【塾と学校】vol.228《新掲示板レスより》
◆ある方の投稿にあった「教師辞めて塾にでも行け」という表現は、「塾を見下すかのような表記」ではありますが、文章全体から汲み取ると、こうなります。この方が見聞きしている学校では、「本来すべての児童生徒を大切にし、人権教育にもきっちり取り組むべき教員」が、一部の生徒の存在をないがしろにし、人権教育にも真剣に取り組んでいないことから、「地域のすべての子どもたちを相手にしなくても、人権教育にきっちり取り組まなくても成立する塾」でなら、つとまるかもしれないと皮肉ったわけです。決して、すべての塾がそうだとはこの方も言っていませんが、現実には「選別された子どもだけを相手にし、学歴差別を助長するかのような教育活動」をしている塾があるのも事実です。もちろん、そうではない「塾」が、そのような「学校」から切り捨てられた生徒を支えているのも事実です。この方が強調したかったのは、「地域のすべての子どもを大切にし、人権教育にもしっかり取り組むことが重要な設置目的でもある、公立の義務教育機関である小中学校」においては、そのような教育活動は許されないという点です。とはいえ、塾を引き合いにだし、「塾を見下すかのような表記」をされたのは言葉不足でした。
そこで僕は、この方の投稿に対し、「塾でもそんな教員は子どもに害です」と書き、「せっかくの書き手の批判意図が、有害無益な刃となりかねない」とも書いたわけです。ここで釈明しますが、僕の「塾でも」という表現は、「塾もまた子どもを相手にする以上、学校と同様、あずかった子どもの一部だけを大切にしたり、人権教育的観点を無視した教育活動をすべきではなく、そのような教員は学校においてと同様、塾においても子どもに害である」という意味です。
(中略)学校であろうと塾であろうと、子どもたちと向き合い格闘すべき教育活動だと思いますし、教育労働者の自負をもって取り組むべき仕事でもあるはずですね。(塾講師さんへの掲示板レス、04/9/24)
◆僕は高校教員ですが、クラブ活動などと通塾の兼ね合いが問題になる場合があります。また、不登校生徒や中途退学生徒の「受け皿」としてフリースクール・塾・通信制高校や時には夜間中学などが機能している現実もあります。我々高校教員がどのような視線で学校外の組織と人々を見つめ、人としてどのような関係を結ぼうとしているか、改めて問い直したいと思います。(塾講師さんへの掲示板レス、04/9/25)
◆「学力を低下させることで、塾の繁栄があり、天下り先が保証される?」(RAさんの投稿より)という、塾(※)と文部官僚の癒着は、リクルート事件のころから目に余るようになってきていたように思います。
【※「塾」という言葉もまた、「言葉は普通、全体を表すものだけれども、しかし1つの側面でしかない部分もある」(同上)わけで「本意と関係なく一人歩き」(同上)すると塾講師さんのような立場の方に大きなショックを与え偏見をあおってしまうので、「一部の大手予備校や受験産業などの経営者」と補足しておきます。】 |
三浦朱門(前教育課程審議会会長)が、いみじくも、「限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえればいいんです」(斎藤貴男『機会不平等』)と語ったように、公教育では従順な労働者養成を最大の目的にし、別途、一部のエリートを養成するという文科省の魂胆は「心のノート」や「ゆとり教育」の中身をみれば明らかですよね。そしてすべてを覆う「体制批判は容赦しない」という圧力。軍産複合国家化に抗うためには、愚民化に加担しないよう、自らを引き締めることも大切だと心してこれからも頑張ろうと思います。(RAさんへの掲示板レス、04/9/26)
◆僕は「塾」にもいろいろあるとは思っていましたが、やはり「つながる」ことより「つながりを断つ」ことのイメージの方が強かったように思います。確かに進学熱の強い地域の小中学校なんかでは、塾の勉強以外は極力させない指導をしていたり、学ぶ喜びより中学・高校受験のための効率的な点取りテクニック指導に走るあまり、人権学習はいうに及ばず、クラブ活動も委員会活動も禁止させ、友達づくりも学校行事も邪魔者扱いして、担任の進路指導さえ聞き流すように強要するところさえあります。勤務校の所在地の関係でかつて僕も所属していた県内のある市同教でも、中学受験進学塾の弊害がさかんに取り上げられていました。一方、個別に手厚くフォローをしてくださる塾もあることは、目の前の生徒達と話をすれば見えてきます。塾ではありませんが、僕もかつては、かまやつひろしの「我が良き友よ」にでてくる「子ども相手に人の道」を語るような家庭教師をしていましたから、人として子どもによりそうプロの塾講師や家庭教師もいるはずですよね。
それに、塾はそもそも「在野の学徒仲間」といったものだったはず。そんな「塾」が、いろんな形で存在するのは楽しいことですよね。本来の学びやつながりを復権させるために「塾ルネッサンス」なんてことが叫ばれるようになるかもね。(フーセンの羊さんへの掲示板レス、04/9/30)[→9月目次]
【「九条の会」への期待】vol.227《新掲示板レスより》
◆「九条の会」には僕も期待しています。「高みからの物言い」だとか、「大江健三郎は自衛隊イラク派兵反対署名を拒否した」とかの批判もありますが、論客には論客の反戦スタイルが個々あっていいと思いますし、護憲勢力が割れてほくそ笑むのは誰かという問題もあります。歴史的にも国際的にもきわめて評価の高い日本国憲法第九条は、アーミテージの内政干渉や財界と結託した日本の政治家たちの集票火遊びで、こけにされていいようなものではありません。九条護憲の確かな世論拡大のために、「九条の会」の精力的活動を期待しています。(ようちゃんへの掲示板レス、04/9/24)[→9月目次]
【こころの時代?】vol.226《新掲示板レスより》
◆最近ますます夫婦や親子など家庭内の関係の有り様が問い返されることが多いですね。ユング派心理学の影響やジェンダー問題の意識化が主要なモチーフであるべきだと思いますが、行政や社会の問題を家庭や個人の問題にすり替えようとする意図も見受けられ、学生時代にカウンセリングなどを専門に勉強してきた僕でさえ、「心の時代」や「カウンセリング」が強調されすぎることに警戒感をもってしまいます。しかし、「自分と向き合う対自存在」であることを忘れては成長も自己変革もできないことは、やはり当然のことですね。←と、ことばを並べる僕も、妻・子・親との関係で、悪しき依存を克服できずにいます。生徒に「自分と向き合え」と言っている僕が、自分と向き合い切れずにいる上、自己解放もままならないんですから始末に負えませんね。(ヌーピーパパさんへの掲示板レス、04/9/24)[→9月目次]
【夜間中学の識字学習】vol.225《新掲示板レスより》
◆夜間中学でも識字学習に取り組んでいる方々がいたりしますよね。識字教室のない地区の高齢者・1世のハルモニ・新渡日の一家なんかが多いですが、まだ僕が関わり始めたばかりの頃、その日に担当したおばあちゃんは、皺だらけの顔がそのまま個性的で人懐っこい笑顔の方でしたが、筑豊のボタ山で恐ろしく苦労されてきたことをたどたどしいひらがなで作文されるんです。文字そのもの指導は僕がするんだけど、作文の中身や、今目の前で、そうした人生を文字に綴りながらしたたかに楽しく闘いながら生きている人がいるということが、僕にはあまりに衝撃で、僕の方こそものすごい勉強をさせてもらったことが忘れられません。というようなことはとりわけ関西の夜間中学では日常的な光景なんですよね。映画「学校」で描かれた光景とは少し違います。そのおばあさんは僕にこんなことを言いました。「あんた、お母さんをもっと大切にしなさいね」。アパート暮らしを始めた頃で、母に淋しい思いをさせていたことがお見通しという感じで、思わず恐縮したのを覚えています。目の前の、しかも初めて会話する人の生活の陰の部分が見えてしまうほど、辛い思いをし、また人の温かみに救われてきた人なんだなぁと、胸がとっても熱くなりました。人生の辛酸をなめながらもしたたかに生き抜いてきた者たちの楽しげに闘う姿に、救われ励まされ、そして闘いのスタンスを振り返らせられるからこそ、そうした「交流会」の楽しさが「生きる楽しさ」に重なるんだと思います。(コーヒーさんへの掲示板レス、04/9/13)[→9月目次]
【チェチェン問題の真相は?】vol.224《新掲示板レスより》
◆確かに冷戦時代は、いくら新型兵器への買い換えだ・実弾演習だといっても、今ほどの消費量はなかったでしょうね。原価の100倍は当たり前という「ぼったくり」商売(クイズ第81問解説参照)であるだけに、なおのこと罪深い話です。
北オセチアの中等学校占拠事件にしても、「いくらチェチェンがロシアに占領されてきたといって、あこまですれば許されないね」という同僚がいましたが、岩手県ほどのチェチェンは徹底的に破壊され、今もロシア軍兵士による略奪・強姦・放火が続けられていることがほとんど知らされることがない状況に加え、いつものように多数の人質の命を守ることよりチェチェンの武装グループの全員殺害(=口封じ?)を優先させるかのようなロシア軍のやり方にもきっちりと目を向けなければならないと思っています。(RAさんへの掲示板レス、04/9/12)[→9月目次]
【9.11事件への疑問】vol.223《日々雑感より》
◆kurochanもたまたまテレビをつけたら放送していて見入ったのだが、今夜の「たけしの、こんなはずでは」(テレビ朝日系列)を観て驚いた方もいるだろう。当の米国でも、事故直後から様々な疑問が投げ掛けられ、証拠隠滅と情報操作が指摘されてきたことは、日本でも「週刊金曜日」や岩波ブックレット、それに一部のインターネットサイトなどの、社会派で良識あるメディアが、事故後まもない頃から取り上げてきた。いわゆる「アメリカ同時多発テロ」事件とは、冷戦終結後のアメリカ軍需産業盛り返しの切り札として、ブッシュ政権の別の顔であるネオコングループが画策した自作自演の軍需拡大政策だというものだ。そしてブッシュはフロリダに避難していたのだ。番組では、ペンタゴンに突入したのは旅客機ではなく米軍の無人偵察機であろうと指摘し、世界貿易センタービルに突っ込んだ旅客機は米国管制官によって誘導されていたのではと疑問を投げ掛けた。後者は、旅客機ではなく爆薬を装備した輸送機だったとの指摘もあり、一帯のビルにあらかじめ仕掛けられた爆薬が突入寸前に爆発したという映像証拠や消防士らの指摘がある。真珠湾(パールハーバー)奇襲攻撃を事前に知っていた米国政府が、戦争反対の世論を覆して参戦するために、ハワイ駐留の多数の米兵等を見殺しにしたように、軍需産業再生とイスラム地域の資源確保のために旅客機の乗客や世界貿易センターやペンタゴンの職員を見殺しにした(いや、殺した)ということは、信じがたいほどに恐ろしく罪深いことだが、十分ありうる話だと思う。改めて、戦争と情報操作の非情さを思い知らされる。ただし、番組では、アフガニスタンやイラクの人々が米軍によって無数に虐殺されたことが抜け落ち、ある程度の事前情報が小泉に入っていたことには触れられなかったことと合わせ、日本の新たな戦争責任にはつながらないように「配慮」されていたように思う。国民保護法という国家総動員法の危険性と切り離してはいけないとも思う。(545、04/9/11)
◆番組で使われた画像のいくつかは、たまたま昨日メインページに貼りつけた「911
IN PLANE SITE」というドキュメンタリーDVDのサイトでも見ることができます。またこのDVDの上映会が全国各地でなされており、奈良ではこの20日に開催されることは「反戦情報2004」ですでに紹介しています。各地の上映会日程は、「911
IN PLANE SITE日本上陸」サイトに掲載されています。(545、04/9/11)[→9月目次]
※「対テロ戦争」の欺瞞(vol.231)
【沖縄国際大への米軍ヘリ墜落事件】vol.222《日々雑感より》
◆悪徳マネーゲームに手を染めてきた企業は多々あるでしょうし、軍事独裁政権の各国に莫大な紐付き資金援助をしてきた日本の与党や、超テロ無反省大国の米国政権に献金し続ける企業はうようよしているんですから、労働者としても、消費者としても、さらには納税者としても、うんざりしてしまいます。戦時中も戦後においても、軍がそれを全面的にバックアップ、そして報道や教育を操り、真実を覆い隠して、財と命を奪い尽くす。こんなことは許せません。
先日の、沖縄国際大に米軍ヘリが墜落した事件だって、地位協定を逸脱して在日米軍が一帯を封鎖し、沖縄県警も大学関係者さえも締め出されました。奇跡的に死傷者は出ませんでしたが、大破したヘリの機体を撤去する米兵がガイガーカウンターをもっているのが目撃されており、おそらくは劣化ウラン弾などの核兵器を搭載していたんだろうと言われています。ところが、日本政府の対応はあまりに鈍く、マスコミは金メダルのことばかりを取り上げていました。5日に奈良でも抗議集会があるんですが(反戦情報2004参照)、僕も参加しようと思っています。(エドモンズさんへの掲示板レスより転載)(542、04/9/2)
◆「小泉首相!あなたは沖縄県民に謝罪もせず、沖縄県知事との面会を拒否したばかりか、米軍ヘリ墜落現場の視察と沖国大(沖縄国際大学)への謝罪、米軍への抗議もすることなく、オリンピックの金メダルに浮かれ、果ては観光気分で「北方領土視察」とは一体全体どういう了見なのか。まったくあきれ果てて顔も見たくない。怒り心頭に達している。沖縄県民の命は金メダルより軽いのか。」(「あわや大惨事!米軍ヘリ墜落事故弾劾!沖縄・普天間基地の即時撤去を求める奈良県民集会」集会決議より)(544、04/9/7) |
◆事件は8月13日。事件そのものも極めて問題だが、米軍や日本政府さらには大手マスコミの対応は、「知らしめんかな」の裏合意ができていたかのようなひどいものだ。現地、宜野湾市民集会は台風で一週間延期になったが、全国各地で、この5日に抗議集会が開催された。マスコミも若干取り上げつつあるが、あまりに対応が鈍すぎるのだ。夏休み中の大学に落ちたことや、ヘリの破片が貫通した民家の寝室にいた乳児が幸いにも母に抱き抱えられたお陰で命拾いしたなどの奇跡的偶然が重なって、乗組員以外に死傷者がでなかったものの、もし民家や授業中の学校などを直撃していれば、宮森小学校直撃事件の悪夢が再び現実のものになるところだったのだ。
住宅街に隣接する普天間基地は、あのラムズフェルド米国防長官ですら「こんなところで事故が起きないほうが不思議だ」(2003年11月視察)といったほど危険な立地であり、早くから撤去・少なくとも移設が叫ばれてきた米軍基地だ。事故は起こるべくして起こったのである。県警も消防も沖縄国際大関係者さえ排除して撤去作業をした米軍は、主権の侵害も甚だしく、おそらくはバレるとまずい核物資を搭載していたに違いない。そんな米軍に対し、うやむやに肩を持つ小泉内閣は、ポチぶりを示すことで安保理入りを目論んでいるのだろう。であるならそれは、沖縄をはじめとする基地を有する自治体や、ひいては日本全市民にたいする愚民政策に他ならない。この夏の小泉さんは、涼しいホテルに閉じこもりきりで、夜な夜なアテネオリンピックをテレビ観戦し、たまの外出は歌舞伎鑑賞だったりで、アテネには電話しても、沖縄県知事との面会は拒否する。やっと遠出するかと思ったら、沖縄とは正反対の方角の北方領土。これほどひどい総理大臣を選んだのは誰だ!
だだし、移設先は辺野古の珊瑚礁を埋め立てて造るとされいるが、これにも反対だ。95年の米兵による少女レイプ事件に端を発した反基地闘争に慌てて96年末に発表された「SACO合意」で普天間基地などの県内移設が決められ、市民投票などの反対表明や今も続けられている反対座り込み行動などにもかかわらず建設が強行されようとしているのだ。もっと沖縄に目を向けようではないか。(544、04/9/7)
◆ラムズフェルドの発言は辺野古海上基地建設を促すためでもあるようです。また彼のイラク派遣命令によって、事故9日後に同型ヘリの飛行が再開され、住民感情を大きく逆撫でする事態になっています。(04/9/8)[→9月目次]
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vol.240 ◆辺野古とファルージャ