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上遠野敏のベルリンだより

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 札幌の現代美術家・上遠野敏(かとおの・さとし)さんが、3月から4月にかけてドイツ・ハンブルクで個展を開きました。
 その際におとずれたベルリンのようすについて寄稿をいただきましたので、ここでご紹介します。


ペルガモン博物館


 壁が崩壊する以前は、ペルガモン博物館が東ドイツ内にあったため、有名な「ゼウスの大祭壇」を見ることは一生無いのであろうと思っていた。現実としてここを訪れることには格別な思いがある。古代ギリシャのペルガモン(現在のトルコ領、ベルガマBergama)で、19世紀に発掘された紀元前のペルガモン王国の巨大な『ゼウスの大祭壇』(紀元前180−159年)の遺跡が、そのままメイン・ホールに展示されていて、そのスケールの大きさとおびただしい彫刻群には、ただただ圧巻で言葉を失う。古代の人々の英知や造形への情熱は色あせることがなく現代文明のインスタント化をあざ笑うかの様であった。ペルガモン王国は、紀元前のヘレニズム期に最も栄えた小アジアの王国であり、巨大な「ミレトスの市場門」などの巨大な神殿建築物も展示されている。その他、その周辺の地で発掘された古代バビロニヤの「イシュタル門」などの遺跡やローマ時代の遺跡など、スケールの大きさは大英博物館やメトロポリタン美術館に並ぶ。これらの形象化されたモノに対して、現代人は何を学ぶことができるのかが今後の課題である。


ハンブルガー・バーンホフ現代美術館
 ハンブルクから到着する旧駅舎で、戦災にあった駅舎を現代美術館として再建した。コレクションは60年代から現在までを網羅しており、世界の巨匠と言われる作家を中心にコレクションされている。あまりに有名どころをそろえているが故に、新鮮味に欠ける。ともあれドイツを代表するヨーゼフ・ボイスやアンゼルム・キーファーなどスケールの大きさと作品の質に驚かされる。最前線の企画展も開催していたが、作品の企画意図が不明瞭なため関心を引かなかった。明日は我が身と心に念じた。


ユダヤ博物館
 入り口では、世界情勢を反映して厳戒な手荷物チェックを受けた。この博物館は、最近ニューヨークのグラウンドゼロの再生コンペで当選したユダヤ系の建築家ダニエル・リベスキントが設計して現代建築界で話題を呼んだ。建築物は斬新でナチス時代の、この街のユダヤ人の運命を象徴する引き裂かれたダヴィデの星をイメージしている。RC造りの躯体を亜鉛板で覆った外観は刃物で切り裂かれたような悲痛な表情を施し、鋭角な建築構造が連なっている。入り口はベルリン博物館のエントランスを使用し、地下で新旧二つの建物をつないでいる。ドイツ人とユダヤ人の間にはいつでも壁が存在しながらも結びつきは重く、目に見えないほど密接であることから意図されている。まず驚くことにユダヤ博物館の入り口は地下に深くおりて行くことを強制される。それは過去への通路であり、虐殺された死者たちと同じ目線を体験することにあるらしい。地下のホロコーストの資料は、悲惨な状況を直接映し出すものはなく、当時の犠牲者の資料などが展示され、淡々としたものであった。それが逆にその悲惨さを緩やかにあぶり出していた。地下深くから階段で最上階まで登った後、連続したボォイド(空洞)のうねうねした空間構成の動線のなかで、ユダヤの歴史やユダヤ人の功績を見学した。我々日本人にもなじみの人々が多く紹介されていた。ユダヤの流浪の人々が何を財産として生きてきたのかが良く理解できる。現在でも知を武器に世界中で活躍している事がその証明であろう。ユダヤ博物館で特に印象に残ったのは、モニュメントと言えるもので、庭に突き出した49本の柱の内、48本にはベルリンの土が入れられ、真ん中の1本がユダヤを表現している。これこそモニュメントの神髄と思わせた。


「ベルリンのギャラリーについて」
 ベルリンのギャラリーは、旧東ドイツのミッテ地区を中心に旧西側まで広範囲に点在している。日本のような貸し画廊の制度は存在せず、すべて企画による展覧会を行い、ギャラリーごとの方針や方向性を明確に打ち出している。ミッテの中でも特に注目を集めるのは、ベルリンビエンナーレのメイン会場でもあるクンスト・ヴェルク(KW)である。元マーガリン工場を改修したこのギャラリースペースは広く、優秀なディレクターのもと、独自の視点で同時代の美術の最新状況を常に発信している。同時にここは研究所が併設されて現代美術の理論的考察も日夜行われて、ベルリンのアートを支える拠点ともいえる。
 今回の企画は「アニメーション」展で、3DCGアニメ、パペットアニメ、クレイアニメ、影絵アニメ、実写アニメなど最新機材を使ったアニメーションや双方向のものからロウテク極まりないアニメーションまで4フロアーで相当数を堪能する事ができた。日本の商業アニメ、ドラえもんやポケモン、宮崎駿などが製作するセル画によるアニメーションは経費と時間が膨大なため個人や少数のユニットで作品発表するには不適なのだと感じた。低予算ながら感性に訴えかけるアニメーション作りは、やはりアート思考のよりどころとなり、これからの拡張する美術表現の一翼となっていく事であろう。
 クンスト・ヴェルクは門を入ると中庭があり、プラットホームはウァルター・ムサッチのインスタレーション、壁面のメッセージアートはジョセフ・コスース、クンスト・ヴェルクの階と階をつなぐ螺旋の滑り台はカーステン・ヘーラーの作品、左手の「カフェ・ブラボー」の建物はダン・グレアムのデザインでハーフミラーの作りが、透過性と反射鏡の効果で不思議な効果を演出している。
 ベルリンではアートとカフェおよびクラブが一体となって空間やパフォーマンスを取り込んで、それ自体の存在がアートシーンとなっている。映像作品は時間を拘束する美術である。疲れたからだをカフェが優しく包み込み、アーティストはもっと身もこころも、リッチな存在とならなければと意を強くした。
 ベルリンは面白いところである。ミッテ地区は統一以前、街が廃墟と化していたため、現在でも建物全体を不法に占拠いて使用しているアトリエと開放ギャラリーが至る所にある。中にはそこに食材を持ち寄りアートパフォーマンスと称して営業しているレストランさえある。旧東ドイツの廃墟となった都市のすきまで、お金のないアーティスト達はサバイバルの中から成功を夢見ている。まだハングリーと言う言葉は存在している。
 何軒ものギャラリーを見て、最新の現代アートに触れる事が出来た。元ビール工場を改装してギャラリーに使うなどスペースの確保は恵まれている。しかし今後の開発によってミッテ地区の地価は高騰するだろう。西側の資本が入り込み、建物の一階をブティックなどが占める現在の状況が未来を予見している。

「ベルリンの都市計画について」

 ベルリンのホットな話題は、まずポツダム広場の大規模な再開発であろう。東西ドイツを分けた壁の緩衝地帯として更地となっていたポツダム広場一帯は、現代建築および都市計画の実験場の様相を見せている。現在でも周辺には続々と新しい建築が造られ都市は拡張中である。ポツダム通りをはさんで、ソニーセンターの建築群とダイムラー・シティーの建築群が未来都市を形成していた。


 ダイムラー・シティー
 ダイムラー・ベンツの開発であるダイムラー・シティーはマスタープランを担当したのは、レゾン・ピアノ、クリストフ・コールッカーである。6万8000平方メートルの敷地に建築19棟、通り10本があり、オフィス、住宅、店舗、ホテル、アパートメントホテル、シネマコンプレックス、ミュージカル劇場、小劇場、IMAXシアター、カジノの複合都市である。建物も外観はテラコッタとガラスを基調とし低層部はセットバックし、アーケードとなって統一感をだしている。19棟の地下は3個の地下構造となって駐車場の利便性を組織的に計画され、建物と建物の隙間には巨大なショッピングモールがあり利用者本位の都市計画である。ちなみにフォルクス・バンク本社は磯崎新の設計によるものである。


ソニーセンター
 ソニーの開発したソニーセンターは、ドイツ系アメリカ人のヘルムート・ヤーンの設計である。入口付近にあるDB(ドイツ鉄道)本社は総鏡張りで未来都市のようである。何と言ってもソニーセンターの特徴はだ円形の巨大な屋根付きフォーラムがあり、センター内の建築と建物をつなぎ屋根付き広場としての一体感を出している。オフィス、住宅、店舗、映画博物館、店舗、IMAXシアター、それに名門ホテル・エスプラナードにあった歴史的な部屋「皇帝の間」「朝食の間」を移築して歴史的なコアとして組み込んである。ソニーのデジタル機器が一堂に並ぶ姿に、戦後、トランジスターラジオの売り込みから始まった、ドイツ、ヨーロッパ進出の苦戦が今では嘘のようである。我がソニーは世界のソニーなのである。日本人はもっと自信を持って世界に接して良いのかもしれない。尚、最近ではソニーが撤退するとの噂が流れているが真偽は定かではない。
 ソニーセンターとダイムラー・シティー双方の印象として世界の建築家が競ってその腕を試した実験場としての高揚感は確かに感じるが、ここは一体どこ? 東京やニューヨークに似た不思議な感覚を味わった。旧東ドイツの懐かしさを残したミッテ地区が、あまりにもドイツらしい郷愁を醸し出したからに相違ない。しかしドイツらしいのは高さ規制35mがあり、数棟の高層建築を除いて建物自体からの圧迫感は感じられなかった。街作りの歴史を垣間見た。
 この地区には、隣接して文化フォーラムがあり、ベルリンフィルハーモニー、絵画館、新ナショナルギャラリー、国立図書館などの文化、教養施設がある。
 他にベルリンはいたる所再開発中である。今後はヨーロッパ最大の旅客駅になるレアター駅がベルリンの中央駅となる。ガラス張りのプラットホームと駅舎の建設とあわせて周辺の開発が始まったばかりである。


「ベルリンのパブリックアートについて」
 モニュメントが都市機能にいかなる役割を果たしているのかを、ベルリンのパブリックアートで考察した。
 日本では、1970年代以降に高度経済成長を背景に官民一体となって日本全国に数多くのモニュメントを設置してきた。現在ではその意義が問われて彫刻公害とも揶揄されている。作り手の一人として、今後どのようなパブリックアートが必要とされているのか? ベルリンで以下なる考察をした。
 現代アートのモニュメントはポツダム広場の新建築群のなかに、ジェフ・クーンズ、マーク・ディスベロ、キース・ヘリング、ティンゲリーの彫刻が周辺の環境と調和を見せている。しかしベルリンにはパーマネントの現代アートが意外に少ないのに驚く。ベルリンの象徴である熊の彫刻は、数年前に街中に数百体設置されていたが、現在ポツダム広場に2体を残すだけである。このFRPで出来た熊の彫刻は、多くのアーティストたちが熊のボディのペイントを施した、とても愛らしいもので、コンセプトも明快であり、仮設展示が都市空間を活性化するために有効なものと示唆を受ける。
 いろいろと市中を見回すと、どうやらベルリンには、これまで歴史を翻弄し、翻弄された事実が「記憶としての都市のモニュメント」としての重要性を作り「19世紀のシンケルの建築物と都市計画のモニュメント」でベルリンの栄光を思い、「タイムリーな仮設展示と言えるもの」で現代を表現することで、パブリックアートを形成している事が理解できる。これは、個人の作家の仔細なイデオロギーやエゴより社会性や時代性がドイツでは雄弁であることの証である。

「記憶としての都市のモニュメント」
 いわゆる歴史の証言者としてのモニュメント。(本来のモニュメントとは、これらを指すのである)
 

戦勝記念塔ジーゲスゾイレ
 1873年建立。勝利の女神ヴィクトリアがそびえ立つ。デンマーク戦争、オーストリア戦争、フランス戦争の勝利を記念して建てられた。映画「ベルリン天使の詩」でお馴染み。王室の狩猟所であつたティーアガルデンが都市の真ん中にあるのにも都市計画として感心するが、公園の中、真っすぐに横切る6月17日通りの中心に設置され、遠くからでも雄姿が望めることが出来る。ランドマークとしても国威高揚としても、その効果は抜群であっことであろう。

ブランデンブルク門
 1791年建立。東西統一ドイツの象徴の門。プロイセン王国の凱旋門で、アテネの神殿を模したもので、ドイツ古典式主義建築の傑作。門上の勝利の女神と4頭立ての馬車はナポレオンがパリに持って帰り、1814年に返還された。なんと言っても東西の境界線に門があったため、当時は厳しい警戒のもとに置かれていた。今では自由に行き来できる統一ドイツの象徴の門としての、時代のモニュメントとしての役割が大きいと言える。
 ブランデンブルク門から延びる大通りは、ウンター・デン・リンデン(菩提樹の下で)で1647年に造られ旧東ドイツの主要な施設へと続く美しい通りである。


ドイツ連邦議事堂
 1894年建立。1933年ナチスの謀略により炎上。戦後は西側の議会とは使用されず、統一を期に8年の歳月をかけた大改築を終え、ガラスのドームも完成し1999年7月に首都を移転して連邦議会議事堂となった。
 やはり、この議事堂も時代の証人としてモニュメント性を発揮している。
 現在この議事堂には、地下にある巨大な貯水槽よって熱返還システムを行い未来的な空調環境システムが導入されている。


カイザー・ヴィルヘルム記念教会
 1888年死去したヴィルヘルム皇帝を記念した教会である。1943年の空襲で破壊され現在もそのままの姿で(広島の原爆ドーム然り)戦争の悲惨を直に訴えかけてくる。

ベルリンの壁
 東ドイツによって、1961年8月31日に一夜にして築かれた壁は東西ドイツを分断して、西ベルリンを陸の孤島となった。壁は東西に2重に築かれていて、西側のみ自由闊達な壁画が描かれていた。1989年11月9日ベルリンの壁は崩壊し、現在は数カ所のみ壁がそのままの状態として保存され、歴史の証人となっている。ソニーセンターにも建設後、壁のあった所に位相してモニュメントとして設置してあるのが印象的であった。


チェックポイント・チャリーハウス
 東西の壁を通るための検問所である。
 東から、あの手この手で西側へ逃れようとした悲劇の現場でもある。
 現在、残された検問所の前には、ロシアが戦後占領していた地区らしく、制服を着たロシア軍兵士のポートレートが大きなサインボード両面に高々と掲げられていて、現代性溢れる記憶のモニュメントとして存在していた。


外壁に残る弾痕
 ミッテ地区を歩くと、建物の壁面に第二次世界大戦で出来たと思われる弾痕の跡が生々しく保存されている。ユダヤ人街があった所らしく、真意は定かではないが、ドイツがこれまでに行ってきた事実や受けてきた事実を目の当たりにして、人間の愚かさ、はかなさを悲痛な思いとして受け取った。
 これも時代を証明するものと受け止めた。

 数々の時代のモニュメントがあるドイツは、良きにつれ悪しきにつれ時代の証人と言えるものを正面から受け止めて深く内省する機会を作ろうとしている感がある。平和ぼけの日本での、すべてリセットして始めるやり方とは根本的に違うみたいである。


「19世紀のシンケルの建築物と都市計画のモニュメント」

 カール・フリードリヒ・シンケル(1781−1814)は19世紀新古典主義を代表する建築家で最高建築官(今の建築大臣と思われる)として古代ギリシャをモデルに歴史に残る建造物を次々に設計した。またベルリンの多くの歴史的建物を都市計画の発想で改変、改修をして都市全体の景観を作り出した。代表作はノイエ・ヴァッヘ、旧博物館などで、改修を含めフンボルト大学周辺や博物館島の一帯は名だたる建築の宝庫でシンケルの改造事業で都市を形成してきた事が理解できる。これらの建築は文句なく都市に溶け込んで荘厳で偉大なモニュメントと言えるであろう。元来、彫刻は建築の付属物的役割であって、微小なアートモニュメントは歴史的建造物の前で肩身が狭いのである。

「タイムリーな仮設展示と言えるもの」
 今回のベルリンでは見る機会が少なかったが、前回を含め印象的な事例を今後の札幌のパブリックアートにたいして示唆になるものとして考察する。


旧郵便局のラブレターパッケージ
 2001年現在。ミッテ地区の旧ユダヤ人街にある郵便局は現在使われておらず、ベルリンビエンナーレ会場として使用されたりしている。HA・シュルトの提唱でドイツ中から集められたラブレターを布に大きく拡大プリントした、5万枚ものラブレターで郵便局を梱包したものである。郵便物と恋文、人々の思いを愛で埋め尽くしたラブレターパッケージは壮観でアーティスト一人では作り得ない、民衆と一体となったアートのあり方を示して興味深かった。


ベルリンの熊プロジェクト
 2001年現在。前出の文を参照。街中に愛らしくペイントされた熊はベルリンの象徴であり、景観を軽やかに楽しい雰囲気を演出して都市空間を一変した。人々は一緒に写真を撮ったり、熊にぶら下がったり、背中に乗ったり愛すべき期間限定のパブリックアートを堪能したようである。

電飾のビルディングアート
 アレキサンダー広場のあるビルディングは夜間に窓全面が白色の電飾パネルとなり、文字や絵文字などが次々に流れデジタルアートの最先端を見せてくれた。今回は改修工事で工事用の囲いがしてあり残念であった。優れたパブリックアートと感心した思いが強くある。

  
駅舎の広告ボードアート
 アレキサンダー広場駅の広告ボード全面にアーティストがメッセージアートと言える作品を展開していた。企画の内容は不明だが、いつもの広告とは違う新鮮な驚きがあり、調和のとれた美しさもあった.




パッケージングバスのアート
 ベルリンでは多くのパッケージングバスが運行していた。今回特に印象に残ったのは、n-tvテレビ会社の宣伝で、バス全面にパッケージングがあり、ブッシュ大統領をはじめ世界の首脳が窓に印刷され、まるで座席に座っているような構成です。ユーモアといい世界情勢に鑑みメッセージ性抜群の出来です。

ビル壁面のメッセージアート
 海外では言葉によるメッセージアートを良く見かけます。アレキサンダー広場近くのアパートメントには窓枠を除いて横一面に全ての階層に美しく文字が書かれていました。内容は不明ですが、パブリックアートの一つのあり方を示しています。


工事現場の囲いの幌
 2001年現在。工事現場の足場の幌に面白いものを発見した。ドイツの偉人たちのオマージュと言える表現で、花をベースデザインにあしらい偉人の名前と生・没年とメッセージが書き込まれており、全面に偉人たち一人一人が幌として張られていた。ドイツの現代アートの巨匠、故ヨゼフ・ボイスを発見した喜びは忘れられない。




パフォーマンスアート

 路上でパフォーマンスアートと遭遇する事はないのであるが、グリンピースの活動に遭遇した。イラクへの攻撃が間近な機運の状況でドイツ政府は攻撃を支持しないメッセージを世界に発していた。グリーンピースはブランデンブルク門をジャックして、門から巨大な黄色い旗をおろし、旗の下には3人の男がおもりとしてぶら下がっていた。メッセージは「Old Europe says: NO WAR! GREENPEACE」
 門の上にも男女10数名がのぼり、青い旗2本、騎馬の首4頭にもNO WAR!
 ドイツではデモに対しておおらかな姿勢らしく、警察もただ見ているだけである。門の手前にはロダンの「考える人」の彫刻がありその取り合わせに感心しきりである。どんな現代アートより時事性があり素敵なアートに見えた。またベルリンでは個人が、アパートも窓にNO WAR! のメッセージする姿も見られた。早く戦争が集結してほしいものである。