恐竜・系統学・科学と科学哲学
恐竜やるなら科学とか演繹、帰納、仮説演繹、ベイズ、系統学や科学哲学とかまでふまえて幅広く考えなきゃいかんねえ、という意味合いで徒然につらつらメモするコンテンツ。
2005年12月4日:大人向け恐竜の本
最近、大人向けの恐竜の本を書きませんか?、といわれたのですが、なるほど、大人向けの恐竜の本。もしも北村が書くとしたら、恐竜の骨の特徴というデータからどのように系統仮説を導き出すのか?、そしてその仮説をどのように検証するのか?。その過程でどのようなことが起こったのか?、そういうことに重点を置いて書くことになるんでしょう。
例えば
:アンキロサウルスは本当に恐竜か?
:ティラノサウルスはアルクトメタターサリアなのかそうでないのか?
:セグノサウルス類はいかにして竜脚形類から獣脚類になったのか?
:オヴィラプトルは鳥なのか?鳥ではないのか?
:トロオドンは何ものか?
:鳥の飛翔はどのように始まったのか?
:ディノニクスは飛べない鳥か?
(ちなみに、人によってはアンキロサウルスが恐竜かどうかなんて何を馬鹿な??というかもしれませんが、そうであるならその考えをサポートする証拠をまず述べましょう。証拠が述べられるのならその証拠がその考えをサポートするという根拠とその理由を述べましょう。そうでないと説明になりません。ちなみにこういう答えは不可です。
アンキロサウルスの脚は身体に対して直立である。これは恐竜の特徴だからアンキロサウルスは恐竜である。
これは説明としては不十分か、あるいは循環論法か、あるいは答えとして最悪な例ですね。)
とまあ、こういう話題にしぼった話になるんでしょう。でも北村の知人はもっとメカニカルな話を期待したいらしい。ようするにどういうことかというと、恐竜の機能と仕組みについて彼は知りたいんですね。彼はもともと軍事とか兵器/メカに興味のあるイラストレーターなので物の仕組みと構造、性能をメカニカルに把握したいと希望している。だから恐竜を描くにあたってもそういう視点で描きたい。
だがそれができない。
それがなんとも辛いらしい。
たしかにそうかもしれません。例えばそのへんの本屋で軍事とか車とか飛行機に関する雑誌を読むと、読者向けであるにも関わらず、カタログをぼんやり眺めるという段階はとっくにすぎて、メカの把握、性能、素材、加工、溶接、数式うんぬんというレベルにまで及んでいる(パンツァーツバイに関する本があるくらい)。
だが恐竜はそうではない。まだまだカタログを見ているだけの段階でしかない。もちろん、研究者はそんなことはしていないのだけれども、90年代半ばぐらいにそういう情報、つまり研究者たちが”具体的に”何をしているのか?という情報はほとんど一般の人に届かないような状況になってしまった(その原因はさまざまにあって、例えば系統解析とかそういうパラダイムシフトにあたる大きな変革が起きたのにライターがついていけなかった、海外ではゴシップ屋なんていわれている人が適切とはとうてい言えない情報を流布させた、海外の良書が日本で翻訳される時にものすごい誤訳がされてまったく読めない代物になってしまった、あるいは訳はいいのだがめちゃくちゃ高い、ウンヌン)、まあこんな状況ではどうにもならないのも当然なのでしょう。
そうしたことからすると、
今、恐竜研究で何が起きているか?
ティラノサウルスのアルクトメタターサル状態の中足骨はどんな機能を果たすのか?
ティラノサウルス(最大サイズ)はなぜ走れなかったのか?
アロサウルスの頭骨はいかなる機能を果たすのか?
鳥の祖先は外温動物か?(現在の鳥は二次的に内温になった??)
恐竜(鳥を抜かす)は変温動物か?、あるいは恒温動物(内温動物)か?
最節約法による靱帯の復元、イリテーターのネイザルボウンの機能、肉食恐竜の眼窩周辺の骨の構造と捕食の仕方のウンヌン・・・・
という事柄にまで踏み込むべきなんでしょうね。
まあ、とはいえっても企画が通らないとどうにもならないわけですが・・・。もし仮に通って実現しても早くても2007年ですかねえ?。
2005年10月8日:ネットの情報
最近、ネットでぼんやりと検索をかけていたらダイノバードに関する記述が見つかって、なんでもその記述によるとダイノバードとは始祖鳥やミクロラプトルのような動物群のことで、恐竜から鳥が進化した仮説を裏付ける中間的な動物の総称なのだそうな。
はて、北村が知っているダイノバードという単語は
オルシェフスキーという恐竜マニア(らしい人)が提案した独自の鳥の進化仮説から予想される樹上性の爬虫類の総称
のことであったと思ったのですが。はてねえ???いつのまに意味が変わったの?。
簡単に説明するとダイノバードというのはオルシェフスキーという人が考えたダイノバード仮説というアイデアで出てくる理論的存在のことです。ダイノバード仮説はそもそもが学術誌に掲載された論文ではないので研究者にとっては特に関心をもたれるものではありませんが、一部、マニアの間では結構知られたアイデアで、なおかつ既存のスタンダードな仮説と相反する内容になっています。
鳥の進化仮説は大きくいって、
1:鳥は恐竜から進化した(鳥は恐竜に内包されるサブグループである)
2:鳥は樹上生活をする未知の爬虫類から進化した(鳥は恐竜には内包されない)
という2つのアイデアがあります。
1のアイデアは系統解析の結果、近年になって非常に強く支持されるようになりましたが、2はその根拠のほとんどを失って、今では非常に後ろ向きの説明をしなければ生き延びられないほど弱い仮説になっています(このコンテンツの6月27日の書き込みも参考のこと)。
さて、オルシェフスキーの考えたダイノバード仮説は(広い意味では)1と2のアレンジですね。つまり、
3:鳥は樹上生活をするダイノバードから進化したが、このダイノバードから恐竜と呼ばれる集団が順次進化した
というものです。その内容は。
1:まず、樹上生活する爬虫類から鳥へと向かうこのような進化の流れがあると仮定します。
樹上生活する原始的なダイノバード→前足の指が3本のダイノバード→飛行するダイノバード→鳥
2:そしてこのような仮定的な進化の流れから幾つかの異なる動物群が以下のようにそれぞれ分岐したとする。
樹上生活する原始的なダイノバード→前足の指が3本のダイノバード→飛行するダイノバード→鳥
↓ ↓ ↓ ↓
鳥盤類 竜盤類 アロサウルスなど ドロマエオサウルスなど
3:こうした進化の流れのうち、緑の部分がダイノバード、ピンクの部分が恐竜である
:樹上生活する原始的なダイノバード→前足の指が3本のダイノバード→飛行するダイノバード→鳥
↓ ↓ ↓ ↓
鳥盤類 竜盤類 アロサウルスなど ドロマエオサウルスなど
というものです。このようにダイノバード仮説の売りは
:鳥と恐竜は樹上性の爬虫類から進化した
:恐竜と私たちが呼ぶ動物群は、じつは何度も樹上性の動物から独立に地上におりた分類群の集合である
という点にあります。
注:ここでダイノバード仮説ではダノバードから恐竜と鳥が進化したといいつつも、その系統関係が2分岐ではないことに注意するべきかもしれません。ネットで見る限りではダイノバード仮説を支持していながら
__D___鳥
|___恐竜
という単純な2分岐で考えている(誤解している?)人がいるらしい。
さて、近年になって鳥に最も近い動物群でありながら樹上性であったミクロラプトルが見つかったわけですが、ミクロラプトルはダイノバードなのでしょうか?。ミクロラプトルはダイノバード仮説の証拠になるのでしょうか?そして既存の仮説はくつがえされるのでしょうか?。答えだけをいうと別にそうはならないし、ダイノバード仮説が有利になるわけでもないんですね。そもそも既存の仮説とダイノバード仮説がそれぞれ基礎においている系統関係は基本的に似たり寄ったりで、大きな違いはむしろその解釈にあります。
以下のような系統関係があった場合、既存の仮説はAの部分がどうも樹上性であったようだ、と推論します(より詳しく言うと、1:以下の系統関係が解析によって導き出された。2:導き出された系統関係における特徴の分布からするとAは樹上性であったろうと推論できる、という順番で話が進む)
_________鳥盤類
|_______竜盤類
|______ケラトサウルス
|_____アロサウルス
|_A__ミクロラプトル
|__鳥
しかしダイノバード仮説は以下のように鳥盤類からミクロラプトルまで各々の系統群の祖先がすべて樹上性であると仮定しているわけです。この仮定には無理があるのですが、ともかくそれは以下のような形になります。
_________鳥盤類
|_______竜盤類
|______ケラトサウルス
|_____アロサウルス
|_A__ミクロラプトル
|__鳥
ダイノバード仮説を紹介したコンテンツ注3にも書きましたが、ダイノバード仮説がスタンダードな仮説よりも有利になるには、
:鳥に最も類縁が近いミクロラプトルは樹上性の動物であった
だけでは不十分で、これに加えて
:アロサウルスに最も類縁が近い動物は樹上性の動物であった
:ケラトサウルスに最も類縁が近い動物は樹上性の動物であった
:竜盤類に最も類縁が近い動物は樹上性の動物であった
:鳥盤類に最も類縁が近い動物は樹上性の動物であった
という証拠が見つからないといけませんし、そうでないとダイノバード仮説の売りは発揮されません。つまりミクロラプトルはたしかにダイノバード仮説が光り輝くための第一歩には(遠い可能性としては)なりうるが、それよりも既存の仮説をサポートするひとつの新しい証拠としての地位の方が強いのですね。つまりミクロラプトルの発見は既存の仮説をサポートする証拠には積極的になりえるが、ダイノバード仮説を特に有利にするわけではない。
例えばあなたが未確認飛行物体を目撃しても、それで宇宙人が地球に来ているということにもならないし、宇宙人来訪説の積極的な証拠にはなりませんよねえ?。それと同じ。ですから
1:ミクロラプトルなどの樹上生活する恐竜の発見はダイノバード仮説を積極的には補強しない
2:ミクロラプトルをダイノバードであるというのは拡大解釈である(↑UFOの例を見よ)
3:そもそもダイノバードとは既存のスタンダードな仮説と異なる仮説であるのだから既存の仮説とダイノバードを結び付けることは間違いか、あるいは拡大解釈である
といっていいのではないでしょうか。
ついでにいうと始祖鳥の発見はダイノバード仮説をオルシェフスキーの提案のはるか前なのだから始祖鳥をもってくるのもやはりおかしいでしょうね。
それにしてもネットというのは接続した人間の知識の集合体なので、接続した人間の数がでかいほど掲示板などにおいてとりかわされる意見の洗練度があがるように見えます。ようするにすぐれた意見は少数なので(多数の意見は平均的な意見だからたとえ内容が妥当であったとしても、よりすぐれて妥当であるとは言わない)、分母が巨大であればあるだけすぐれた少数意見が出現するので、より洗練度が増す、ということらしい。だから、
1:多くの人が関心を持っている分野(軍事・鉄道)
2:発展しているので関わる人間が多い分野(物理・化学・バイオテクノロジー・海洋)
などではどうもいい線、あるいは相当なレベルにまで到達するらしい。これは分母が巨大だからなのでしょう。反対に、
1:あまり多くの人が関心を持っていない(恐竜・昆虫の系統解析)
2:関わる人は多いが日常と異なる洗練された理解が必要な分野(進化学・系統学・科学哲学)
ではとたんにチンチクリンなことになるらしい。前者は分母が小さい例、後者は分母はでかいが考え方にやや特異な技術が必要にされるのでそれが壁になる例ですね。
実際、軍事などにくらべると恐竜とか進化に関することになると、一部のホームページを抜かすとネットの情報はきわめて劣っているといっていいように見えます。例えばの話、進化に関して検索をかければグールドの断続平衡説や今西進化論などがダーウィンの進化仮説をくつがえした、というような情報が大量にひっかかってきますから、その惨状ぶりは眼をおおうようなありさまっていったところでしょうか?。
恐竜に関しては、最近では大学で研究しようとする人も多いけれど、いかんせん少数なのでそういう才能がネットに反映されるのかというと、それは非常に怪しいように思えます。それに系統解析の話題がからんでくるとよけいにハードルが高くなるので、鉄道や軍事のようなレベルにはこれまでもこれからも到達しないんだろうなあ、というのが個人的な感想と予想。
さきほどの進化の話ではこういう話を小耳にはさんだことがあります。ある研究者が曰く、
あの物書きが書いた進化の本はまるで話にならない。彼はダーウィニズムがくつがえって断続平衡説や今西進化論をそれにかわるものであるというような位置付けをしているが、彼が「進化生物学」原書第2版 D.J フツマイヤ 蒼樹書房 1991 すら読んでいないことは明白である。
そうねえ、たしかにそうなんでしょうねえ、あれは。そして同じことはネットでも同じなのでしょう。
恐竜でも「系統分類学入門」E.O ワイリー他 文一総合出版 も読んでないんですね・・・、というような突っ込みをされそうなコンテンツがありますから、同じような状況なんでしょう。端的にいうとネット上における恐竜という分野の未来は暗い。
2005年8月13日:恐竜の定義
恐竜とはなんぞや?。下の7月10日の文章でもそういう話を書いていますけれども、ここでの話題はむしろ定義の問題。不可思議というか、あるいは当然というべきか、恐竜に初歩的な興味を抱いた人は恐竜の定義を知りたがる。その動機は、自分が興味を抱いた対象の正体を知りたいか、あるいは、単に暗記のためのキーワードを知りたいのかもしれない。いずれにしても、
恐竜を定義づける特徴
というのを結構多くの人がやたらに知りたがる。
さて、とはいえ恐竜という名詞はちょっとばかり具体性を欠いたものであって、例えば、
博物館にいった時に私たちの眼の前にある骨に対する呼び名でもなく
個体の呼び名でもない
恐竜とは個体の集合につけられた名前であって、ようするにカテゴリーにつけられた名前なのだ。
つまり恐竜を定義する特徴を知りたいとは、このカテゴリーを定義する特徴を知りたい、ということになる。
しかし奇妙なことに自らカテゴリーを定義づけるものを知りたいと願っているにも関わらず、人間はカテゴリーをこのようには定義していないし、認識もしていないのだそうな。
具体的にいうと、すくなくとも一部の人が
恐竜とは、曰く、仙椎が3つ以上で直立歩行する爬虫類である
と自信満々に言うようには人間自身はカテゴリーを定義してもないし認識してもいない。
人間が外部の世界をどのように認識しているのかを具体的に研究する学問があって、そうした認知心理学の非常に簡単な本を読んだ限りでは、人間が持っている概念のほとんどは人間の脳のなかで明確に定義できていないし、されてもいないのだそうな。経験的にも納得できる話だけれども、ともかく以下の文章を引用してみましょう、
ー概念が定義できないものである、ということの根拠のひとつは、実際の概念には、典型的な事例とそうでない事例とがあり、中にはある概念に含まれるかどうかが境界線上で決めがたいものさえある、ということがある。つまり典型性(typicality)の程度が違うのである。例えばミカンやリンゴは果物の典型的な事例であるが、スイカはそれほどではなく、アボガドに至っては果物なのか野菜なのかはっきりしない。
「認知心理学を知る」第3版 1996 ブレーン出版 第5章 概念の構造 山下清美 pp59
本文ではこの後さらにこうした結論の根拠になった具体的な例と実験結果の簡単な紹介が続くのだけれども・・・。考えてみれば当たり前のことのように思えるかもしれないけれども、人間はカテゴリーというものを
カテゴリーの代表となる典型的なものを中心にもやあ〜〜と集まったぼんやりした集合
であると認識しているというかとらえているらしい。例えば、
アボガドは野菜というカテゴリーなのか否か?
という問いかけもさることながら、
始祖鳥は恐竜なのか鳥なのか?(注:ここでいう恐竜と鳥は系統を反映していない)
という問いかけだって人々の間で答えが一致するかは怪しい。というか実際に一致しない。例えば北村が知っているある人は恐竜に関わる仕事(研究者ではないけど)をしているのだけど始祖鳥を鳥とは思っていない。北村の経験からするとこの見解に同意する人はそれなりな数でいます。
このように人間はカテゴリーを明白に定義していないし、その境界もきっちり決めてなどいないのは明らかであるのに、恐竜の定義をきっちり知りたい人がいる。これはかなり奇妙なことであるし、おそらく恐竜初心者の理解の混乱のひとつがここにあるのかもしれぬと思える次第。
考えてみればそもそも自分達自身が頭の中でカテゴリーを明白に定義などしていないにも関わらず明白に定義しようとすれば、そりゃあ色々と迷ってしまうに違いないし、しかもこのカテゴリーというやつ、一体全体何を反映しているのかさっぱり分からない時がある。
特に注意したいのはここでいっている定義というのが明らかに”いわゆる人為的なカテゴリー”に関する定義であるということですね。そして人によっては系統を反映していないカテゴリーを単位にして系統を考えようとする。これで理解に混乱が起こらないはずがない。
そもそもカテゴリーもさることながら系統を特徴で明確に定義づけられるかというとかなり怪しい。生物は進化するものなので、たとえひとつの祖先から産まれた集団であっても、子孫の中には祖先や類縁の種類が持っていた特徴を失ってしまう場合がままあります。例えばテトラポードは4つの脚を持つものという意味あいの名前をつけられた系統で、共通の特徴として祖先から4本の脚という特徴を受け継いでいる。しかしヘビやらアシナシトカゲやらアシナシイモリやらクジラにサイレンのようにそうした特徴を失った子孫は枚挙にいとまがない。
また例えば、甲殻類を特徴によって一律に定義できるのか?。
ダーウィンは甲殻類全体に共通して見られる特徴はほとんどない、と種の起原で書きましたけど、たしかにそうなのでしょう。2対の触角が・・という人もいますがカブトエビとかの縮小してしまった触角のなれのはてを見たり、寄生生活する甲殻類を見ると、とてもじゃないがその特徴でまとめられるような系統群であるとはとても思えません。
逆にいうとダーウィンがいうように特徴の分布を総合的にみて(あるいは分岐学的に)判断すると甲殻類はまとまりになる、ということなのでしょう。
逆にいうと一部の人が望むような明白な定義、例えば
四角形は4つの角と直線の辺を持った閉じた図形である
というような定義が生物できるのかというとそれははなはだ怪しいか無理だということになる。
人間は人為的なカテゴリーであっても、そもそもそれを明確に定義しない(多分そうであろうと思う)
生物は進化するから系統をある特徴で明確に定義できるか怪しい(できるものも、できないものもあるだろう)
そういう状況であるにも関わらず恐竜を(人為分類と系統をごちゃまぜにしたまま)定義しようと試みる。こんなことをして理解が混乱しないわけがない。
実際に理解が散らかってしまった例もあります。こういうのは系統を反映していないカテゴリーを使って話をしたり理解を試みて混乱した例だと思いますが、そもそもカテゴリーとはなんぞや?、ということに無自覚だったのがそもそもの問題だったのではないでしょうか?。
2005年7月10日:知らないうちに使ってる
恐竜とはなんぞや?。いろいろな人がこの疑問に突き当たるらしく、あちこちでいろいろな意見が飛び交っています。曰く、恐竜とは・・・
:直立歩行をする爬虫類である
:仙椎が3つ以上ある爬虫類である
:鳥とトリケラトプスのもっとも最近の共通祖先とそのすべての子孫
などなど。
おかしな話というべきか当然というべきか、これ全部、系統解析に関係のある事柄なんですよね。最初の2つはいわゆる共有派生形質について無意識のうちに漠然と述べているわけだし、3番目はPhylogenetic Taxonomy による命名の定義ですから。
おかしな話というのは、多くの人にとって系統解析というものは良く分からない、あるいはまったく知らない、悪くすると敵意さえ抱くものであるのに、こういう”定義”の話では結果的に共有派生形質だの原始形質だのが会話でばんばん飛び交うということ。
当然というのは、人間は生物のカテゴリーを作る時、手がかりとして特徴(つまり形質)を使うけど、そういう特徴には当然、進化の過程で産まれて子孫に受け次がれて共有された共有派生形質が含まれるわけで、そりゃあ定義だの分類だのという会話をすれば結果的に共有派生形質だの共有原始形質だの、固有派生形質だのについて知らずしらずのうちに述べることになるよなあ、ということ。
ふりかえってみればこれは150年前、ダーウィンが述べたことなんですよね。我々が生物を分類してつくった体系(つまり分類体系)とは系統を反映したものだ。ようするに、私たちが生物の分類とかカテゴリーを作れるのはその背景に系統というものがあるからだ。
ただ問題は、私たちはどれが共有派生形質なのかどれが原始形質なのか区別するような方法では分類体系を作ってこなかった。そもそも私たちの脳には系統解析をするアルゴリズムがまったく搭載されていないので、そこのところを無自覚にいくら努力してもしょうがない。
つまるところどれが議論をする上で適切な証拠であるのか判断するアルゴリズムも計算方法も持たないまま議論してもどうにもならない。