キリストの戒め
戒めとは
- 戒めは人が正しい選択をできるようにするための指針である。
- 戒めは人を霊的な危険から遠ざけるものである。
- 戒めを守ることを通して人は成長することができる。
- 戒めはそれを守れない人をふるいにかけて落とすと言うものではない。
- すべての戒めは「愛」が軸になっている。
十戒
- わたしのほかに、なにものも神としてはならない。
- 自分のために、刻んだ像を造ってはならない。
- 神、主の名を、みだりに唱えてはならない。
- 安息日を覚えて、これを聖とせよ。 −> 「安息日」参照
- 父と母を敬え。 −> 「家族」参照
- 殺してはならない。 −> 「赦されない罪」参照
- 姦淫してはならない。 −> 「純潔の律法」参照
- 盗んではならない。 −> 「正直」参照
- 隣人について、偽証してはならない。−> 「正直」参照
- 隣人の家をむさぼってはならない。 −> 「什分の一とささげもの」参照
十戒の上の4つは「神」に対する愛をあらわし、
下の6つは「人」に対する愛を表している。
キリストの言葉と模範
- 「心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。
自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ。」
(マルコ12章30−31節)
これには、「神への愛」(主なるあなたの神を愛せよ)
「自分への愛」(自分を愛するように)
「隣人への愛」(あなたの隣り人を愛せよ)が含まれている。
それぞれ、「信仰」「希望」「慈愛」の3つの徳に対応している。
「信仰」は神との関係、「希望」は自分との関係、「慈愛」は隣人との関係を表している。
昔から人は体と心からできていて、心は「知性」「感情」「意欲」の3つから成ると考えられていた。
心(heart)は「感情」、精神(soul)は「意欲」、思い(mind)は「知性」、力(strength)は「体力」に当たる。
- 「人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。」
(ルカ6章31節)
- 「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
(ヨハネ13章34節)
「わたしが言ったとおりにしなさい」と言う人は多くいるが、
「わたしがしたとおりにしなさい」と言える人は、キリストだけであろう。
キリストは完全な模範をわたしたちに示してくださった。
キリストはご自身がおっしゃったこの言葉を次のように行いで示された。
- 「もしだれかがあなたの右のほおを打つなら、ほかのほおも向けなさい。」
(マタイ5章39節)
キリストは捕らえようとする者に対して逃げたり抵抗したりすることなく、
十字架におかかりになった。
- 「敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」
(マタイ5章44節)
十字架上で、自分を十字架につけた兵士たちに対して
「父よ、彼らをおゆるしください。
彼らは何をしているのか、わからずにいるのです 。」と神に祈られた。
(ルカ23章34節)
- 「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」
(ヨハネ15章13節)
キリストは人類の贖いのため、苦しまれ、命を捨てられた。
- 「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、
貧しい人々に施しなさい。」
(マタイ19章21節)
キリストは病人を癒されたり、うとまれている人を祝福された。
- 「自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。
あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。」
(マタイ6章1−3節)
キリストは人を癒されたときに、その人にこのことをだれにも言わないようにと言われた。
- 「だれでも水と霊とから生まれなければ(バプテスマと聖霊を受けければ)
神の国に住むことはできない。」
(ヨハネ3章5節)
キリストは罪がないにもかかわらず、バプテスマを受けられた。
- 「心をいれかえて幼子のようにならなければ、天国に入ることはできない。
この幼子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。」
(マタイ18章3−4節)
ご自身は神であるにもかかわらず、すべての人の下に身を落とされた。
馬小屋で生まれ、大工の家に育てられた。
- 天父に祈り、天父に従順だった。
- 人々の誤りを赦された。
慈愛
- 慈愛とは救い主イエス・キリストが持っておられる純粋な愛である。
純粋な愛は自分の利益や見返りを求めない。
- 慈愛とは霊的な愛である。
これに対するのは情的な愛である。
情的な愛は不純な要素を持っている。
男女の間の愛や、親子の間の愛は、子孫を残すという生き物の本能から来る要素を持っている。
時として、このような愛は見返りを求めたり、これがかなえられないと嫉妬したりする。
(夫婦の愛や親子の愛を否定しているのではない。
これらも家族と言う大切なつながりを維持していくのに必要なものである。)
- 慈愛は最も偉大な徳である。
すべての徳がこの慈愛から派生している。
慈愛はすべての良いものの源泉である。
- 慈愛は永遠である。
すべてのものは必ず絶えてしまうが、慈愛は永遠に続く。
- キリストは完全な愛により、わたしたちがどのように愛し合うべきか、示してくださった。
- キリストは病人、悩んでいる人、貧しい人を助けるように教えられた。
これらの人にしている事は、キリストにしている事になるのである。
- わたしたちはまず家族の必要を満たし、次に援助を必要とするすべてのもの人を助ける。
- 人を助けるとき、その人が援助を受けるに値するかどうかを考えてはならない。
- 慈愛を身に付けるには
- ある状況下でキリストがどのように対処されたか学び、
同じような状況のときに同じ行動が取れるようにする。
- 良くない思いが生じた時にはそれがなくなるように祈る。
- 自分自身を愛する。
- 自分自身を愛せなくては他人を愛することができない。
- 自分を愛するとは、自らを尊重し信頼することである。
- 自分を愛するとは、自分が学んだ福音の原則に従うことである。
- 自分を愛するとは、悪い行動を悔い改め、自分を赦すことである。
- 自分を愛するとは、主から愛されていると感じることである
- 自分を愛するようになったら他の人々への愛を深める。
- 自分が人よりも優れているとは思わなくなる。
- 他人の欠点に対して寛大になれる。
犠牲
- 犠牲とは自分の時間、財産、労力を神の業のために捧げること。
- 犠牲の儀式
- キリストの贖い前
- アダムとエバの時代からキリストの時代まで、
動物を犠牲に捧げる儀式が福音の儀式であった。
- これはキリストの贖いの犠牲を表している。
羊の中の初子を捧げる。−> キリストは天父の長子である。
傷のない羊を捧げる。 −> キリストは完全で罪がなかった。
血を流す。 −> キリストは贖いの血を流された。
- キリストの贖い後
- キリストの贖いの後は、聖餐式が福音の儀式となった。
- 聖餐のパンと水はキリスト贖いを表している。
パン −> 傷ついたキリストの体
水 −> わたしたちのために流された血
- 聖餐式では動物でなく、「打ち砕かれた心と悔いる霊」を捧げる。
- 「打ち砕かれた心と悔いる霊」は自分の罪を深く悲しみ、
謙遜になって罪を悔い改めることである。
- 犠牲の例
- 裕福な若者はキリストに何をしたら永遠の生命を得られるか尋ねたところ、
キリストは「持っているものをすべて売り払い、貧しい者に分けてやりなさい。
そしてわたしに従って来なさい。」おっしゃった。
- アブラハムは自分の息子を犠牲に捧げるように主から命じられたとき、それに従おうとした。
(結局、直前で主から中止を命ぜられた)
- 犠牲とはより良いものを手に入れるために良いものをあきらめることである。
それを知っていると、喜んで犠牲を払うことができるし、犠牲とも思わない。
たとえば、釣りに行く人は眠いのを我慢して、朝早く起きて出かけるが、犠牲とは思っていない。
労働と勤勉
- 労働は永遠の原則である。
- 労働はこの現世において生活の糧を得るだけのものではない。
天においても労働は行われている。
神の仕事は人に不死不滅と永遠の命を得させることである。
- 労働は個人の成長、人格形成、進歩に欠くことができない。
- 労働は戒めである。
アダムとエバがエデンの園から追放されて以来、労働を戒めとして与えられた。
- 家庭の中での仕事と役割
- 夫の責任は、妻子のために生活必需品えるため働くことである。
- 妻の責任は、家庭に愛と秩序と美をもたらす。
- 子供も家の仕事を手伝う。
- 労働を楽しむ
自分のしている仕事の価値を見出すことによって労働に喜びを見出すことができる。
(自分していることがだれかの役に立っているということ)
例)石切り場の3人の労働者。「何をしてるのか」に対する返答。
1人目は「石を切っているのです。」
2人目は「1日3枚の金貨を稼いでるんです。」
3人目は「神の宮を建てる手伝いをしているのです。」
- 怠惰と不正な利益
- 自立して自分と家族の必要な物を労働により得なければならない。
- 次のようなことを主は責められる。
- 働く能力のあるものが働かずに得る。
- 受け取っている賃金に相応した労働を提供していない。
- 窃盗
- 賭け事(くじ)
- わいろ
- 不法の薬物の売買
- 貧しい人を虐げる。
- 不正行為によって金銭を得る。
奉仕
- 奉仕とは助けを必要としている人を援助することである。
- 奉仕の方法
- なぜ奉仕するか
- 神は人の必要を満たすために、直接行うのではなく、人を通して行われる。
- 援助を必要としない人は一人もいない。
(だれでも援助してもらった経験は必ずあるはず。
子供ころは大人の援助を必要とした。)
- 人は互いに助け合わなければ、うまくいかないように造られている。
- 奉仕による祝福
- 利己心を無くすことができる。
- 他人の問題に集中すると、自分の問題が重要で思わなくなる。
- 他人の喜びを自分の喜びとすることができる。
- 奉仕の機会
- 家庭は奉仕を行う場である。
- 隣人や社会の奉仕する。
- 教会で奉仕する。
- 教会は互いに助け合う機会を提供する。
- 教会には職業としての聖職者がいないので、一般会員が教会活動を運営する。
- キリストは奉仕の模範を示された。わたしたちはそれを見習うべきである。
正直
- 正直は神の王国に救いを得るための原則の一つである。
- 神は完全に正直であり、偽りを言われない。
- 悪魔は偽りを言う者である。
- 正直な人とは
- 真理と正義を愛する。
- 言葉と行ないにおいて誠実である。
- 虚言をしない。
虚言とは故意に相手をだますこと。
次のようなことは虚言である。
- 偽りの証言
- 真実でないことを話す
- 態度、表情、沈黙により、あるいは事実の一部のみを話すことにより、人を欺くこと
- 盗みをしない。
盗みとは自分の所有物でないものを奪うこと。
次のようなことは盗みである。
- 仕事場の備品を持ってかえる。
- 必要以上のつり銭や品物を受け取る。
- 自分の取り分以上のものを取る。
- ごまかしをしない。
次のようなことはごまかしである。
- 負債を完全に支払わない。
- 業績以上に報酬を得る。
- 全労働時間を勤務せずに完全な賃金を得る。
- 正当な賃金を払わずに従業員を使う。
- 不正な利益を得る。
- いいかげんな商品を売り込む。
- 弁解をしない。
サタンは次のような誘惑をして、罪の誘惑をする。
わたしたちは、罪を弁解したり、正当化することはできない。
- 少しぐらいなら罪にならない。
- みんながやっている。
- だれも見ていない。だれも気づかないならかまわない。
- そうしなければ、自分が不利になる。
才能
- すべての人は、この世に来るときに、少なくとも一つの特別な才能を天父から授かっている。
- 自分に与えられた才能を伸ばし、行使するのはわたしたちの義務である。
失敗や批判を恐れて才能を隠してはならない。
(マタイ25:14−30参照)
- それぞれの人に別々な才能が与えられているのは、
それぞれその才能を他の人に分かち合うためである。
そして全体が益を得る。
(1コリント12参照)
- 才能を伸ばす方法
- 自分の才能を見つけ出す。
- 自分をよく観察し、いろんな興味のあることに挑戦してみる。
- 家族や友人に意見を求める。
- 天父に祈る。
- 祝福師の祝福を受ける。
- 才能を伸ばすために練習などの努力をする。
- 天父が助けてくださるという信仰を持つ。
弱点を長所にかえてくださる。
(エテル12:27参照)
- 才能と弱点は反対のものに見えるが、神様から見ると本質的に同じである。
どちらも神様から私達に与えられた課題である。
それをこなすことによって、私達は強くなり、それを長所にすることができる。
例)シェリー・マンの証参照
安息日
- 旧約聖書の創世記では、神様は6日で地球を創造し、7日目に休まれたと記されている。
これに由来して、7日に1日を休息の日として定められた。
- 安息日は日曜日である。
イエス・キリストが復活するまでは、週の終わりの土曜日が安息日だった。
イエス・キリストが週の初めの日に復活されてから、
それを記念して日曜日が安息日として定められた。
イエス・キリストを認めないユダヤ教では今でも土曜日が安息日である。
- 安息日にはすべての仕事をやめて休む。
- 他の人も休ませるために、買い物をしない。
- レジャー、スポーツもしない。
- 安息日は聖日である。
この日には、教会に行って礼拝をする。
また、霊的な事柄に思いをはせる。
- その他に次のようなことをして過ごすとよい。
- 聖文を研究する。
- 家族とともに過ごす。
- 家族歴史、個人の記録を作成する。
- 離れて暮らしている親などに電話したり、手紙を書く。
- 病人、老人を訪れる。
- 安息日を守る祝福
健康の律法
- 主は教義と聖約89章で健康の律法を与えられた。
- これは知恵の言葉ともいわれる。(19節より)
- これは三つの部分よりなる。
5−9節は取ってはならないもの
10−17節はとるべきもの
18−21節はこれを行うときに得られる祝福である。
- とってはならないもの
- アルコール(ぶどう酒、強い飲み物)
- タバコ
- コーヒーとお茶(熱い飲み物)
- 89章にはないが、薬物を乱用すること
- とるべきもの
- 祝福
- へそに健康を受け、その骨に髄を受ける。
肉体的な健康を得る。
- 知恵と、知識の大いなる宝を見いだす。
明晰な思考力が得られる。
神からの啓示を受けやすくする。
- 走っても疲れることがなく、歩いても弱ることはない。
体力を得る
- 滅ぼす天使はイスラエルの子らを過ぎ越したように彼らを過ぎ越して、彼らを殺すことはない。
これは罪の誘惑から守られると言うことである。
例:サタンは私たちの霊を滅ぼすためにアルコール等を取るようにすすめる。(4節参照)
酒を飲むと罪に対して無防備になる。
酒を飲んで家族に暴力をふるったり、姦淫の罪を犯す人々がいる。
酒による事故やケガもある。酒酔い運転は人の命を奪う。
- 近年になって、アルコールは肝臓に、タバコは肺に、コーヒーとお茶は消化器と循環器に
悪影響があることが証明されている。
しかし、この律法は肉体よりも霊の健康を主目的に与えられた。
上記のとってはならないものはすべて習慣性があり、精神を損なうものである。
- わたしたちの肉体は非常に大切なため、主は神の宮(神殿)と呼ばれた。
神殿を清く保つように、わたしたちの体も清く保つ必要がある。
わたしたちの体が清ければ、主の御霊がとどまるのである。
- その他に、健康に関して教義と聖約88:124にも主の勧告がある。
- 適度な労働と運動
- 体や衣服を清潔にする。
- 適度な休息と睡眠(早寝早起)
什分の一とささげもの(富への執着心をなくす)
- 什分の一とは
収入の10分の1をささげること
- 什分の一はわたしたちの受けた祝福に感謝する方法の一つである。
- 心から喜んで捧げなければならない。
感謝や喜びがないのなら、捧げても無意味である。
わたしたちは日ごろから良くしてくれる人には何らかのお返しがしたいと思うだろう。
神様へのささげ物もこのような気持ちでするのである。
- 神様が求めるのは、金銭の量ではなく、わたしたちの神様への心の向きである。
- 富に心が向いているうちは、神様へ心を向けることはできない。
- 富への執着心をなくす。
- 富への執着心は、人を利己的にし、高慢にし、分かち合いの精神をなくさせる。
そして、社会に階級を作り、やがては社会を滅ぼす。
- モルモン書では、ニーファイ人は富への執着心と性的不道徳の2つが主な原因で滅んだ。
イスラエルやローマ帝国が滅んだのも同じ原因である。
一見、外からの攻撃で滅んだように見えるが、国を弱体化させたのは、このような内的なものによるのである。
- 新約聖書では、裕福な若者がキリストに何をしたら永遠の命を得られるか尋ねた。
キリストは「姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え。」とおっしゃった。
(これは十戒の後半部分だが、「むさぼるな」が抜けていることに注目)
若者はすべて守っていると答えた。
そこで、キリストは財産を貧しい者に分かち合うようにおっしゃった。
彼は富に心を注いでいたので、悲しんだ。
(十戒の「むさぼるな」は富への執着心を無くすようにとの戒めである。)
- その他にも次のようなささげ物がある。
- 断食献金
- 衣、食、住、医療の援助が必要な人にそれを提供する。
- 月例の断食で、2食抜き、それに相当する金額を献金する。
- 基金(建築、福祉、宣教師、教育)
- 建築基金
教会堂、神殿の建設費を分担する。
- 福祉基金
福祉プログラムを通して、自活できない人に仕事と品物を提供する。
- 宣教師基金
宣教師を支援する。
- 教育基金
教育を受けられないために、貧困から脱することができない人に教育を受ける機会を提供する。
- 奉仕、時間を捧げる
- 献金の用途
- 建物の建築と維持
- 伝道活動
- 家族歴史と神殿活動
- 教育活動(インスティテゥート、セミナリー等の若人の教育)
- 印刷物とその配送
- 自活できない人を助ける。
- 什分の一の祝福
- 主は天の窓を開いてあふれる恵みを注がれる。
(ロレンゾ・スノー大管長と教会員たちの証参照)
- 主の再臨のときに焼かれない。
- 霊的な力が得られる。
「神の知識、証、福音に従って生活をする力、家族の霊性を鼓舞する力」
- 富への執着心を無くすことができる。
伝道
- 伝道とは
- まだ福音を知らない人に福音を伝えることである。
- 福音によって得た喜びを、愛する人たちに分かち合うことである。
- 主の教会は伝道する教会である
- 神権が地上にあるときはいつでも宣教師(または預言者)が福音のメッセージを人々に伝えた。
- キリストの時代でも、現代でも宣教師が召されている。
- 霊界でも宣教師が召されている。
- 宣教師の役割
- 福音を教える。
- バプテスマを施す。
- 主の戒めを守るよう教える。
- 宣教師が携えていく2つの重要なメッセージ
- イエス・キリストが神の御子であり、全人類の救い主である。
- ジョセフ・スミスを通して地上に福音が回復された。
- 宣教師は無報酬で働いている。
- 伝道中の2年間の生活費は自分でためたお金か家族の仕送りでまかなっている。
- 福音は全世界に宣べ伝えられる。
- 主はすべての国民に福音を宣べ伝えるよう命じられた。
- すべての国民が母国語で福音を聞くことができるようになる。
- 主は門戸が閉ざされている国にも道を備えられている。
やがて、門戸が開かれることだろう。
- 伝道の重要性
- 見出す場所を知らないと言うだけで真理を得られずにいる人がいる。
伝道はそのような人に真理を伝える。
- 救い主の再臨の備えをする。
- 宣教師だけでなく、会員も伝道する責任を負っている。
- わたしたちが宣教師を助けるのではなく、わたしたちが福音を伝えるのを宣教師が助けるのである。
- 宣教師の本来の仕事は福音を求める人を捜すことではない。
福音を教えるのが主な任務である。
福音を求める人を捜すのは会員の任務である。
- 会員は伝道に関して次のことをすることができる。
- わたしたちの周りにいる知人や友人に自分が教会員であることを話す。
(知恵の言葉がよいきっかけになる。)
- 彼らと信頼関係を築く。
- 「福音を求めている人が、私たちを見出す」ことができるよう祈る。
「私たちが福音を求めている人を見出す」という表現と微妙に違う。
なぜなら、福音を求めている人の立場にたってみれば、その人が福音を見出すからである。
私たちが彼らを見出すのではない。
これに関して面白い例がある。「F兄弟の証」参照
- わたしたちは、彼らが見出す元となる証の実を常に実らせていなければならない。
この証の実とは言葉だけでなく、わたしたちの行いや人格からにじみ出てくるものである。
「私の証」参照
- 彼らが教会について、興味を持っているようだったら、
それとなく教会のことや真理から得られる喜びについて話してみる。
- 彼らを教会の集会や活動(英語に興味があるようなら英会話教室)に誘ってみる。
- 福音を詳しく学びたいと思っている人に、宣教師を紹介し、自分も宣教師と同席し、証を伝える。
- 彼らが教会員になっても教会になじめるように助ける。
(フェローシップという)
- 直接的でなくても次のようなこともできる。
- 子供たちに福音を分かち合うことの大切さを教え、霊的、経済的に備えさせる。
- 伝道資金が得られなかった宣教師を経済的に援助する。
- インターネットのホームページに自分の証を載せる。
(劇的な体験でなくてもよい。福音から得られる喜びを分かち合うとよい。)
- 伝道の祝福
家族
- すべての人は結婚して子供をもうけるように神様から命じられている。
- 地上での結婚は、わたしたちが天で父なる神、母なる神になる準備をすることである。
天で父母になるのにふさわしいか試みられている。
- 地上では、家族はまだ自分のものではない。
神様は、わたし達が家族をどう扱うかを見られている。
忠実であれば、次の世で、家族が永遠に与えられる。
- 結婚の目的は天の霊の子どもたちに肉体を与え、地上での生活を経験できるように神様の計画を助けることである。
- 家庭は永遠の命を得る備えをする最良の場所である。
- 自制心、犠牲、誠実、労働の価値、愛すること、分かち合うこと、互いに奉仕することを学ぶ。
- 家族の中で調和をはぐくまなければならない。
- 家族全員が神の子供であることを心にとめる。
- 思いやりを持ち、親切にする。
- 相手を傷つける言葉と行動を慎む。
- 互いに励まし、賞賛し合い、全員が自信を持てるようにする。
- 子供に自分が大切な存在であることを感じさせる。
(子供をしつける熱意のあまり、厳しくしかりすぎると、
子供は自分が家族にとって迷惑な存在であると疎外感を感じる。)
- 家庭の夕べ
- 教会員は週一回、家族全員を集め、家族集会を持つように勧められている。
家族集会を持つ日として、月曜日には、教会での活動が制限されている。
- 次のようなことをおこなう。
- 福音の原則を学ぶ。
- 家族のことを話し合う。
- ゲームなどをしていっしょに楽しい時間を過ごす。
- 教会の最も重要な単位は家族である。
教会の目的は家族を助けることである。
- 両親の責任
- 神様のこと、戒めを守ることを、祈ることを子供に教える。
- 言葉と行いによって、子供を愛し、尊敬する。
- 父親の責任
- 強制や腕力ではなく、思いやりと優しさをもって家族を教え導く。
- 家族を扶養する。
- 家族の祈りと、家庭の夕べを行う。
- 家族に神権を行使する。
子供の命名と祝福、病人の癒し、バプテスマ等
- 母親の責任
- 霊の子供達をこの世に送り出し、育てて、教える。
- 家を整え、家族が快適に住める場所にする。
- 子供の責任
永遠の結婚
- 家族が永遠に一緒にいるためには、永遠の結婚をしなければならない。
- 永遠の結婚は結び固めの力と権能を有する人によって執行されなければならない。
また、神殿で行われなければならない。
- 神殿外で結婚をした場合は、死によって家族の関係は解消される。
- 昇栄して、神様のように霊の子供を持つためには、神殿結婚をしていなければならない。
- この世の人間関係や立場で、次の世にも永遠に続くのは、神殿で結ばれた家族関係だけである。
国王の立場も、金持ちの立場も、上司と部下の関係も、先生と生徒の関係もこの世だけである。
権力や富や名声は次の世には持っていけない。
- だから、永遠に結ばれた家族にとって、最も価値のあるものは家族である。
どのような権力、富、名声にも増して、家族を大切にする。
- 永遠に結ばれた家族にとって、家族の死は最大の悲劇ではなく、一時的な別れである。
いずれまた喜びの再会があるという希望がある。
- 天国は、お膳立てされているものではなく、自分で作らなければいけないものである。
つまり、この世で、家族の中に天国を作らなければいけないのである。
こうして、作り上げた天国を次の世に持っていくことができるということである。
- 神殿に参入するには少なくとも一年間教会員として活発にふさわしい生活を送らなければならない。
男性の場合は、メルキゼデク神権者であることが必要である。
支部長あるいはビショップから面接を受ける。
そして、ふさわしいと認められたら、神殿推薦状を受けることができる。
この推薦状には、ステーク会長会の一員か伝道部長の署名が必要である。
純潔の律法
- 生殖の力は神様の霊の子供に肉体を与え、この地上で貴重な経験をさせるために与えられた神聖な力である。
- 神様はこの生殖の力を結婚という聖約の中でのみ用いるように命じられた。
これが純潔の律法である。
- 性的な関係を持つことを認められた相手は、法律の下に結婚した配偶者だけである。
- これ以外にも神様は性的な罪を戒められている。
- ネッキング(男女の間で顔や頸を愛撫すること)
- ペッティング(男女の間で体を愛撫すること)
- ポルノを見たり読んだりすること
- 不道徳な行為を助長する冗談、音楽、踊り
- つつしみない服装
- 下品な言葉
- 自慰行為
- 性的犯罪(強姦、痴漢、性的嫌がらせ、子どもに対する性的虐待)
- 性的倒錯(同性愛、性転換、女性の男装、男性の女装、動物との性行為、SM等の異常な性行為)
*性同一性障害の問題もあり、このことに関しては、個別に対応が行なわれている。
ここで禁じられているのは、性的な行動のことである。
心の問題とは切り離して考える必要がある。
つまり、通常の人にとっては、
異性に惹かれることと、異性と自由に肉体関係を持つことが別のことと考えられるように、
同性に惹かれることと、同性と自由に肉体関係を持つことが別のことと考える。
- 純潔の律法を破ることは殺人に次ぐ重大な罪である。
- 堕胎は殺人に値する罪である。
母親が死に直面している場合と、強姦の被害者の場合を除いて、正当化することはできない。
- 避妊手術は神聖な生殖の力を自ら奪う行為である。
- 純潔の律法を破った人も罪の赦しを受けることができる。
罪の赦しを受けるには、代価を払わなければならない。
- 断食と祈り
- 謙虚な態度
- 涙と心底からの改心
- 罪を自覚する
- ニ度と罪を犯さない
- 正しい権限をもつ神権指導者(ビショップ)に告白する
- 配偶者など被害者に告白する。
- 性的な衝動は強いので、油断していると容易に誘惑に負けてしまう。
サタンは神の霊の子がこの世での生活をするのを阻むため、
純潔の律法を破るように誘惑してくる。
誘惑の元になるものには絶対近寄らないよう心がけなければならない。
- 異性と二人きりにならないようにする。
- 肌を出すような服装はしない。
- 親は子供に、生殖の力とその意味、純潔の律法を教えなければならない。
子供の性に関する質問をはぐらかすと、子供は別なところから間違った教え
(たとえば、性行為は自由に行えばいい)を身に付ける恐れがある。
すべてを一度に教える必要はないが、子どもが知りたいことと、
理解できることだけを分かりやすく教える。
次のことが教えるポイントである。
- 生殖の力は善である。
- 生殖の力は神様から与えられた。
- 生殖の力は神様の定められた範囲でのみ用いることができる。
神殿活動と家族の歴史
- 特別な儀式を受けるために、教会堂とは別に、神殿という建物がある。
- 神殿では「エンダウメント」「結び固め」の儀式を行う。
これは、昇栄(神のようになる)するために必要な儀式である。
- 「エンダウメント」は人が昇栄するのに必要な知識を授かる儀式である。
- 「結び固め」の儀式には「夫婦の結び固め」と「親子の結び固め」がある。
結び固めを受けると、家族の関係は死後も永遠に続く。
結び固めを受けないと、死後、家族の関係は消滅する。
- 「夫婦の結び固め」は「神殿結婚」とも言われる。
- 「夫婦の結び固め」を受けた夫婦から生まれた子は「聖約の子」といって、
自動的に両親に結び固められている。
- 神殿では、生きていた間に福音を聞く機会のなかった死者のために、
「バプテスマ」「按手」「神権の聖任」「エンダウメント」「結び固め」の儀式を行う。
- 死者には肉体がないので、生者が身代わりで儀式を受ける。
- 死者の身代わりの儀式は、神殿の中でのみ行うことができる。
- 教会員には自分の先祖の身代わりの儀式を行う義務がある。
- 先祖の身代わりの儀式を行うには次のようにする。
- 先祖の情報を収集する。
姓名、出生地、生年月日、両親の姓名が必要である。
(生年月日が110年前以内のときは、死亡年月日も)
- これらの情報を規定の用紙に記入し神殿に提出する。
- 神殿に参入して身代わりの儀式を受ける。
- 神殿推薦状が必要。
- 自身のエンダウメントを受けている人ができる。
- バプテスマと按手ついては12歳以上であればよい。
- これらの御業の目的は家族(既に死んだ先祖、まだ生まれていない子孫も含む)を一つに結ぶことである。
- 子孫のためにわたしたちができることは、個人の記録(日記)を書くことである。
わたしたちの子孫は、わたしたちの記した経験や証を読むことによって、祝福を得るだろう。
- 結び固めの鎖は最終的にはアダムとエバにつながる。
福千年の終わりには、この鎖は完成される。
- この結び固めの御業の神権の鍵はエリヤによって、1836年に回復された。
このとき以来、家族歴史に対する関心が急速に高まった。
(教義と聖約110:13−16参照)
赦されない罪
- 聖霊に逆らうことと、罪のないものの血を流すこと(殺人)の2つは赦されない罪である。
- 聖霊に逆らうこととは、単に聖霊を信じないということではない。
聖霊の訪れを受け、(経験して)神を知ったあとで、聖霊に逆らうことである。
聖霊の訪れを受け、神を知ること自体があまりないことなので、めったにないことである。
これは、前世で神の栄光を知っていたにもかかわらず、神に逆らった人々(滅びの子)と同じであり、
本来そちらの側にいるべき人である。
彼が前世で神の側についたことが不思議である。
- 罪のないものの血を流すこととは、故意に自分勝手な理由により殺人を犯すことである。
- ただし次の場合は赦される。
- 自分や自分の家族の命を守るために戦った場合。
- 事故などによる過失の場合。
- 戦争などで強制的に殺人に荷担させられた場合。
- 自殺は殺人に類する罪である。
赦されないことはないが、大きな罰を受ける。
- 暴力を用いてはならない。
- 自分の肉体を傷つけてはいけない。
入れ墨をすること、ファッションのために体に穴をあけることも慎むべきである。
- 動物を殺すことは赦されない罪ではないが、遊びとして動物を殺してはならない。
食物とする場合も、なるべく苦しみを与えないようにすべきである。
また、命を捧げてくれた動物に感謝すべきである。
従順
- 直接会うことのできない神様を愛する方法は、キリストの戒めを守ることである。
- 神様の罰を恐れて戒めを守るよりは、心から神様に仕えたいと喜びを持って、神様に従うほうが幸福である。
- 昇栄をするためには神様のすべての戒めを守れるようにならなければいけない。
- 戒めが与えられた理由が分からないことがある。
それでも、無条件に従うことによって、神様に対する信仰と信頼を表す。
例)モーセ5:5−10
- 戒めや神様が命じることが困難に思えることがある。
しかし、神様は、わたしたちが戒めを守れるように道を備えてくださる。
例)1ニーファイ3:2−8
- ある戒めはばかばかしく思えることがある。
しかし、神様はそれによってわたしたちの信仰をためしていらっしゃる。
例)出エジプト記では、イスラエルの民が毒蛇の大群に悩まされた。
毒蛇にかまれた人は青銅で作った蛇の像を眺めるだけで癒されると神様は約束された。
しかし、ばかばかしいと思った人はそれをせずに死んだ。
これをおこなった人は癒された。
- イエス・キリストは天父への完全な従順の模範を示された。
例)教義と聖約19:18−19
- 神様は戒めを守る人を祝福される。
知識、知恵、霊的な成長がもたらされる。
一方、戒めを守らない人は祝福を失う。
自立・神に頼ること
- 教会員は施しに頼るのではなく、自立できるように努力しなければならない。
また、教会員は人が自立できるように助けなければならない。
詳しくは「教会の福祉」を参照
- 教会員は神に頼るように勧告されている。
これは自立と矛盾しているようである。
しかし、「神に頼る」とは、自分は何もしないで、神様が助けてくれるのを待つということではない。
「神に頼る」とは次のようにいうことができる。
- 自分自身がいくら努力しても、依然、神様からの助けなしには、
生きられないと自覚し謙遜になり、感謝の気持ちを抱くことである。
わたしたちは、神様によらなければ、この地上に生まれてくることもできなかったし、
また、神様が、植物を実らせてくださらなければ、食べることもままならない。
- 自分の愚かな考えで行動するのではなく、聖霊の導きを受け、神様のみこころを知り、
神様を生活の中心に添えて生活することである。
- わたしたちは結局のところ、だれも完全に自立しているものはいない。
神様のみが完全に自立しらっしゃる。
わたしたちは、完全に自立できないにしても、自立できるよう努力しなければならない。
謙遜、感謝
- 謙遜になるには、高慢を慎むことである。
- 高慢とは、人と比較して、自分が優れていることを望むことである。
- 自分より劣る者を見下すことは高慢である。
- 自分より優れたものをねたむことも高慢である。
- 高慢には愛の精神が見られない。その中心は敵対心である。
- 人より多く得ていることに喜びを見出すのではなく、
多く得ているものを分かち合うことに喜びを見出さなければならない。
- 自分は謙遜であると自覚した時点で、謙遜ではなくなる。
- 謙遜になるには幼子のようにならなくてはならない。
- 神や人に対する感謝の気持ちをいつも持ち続けていられる人は、優れた人であるといえる。
- 人の良いところを心から賞賛することのできる人は謙遜であるといえる。
- 人の欠点を批難してはならない。
足りない所を批難するのではなく、足りない所を補うように助け、支えなければならない。
- 時間やお金がないのを嘆いて不満を言ってはならない。
自分の知恵がないのを嘆かなければならない。
希望、自尊心、勇気
- 自分の可能性を信じることが「希望」である。
- 「希望」は神への信仰によってもたらされる。
- この世のすべてのことが神のようになるために必要な経験であると信じると、
どのようなことにも希望を持つことができる。
- 希望を持つと、その人には、自尊心と勇気が芽生える。
- 自尊心は自分の持つ神の子供としての可能性によってもたらされる。
その可能性とは、謙遜に神のみこころに従うことにより成長することができるということ、
そして、神の持つすべてのものを受け継ぐことができるということである。
自分は神の子であり、神から愛され、自分も神を愛して、
神との関係ができていると感じることが自尊心を生む。
- 自尊心と高慢は似て非なるものである。
どちらも自分の価値を認めているが、
高慢は他者と比較して自分が優れていることによってもたらされる。
また、人々からの評価に左右されるので、
評価が得られないときに自分は価値のないものとなってしまう。
真の自尊心は神に対する謙遜さが伴っている。
自分の価値を他者と比較しないし、人々の評価に頼らない。
ただ、自分の価値は神から愛されていることによりもたらされる。
価値があるから愛されるのではなく、愛されるから価値が出るのである。
- 勇気は、神のみこころに従うならば、どのような困難も克服できるということから来る。
その他の徳
- 知識(教育に力を注ぐ)
- 節制(物を大切にする)
- 励まし、慰めを与える
- 敬う
- 公平
- 冷静
- 噂話をしない
- 高笑いしない
- きたない言葉を使わない
- 清潔
- 慎重
- 責任感がある。
- 思いやり、理解、親切、関心を示す。
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