1人、レスリー・アン・ダウニーのものも含まれていた。そして、録音テープには、レスリーが拷問されて殺害されるまでが録音されていた。
 この録音テープが決定的な証拠となり、2人は終身刑を宣告された。この事件を機に、英国では死刑の復活が叫ばれたことを最後に付記しておこう。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『現代殺人百科』コリン・ウィルソン著(青土社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『猟奇連続殺人の系譜』コリン・ウィルソン著(青弓社)
『PARTNERS IN CRIME』ALLAN HALL(BLITZ EDITIONS)


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