言い訳をしたら科学ではない?

補助仮説の導入は仮説の延命をはかっているだけではないか

言い訳をすれば科学ではないのではないか

そのような基準に基づいて科学理論

例えば進化論を疑似科学であると主張する人たちがいる

しかし、この基準はそれ自体だけで充分だろうか?

 

 ミラ:言い訳をしたら科学ではない・・・あー具体的にはどういうこと?

 わらし:地球にはUFOに乗った宇宙人が来ていて、人間をかっさらって人体実験している。この仮説は正しい?

 ミラ:いやあ、正しくないと思うぞ。第一、証拠がない。

 わらし:証拠はアメリカ政府が隠している。

 ミラ:いや、いくら政府でもそんなでかい秘密、隠しきれるもんじゃないだろう。

 わらし:CIAもFBIもマスメディアもアメリカ政府と結託している。水も漏らさぬ完璧な情報操作。

 ミラ:そんな全然違う業種の利害が一致するわけないじゃない。

 わらし:人類のためなら異論を捨てます勝つまでは。

 ミラ:そもそも証拠も根拠もないのに、どっからそんな仮説が・・・・

 わらし:アメリカ空軍の基地でUFOを見たという人がいるだ。宇宙人が解剖されていたり、働いているという話だ。

 ミラ:水も漏らさぬ情報操作じゃなかったのかよ?!!

 わらし:これは意図的な漏洩。

 ミラ:なんで?

 わらし:こんな怪しげな話は誰も信用しないから。本当の情報を隠蔽するためのダミー

 ミラ:本当の情報は何もないってことじゃないのか?

 わらし:さてと、まあ以上のこういう説明は科学と言えるかな?

 ミラ:言えないんじゃない?

 わらし:そうだな。こういう説明は科学と言わないだろうな。こういうのはしばしばこう評価される。言い訳ばかりしていて内容がない。詳しいことはまた別に検討するが、まあ、普通に考えて科学ではないわいなあ。

 ミラ:そもそも一般的に役に立たないわよね。でも、これが科学理論と、例えば進化理論とどういう関係があるわけ?

 わらし:仮想生物グニタイは派手な生物で、オレンジの体に緑の角を持っている。おそらくこれはカモフラージュなのだろう。そういう色の個体の方が生き残りやすいのでグニタイはこのような姿に進化したのだ。

 ミラ:そんなど派手なカモフラージュがあるかしら?

 わらし:ベルツノガエルみたいに緑に黄色と赤と黒の模様でも林床では目立たなかったりするからな、ありといえばありな説明。

 ミラ:ふーん、それで?

 わらし:ところが調べたところグニタイの体の色はカモフラージュとして役に立っていないことが分かった。

 ミラ:じゃあなんなのかしら?

 わらし:グニタイの色は警告色なのだろう。毒を持っている動物が派手な色をしていることはしばしばある。ドクガエルみたいにな。毒を持つことを捕食者に知らせる個体が有利なので、このような姿に進化したのだ。

 ミラ:ふーん、じゃあグニタイにはきっと毒があるのね。確かに毒々しい色だからなあ。

 わらし:だが、調べたところグニタイは毒がなかった。

 ミラ:あらら。

 わらし:グニタイの色はベーツ型擬態ではないだろうか?

 ミラ:何? ベーツ型擬態って?

 わらし:無毒な動物が、毒を持つ動物に似た模様と色をしていることがある。ドクチョウに似た無毒のチョウのようにな。これをベーツ型擬態という。このように、毒を持っているぞと捕食者をだます個体が有利なので、グニタイはこのような姿と色に進化した。

 ミラ:ふーん。なんかありそうな話ね。でっ、どうだったの?

 わらし:調べたところ、グニタイに似た模様と色を持つ動物で、有毒な動物はいなかった。グニタイはベーツ型擬態では説明できない。

 ミラ:あらら・・・

 わらし:このようにグニタイの色に関して進化理論は色々な説明を持ち出しただけだった。進化理論はアメリカ政府がUFOを隠している説と同様、言い訳ばかりしている。ゆえに科学ではない。ちゃんちゃん♪♪

 ミラ:えっ? いや、そう、、、なのか?

 わらし:まあ少なくともこういうことを言う人は多いな。進化理論はどんな事例を持ち出しても必ず説明し、そして必ず言い訳できる。進化理論は言い逃れをして理論自身を延命させているだけではないのか? つまり進化論は科学の理論ではなくただの宗教ではないのか。そういう主張だな。これを”進化論は反証できない、ゆえに疑似科学である”と表現する人もいる。

 ミラ:うーーーんんんん。そうなのかしら? 確かにそんな気もするけど・・・、どうだろう。

 わらし:車が動かない。自動車の整備士に見せたところ、彼はガソリン切れに違いないといった。調べたらガソリンはちゃんと入っていた。

 ミラ:はあ。

 わらし:次に自動車の整備士はバッテリー切れに違いないと言った。だがバッテリーは充分に充電されていた。

 ミラ:じゃあ何が原因かしら? 発火プラグにゴミでも付着したのかしらね? それとも電気コードが・・・

 わらし:このように整備士とミラちゃんはどんな事例を持ち出しても言い訳ばかりしている。

 ミラ:はい??

 わらし:整備士とミラちゃんは言い逃れをして”この車が故障したに違いない”という仮説を延命させているだけではないか?

 ミラ:もし、もーし? ちょっとっ!! 聞いてる?

 わらし:つまり”車が故障したに違いない”という仮説はただの思い込みであり、宗教である。これを”車は故障したに違いない仮説は反証できない、ゆえに疑似科学である”と表現する人もいる。

 ミラ:おいおい、ちょっと待てよ。

 わらし:このような疑似科学を科学と称して学校で教えることを我々は不当であると考える。車が動かないのは悪魔のせいである仮説を平等の仮説として授業で教えることを断固要求する!!

 ミラ:まてこら!! ふざけるな!!

 わらし:つまりこういうことだな。言い訳しているのならそれは疑似科学である、このような設定基準ではアメリカ政府がUFOを隠している説と、うんともすんとも動かない車には故障があるだろう説は識別できないってこっちゃ。

 ミラ:えっ? ああ、そうなるのか。

 わらし:そして以上の設定基準では進化理論とUFOの区別もまたつかない。

 ミラ:つかないわねえ・・・

 わらし:人によってはこれは詭弁と感じるかもしれんがな。車の故障はいずれ分かるではないか。でもグニタイの色は進化理論ではまだ説明できていないではないか。

 ミラ:むう、でも・・・

 わらし:でも、こうかもしれない。それは調べ終わったか、調べている途中なのか、それだけの違いなんじゃねーの? とね。車の故障を調べている途中で、それは疑似科学だ!! というのと、グニタイの色の由来を進化理論に基づいて調べている途中で、それは疑似科学だ!! と叫ぶのと、どこが違う?

 ミラ:そうねえ、グニタイが実在の動物だとしたら、それを調べるのは大変だしねえ。時間がかかるだろうし。

 わらし:車と違って生き物は逃げたりするからな。人間の思い通りになかなかならないし、データを大量に集めなくてはいけない。野外の生物のことを調べるには時として何年もかかるもんだ。

 ミラ:まあ、たしかにね。

 わらし:ともあれ、ここに問題がひそんでいる。車の故障と進化理論とUFOとを識別するには、識別できるとしてだが、それにはどんな判断基準が必要なのか?

 ミラ:言い訳するか、しないか。それだけじゃ駄目ってことは分かるけどさ、じゃあ何が必要かしらね。

 わらし:次のことを考えてみよう。これは別のコンテンツでもやったことだが・・・・

ここに地図をばらばらにして作ったパズルがある。描かれている線は道路であり、丸は都市である。以上これらのピースを以下のように組み上げた。

 ミラ:組み上げましたね。

 わらし:さて、ここでさらに新しいピースが見つかった。

 ミラ:見つかりましたね。

 わらし:これを次のように組み上げた

 ミラ:やったわねえ、このパズル。

 わらし:さて、問題はここからだ。以上の最初の復元では欠けている部分にピンクの道路をあらかじめ加えている。しかし、さらに新しいピースを加えた時、この道路は・・・・・

 わらし:結果的に変更を余儀なくされている。これは”言い訳”ではないのか?

 ミラ:えっ? そうかしら?

 わらし:ピースを加える前と後のピンクの道路を比べて見てみるだな。

変更されていることが分かるか?

 ミラ:確かに・・・・加えた新しいピースに”合わせて”ピンクの部分が”変更されている”わね。

 わらし:つまりこれは不都合な事実にすり合わせた言い訳である。ゆえにこのパズルの組み立て方はただの思い込みであり、宗教であると我々は主張する。これを”この組み立て方は言い訳をしているがゆえに反証できない、だから疑似科学である”と表現する人もいる。

 ミラ:でっ、不当であると主張するわけか・・・

 わらし:そうだ。我々は次の組み立て、シャングリラを以上のものと同等な組み上げパターンとして扱うことをここに要求する!! ビバ!! シャングリラ!! 見よ!! このばらばらの地図は(ありもしない)理想郷シャングリラへの道を示したものだったのだ。

 ミラ:あーつまり、あれだな。言い訳は絶対だめ!! 新しいデータにすり合わせるの絶対禁止!! という条件設定では・・・

この2つの組み立てが区別できなくなるということか・・・。

 わらし:そういうことだな。

 ミラ:じゃあ、、どうするんだよ。

 わらし:ちょっとならすり合わせてもいいんじゃね?

 ミラ:おいおい、アバウトな答えが出てきたぞ・・・・

 わらし:だが現実的でもある。つまりあれだな。以上の2つの違いはなんだ? それを見れば識別点が分かるだろ。

 ミラ:2つの違いか。あれだろ。ピースがうまくつながっているかどうかだろ?

 わらし:あるいはこう、整合性が高いか、低いか。言い訳が多いか、少ないか。言い訳とはこの場合、ピンクの部分だがな。

 ミラ:ようするに整合性を最大、不整合な部分を最小にしろということか。

 わらし:そしてたぶん、このような基準の時にこそ検証がうまくできるんだがな。その議論は別のコンテンツでするとして、少なくとも以上のことからこういうことは言えそうだ。言い訳は最小限にしなさいは経験的に言ってオッケー。しかし、言い訳は絶対にしてはいけないという設定は経験的に言って駄目。

 ミラ:そうねえ、言い訳は絶対だめ!! そう言ったら、車の故障もUFOも進化理論もパズルの違う組み上げ方も何もかも、これら全部が全部、識別できなくなっちゃうわけね。

 わらし:つまりこうだ。言い訳している科学は疑似科学である。これはあからさまに間違いだ。あるいは役に立たない設定基準に基づいた判断なので意味がない。

 ミラ:何がいけなかったのかしらね? 

 わらし:言い訳は最小限にしなさい、と、言い訳は絶対にしてはいけない、とをごちゃまぜにしたからだな。われわれは言い訳をしてはいけないという時、言い訳は最小限にするべきだという暗黙の前提を置いていると言える。

 ミラ:そうかしら?

 わらし:ある人が遅刻の理由を以下のように申し述べた。間に合う時間に電車に乗りましたが、事故があって電車が止まりました。これを別の人がとがめて曰く、言い訳するな!! しかし、このようにとがめることは正当だろうか?

 ミラ:あー、道徳的に正当か否かは知らないが、理不尽には聞こえるな。

 わらし:なんで?

 ミラ:ある人は実際に起こった事件を申し述べているだけだろ? 世の中にはそういうこともあるわけだし、事実として起こったわけだし。それを言い訳と言ってはいけないわよね。

 わらし:だが言い訳ではある。なぜ遅れたのだ?(こいつは正当な理由なくして遅れたに違いない)という仮説に対して、いや実はこういうことがありましたと説明する。つまり、ある人がしたことは(正当な理由があって遅れたのだという自分が持つ仮説)を擁護する説明を試みているわけだからな。

 ミラ:むう。たしかに自説を擁護する説明であるわね・・・。

 わらし:では、事故があったという説明は仮説をただ救うためのものである。そう言ってある人の言い分を否定するのは正当か?

 ミラ:正当とは思えないわねえ。あるいは理不尽よねえ。

 わらし:あるいはこう。言い訳をしたのだからそれは妥当ではない、という主張は妥当ではない。

 ミラ:まあそうなるのか。

 わらし:ここから分かることはむしろこう。言い訳をするなという時、我々は概して、言い訳は最小限にしろ、という暗黙の前提を置いている。たぶん。

 ミラ:まあそうなりそうね。でっ、それで?

 わらし:しかしその暗黙の前提を忘れた。そして次のように解釈した。言い訳をしてはならないのだから、言い訳0以外はすべて駄目であるに違いない。しかしこの主張は0以外はすべて100であると言ったようなもんなんだ。

 ミラ:ふーむ。確かに5つの言い訳と98の言い訳はともに0ではないわね・・・

 わらし:しかしどちらも0ではない。ゆえに5と98も同じであるというわけだ。

 ミラ:アバウトだわねえ・・・

 わらし:そうだな、5と98と、それぞれ分かれば程度を比較できるはずなのに、それを投げ出した。だから識別できなくなる。

 ミラ:解像度が悪いってわけね。

 わらし:そうだな。しかも世の中に言い訳が0なんてないんだよ。水の沸点を調べるにしても、その日、その日時の気圧や水に含まれる不純物で沸点は変わりうる。温度計が違っても変わるだろうな。人間の指の指紋がビーカーについていても、それはごくごくわずかではあるが、結果に影響を与えうる。

 ミラ:誤差が生じるわけね?

 わらし:実のところ誤差という言葉自体、それは言い訳なんだ。だって、水の物性と沸点はその時々で変化するのだと、そのまま素直に解釈してもいいわけだしな。実際、温度計の目盛りでは異なる値がでているわけだ。それをそのまま受け入れればいい。しかもそうすると誤差はなんとすばらしい。0でねーか。

 ミラ:誤差0かあ・・・うわべだけはとてもきれいね。

 わらし:でも現実の私たちは沸点が各々わずかに違うのは水に不純物が混ざったからだ、温度計が違うからだ、大気圧が違うせいなのだと説明する。

 ミラ:そしてそれは言い訳ってわけか。

 わらし:だとしたらこう。先の基準。言い訳は0でなければならないという考えに沿った場合、水の沸点が各々違うのは条件が均一でないからだ。このような言い訳じみた仮説を展開する以上、水の物性は一定であり、沸点もまた一定であるという仮説は疑似科学だ、そういうことになる。

 ミラ:そしてUFOとも区別できなくなるわけか。

 わらし:なぜならそもそも基準に区別がないからだ。あるいはこう。0か0でないか、こういうあまりに大雑把な基準では、あらゆる仮説が”言い訳が0ではない”という領域に押し込まれてごちゃまぜになるだろう。

 ミラ:そして識別できなくなると。

 わらし:そういうこっちゃ。そしてそれは役に立たない。

 

 *進化理論に関して述べると、進化論は言い訳ばかりしていて原理的に否定できないようになっているというのは、言い訳が0ではないものはすべて同じである、というあまりにアバウトな基準、あるいはカテゴリーを採用しているから出てくる結論だろう。言い訳は最小限にするべきだ、このような基準を、言い訳を絶対してはいけない、言い訳をすればそれは疑似科学であると受け取った、これがいけないだとも言える。このような設定のもとでは基準がアバウトすぎるがために、おかしなものも、妥当なものも識別できない。解像度が低ければ識別できないのは当たり前。

 実際のところ進化理論とそれに基づいた仮説は検証が可能。例えば生物の色や模様がカモフラージュであるのかないのか、警告色であるのかないのか、隠蔽色であるのかないのか、そういうことは調べれば分かる話。例えば捕食者の前にグニタイを置いて、その様子を観察すればいい。彼らの体色がカモフラージュであればグニタイの被捕食率は背景の色で変化するだろう。そして淘汰上、有利であるというのなら、グニタイのすんでいる環境でこそ被捕食率は最低になるだろう。このようなことが分かる時点で、仮説はすでに検証されている。

 ミラ:検証されているわね。

 わらし:されているな。だがしかし、それでもなお意地悪な問題提起が可能だ。仮想生物グニタイの体色を説明する仮説はすでに幾つも壊れてしまった。しかしそれでもなお進化理論、それ自体が健在であり続けるのはなぜなのか? そういう疑問は残る。

 ミラ:それはどうしてかしら?

 わらし:それは別のコンテンツで考えることにしよう。少なくともここでは次のことが言える。言い訳をしてはいけないという基準で、ある仮説や理論を科学なのか疑似科学であるのか判定することはできない。あるいはそのような基準は非現実的である。事実、この基準のもとでは、我々はパズルを正しく組み上げることさえできないだろう。

 ミラ:パズルを正しく組み上げるには・・・

 わらし:言い訳をしてはいけない、では説明として不十分だ。これにもっと別の詳しい基準、例えば整合性の度合いとか非整合性の度合いとか、そういうより具体的で現実的な基準を付け加えて理解すること、それが必要なんじゃない? 

 

→仮説にはコアがあるんじゃない?へ 工事中

 

←ダーウィンの論証の過程をなんとなく知りたい人はこちらのコンテンツを 

*注:以上のコンテンツは2009.02.22の時点で未完成

←系統と進化理論のもろもろを知りたい人はこちら

 

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