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グァルティエロ・ヤコペッティ
GUALTIERO JACOPETTI
(1919-)

《監督》
*世界残酷物語(1962)
*世界女族物語(1963)
*続世界残酷物語(1963)
*さらばアフリカ(1966)
*ヤコペッティの残酷大陸(1971)
*ヤコペッティの大残酷(1975)


 

 ヤコペッティはもともとは映画畑の人ではなく、芸能ジャーナリストであった。ゴシップ誌『エスプレッソ』の記者として、フェリーニの『甘い生活』を地で行く生活を送る。写真を見れば判るが、なかなかの二枚目で、数多くの女優と浮名を流すプレイボーイであった。辰っちゃんじゃないが「夜の帝王」だったのである。

 そんな彼の映画デビューは体験を行かした「夜もの」だ。『ヨーロッパの夜』(59年)や『世界の夜』(60年)の脚本兼ナレーターとしてその腕を磨いた。そして、満を持して発表したのが『世界残酷物語』である。「夜もの」でのノウハウを生かしたヤラセの嵐であったが、世界中で空前の大ヒットを記録。「モンド映画=残酷ドキュメンタリー」という新たなジャンルを確立し、以後も『世界女続物語』『続世界残酷物語』と当てて、莫大なる外貨の獲得に成功する。

 ところが、3年に及ぶ歳月をかけた『さらばアフリカ』が興行的に惨敗。この頃には後続の連中が市場を荒らしており、観客はちょっとやそっとのことでは驚かなくなっていたのだ。ここでヤコペッティは大胆な方向転換を図る。「モンド映画」の手法を応用して劇映画を作ったのである。大問題作『残酷大陸』がそれだ。


残酷大陸』は、どうしてこの映画がもっと注目されないのだろうと不思議に思うほどの大怪作である。ヤコペッティは「モンド映画」で得たやらせのノウハウを生かして、アメリカにおける黒人奴隷制の「疑似ドキュメンタリー」を作り出したのである。

 フィルムはアフリカから「輸入」されたばかりの黒人たちが屋外の巨大浴場で洗浄されるシーンから始まる。
「何故、洗浄するんですか?」
「いやあ、こいつらは臭いからねえ」
 などという奴隷商人へのインタビューを交えた極めてユニークな演出。200年前にヤコペッティが生きていて、カメラが発明されていたならば撮られていたであろう「ドキュメンタリー」の「再現フィルム」なのである。
 最も過激なのは「奴隷牧場」のシーン。売られた女たちは「牧場」で絶倫男に犯されて子供を産む。それを牧場主が売る。奴隷の大量生産だ。如何にも白痴といった顔立ちの絶倫男へのインタビュー。
「毎日シコタマやれるんで、もうウハウハだよ。デヘヘヘ」
 先祖にかつての奴隷がいる者にとってこれ以上の屈辱はないという展開を見せる。
 この他にも、売春宿や道楽息子の奴隷狩りといった衝撃的な映像をこれでもかと見せた後、ラストで遂にブラックパワーが炸裂する。奴隷たちの叛乱である。白人領主たちが次々と虐殺されていく。
 当時の公民権運動の盛り上がりを考えれば、非常に危険な映画である。なにしろ「白人を殺せ!」とアジって終わるのであるから。

 こうした危険な終わり方にしたのは、当時流行していた「ブラックスプロイテーション」を意識して、黒人の集客を見込んだからである。しかし、ヤコペッティの黒人蔑視は明白で、黒人たちは騙されなかった。白人からもそっぽを向かれて興行的に大惨敗。作品的にも無視されてしまった。

 続いてヤコペッティは、ボルテールの『カンディード』を映画化した『大残酷』を発表。。クネゴンダ姫を追うカンディードが時空を超えて中世、近代、現代の「問題地帯」を行き来するというヤコペッティの総決算であったが、前作同様に大惨敗。ヤコペッティは以後、監督作を一切発表していない。


関連作品

世界残酷物語(MONDO CANE)
世界女族物語(LA DONNA NEL MONDO)
続・世界残酷物語(MONDO CANE NO.2)
さらばアフリカ(AFRICA ADDIO)


 

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