この物語は、「ニーベルンゲン伝説」とも繋がっている面白いエピソードだ。
戦いの神、チュールの持つ剣は、地下世界に住む黒い小人たちの手による作であった、と、この物語は伝えている。
しかも、オーディンにグングニルを造ったのと同じ、Ivaldの息子たちだと。
チュールはこの剣を信頼する巫女に預けたとき、大切にしまっておくように、この剣を手にしたものは天下を手に入れるだろうから、と、言ったという。
巫女はこれを、朝日を浴びて輝くように神殿の中につるし、大切に守っていた。
ところがある夜、剣は忽然と姿を消してしまう。人々はチュールの怒りを恐れるが、巫女は平然として言う。これもまた、チュール神の思し召しなのだと。剣は、運命の女神ノルニルたちによって定められた者の手元に届くであろう、と。
…ただし、と、最後に付け加える。
その剣を手にしたものは、天下を得るとともに、その剣によって命を落とさねばならない。
この話を聞くと、人々は騒ぎ立てた。たとえ呪いによって命を落とそうとも、短い一生のうちに天下が取れることが約束されるのなら、なんとしてでもこの剣を手に入れたい。
人々は巫女を問い詰めるが、彼女は、剣のありかを喋らない。運命だけが、それを見つけるであろう、と冷ややかに返すばかりだ。
時は流れる。
ローマから送られたヴィテリウスという男が治めるコロニュの町に、ひとりの男が現れた。
男はヴィテリウスに、例のチュールの剣を差し出して、これを手にすれば皇帝になれる、と唆す。
ヴィテリウスは単純な男だったのか、すぐにその気になってしまった。自ら皇帝を名乗り、治めていた地方都市を放り出して、ローマめざして反乱軍を率いる。しかも、心はすでに皇帝になったつもりで、いい気分でどんちゃん騒ぎのし放題。
そのすきをついて、一人の兵士が自分の剣とチュールの剣を取り替えてしまった。
さて、そんなことは露ほども知らないヴィテリウスは、ローマ近くまで来たところで、ヴェスバシアンという別の男もまた、皇帝を名乗ってローマへ攻め入ろうとしていることを聞く。
皇帝は自分ひとりだけだ、天下を取れると約束されているのは自分だ。ヴィテリウスはせせら笑い、その証であるチュールの剣を抜こうとする。
が、腰の鞘の中あったのは、なんとニセモノの剣。真っ青になり戦意を喪失したヴィテリウスは、ヴェスバシアン軍の兵士のひとりに首を切り落とされてしまう。
その兵士こそ、ヴィテリウスからチュールの剣を盗んだ者だった。剣の持ち主は剣によって命を失う、という、予言が成就されてしまったのだ。
やがて、ヴェスバシアンの軍も、この兵士によって崩壊する。
人々は本来の主よりも、チュールの剣を手にしたこの者に従うようになったからだ。ドイツ生まれのこの兵士は、剣の力のおかげか見事天下をとり、彼の王国を築く。
しかし、賢明なこの男は、不吉な予言を忘れては居なかった。
”剣が誰かの手に渡れば、その剣は自分の命を奪うだろう。”
彼は年を取ると引退して、剣を埋め、その上に小屋を作り、ひとりひっそりと生きることを選ぶ。そうして、誰にも剣のありかを言い残さぬままに、しずかにこの世を去るのである。
このまま、剣が行方不明となれば物語は終わるはずだった・
だが運命の輪は、年月が流れ去った後、再びひとりの男をとらえる。それは他ならぬフン族の王アッティラ、ニーベルンゲン伝説に登場する、あの人物だった。
地面から出ていた刃物を牛が踏んで、けがをしたことから、アッティラはこの剣を見つける。
埋められていたのに錆びていないのを見て、名剣と知った彼は、この剣を手に、ヨーロッパを制圧する。だが、剣は、天下を与えたのち、持ち主の命を奪わずにはいられなかった。
年を取ったアッティラが、そろそろ戦いをやめようと落ち着いた先のハンガリーで、略奪されてきた若い妻、ヒルディコは、初夜の晩、滅ぼされた一族の復讐を決意する。
アッティラが殺されたとき、彼女の手に握られていたのは、あの、チュールの剣だった…。
その後のヒルディコについては、いかなる記録も物語も、伝えてはいない。
このあと剣は行方不明になり、様々な憶測や新たな伝説が生まれた。
異教的な伝説が忘れられるにつれ、剣は変貌し、大天使ミカエルの持ち物になった、とも伝えられている。
ここらへんになると、神話というより「後世にこじつけられた伝説」という説が強くなってきますが。
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この話は民間伝承として伝えられているもののようです。
大元の神話には出てきません。しかし戦いの神がなんも武器を持ってないのはヘンなので、チュールの神像などは、本当に剣を持っていたのだと思う。
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この話の出典元は、H.A. Guerber という作家が1929年に書いた "Tyr's
Sword" という短編で、あるらしい。
以下、きよさんからの投稿
−Guerber という作者の名は、以前『Asinyur(女神たち)』という本の批評の記事
(
http://ipc.paganearth.com/diaryarticles/books/asyniur.html)で出くわしていますが、その作品の中では、この作家が、北欧ネタをかなりの自由裁量でアレンジしているので、あんまり真に受けてはいけない、ということが書かれています。
だ、そうです。簡単にわかりやすくかいつまんで言うと、
後世のつくり話だからあんまり真に受けてはいけないということらしいです。
さらに詳しく知りたい方は、まあ頑張って読んでみてください。
ちなみに、この神話の中には
テュルフィング(Tyrfing)の剣にまつわる物語も混在しているようですが、このテュルフィングは、そのまんま「チュールの指」と解釈するものではないそうな。うーん、確かにな、いくら何でもチュールフィンガーは無いだろう。(しかし、それを堂々と書いたまんま本を出してしまった出版社もあるわけで。)
→参考;
「アッティラ王とヒルディコ」(このサイト内のリンク)