目次 | 掲示板 | つれづれ日録 | あーとだいありー | 展覧会の紹介 | ギャラリーマップ |
リンク集 | スケジュール | ギャラリー日程 | 道内美術館の日程 | アートな本棚 | その他のテキスト |
2003年
2月28日(金)
書くのをわすれていましたが、23日にアクセスが6万を突破しました。
みなさまのおかげです。ありがとうございます。
北方圏学術情報センター ポルトギャラリー(中央区南1西22)に行ったら、午後5時で閉まっていた。
おもしろくないので、古本屋「駱駝屋」に入り、読む時間もないくせに「個の礼賛」(ツヴェタン・トドロフ著、白水社)、「西欧絵画の近代」(高階秀爾著、青土社)、「油絵入門」(伊藤継郎著、保育社カラーブックス)を買ってしまった。
エルエテギャラリースペース(中央区南1西24、リードビル2階)に行ったら、こんどは、リヒターの本があったので、これまた2冊買ってしまった。
つぎにギャラリーミヤシタ(中央区南5西20)に行った。この話はまたあした。
2月27日(木)
札幌アーティスト・イン・レジデンスの、来年度の滞在作家をえらぶ会が、事務局のあるインタークロスクリエイティブセンターでおこなわれた。
ことしは参加希望者が倍増。とりあえず、前半(9−11月)に滞在する3組を選出する。ただし、じっさいには、スケジュール調整などはこれからなので、6組えらんでそのなかからほんとうに来られる人が来るということになる。
40人もの資料を斜め読みして、そのうち25人ほどのスライドなどを見る。こんな荒っぽい決め方でいいのかなとおもいつつも、意外と審査員の票は特定の作家に集中した。短時間で「この人おもしろそう!」と思わせる資料の作り方というのがあるのかな。
北大の北側に、民間の研究施設などを誘致してあたらしい産業を創出するゾーンにするという構想がある−という話が、けさの道新に出ていた。
おおっぴらに産学協同が語られることに時代の流れをかんじるが、それよりなにより、いまの北大第二農場を、モデルバーン以外はほとんどぶっつぶすというのは、なんかさびしいなあ。
2月26日(水)
3月20日にジェフ・ミルズ、28日にデリック・メイ…。札幌・プレシャスホールは大物DJの来日ラッシュのようだ。
2月25日(火)
某朝日新聞に
「展覧会の批評が写真を交えながら紹介されています」
と書かれてしまった以上、デジカメをパソコンに接続できない状態をいつまでも放置しておくわけにはいかないとおもい、Yバシカメラで「カードリーダライタ」なる機器を買ってきた。
スマートメディアでもコンパクトフラッシュでも、デジカメのメモリカード類は簡単にパソコンにとりこめるというすぐれもので、これからは以前のように
「写真を交えながら」
が可能になります。
でも、さいきん大和画材さんのサイトの画像がすごいからなー。絵の画像はあちらにおまかせしよっと。
2月24日(月)
きのうの続きで、ことしは小林多喜二の生誕100年、没後70年という節目の年なのである。
で、市立小樽文学館でおこなわれている小林多喜二展、および、23日のノーマ・フィールドさんの講演については、25日付け北海道新聞の「卓上四季」に出るようです。それも、簡にして要を得た文章で。
筆者は気がつかなかったけど、卓上四季を書く論説委員は会場に来ていたのだな。よかったよかった。当日文化部の記者の姿は見えなかった(まあ、最初から期待してないけど)けど、北海道新聞はこれで面目をたもった(というのはおおげさかな)。
筆者が、館内で「わが意を得たり」とおもったのは
「映画ファン 多喜二」
というコーナー。
「蟹工船」をはじめてよんだときから、彼が映画好きなのを確信していた筆者としては
「やっぱりねー」
という思いなのだ。
切り替えの早い場面転換。特定の主人公を持たず集団がドラマを形成していくプロット。だれひとり「名前」を持っていないこと…。
−わたしたちは多喜二の作品に「プロレタリア文学」というレッテルを貼ってそれで満足してしまいがちだけど、実は彼の小説は、すぐれて技法の実験と革新にみちている。その意味では、川端康成や横光利一の「新感覚派」と同時代の文学なのだと思う。
で、多喜二が「第七天国」について書いていることを知って、すごくうれしかったね。フランク・ポーセージ監督が撮った、この無声映画の名作を
「センチメンタルで、甘い」
と片付けるようなヤツとは友達になりたくない、そうしみじみ感じるのであります。
全段の話でくるとおもったY場さん、ざんねんでした。
小林多喜二の話はあす以降もつづきます(たぶん)。
2月23日(日)
「あーとだいありー」にも書いたが、深川と小樽に行った。
その前に寄ったTOM'S CAFE(北区北6西2 パセオ地下1階東側奥)だが、ジャバロブスタ(珈琲)が絶品だった。
深川市は、札幌から特急列車で1時間余り。北空知地方の中核都市である。といっても人口は3万人いない。
旭川行きの特急が30分おきに出ているので、札幌との交通は便利である。
そこそこの商店街が、駅から200メートル先の国道沿いにつらなっているが、道内の他都市と同様、あるいている人の姿はほとんどない。北海道の地方都市の人の大半は、移動手段としてマイカーをつかう。徒歩やバスで移動できるという発想すらない人が多い。
あるいていると、老人の一団に呼び止められた。駐車場のなかの段差をむりにおりようとして、車の腹が雪につっかえてしまい、うごかなくなってしまったので、押すのをてつだってほしいというのだ。けっきょく男1人の力がくわわったくらいではだめで、どこかの車に牽引してもらい、ようやく脱出できた。
GEOに入ってみたが、マンガとゲーム以外の本はすくなかった。ザ・イエローモンキーの「楽園」がながれていた。ベースラインがむちゃくちゃかっこいい。イエモンは活動休止中だが、なるほど、こんな曲ができれば、早晩やることなくなるだろうな。
小樽に行ったのは、日本文化研究では世界の第一人者のひとりといわれる、シカゴ大のノーマ・フィールド教授が市立小樽文学館で講演するのを聞くためだ。
どうしてこんな講演が北海道の地方都市で実現するのかというと、彼女はいま小林多喜二を研究しており、多喜二の命日である20日に墓前祭がおこなわれるのにあわせ、小樽をおとずれたのだ。ついでに言えば、彼女の祖母が小樽の出であり、もう何度も来ているということらしい。
(この項続く)
2月21日(金)
いそがしかった。
きわめつけは、ニューヨーク近傍での製油所爆発。
まぎらわしい時間帯(締め切りぎりぎり)に、ああいう事故を起こさないでほしい。テロかとおもって、あせったじゃんか。
2月20日(木)
休日。断続的にゴロ寝。
2月19日(水)
予想通り、韓国の地下鉄放火は死者125人という大惨事となった。
しかし、死者の大半は、事故直後に駅に入ってきた対向車輛の乗客だったとのこと。どうして対向車輛が、火事を知っていながらわざわざ来て、ドアを閉めたまま停車していたのか、よくわからない。筆者は、やはり72年の北陸トンネル事故の記憶が強烈だから、もしじぶんが運転手でうっかり駅に入ってきたとしたらそのまま突っ切るとおもう。
某店で、カートンにはいったCDが数百枚、半額セールになっていたので、エイフェックス・ツインが昨年出した2枚組み「drukqs」を買った。音楽のイディオムが出尽くしたかに見える21世紀にあって、独創的でスリリングなテクノの世界。攻撃的かとおもえばリリカル。ふしぎです。
2月18日(火)
さすがにつかれて、家人に朝6時半におこされた。
夜来の大雪で、都心直通のバスに乗ったら何時につくかわからないので、バスと地下鉄をのりついで出社。
夕刊は、みなさんご存知のとおり、韓国の地下鉄放火でたいへんだった。第1報がはいった段階では、死者2人、夕刊をおろした段階で5人だったが、まだまだ増えそうな感じだったので、大きな見出しでいった。
夜は地方版をつくったあと午後11時帰宅。かなりの疲労で、サイトの更新をせずにねてしまう。
2月17日(月)
午前3時に目がさめた。
このサイトの更新をして、新聞を読んで、会社に行って夕刊作業して、午後2時半から5時45分までギャラリーを回った。
3時55分、札幌駅で思い立って、ギャラリー山の手に行き、地下鉄とバスで往復して5時5分には大通にいた。
10時過ぎまで朝刊作業して、11時に帰宅、1時間雪かきして、サイトの更新。いま1時15分。
たまにだからいいけど、これを毎日やってたら倒れるな。
2月16日(日)
やはり15日(土)夕刊2面は全段だった…(ただし「ざっくばらん」は、ほかの人が前もって組んでいてくれた)。
おしらせのページをこしらえて、そこにも書いたけど、たくさんのファイルから写真が脱落していることを発見、がっくりしている。
どうしてこんなことになるのかわからない。元の写真画像もどっかいっちゃったし、ウェブサイト全体の復調にはまだ道遠し。やれやれ。
2月14日(金)
13日は「千歳・恵庭版」ということで、午後6時出社、午前0時半には家に帰り着くことができた。
毎日こんな仕事なら楽なのだが、翌14日は夕刊1面なので、5時半には起きて、NHKニュースをチェックし、新聞各紙に目を通し、7時50分に家を出て9時には出社していなくてはならない。
夕刊作業を午後2時よりすこし前に終えた後、月曜朝刊の「潮流」面を先作りする。
これがおもいのほか早く済んだ(というか、後半戦は15日なのです)ので、道立近代美術館の「遠慮のないガラス」などを見た。いずれ書きますが、これはよかったですよー。
帰宅して晩飯を食ったらねむくなり、午後9時半にねてしまった。
これを書いているのは15日朝。4時に起きて、サイトの更新。
きょうはこれから夕刊2面。国連安全保障理事会でイラク査察の追加報告がおこなわれたばかりなので、紙面が臨時にやたらとひろくなっているようなわるい予感がする。
12日にウォーラーステインの意見を書いたが、13日の日経に、バンカメ(バンク・オブ・アメリカ)が日本の支店を大幅に縮小し、シンガポールに一部機能をうつすというべた記事が載っていた。
やっぱり日本には将来性がないという見方もつよいのかなあ。
2月12日(水)
日本経済新聞の「経済教室」、12日の筆者は、世界的な歴史学者ウォーラーステイン氏でした。
彼によると、米国が軍事力にものをいわせようとしているのは、国力が落ちているからであって、イラク戦が長引けば財政赤字はふたたび膨大になって、パワーの衰えは隠しきれなくなる。むしろ、欧州や日本が、力をつけてくる。長期的に見ていちばん可能性があるのは日本だ。
と、こう言うのです。ただ、日本は、中国や韓国と連携してうまくやっていく−という前提つきですが。
バブル崩壊後の長い不況で日本はひどい自信喪失状態ですが、いろんな見方があるものだなあ、と感心します。
90年代に未曾有の長期景気拡大をほこった米国ですが、万一イラク戦ということになれば、80年代の「双子の赤字」の再来はさけられないでしょう。あのころは、米国は衰退する−という議論が支配的でしたが、たいていの人はわすれているとおもいます。
2月11日(火)
「大量破壊兵器をつくっている証拠がない」
のなら
「隠しているんだろう」
と攻撃するんだろうし、
「証拠が見つかった」
のなら
「ほら見ろ」
と攻撃するんだろう…。
米国のイラク攻撃への執着には、われながらいらだちと無力感のようなものをおぼえていたが、どうやらフランスとドイツは
「まだとめられるかもしれない」
ということで、けっこう本気(マジ)である。ロシアと3国で出した共同宣言に、中国も同調し、これじゃ英米がむしろ孤立しそうなムードだね。どうなるか、ちょっと、わかんなくなってきた。
2月9日(日)
ひさしぶりに古幡靖さんに会った。
あーとだいありーにも書いたけど、2001年の冬に精力的に発表をおこなったあと、こつぜんと転居してしまった人だ。現代美術作家として、筆者は高く評価している。
さいきんシュペングラーの「西洋の没落」をちょっと読んで、いたく感銘した由。第1次大戦後の疲弊した欧州でベストセラーになったこの悲観主義的な歴史書を、21世紀の日本で読む人がそうそういるとはおもえないけれど、いろいろな予言があたっているとのこと。
また、函館への移住計画を練っており、はやければ春にも実現するかもしれないという。いま、函館のハローワークのサイトで職探しをしているそうだ。
べつに函館出身だとかそういうことはまったくなく、ただなんとなく暮らしやすそうで食べ物がうまいという理由だけだそうで、そこらへんの思い切りの良さは、サラリーマンの筆者にはなかなかまねができないなとおもったりする。
それにしてもことしは暖かいね。雪像、11日までもつかな。
2月8日(土)
筆者のパソコンがおかしくなったのは、はっきりとおぼえていないのだが、「あーとだいありー」が1月24日を最後にしばらく更新されていないことからして、25日か26日のことだったとおもう。
インターネットにまったくつながらなくなってしまったのだ。
おなじ“症状”は、これまで2、3度あった。
最初は「ぞ」というサイトをひらいているアートスペース201(中央区南2西1、山口中央ビル)のakaさんが、ターミナルアダプタ(モデムと電話回線をつないでる機械)のプラグをいったん引っこ抜くという荒業で、解決した。
その後はおなじやりかたできりぬけていたのだが、今回はダメ。
「リダイヤルします」
「接続に失敗しました」
の文字がむなしく、くりかえし表示されるばかりだった。
あちこちのサポートデスクに電話してみたものの、たらいまわしにあうばかりで、結局解決にはいたらない。
筆者も、パソコンの前にすわってばかりいるわけにもいかない。
展覧会は待ってはくれない。つまり、更新はできなくても、終わるまでには、見にいかなくてはならないのだ。
もちろん仕事もあるし。
万策尽きて
「ウィンドウズをはじめっから入れなおすしかない」
と決断したのは、2月になってからだった。
いちおう、CD−Rにバックアップをとってから、リカバリをした。
リカバリのほうは、40分ほどかかったが、成功し、インターネットにはぶじつながるようになった。(^◇^)/、であります。
ところが、難題がいくつも浮上してきた。
まず、リカバリ直後に、アウトルック・エクスプレスを起動させて、50通以上たまっていたメールを見ていたら、その間にウィルスに感染してしまったのだ。
なんだかやたら「Rerunrned…」なるメールがくる。
リカバリしたので、ダウンロードしていたウィルス対策ソフトももちろん消えてしまったらしい。
「Rerunrned…」なるメールは、添付ファイルがついているので、ダウンロードするのに時間がかかる。それに、筆者の知り合いに飛んでしまっているともかぎらない。
感染に気づいた翌日、こんどは本格的に駆除ソフトを買ってきた。すると、いきなり
「このCDは期限切れです」
というエラーメッセージが出るではないか。
なんなんだ。きょう買ってきたばかりで、なにが期限切れだ。
翌日、サポートセンターに電話してやろうとおもって、受話器を片手に、もう一度CD−ROMを入れてみたら、こんどはちゃんとインストールできた。よかった。
さっそく起動する。10カ所以上に「クレズ」がはびこっていた。
さて、もうひとつの難題は、すべてのアプリケーションソフトがどっかにいってしまったことである。
じつは、これを書いている段階でも、まだプリンタのソフトは再インストールしていないし、スキャナのソフトは入れたものの、つかえない状態がつづいている。
さらに、せっかくバックアップをとったCD-Rが、ぜんぜん開いてくれないのだ。
ちゃんと保存はされているとおもう。「マイコンピュータ」をひらいてみたら、ファイルのアイコンは出てくるから。
でも、いざそのアイコンをクリックして、マシンに保存しようとしたら、そのとたん、パソコン本体がウンともスンともいわなくなってしまう。
パソコンがフリーズしてしまうことは、それほどめずらしいことではない。ただ、コントロールキーとALTキーとdelateキーをしつこくおしつづければウンとかスンくらいはいうだろう。
ところが、このCD−Rについていえば、ファイルのアイコンをダブルクリックした瞬間、ほんとにパソコンが凍り付いたようになってしまうのだ。
筆者はそのたびに、パワースイッチを押して、強制的に終了させた。
よくハードディスクがこわれないで、今まできているものだとおもう。ヘンな感心のしかただけど。
ウェブサイトについては、しかたがないから、おもなページに接続して、それぞれをダウンロードすることにした。
ただ、まだダウンロードしてないファイルがたくさんあるのだが。
だから、過去のファイルにリンクを張ろうとすると、かなりめんどくさい。
また、25日以降書いた文章などは、みな消失してしまったことはいうまでもない。
この方法だと、文章のファイルと、画像やロゴが、べつのファイルにおさまってしまうのがいけないのか、以前のように「ホームページビルダー」で、一括して送信できなくなってしまった。ページごとに送信しなくてはならないめんどうな状態がいまなおつづいている(たぶんこの先ずっとつづくでしょう)。
そして、デジカメのCD−ROMは、見当たらないままなので、せっかく撮っても、パソコンにインストールできないのだ。
これまで撮った子どもの写真なんかも、けっきょく復活できないままだし。
まだ、見たのに感想を書いてない展覧会がいっぱいある。
地図のリニューアルもしなくちゃいけない。
サイト以外では、出すべき手紙、読むべき本がどっさり。
かくして、やるべきことはどんどんたまっていくのです。
1月20日(月)
あーとだいありーにも書いたけど、家族全員が風邪をひいてしまって、なんと5日ぶりの更新である。
「ほぼ毎日更新」がウリの当サイトとしては、看板倒れの、まことになさけない事態であった。
しかし、思いかえしてみると、じぶんが20代のころは、風邪なんて2,3年に1度しかひかなかったはずである。
いったい、どうしてこうしょっちゅう風邪にやられるようになったのか。
理由を考えてみた。
筆者としては、4が原因であると考えたい。
よし。まず子どもを強くしなくては(といって、3歳と2歳ではなあ)。
この間の大ニュースといえば、小泉首相、突然の靖国神社参拝である。
ほんとうに、突然なにかやることのお好きな人である。
もちろん、中国・韓国は抗議し、野党は批判した。
「A級戦犯がまつられている神社に参拝するとは、先の悲惨な戦争を反省していないととられてもしかたがない」
「国のために犠牲になった霊をなぐさめる純粋な行為に対し、外国からあれこれ言われる筋合いはない」
いずれの言い分も、一理あると思う。
ここでは、どっちがただしいとかは、論じません。
ただ、良し悪しは別にして、筆者が感心したのは、けっこう小泉さんは小泉さんなりに考えていることである。
たとえば、8月15日に固執しない。神道形式の礼をしない。そして、玉ぐし料を出さず、ポケットマネーから花代を出す。
とくに、最後のことなんて、これまではかなりイイカゲンで、政教分離の原則からしてもみっともないものであった。しかし、自分のお金で花代を払っているのだから、理屈の上では、まったく個人的な宗教行為であり、たとえばブッシュ大統領が日曜日に近所の教会に行くのとなんら変わりはないということになる。
北朝鮮問題が深刻になっていて周辺国との連帯が必要な時になんでわざわざ−という、これまた一理ある声もあったが、時がたてばもっと深刻になっているおそれもあるし、もうちょいすれば韓国の大統領も代わるわけで、けっこううまいタイミングだったと思う。
そして、その思惑どおり、貴乃花が引退して、ホラ、もうみんなわすれかかってたでしょ。
貴乃花の入門は昭和63年であった。こんど、モーニング娘。に加入する最若手メンバーは平成元年の生まれです。ひえー。
1月14日(火)
わが家に、片面に昨年発売された清涼飲料「smap!」の缶の絵が、もう片面に木村拓哉の顔写真が印刷されたうちわがある。
ジャニーズ系のコンサート会場でくばっていたらしいが、どうしてこんなものが家にあるのかはわからない。
先日、3歳11ヶ月になるせがれが、そのうちわを持って
「パパだ、パパだ」
と、しきりに言うので
「やはりオレとキムタクは似ているか。さすが、父親のことは正当に評価しておるな」
と満足に思って、うなずいていたら
「缶ビールはパパだ」
ということであった。
いや、smap!はビールじゃなくてジュースなんだけど。
後日、或る人にこの話をしたら
「キムタクと一致しているのは性別だけだ」
とまで言われた。
まあ、客観的に見たらそうなのかもしれない。
1月10日(金)
拉致被害者を支援する「救う会」が発足させた新組織「特定失踪者問題調査会」が、北朝鮮に拉致された可能性を捨てきれない人々のリストを独自に発表したため、その特別紙面をつくることになった。顔写真35枚。これはこれで、確認など、けっこうしんどい作業だ。
新聞の紙面は、要約版のためいまひとつ生々しさがつたわってこない場合もあるが、原資料は読んでいて悪寒のようなものをおぼえる個所があった。これは、オウム事件のとき、拉致されたり幽閉されたりした人の話を読んだ時の気味悪さにとても似ている。
たとえば、或る交換手は「電話があったら出かける」と言ってそのまま消息を絶ったが、その翌日夜、男性の声で電話があり
「いまさら仕方ないだろ」
と言って切れたそうだ。
あるいは、三重県の或る船員は、舞鶴に寄港して、港から30分はかかるスナックに立ち寄ったが、タクシーを呼ばずに姿を消したという。舞鶴は小さなまちで、流しのタクシーはなく、電話で呼ばなくてはならないという。
また、富良野のラベンダーまつりに行くといって出かけ、十勝岳中腹のホテルでレンタカーが発見されたまま、行方のわからなくなっている男性がおり、下宿で洗濯をしている途中で生徒(と称する人物)に呼び出され、白い車に乗らされてそのままいなくなってしまった教師がいる。
ほとんど突発的に、わけのわからないまま人生が狂わされてしまうということの、底知れない恐怖と不安。
北朝鮮が核拡散防止条約から脱退を宣言した。この国はいったいどこへゆくのか。そして、連れ去られたかもしれない人々は…。
1月9日(木)
きのうは唐突に新年会になり、更新できませんでした。
デジカメ故障。
レンズカバーが閉まらず、シャッターが押せない(北海道弁でいうと押ささらない)。
見積もりに1週間、修理に2、3週間かかると言われ、しかたなく、修理することになりました。
1月7日(火)
きのう、ひさしぶりにCDショップに入った。
昨年暮れ、ジョー・ストラマーが死んだので、追悼の意味を込めてクラッシュのCDを2枚買った。
ジョー・ストラマーは、セックスピストルズと並び称される英国のパンクロックを代表するバンドだったクラッシュのボーカルを務めていた。
ファーストアルバムにこんな歌詞があった。
I'm so board with the U.S.A.
What can I do
ところで、6日の北海道新聞夕刊「美術メモ」を読んで、わらってしまった。
市資料館のところに「資料館の今昔」とか「札幌新風景点描」「札幌を歩く原画展」ってあるけどさ、これって借り手がない部屋を閉ざしてしまうのも殺風景だから、さっぽろ文庫のイラストの原画などを並べとく−っていうだけのことでしょ?
札幌時計台ギャラリーで、あいてる部屋にクレーのポスターをはっておくのとおんなじだよね。
パレスティナで自爆攻撃。
でも、イスラエルの報復で日々数人ずつ死んでいく人の方が多いことを思うとなあ。
7日の夕刊社会面には、釧路芸術館の「かもめのももちゃん」の話が大きく出てましたね。
美術館ネタとしてはひさびさのヒットですね。
1月6日(月)
あけましておめでとうございます。
ことしもよろしくお願いいたします。
正月やすみのあいだに、ちょこちょこサイトに手をいれました。
最大の変更点は、これまでいろんな内容がごった煮だった「つれづれ日録」をふたつにわけたことです。美術に関する話題は「あーとだいありー」にうつして、それ以外は、これまでどおり「つれづれ日録」に書くことにしました。それにともない、サイト自体の題名も「ほっかいどうあーとだいありー」から「北海道美術ネット」に変更しました。
もっとも、表紙はかなりこれまでとイメージがちがいますが、ブリューゲルの絵をクリックすると、これまでの表紙とあまり変わらないデザインの「目次」がでてきます。ただし、すでにごらんのとおり、項目の表示を整頓しました。また、IEですと、あちこちにマウスをうごかすと、ステイタスバーに紹介文がスクロールされるように、しかけをほどこしています。
また、これまで4地区だけだった「さっぽろギャラリーマップ」を7地区に拡大。不十分だった「都心北地区(大通の北側から札幌駅周辺まで)」は全面的にかきなおしました。都心北、南(中心街)、西11丁目駅附近、円山・桑園の4地区については英語版もつくりました。
ギャラリー山の手など、カヴァーしきれていないギャラリーもまだかなりあるのですが、今後の課題にしたいとおもいます。
「展覧会の紹介 さくいん」は、各個展・展覧会のかんたんな内容の見出しもつけました。
「つれづれ日録 さくいん」にも、各月の内容のダイジェストを書く作業を、現在すすめています。
さらに、このページの上のほうにもありますが、おもなページへかんたんに飛べるようなくふうを、一部のページから順次はじめています。これは「フレーム」というしくみをつかえば簡単なのですが、ふるいブラウザソフトにはフレームに対応していないものもあるので、つかっていません。
これからも、読みやすく使いやすいウェブサイトをめざして改良をはかっていくつもりですので、どうぞお気軽にご意見、ご感想をお寄せください。