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時の話題2004-10
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◇印は《日々雑感新掲示板》より転載

香田さん人質事件と自衛隊撤退(04/10/27〜11/12) ◆藤本隆二・弘子さん夫妻(04/10/26) ◇新潟中越地震(04/10/24〜11/12) ◇知的障害者の一言(04/10/17) ◇「対テロ戦争」の欺瞞(04/10/5〜11) ◇学校の役割(04/10/5) ◇歴史社会的偏見(04/10/3)



【香田さん人質事件と自衛隊撤退】vol.235《日々雑感より》
◆自衛隊はやはりイラクから撤退すべきだ。「新潟の震災救援にも活躍している自衛隊に迷惑かけるとはけしからん」という声が今にも聞こえてきそうだが、僕はやはりけしからんのは自衛隊のイラク派兵の方だと思う。香田さんが何を思いイラク入りしたかがよく分からないのだが、不用意であったことは否めないだろう。しかし、給水活動といっても自分達の飲む水を確保するのがせいぜいで、実質的な「復興支援」はロクにしていないし、むしろ侵略米軍とその支援軍の存在が治安を悪化させているのだから早く撤退してほしいというイラクの人々の本音を無視する自衛隊派兵こそ、間違いだと思うのだ。小泉首相はテロには屈しないと言うが、根拠がなかった米国のイラク侵略こそがテロではないのか。(558、04/10/27)
◆ファルージャで米軍が武装勢力を掃討しているというが、犠牲の多くは、逃げるに逃げられない無抵抗の市民だと、フリージャーナリストたちは伝える。マスコミがたよりない今、フリージャーナリストでなくても、「世界の現実をこの目で見たいという若者を誰が責められようか」という小田実さんの言葉通り、香田さんを責めるのは筋違いだと思う。強き側で高みから従軍取材をし、市民の犠牲を伝えるどころか、犠牲者への非難を助長するマスコミとはなんなのか。(564、04/11/12) [→10月目次]


【藤本隆二・弘子さん夫妻】vol.234
◆職員研修で、藤本隆二さん・弘子さん夫妻を講師に来ていただき、障害者の自立生活について、いろいろなお話を聞かせていただきました。
 お二人とも脳性麻痺による重度障害者で、奈良で障害者の自立生活運動に早くから取り組んでこられた方々です。子どもにも恵まれ、来春中学に入学する息子さんと3人家族で、奈良市内で暮らしておられます。
 藤本さん一家の暮らしは、今まで新聞やテレビなどでも何度も取り上げられていて、その中には、世界の優秀なTVドキュメンタリーに与えられる国際エミー賞を受賞した番組もありました。今年の6月にもNHKの障害者福祉番組「きらっといきる」で、「我が家は200人の家族です!」というドキュメンタリーが放映され、ご覧になった方もおられるのではないかと思います。
 実は、10年以上前に、熊本行きの飛行機内で隆二さんと初めて出会った僕は、ホテルも一緒だったのでお近付きになりました。奈良に帰ってからはすっかり飲み友だちになってしまいました。一人暮らしをしていた隆二さんの家で、酔いつぶれたことも何度かあります。隆二さんはやがて、同じ重度障害者の弘子さんと結婚し、新たな生活を始められるます。僕は、そんな藤本さんの家へ、何人もの生徒たちを連れても行きました。一緒にあちこちへ出かけることもありました。
 というわけで、藤本さん夫妻とは、僕も妻も長いつきあいで、結婚式でもスピーチをしてもらい、新郎新婦への花束贈呈は、その小学校入学前の息子さんにお願いしたほどです。このHPを立ち上げた当初より、藤本さんとのエピソードなどをいろいろと紹介したいと思ってきたのですが、ここでは一つだけ紹介させていただきます。
 ヘルパーさんだけでは、自立障害者の生活介助は不十分です。また、息子さんが生まれた当初は、それこそ24時間体制で介助スタッフのローテーションが必要でした。僕も何度も泊まり込んだりしたのですが、ある日の夕刻、藤本さんの家でくつろいでいた時のこと。2人の小学生が入ってきました。「元気〜?」と藤本さん夫妻に声をかけ、流し台に目をやった彼女たちは、茶碗をササッと洗いながら、「今から塾行くねん」と言ってそのまま笑顔で出ていきました。
 地域の小学生が、塾へ行く途中にちょっと立ち寄ったというだけの光景なんですが、障害者が地域で普通に暮らしている、地域の人々が障害者と共に暮らしている、という、ごく自然な光景だったと思うんです。僕は大変感動しました。ごく自然とはいえ、そうした「何気ない」行動だけでは障害者の自立生活は決して成り立たないんですが、そうしたごく自然な光景が、地域で暮らす障害者の心や、障害者と自然と接するという経験を重ねた子どもたちの心に与える影響は、とても大きなものがあると思います。
 他人を蔑視したり嘲笑の対象にしようとする文脈で、障害者を引き合いに出した差別表現が若い世代にも蔓延している実態があります。学校現場では、そうした現状に対する取り組みも、当然ながら展開するのですが、あの小学生たちは、そうした文脈で使われる障害者差別的表現に対して、きっと身に染みついた経験的な抵抗感を強くもってくれるだろうと思うのです。
 藤本さん夫妻は、それぞれ別の夜間中学に通われていますが、近鉄電車の駅の階段などでも、駅員さんより、一般の乗客に介助をしてもらいたいと思っておられます。それは、健常者が障害者と接する機会が奪われている現状に対する闘いでもあるのです。
 藤本さん夫妻に関しては、いろんな話題があるのですが、これから折に触れて書いていきたいと思います。(04/10/26筆)[→10月目次]


【新潟中越地震】vol.233《日々雑感より》
◆23日、台風で注意報が残っていた新潟を度重なる震災が襲った。24日も余震が続き、死者は20名を越え、負傷者は4桁をに達し、物的な被害も甚大な様子だ。寸断された交通網やライフラインに阻まれ、救援物資はおろか救助の手さえ届かぬ事態に、今の自分に何ができるだろうかと考えあぐねるばかりなのがもどかしい。阪神淡路大震災の時もそうだったが、緊急救助活動はともかく、被災者への支援は、「情報を収集し、公平さを確保」しなければなかなか動かない行政にまかせていてはままならないだろう。NPO法を最大限生かして市民の力を後押しし、公的な災害保障と長期的な自立支援プログラムを、北陸を寒波が襲う前に策定してもらいたい。借りるべき民間の力と復興支援すべき対象を見誤らないでくださいね、小泉さん。(556、04/10/24)
◆新潟でまた震度6。救援活動もままならない状態が続き大変心配だが、案の定、支援物資が積み上げられたままという事態も発生しているようだ。「阪神淡路大震災」に書いたように、神戸でも最初はそうだった。あの時は僕も、北区の体育館に積み上げられた救援物資を有志で運び出しに行ったものだ。また、避難所に配給されるようになってからも、こんなことがあった。目の前の避難所にさえ入れずにブルーシートで寒さをこらえていた被災者たちに依頼されたというのに、避難所に積み上げられたままの老人用おむつを分けてくれなかったのだ。市の職員の硬直した対応に悔しい思いをしたことが今もよみがえる。上でもふれた「公平なサービス」の前提となる情報収集がままならないのなら、10年前の経験は何だったんだということになる。配給ルートや人手が不足しているのだとは思いたいが、迅速で柔軟な対応を願う。(558、04/10/27)
◆救援物資の搬入の妨げとなるマスコミの車輌と、ボランティアを尻目に車でくつろぐマスコミ取材陣。仮設トイレに案内されて怒りだす現地視察の政治家。新潟のボランティアたちの嘆きが、あまりに悔しい。ボランティアのふりして取材していた関西テレビにいたっては、被災民も視聴者もこけにしていると言わざるをえないだろう。(564、04/11/12) [→10月目次]


【知的障害者の一言】vol.232《日々雑感より》
◆レモンの散歩中。独り言を繰り返しつぶやきながら歩いてきた人に声をかけられ、ほんの少し会話する。「おっちゃん、怪我しないように気を付けや」。「おっちゃん」にはまいったが、それはよしとしよう。おそらく、「夜道を気を付けて」と言われて家から出てきたのか、家へ帰るところなのだろう。「夜道は気を付けなきゃ」という気持ちを、犬を連れてすれ違った僕にも伝えようとしたやさしい人だったんだろう。軽度の妄想を引き起こしている最中の統合失調症者かもしれないが、おそらくは知的障害者なのだろう。僕が子どものころは、日常生活で障害者と出会うことがもっとあったような気がするが、僕が気付いていないだけなんだろうか。近所の遊歩道を知的障害者が一人歩いていたことに、なにかほっとしたものを感じたのは、その人が一人でも夜道を歩こうと思える空気がいくぶんでも地域にあるからだろうし、僕のように、その人と偶然出会う人が何かを思うからだろうということに期待を感じるからだろう。(553、04/10/17)[→10月目次]

【「対テロ戦争」の欺瞞】vol.231《日々雑感新掲示板レスより》
◆日米政府もマスコミも、大量破壊兵器のデマをめぐる対応があまりに不誠実であることに、僕も頭にきています。戦争の実態を伝えるジャーナリズムはどこへいったんだ?と思うし、そうした流れに抗うジャーナリストたちへの心ないバッシングには、どんな仕掛けと「時代の忘れ物」がひそんでいるのかとも思います。ウソをついて、人を殺し、盗みを働き、さすがに間違いを認めたものの、人は間違いを認めて成長するなどというすり替えたお話で開き直り、実質的には何ら補償せず、「復興」という名のひも付き援助だけは、しっかりとする。子どもたちが反面教材としてくれるならまだしも、きっちり悪いお手本として刷り込むではないか!と時代の流れに、怒り心頭なんですよ。時代を切り取り、自らの生き方を検証するワークが不可欠なように思います。頑張ろうっと!(RAさんへの掲示板レス、04/10/5)
◆イラク戦争の大義が完全に崩れたが、米英両政府をはじめ、追随し派兵した各国の戦争責任をごまかしてもらっては困る。覇権と利権のために世界各地のどれほどの命が奪われてきたか。軍人同士の葛藤を描きながら、ベトナム人の苦悩など意に介さない映画「プラトーン」のような悪質なトリックに引っ掛かってはいけない。
 さらには9.11の糸を引いていたのはビンラディンではなくチェイニーだとの指摘を裏付ける証拠が数々明らかになってきているが、真珠湾以上に巧妙に仕組まれた世論操作がWTCやペンタゴン、旅客機の乗客や消防救助関係者を、すり替えられた犠牲者に仕立てられた可能性がますます高まっている。(551、04/10/11)[→10月目次]

 ※9.11事件への疑問(vol.223)

【学校の役割】vol.230《新掲示板レス》
◆学校に期待される役割とは何かと考えた時、まずすぐに思い出すのはアルビン=トフラーの「第三の波」です。ちょうど僕が高校生の時、この本がベストセラーになり、高校生には少々高かったのですが、無理してハードカバーの「第三の波」を買いました。そこで、彼は、資本主義国であろうと社会主義国であろうと、学校に期待されるのは3点であるとしていました。「時間を厳守する」「命令に服従する」「反復に耐える」という、大量生産社会に有用な労働者養成のポイントとして、この3点が、今風の言葉で言えば、「隠れたカリキュラム」として機能しているというわけですね。ところが、コンピューターの発達で、人間の労働は機械的なものから創造的なものへ移行するとし、これを「第三の波」と名づけるのですが、前述の3点教育は「第二の波」である産業革命以降の大量生産システムに対応したものであり、時代遅れになりつつあるというんですね。ところが学校というところは、企業社会に比して変化への対応が鈍く、いわゆる先進国の学校では、すでにそのギャップの大きさから様々な問題を生じていると論じたんですよね。実際には、この3点もまだまだ労働者として必要な資質であるし、かといって創造的な付加価値を生み出す能力もこれからは求められると思うので、僕なんかは、教員になってから生徒に課題を課す時は、「一定の条件をクリアしながらも、創意工夫が不可欠」なものを意識しています。ただし、学校は、生活保障の視点からは労働者としての資質訓練の面を否定しきれないのですが、人格的成長の場としての側面も大切であり、労働者養成という側面だけで考えるわけにはいかないと思っています。様々なことが学校にもとめられ、もとめられていること自体も変化していくわけですから、教員も保護者も、塾にもとめられることも、肥大化していきますよね。クラブ活動をとってみても、いろいろな物語が付加され、金銭が絡んでくると、一体何のためにクラブ活動をするのか?ということになります。「〜ねばならない」と考えるのは、弊害も大きいのですが、翻弄される子どもたちや関係者をみるにつけ、原点って何だったんだろうと思ってしまいます。(塾講師さんへの掲示板レス、04/10/5)[→10月目次]

【歴史社会的偏見】vol.229《新掲示板レス》
◆ユダヤ人や中国人が世界各地に分散しているのは訳あってのこと。「こわい」と評するのは無理解が故だと思います。
「ユダヤの陰謀」に類する偏見は、迫害をはねのけてきたユダヤ人に対する嫉みが主因、中国人と犯罪を結び付けたがる偏見は、歴史認識や犯罪報道の歪みが主因と思います。イスラエルや中国を経済的に利用している国はどこか?ということを考えるべきでしょう。
中世の十字軍を例に出すまでもなく、宗教戦争にしたてられた聖戦とは、兵士を死に駆り立てるために手段として宗教を利用したにすぎないとは、歴史学の基礎です。個々人の歴史認識を操作するために宗教戦争を装ってきた歴史を読み取らねばなりません。
確かに戦争犯罪はアメリカの独占物ではありません。ソ連(ロシア)のえぐさ、イギリスの汚さ、中国の手前勝手さは歴史好きの中学生でも気付くことだし、イスラムの拡大も戦争とともにありましたし、大航海時代以降のヨーロッパ人の罪が、南北アメリカ・アジア・アフリカに今も悪影響を引きずらせている。また、台湾を植民地にしたのは日本だけではないし、朝鮮半島に不幸をもたらしたのも日本だけではない。兵器産業は世界各国に広がっているし、例えばスイスが平和を愛する国などいうのも同国の実態にまったくそぐわない。だいたい戦争と利権が渦巻かない国はほとんどないだろうとも思います。
米国だけを叩けばよいというものではありませんから、もっと視野をひろげねばと思いますが、この日本という国がますます自らの歴史から目をそむけ、史上最強の軍と軍需産業を発達させた米国に追従の度を強めている時に、それを中心的に批判するのはやはり不可欠だと思います。しかし、ネットでは何かと「0:100」になりがちなもの。複眼的かつ広い視野で、世の中を切り取る言葉を選ばないと、これまた「歴史社会的偏見」に組することになりかねませんね。(緊急レス、04/10/3)[→10月目次]



























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