テイラー事件 |
メイベル・ノーマンド |
メイベル・ノーマンドという名前のコメディエンヌを諸君は御存じであろうか? 「メイベルさん」の愛称で我が国でも親しまれ、ロスコー・アーバックルとのコンビで一世を風靡した御転婆娘のことである。チャールズ・チャップリンの最初の相手役も彼女である。しかし現在、彼女の名を知る者はほとんどいない。メイベルは何処に行ったのだ? |
ウィリアム・デズモンド・テイラー 事件の舞台となったテイラー邸 |
「でぶ君」が例の事件の第二審で晒しものになっている頃、ハリウッドでまた一つ大スキャンダルが持ち上がった。1922年2月1日、ロス市内の閑静な住宅地、ウエストレイク地区アルバラード・コートにある自宅の書斎で、パラマウントの映画監督ウィリアム・デズモンド・テイラーが何者かに射殺されたのである。「でぶ君」を持て余していたところにまた一人。パラマウントの重役たちが頭を抱えたことは云うまでもない。 |
事件を伝える当時の新聞 |
イートンは何故にこれほどまで過剰にスキャンダルに怯えたのだろうか? |
遺体の位置 |
では、如何なる「在らぬ事」が書き立てられたのだろうか? ケネス・アンガー著『ハリウッド・バビロン』にはこうある。 |
メアリー・マイルズ・ミンターからの手紙 |
《次いで、寝室の鍵がかかった戸棚からは、ユニークなランジェリーのコレクションが見つかった。その一枚一枚に日付とイニシャルを記した札がついている。どうやら果報者のテイラーは、秘めごとの相手からそれぞれ、おみやげを戴いていたらしい》 |
メアリー・マイルズ・ミンター メアリーとその母シャーロット・シェルビー |
メアリー・マイルズ・ミンターはルイジアナ州に生まれた。その生年の正確なところは判らない。テイラーのスキャンダルに巻き込まれた時、公称「はたち」の彼女は実は「みそじ」と暴露されたからだ。しかし、彼女の経歴を見る限り、それほど年増ではなかったようである。 |
チャップリンとメイベル・ノーマンド |
テイラーをアヘン中毒と断じた記事はトンデモない中傷である。彼はメイベルの更正にあらゆる尽力を惜しまなかった。サナトリウムを紹介し、入院を強く勧めた。彼女は説得に応じたが、1年後には逆戻り。1921年の大晦日、パーティーで出会った二人は激しく口論した。彼女がまたしてもラリラリだったのだ。テイラーを自宅へと送り届けた運転手は、御主人様の男泣きを目撃している。やがて彼は行動に出る。メイベル邸前に張り込み、うろつく売人に殴りかかる。勿論テイラーが逆に殴られてノックアウト。しかし、メイベルは心を動かされた。 |
ロスコー・アーバックルとメイベル |
ところが、抜け目がないシェルビー夫人は、たった一つだけ致命的なミスを犯した。彼女はこの事件で娘が被るダメージを予想できなかった。娘がこれに追い打ちをかける。彼女はテイラーの葬式で、数多の新聞記者を前にして遺体に接吻して見せた。そして、錯乱してひと暴れ。 |
法廷で争うシェルビー夫人と長女 |
最後に、1937年にシェルビー夫人の長女マーガレットが財産を巡り母親を訴えた事件について簡単に触れておこう。 |
参考資料 |
『ハリウッド・バビロン』ケネス・アンガー著(リブロポート) |