恐竜・系統学・科学と科学哲学

 恐竜やるなら科学とか演繹、帰納、仮説演繹、ベイズ、系統学や科学哲学とかまでふまえて幅広く考えなきゃいかんねえ、という意味合いで徒然につらつらメモするコンテンツ。

 

 2006年9月8日:ティラノサウルス走る?

 最近、ティラノサウルスに関する質問メールをもらったのだけど、これがすでに本に書いたか、あるいはそのへんの本を読めば分かるか、あるいは答えようがない質問だったので、お力にはなれません、という旨のメールを返信。そんなこともあって書きますれば・・・・・。

 ティラノサウルスは走れなかった、あるいは競走馬ほど速くは移動できない。この学説は複数の著者が異なるアプローチから唱えたもので、まあ一般的には研究者から妥当なものだと受けとられています。ようするに常識的に考えて、象サイズの動物なら運動能力も象と近似しているだろうからティラノサウルスの運動能力は象ぐらい、だから(厳密な意味では)走れないのは当然、というわけですね。

 こうした見解についてはもちろん異論もある。例えば象よりもティラノサウルスの大腿骨の方が太い(確かにぎょっとするくらい太い)、だから象よりも運動能力は高いに違いない。あるいはこんなのもある。ティラノサウルスは骨格のプロポーションがすばやい小型獣脚類と一緒だから大きなティラノサウルスも素早いに違いない、時速70キロで走れたのではないか?。そしてこうした意見に反対する結論や考察も当然ながらある。例えばティラノサウルスの重量と大腿骨の強度から計算するとティラノサウルスの運動能力は象よりも低いという結果がでてくる(例えばアレクサンダーの「恐竜の力学」培風館を参考に、もしかしたら重量がやや重すぎる推定かもしれないけども、まあ近似かなと)。

 あるいは素早かった説の論拠のひとつ、骨格のプロポーションから骨の耐久力を導くのではなく、そこを経ないで動物のスピードをいきなりプロポーションから推論してしまう、このこと自体に異義を唱えることもできよう。

 いずれにせよ、そんなこんないろいろな意見のやりとりで研究者の多くはティラノサウルスは走れなかった、そう考えている模様。もちろんこうした研究者の議論自体は確からしい仮説はどれだってだけの話であって別に真実を申し述べているわけではない(真実なんていったらそれは宗教だ)。だから、言い方を変えればこれを認めたくない個人は新しく、なおかつ有効な数式をあみ出して解析すればよい。もっともこの方法では望む答えがでるとは限らないし、そしておそらくは出ないだろう。

 ちなみに科学は真実ではない、というとじゃあ科学はデタラメなんだから僕の意見も学説になるんだと勘違いする人がいるんで、書いておきますが。真実ではない、というのはしばしば仮説の確からしさそれ自体に焦点を当てている表現であるので御注意を。真実といったら宗教かい?、と突っ込まれるけども、デタラメなんだと言えば、ああ、はいはい、ありがちだねえその感想は、と言われるのはまず確実。hilihili でも科学のコンテンツが一応ありますが、具体的には科学哲学の本を読むことをお勧めします。

 それでもティラノサウルスは競走馬なみに素早かったことを信じたい人は補助仮説を大量導入して自分の望む意見を防衛する病的科学の道を突っ走るかすればすればよい。ただしこの方法では望む夢は確実に得られるが、失うものが大きいことに注意しなければならぬ。発狂とまではいかないまでも、場合によっては狂気の世界に片足を突っ込む覚悟が必要だ。少なくとも北村の知人でもひとりこれに近いことを言っていた人がいたのだけど、彼は今頃どうしているだろうか?(詭弁を使いたい人はこちらを参考のこと)。

 さて、話の本題はここから先。ティラノサウルスが走れなかった、と聞いても研究者の多くはティラノサウルスは狩りができなかったとは考えていないらしい。事実、狩りをした証拠を示す研究もあるようだ(このあたりの話は左の本で書いたのでいちいち説明しない)。

 実際のところ走れないということはある種の運動ができない、ということをあらわしているわけであって、ノロマなことや狩りができないことを示しているわけではない。つまるところ、ティラノサウルスが走れなかったというのは、競走馬がするようなギャロップや人間がするような跳ぶような走りができないということを言っているわけで、さらに言えば、飛び蹴り、踵落とし、ジャンプ、トンボ返り、ムエタイキックをするような運動能力がないってことを言っているだけだと思える。実際、象もティラノサウルスも飛び蹴りなんてしないことはおよそ確実だ。したら壮観だろうが、たぶんしない。

 そりゃあ、たしかにティラノサウルスは死体ばっかり食っていたという仮説を唱える研究者もいることはいるが、それに賛同する人はさすがに少ない。いちいち理由は列挙しないけど個人的にもそうした意見には賛成できないし、およそティラノサウルスが置かれた条件や環境はシデムシやハゲタカと同じじゃないだろう。

 とっまあ、これが研究者の一般的な理解とか、それを端から聞いてた人間の認識であると思うのだけども、一般の人はそうではないらしい。ティラノサウルスが走れなかった、と言うと、

 えっ??、じゃあのろまだったの?

 えっ??。じゃあ狩りができなかったの?

という反応が返ってきて、ある意味、正直ぎょっとさせられる。どうもそういう人たちは走れなかった=狩りができなかった、という考えにいたるらしい。これはちょっと面白い。そういえば北村の周囲でも、ティラノサウルスが走れなかった、という話を聞いた時の反応は2通りで、

 そりゃあ走れないだろうね、でも別に困りはしないよなあ(多数派)

 走れないのか、じゃあ狩りができないから死体ばっかり食べていたんだ(少数派)

というものでありました。面白半分に書くと、死体派の人と議論(あんなものは実際には議論とは呼べないが)をしたこともあって、そのお題は、ティラノサウルスは人間を襲って追っかけて食えたかどうか?、というもの(やっぱりまともな議論ではないのは御愛嬌)。

 北村の意見は、時速20キロぐらいは出せるんだし、森のなかで待ち伏せだってできるし、人間だって追っかけて食えるんじゃない?、というもので。彼の意見は、走れば簡単に逃げられるよ、でかいからすぐ分かるよ、アルバートサウルスとかの獲物をずっと横取りしていたんだよ、というものでありました。

 注:アルバートサウルスとはティラノサウルスよりもやや前の時代に生きていた近縁種。その関係は我々ホモ・サピエンスに対するアウストラロ・ピテクスのような感じってところかもしれない。アルバートサウルスはティラノサウルスよりももっと小さく、もっときゃしゃで、足は非常に長くてスリム。体重もそんなに重くないので明らかに高速で疾走できた動物らしい。ただし、アルバートサウルスはティラノサウルスの時代には絶滅していたかもしれず、化石が見つかっていない(あるいは数が少ないので化石記録に現われにくいのかもしれぬ)。

 北村の発想はしごく単純で、象は人を殺せるって話だ。象にできるならティラノサウルスにもできるだろう。時速20キロは人間をおっかけるにしても遅いとはいえない。それにあの時代、アルバートサウルスはいないか、あるいはアルバートサウルス・メガグラキリス(LACM-23845)と言われたものはティラノサウルスの亜成体らしいじゃないか、というものでありました。

 注:LACM-23845 そのものについて知りたい人は「肉食恐竜辞典」河出書房 を参考のこと。またこれは亜成体じゃないのか?という話は「ティラノサウルス全百科」簡単に書いたので、知りたい人は参考に。

 一方、彼の意見は、人間の足の方が速いし、隠れられるし、すばやく走る方向を変えればいいし(ここの指摘自体は正しいと思う)、今の地球だっていっぱい肉食獣がいるんだから同じようにアルバートサウルスも同じ場所にきっといたし、獲物になる動物はものすごい群れを作っているし、そのへんにごろごろ死体があっただろうし、だからティラノサウルスは死体ばっかり食べていたんだよ。というものでありました。

 なんというか、北村に言わせると彼の意見は一応成立しているけども補助仮説をものすごく動員しているので無理がありゃあしないかと思うのですけどねえ。どうなんでしょうねえ、北村には詭弁に聞こえるんですけどね。

 もっとも、そもそもティラノサウルスが人間のところを餌であるとちゃんと認識してくれないとどもならんわけですけども。

 

 

 2006年1月21日:進化と科学への無理解、UFOへの接近

 先日、ある書籍のなかで非常に気になる主張を発見。いろいろと書いてあったのですが、ようするに進化理論なんて現象を後付けで説明するだけ、という内容。

 はあ、これはものすごくまずい主張ですよねえ。この著者のいっていることって、つまるところこういうことですよね。

 以下のような前提条件、つまり

:家禽という膨大な数の宿主の間で感染をくり返す病原体がいる

:その病原体は世代交替が非常に速く、変異も大きい

が与えられた場合、どんな結果が起こるのか現行の進化理論は予測できない。そういうことをこの著者はいっていることになる。もちろんそんなことはありません。現行の進化理論はこれを予想できます。

:すなわち、以上の前提条件から、家禽から人間に伝染する変異系統の出現と、人間の間で爆発的に感染して数を増やす伝染病の発生が予測できる。それは間もなく起こるだろう。

 これを予想できるから今、鳥インフルエンザで大騒ぎをしているわけですしね。それに現行とはいわずに、ダーウィンの時代でも以上の条件がどんな結果をもたらすのか予測できたのではないでしょうか。確かに伝染病の大規模な流行という先立つ現象がないか、あるいは意識していなかった当時の人々がそこまで予測できるのかはともかくとして、理屈の上では150年前にはこうした予想をたてることが可能な程度に知見が集まっていたと考えてもよさそうです(少なくとも種の起原を読む限りではそう思える)。

 逆にひるがえって見るに、以上の著者のいっていることは極めてまずい。時代錯誤な間違いです。

 ちなみにこの著者は古生物を例に上げて”進化理論は後付けである”ということをいっているのだけれども、そうだとしても。つまり彼の主張が、

 現行の進化理論は古代にいた生物の形態や機能を予測できない

というものだとしてもやはり問題のある発言ではなかろうか?。だって今の系統解析では情報さえある程度あれば、限界はあれどもまだ未発見の生物の特徴などを予想することができる。

 というかそういうことができないのなら、そもそも検証なんて不可能じゃないですか。つまり古生物っていう過去に絶滅した系統を再現して、その系統仮説が妥当か否かを検証する方法はその系統仮説を支持する化石が見つかるかどうかではないですか。

 ようするにそもそも予測できるから検証できるのではないのかえ?。

 彼のいっていることは、ダーウィンの進化理論や現行の進化理論は予測能力がない、端的にいうと科学ではないということなのだけれども、これは明らかに事実と違う。むしろ彼が進化理論をまるで知っていないということを端的に示している文章です。そしてまたこれは、彼が生物の進化を推理/予測するようなアルゴリズムを持っていない、ということを示しているのでしょう。

 ここでちょっと眼を転じると最近ずっと不可思議に思っていることがありまして。

 恐竜マニアの一部には恐竜から鳥が進化したのではなくて、鳥から恐竜が進化したのだ、という仮説を信じる人がいます。いわゆるダイノバード仮説とか、あるいはそれに類似のなにかですね(ちなみにダイノバード仮説はネット上ではもともとの形から変質していささか原型と異なるものになりつつあるようですが→2005年10月10日を参考)。

 さて、最近、発見された恐竜を近縁の代表的な動物と系統解析するとおよそ次ぎのような形になります。

_____________オヴィラプトル

 |_A_________ディノニクス

   |  |  |___ドロマエオサウルス

   |  |______ミクロラプトル

   |_________トロエドン

   |  |______シナベナトール

   |_________ペドペンナ

   |_________始祖鳥

     |_______現生鳥類

 エウマニラプトラも参考のこと 

 

このような系統仮説とそれぞれの動物の特徴をプロットするとあまり確かではないですがおもしろい可能性が示唆されます。例えばもしかしたら一部の恐竜(鳥以外の肉食恐竜)は二次的に飛べなくなった動物かもしれません(もちろんそうでないかもしれない)。この可能性はこうした系統仮説からあるアルゴリズムにしたがって導き出されるひとつの予測です。この予測が確からしいかどうかは今後発掘される化石で確かめられるでしょう。

 ところがこうした予想はダイノバード論者などにはあまり注目されていない様子。なんでなんだろう?とも思っていたのですが、考えてみれば当然かもしれません。まずダイノバード仮説というのは明白なアルゴリズムを持っていません。つまり手持ちの材料からどうやって仮説を導き出したのか不明なんですね。

 確かに、ダイノバードを支持する人はこういう系統仮説ならすべてをすっきり説明できる、といってそれを正当化の根拠にしようとしますが、説明できるってことは別にたいしたメリットではありません。天動説でも天体の運行を十分説明できるように、ある事柄を説明できる仮説なんていくらでもある。

 また鳥の飛行が樹上起原であるに違いない、と言う人もいますが、これでは説明になっていない。樹上起原であるという仮説をどういう材料からどのような適切なアルゴリズムで導き出したのかまるで語られていない。これでは心霊カウンセラーがいうこととなんらかわりません。

 そして現行の生物学で使われる系統推定や祖先が持っていた特徴の推定に使われるアルゴリズムはダイノバード仮説を導きださないし、そもそも支持しません。

 だとするとダイノバード支持者が系統推定の各種方法を用いないのは当然なのでしょう。それを用いると自分がチョイスした仮説が壊れてしまうのだから当然といえば当然。

 しかしこうした態度はダイノバード支持者自身にとってあまり好ましくない結果をもたらすのではないでしょうか?。なぜならダイノバードをどうやって導き出したのか分からないのなら、どうやって検証したらいいのか分からないってことになる。さらにいうと、たとえどんな新発見の化石がでてきてもそれを使えないということです。

 だからではないかと。ペドペンナやミクロラプトルが発見されて研究者は色めきたったのに、一部にせよ、恐竜マニアの反応がにぶかったのは、そのせいではなかろうかと。

 ようするにあるアルゴリズムで復元を試みている人はこういうことができる。

 ばらばらになった土器を復元していたら、変な隙間ができた。良く見てみたらそれは別の戸棚にしまわれていた正体不明の土製の破片がはまりそうな形をしている。そんなはずはない、だってあれがはまったらこれまでと全然違う形になってしまうではないか・・・。そう半信半疑ではめこんでみたら、うまい具合にはまりこんだ。そうして改めてみるとこれまで土器の模様かなにかだと思っていたものが実は複雑な意匠をこらした特異な飾りの延長であるということが判明した。自分が復元している土器はこれまでのものとは違うまったく新しいものであり、予想していた外見が大きく変わることになった。これは新しい解釈をせまるものである。

 だがアルゴリズムをもっていない人はこういうことができないし、こうした作業の過程で起きる驚きや解釈の大きな変動を経験することもない。特異な破片を見て、わあ、今までの類型から逸脱した面白い形だあ、という驚きは感じるだろうけども、復元を試みることも、それを検証することもできない。

 ちなみに知人に言わせるとダイノバード仮説というのはSFであるそうな。つまり個々の事実を説明する面白いストーリーであって科学的な仮説ではない、というのである。多分、彼のこの評価は正しい指摘であると思う。

 そしてこの話、この論法、どっかで聞いたことがある。ようするにこれはUFOの話とたいして変わらないのだ。考えてもみればUFOエイリアンクラフト説をとる人たちは天文学や物理学の成果をあまり取り込まない。考えてみれば当然で、そんな成果や科学を取り込んだらUFOエイリアンクラフト説という仮説自体が壊れてしまう。

 彼らはどちらも科学のアルゴリズムを使わない。

 あやうい仮説を救うために人間はしばしば補助的な仮説を色々と導入する。たとえばUFO支持者はアメリカ政府の陰謀論を展開する。最近、ダイノバード支持者と話をしたらなんとまあ、既存の仮説を支持する中国産の幾つかの化石は捏造ではないか?といってきた(→2005年6月27日を参考)。これもやはり陰謀論。

 彼らはどちらも陰謀論を使う。

宇宙に興味があるとはいっても天文学や物理学に走る人と、あるいはUFOに走る人とがいますが、恐竜ファンの世界もいよいよそういう段階になったというべきなんでしょうかねえ。そして多分、この対立は天文ファンとUFOファンのようにずっと続きそうです。

 北村としてはUFOエイリアンクラフト説やダイノバード仮説が悪いとはいいませんけども、これが科学であるといったらそれは大問題であると思う。そして進化理論が後付けの理論というのも大問題。科学をSFと勘違いするのも大問題。説明できればそれでいいじゃないってのも大問題。それなら天動説と地動説どっちでもいいことになる。

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