シェリル・クレイン |
ラナ・ターナー |
ロスコー・アーバックルに始まり、チャーリー・チャップリンやメイベル・ノーマンド、クララ・ボウやジーン・ハーロウ等、ハリウッドスターのスキャンダルの数々を目にしてきた我々は、ここで初めて例外に出会うことになる。すなわち、これまでのハリウッドスターにとってスキャンダルとは「転落」を、そして「死」を意味していた。アーバックルは酒で命を縮め、メイベルは病死。クララは精神を患い、ジーンも謎の急死を遂げた。チャップリンは死にこそしなかったが、頭髪がすべて白髪になるほどの心労を味わっている。ところが、本稿で扱うラナ・ターナーは、スキャンダルを機にそれまでの落ち目を挽回し、見事スター女優に返り咲いてしまった。スキャンダルがスキャンダルでなくなった最初の例と云えよう。彼女こそは杉田かおるの原型である。もっとも、ラナ・ターナーのそれと杉田のそれは一線を画する。なにしろ彼女が踏み台にしたのは、娘が犯した殺人事件だったのである。 |
シュリルを抱くラナとジョセフ・クレイン |
1942年7月、まだ21歳のラナはまたしても、出会ってまだ3週間の男と結婚した。相手はジョセフ・スティーヴン・クレインという、二枚目だが定職のない遊び人。あのバグジー・シーゲル(「ラスベガスを作った男」として知られる有名なギャング)の下で働き、その愛人ヴァージニア・ヒルから金を借りて、鼻と顎を整形してハリウッドスターを夢見ていた、正真正銘のボンクラである。 |
ラナ・ターナーとシェリル・クレイン |
シェリル・クレインは1943年7月25日、ラナ・ターナーの長女として生まれた。彼女が物心つく頃には、父は何処にいるのか知れなかった(両親は早々に離婚していた)。母もほとんど家にいなかった。居てもシェリルと顔を合わせることはほとんどなかった。 |
ジョニー・ストンパナートとラナ・ターナー |
ただでさえラナはブルーだった。18年も続いたMGMとの専属契約が、長年ヒット作がないことを理由に打ち切られてしまったのだ。かつてあんなにも憎んだスタジオシステムが、今となっては懐かしかった。そんな折、娘が夫に犯されていた事実を母ミルドレッドから知らされた。まともでなどいられる筈がなかった。今すぐ男が必要だった。亡き父のような、ハンサムで逞しい男に慰めてもらいたかった。 |
ジョニー・ストンパナートの遺体 |
1958年4月4日、遂に運命の日は訪れた。 |
法廷で熱弁するラナ・ターナー |
間もなく執り行われたシェリル・クレインの裁判は全米にテレビ中継され、高視聴率を獲得した。これに先行するタブロイドの悪趣味な記事が大衆の興味を煽ったからだ。 |
参考文献 | 『ハリウッド・バビロン』ケネス・アンガー著(リブロポート) |