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デニス・ニルセン
Dennis Nilsen (イギリス)



デニス・ニルセン


ポリ袋二つ

 トイレの排水管に何かが詰まっていたのである。私がこうして書くからには、詰まっていたのは人肉の筈だ。

 1983年2月8日、ロンドン北部の閑静な住宅地のアパートに呼ばれた配管工は、あまりの臭いに悲鳴をあげた。ひええ。なんだよ、これ。こんなに臭いの初めてだよ。恐る恐る排水溝を懐中電灯で照らすと、どろっと腐敗した肉塊がヘドロのように浮いている。40ピースはあっただろうか。排水管からはでろでろとなにやらが滴り落ちている。
 なんじゃこりゃあ。
 あたしひとりでは無理です手に負えませんオエッ凄まじい臭いでありますゲエッと上司に連絡し、翌朝に人数を増やして対応することにした。
 ところが、翌朝になると肉塊はきれいになくなっていた。どうやらアパートの誰かが夜中にこっそり処分したらしい。それでも底を浚ってみると、いくつかの肉片が残っていた。その一つは明らかに人間の指だった。

 大至急で警察が呼ばれた。アパート住人の話では、夜中に不審な足音が階段を何往復もしていたという。その足音は最上階まで続いていて、そこに住んでいたのがデニス・ニルセンという37歳の物静かな公務員だった。

 午後5時40分にニルセンは職場から帰宅した。ピーター・ジェイ警部は彼を引き止めて、下水管を調べている旨を告げた。
「下水管が詰まったぐらいで警察が来るとはおかしいですね」
「いや、実はですね、かくかくしかじかなんですよ」
「まさか、そんな…なんて恐ろしい…」
「お宅の部屋を拝見してもよろしいですか? これも仕事なもんで」
 ニルセンの部屋に踏み込んだ警部はすぐに臭いに気づいた。長年の経験で判る。人間の腐敗臭だ。
「おい、しらばっくれるのもいい加減にしろよ! 残りの死体は何処にあるんだ!?」
 ニルセンはもうとっくに観念していたようだ。振り返るなり、顔色一つ変えずに答えた。
「ポリ袋2つに詰めて洋服ダンスにしまってあります。お見せしましょう」
 玄関を入ってすぐの部屋に案内すると洋服ダンスを指差し、警部に鍵を手渡した。腐敗臭はますます酷くなる。むせ返るほどだ。扉を開けることを躊躇った警部は、ニルセンに尋ねた。
「死体はひとつか? それともふたつか?」
 ニルセンはやはり顔色一つ変えずに答えた。
「1978年から数えて、15、6あります」



若き日のニルセンはかなりの二枚目

 デニス・ニルセンは1945年11月23日、スコットランド東部のフレイザーバラという漁村に生まれた。父親はノルウェーの兵士で、ニルセンが3歳の時に家を出ている。大酒飲みだったようだ。また、母方の親類に精神異常者や自殺者が多いことも指摘されている。閉鎖的な漁村では近親婚が当り前のように行われていたらしい。もっとも、そのこととニルセンの犯行との因果関係は不明である。

 6歳の時、父親代わりだった祖父が死んだ。しかし、母親はニルセンに死の意味をきちんと教えなかった。祖父の遺体を眼にしたニルセンは眠っているのだと思った。そして、埋葬されても、いつか帰って来るのだと思っていた。だから、二度と帰って来ないことを悟った時は愕然とした。
「私の問題はその時から始まった。私の感情は永遠に失われてしまった。それからの私は常に心の中で祖父を探し求めてきた」
 もともと内向的だった彼は、ますます孤独になっていった。一人海を見つめながら、ぼんやりと過ごす毎日だった。

 10歳の時、彼はこのようなことを経験したと語っている。
 波打ち際で一人遊んでいると、浜辺にいた年長の少年が1本の棒を砂浜に突き立てた。すると突然、ニルセンは大波に足をすくわれて、海中に引きずり込まれた。
 ふと目を覚ますと、ニルセンは砂浜に横たわっていた。どうやら浜辺にいた少年が助けてくれたらしい。衣服はまわりに散乱しており、ニルセンの胸には少年の精液が残されていた。
 ニルセン自身もこれが現実なのか空想なのか判別できないという。いずれかはともかく、ニルセンの犯行を紐解く上で極めて興味深いエピソードである。

 15歳で軍隊に入隊したニルセンは、己れがホモセクシュアルであることを自覚し始めていた。しかし、彼はそのことに罪悪感を抱き、隠し続けた。そして、オナニーにより満たされぬ欲望を充足した。そのオナニーの方法が特筆に値する。彼は自らの裸身を鏡に映してオナニーしていたのだが、鏡に映った肉体を死体だと空想していたというのである。つまり、彼は内気な反面で極度のナルシストであり、死体愛好家であったのだ。

 軍隊生活も終わりに近づいた1972年の夏、ニルセンは部下の青年に恋をした。青年も彼を兄のように慕い、2人で映画作りに熱中した。中でも特にニルセンのお気に入りだったのは、青年を死体に見立てたフィルムだった。しかし、それは現存しない。除隊と共にニルセンが焼いてしまったのだ。内気な彼は恋心を遂に告白することが出来なかった。なんだか乙女チックな話だが、反面でトンデモない話でもある。

 除隊したニルセンは、軍隊時代のような楽しい仲間と出会うために警察官になった。ところが、軍隊と警察では勝手は違った。軍隊は若者ばかりだが、警察は年寄りばかりなのだ。わずか11ケ月で辞職して、職業安定所の事務員になった。結果として、このことが一連の犯行の間接的な原因となった。彼の犠牲者のほとんどは職業安定所に足しげく通うホームレスだったのである。

 犯行の直接的な原因となったのは、1975年の中頃から始まったデヴィッド・ギャリハンとの同棲生活である。もっとも、2人の間には性的な関係はなかったらしい。ニルセンは10歳年下の若者と暮らすだけで満足していた。ところが、幸せな日々は長くは続かなかった。1977年5月にギャリハンが出て行くと、ニルセンは圧倒的な孤独感に打ちのめされた。誰でもよかった。一緒に暮らしてくれるのならば、死体でもよかったのだ。



ニルセンによるスティーヴン・シンクレアの切断図

 孤独の中でニルセンのオナニーはますます異常なものになっていった。鏡に映った自分がよりいっそう死体に見えるように、顔に白粉を塗り、唇を青く塗り、眼をこすって血走らせた。それからTシャツに弾創を作って血を滴らせ、口からも血を流した。
 ニルセンは想像した。私はナチスの親衛隊に撃たれ、森の中に放置されている。そこに年老いた隠者が通りかかった。彼は私を裸にして、身体を洗い浄める。陰茎を縛り、肛門に詰め物をすると、穴を掘って埋める。後日、彼は私を掘り起こし、手で愛撫する。私の陰茎ははち切れんばかりに勃起し、そして遂に射精する…。
 このストーリーにおける「年老いた隠者」とは、おそらく祖父であり、彼自身でもある。このおぞましき儀式の中で、ニルセンは既に殺人者であるも同然である。

 この直後、ニルセンは最初の殺人を犯す。クリスマスをたった一人で過ごした彼は、せめて新年だけは誰かと一緒に迎えようと夜の街に繰り出した。そして、18歳のアイルランド人(氏名不詳)を自室に迎えた。1978年12月30日のことである。
 ニルソンは新年もここで過ごすように勧めた。ところが、彼には別の予定があった。どのようにして殺したのかは憶えていない。とにかく、気がついたら彼は死んでいた。
 ニルセンはこの死体と年を越し、8月まで共に暮らした。切断して処分することも幾度となく考えたが、
「あの素晴らしい肉体を損ねるような真似は出来なかった」
 死体を洗い浄めると、衣服を着せ、共にテレビを見て、夜になると添い寝した。それから床下に隠し、そのまま8月まで放置したのである。さすがに腐臭が凄まじいので、庭に運び出して焼却した。その際にゴムも一緒に焼いて臭いを誤魔化したというから、なかなか抜け目がないニルセンである。

 以後、数ケ月に1人のペースでニルセンは犯行を繰り返して行く。犠牲者はたいてい氏名不詳のホームレスだった。
 逮捕された頃のニルセンは、既に現実の世界に住んではいなかった。死体と共に鏡の中の空想の世界に住んでいたのである。最後の犠牲者スティーヴン・シンクレアとの思い出を、彼は手記の中でこのように記している。

「私は鏡の中の2人の肉体を見つめた。彼は私より青白く見える。私は自分の全身に白粉を塗った。2人はそっくりになった。彼の肉体は素晴らしかった。私はただひたすらに鏡の中の2人を見つめていた」

 そんな訳だから、現実の世界に戻って死体を処分する作業は苦痛だったそうだ。酒を呷り、酔った勢いで解体していたようである。

 ニルセンは立証可能な6件の殺人と2件の殺人未遂で有罪となり、終身刑に処された。
 本件はジェフリー・ダーマーの事件に似ているが、その手触りはあまりにもかけ離れている。ダーマーが肉食ならば、ニルセンは草食という感じだ。そして文学的である。彼の生涯はそっくりそのままゲイ文学の題材になってもおかしくない。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『現代殺人百科』コリン・ウィルソン著(青土社)
『連続殺人者』タイムライフ編(同朋舎出版)
週刊マーダー・ケースブック24(ディアゴスティーニ)
『死体処理法』ブライアン・レーン著(二見書房)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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