第三章 生協紛争から学園紛争へ

     第一節 第三者の見方

 大学当局の勧告により、やっと団交に応じる姿勢を示した理事会と労組は二月二十九日、「紛争の調停を第三者機関にまかせる」とのことで、業務再開に同意した。しかし、第三者機関も決まらぬまま「第三者機関の決定までの解雇決定者四人の就労の問題」でこじれだし、理事会と労組間は又険悪になった。一方業務を遂行していく中で理事会の出した「業務再建案」が業者の不信を買う事態になり、理事会の誠意が疑われた。業者によれば、営業再開後、理事会が<紛争のもと>である解雇処分を再び主張しだしたのは、いかなる背景があるとはいえ、理事会自身が真に事態の解決の為に取りくんでいないということをしめす以外のなにものでもなかったのである。なぜならば、理事会が解雇処分を云々すれば労組もだまってはいず、再び元の状態に戻るのは火をみるよりも明らかであったからである。特に業者を刺激させたのは「生協の現状を教職員学生ならびに債権者のみなさんへ訴えます」のサブタイトルのついた四月三十日付の理事会のだした「阪大生協再建への道」なる次のビラの内容であった。(もっとも、それは依然として従来から理事会が主張していたもののくりかえしでしかなかったが)

阪大生協再建への道
 最近、生協労組員が多数逮捕されたことが新聞紙上に発表されました。かかる事態を生起せしめたことは、誠に遺憾であります。このことは昨年十二月以来、外販問題をめぐって一部の生協従業員が大学の内外で暴力事件を引きおこしたことによるものであります。「外販」とは大学以外の地域(東豊中第二団地、五月ヶ丘団地など)へ生鮮物等を販売していたことです。この外販は理事会への報告、承認もなく、K元総務主任、K元仕入担当者らを中心として行なわれ、次第に大きく広げられていきました。「外販」は阪大生協のような職域生協としては生協法違反であり、また阪大生協の定款にも認められていません。監督官庁である大阪府の福祉課よりも、すでに早期にS元専務理事代行に対して外販を中止するようにという勧告があったという事実が判明しております。この点については理事会への報告はなされておりません。理事会も外販の事実を知ってから再々やめるように指示しました。
 昨年十二月初、外販活動の責任を問い理事会はK元仕入担当者を解雇しました。
 ところがK(仕入係)らを始めとする労組員はこの理事会の解雇処分を不服とし、十二月六日以来ストに突入するとともに一部労組員はこれを暴力によってくつがえそうとしました。すなわち、宮山寮なぐり込み事件(十二月六日夜)、仕入部員らによる学内パトロール(学生理事、組織部員らに対する暴行、ビラ強奪等)等十数度にわたる暴力事件はそのあらわれであります。この間、理事会は紛争の解決のため全力を傾けました。その結果一応十二月三日労組と妥結し、ストの解除をみました。しかし外販を認めよ等という不当な要求をかかげ再び十二月十九日以降無期限のストに入りました。スト中においても外販は続けられました。
 相続ぐ暴力事件に鑑み、理事会としては暴力を振った従業員は大学生協に全くふさわしくないものとして、一月二十七日、K(仕入係)、K(主任)、S(労組委員長)、N(仕入係)の四名を解雇しました。この間大学も労組に対し暴力従業員の排除を勧告しております。
 二月二十九日学生生活委員会の勧告にもとづき、理事会は労組と団交を行ない、その結果解雇をめぐる紛争の処理は第三者の仲介にゆだねることを確認しました。団交後、従業員に対しては「解雇通知を出した四人を除いて就業すること」との業務命令をだし、従業員は理事会のもとに、三月一日より業務を再開することになりました。しかるに前記四名の内三名は理事会の再々の注意にもかかわらず、食堂、総務室等で依然として就労を続けており、紛争解決のための第三者機関の設定についての団交は三月八日に行われて以来、中断されております。
 その後、三月九日またもS元従業員(労組委員長)が学生理事に暴力を振い、全治十日間の傷を負わせるという不詳事件が発生しました。理事会はこの問題を重視し文書によって労組に対し、S元従業員(労組委員長)の生協施設よりの立退きを命じました。理事会としては学内において従業員の暴力事件に対しては断固たる処置をとったにもかかわらず、解雇者は依然として生協施設に立ち入り、一部従業員は彼らに同調して理事会の指示に従わず、生協再建に大きな障害となっております。とりわけ大学生協として最も大切な仕事であり、また再建の大きな資金源である教科書の販売も、理事長以下のけんめいの努力にもかかわらず、従業員の協力が得られなかったことも一因となって不可能になりました。この間の紛争中に従業員も半減し、紛争が続く限り補充は大変困難な状況になっております。
 以上の如き経過によって現在多くの債務をかかえている生協は再建が非常に困難な状況にあり、債務者(業者)の代表からはこれら解雇者の排除がない限り、納品を停止するとさえいわれています。このままでは阪大生協は破綻せざるを得ない状態であります。したがって再建にあたっての最も大切な条件は次のことであります。
 一、解雇した元従業員の生協施設よりの排除
 二、全従業員は従業員と労組員の立場を明確に区別し、労組としての行きがかりを捨てて理事会の指示に従うこと
 三、理事会と従業員の一致協力
 以上によってまず債務者(業者)の信用を回復し、協力を得、業務を安定させ、従業員を確保してゆくことが大切であると考えます。教職員学生のみなさんのご協力をお願いいたします。
 大阪大学生活協同組合理事会

 この理事会声明は明らかに学生側の書いたものであろう。そして一部教職員理事が個別に賛同の意を表して発表されたのに違いない。「業者らは再建策の前途に疑問を持ち、さらに教職員理事、学生理事、従業員労組がばらばらに動いている生協には信用できないとし、十一日開いた業者大会で納品ストップの方針を決め」(五月一五日付産経新聞)「この際、生協に反省を求めるほか、大学当局や一般学生にも訴えるため、強い態度をとっ」(同、朝日新聞)たのであった。これについては業者代表のK氏は「一般の学生に迷惑はかけたくないが生協理事会の再建策には全く誠意がみられない、立ち直る見込みのないところに、いつまでも商品を納めることもできないのでこんどの措置を決めた」(同、産経新聞)とのべている。
 これまで表面上は第三者機関にまかせる旨の発言はしているが、その第三者機関の選定に関し消極的態度に出、労組との団交を拒否していた理事会も業者の批判的な態度の前に屈し、業者仲介による、業者、理事会、労組との三者会談を通じて、再び「第三者機関にまかせる」旨の確認を強制させられた。しかも今度は理事会がただちに「第三者機関にまかせる」行動をとるということで折れた業者が納品を開始し、営業がはじまるや、両者の主張する第三者機関(理事会は阪大職員組合と大学院生協議会、労組は阪大職員組合のみ)の調整がつかないということで、理事会は再び態度をあいまいにしだし、ただちに「第三者機関にまかせ」ようとはしなかった。
 理事会が当然の帰結である第三者機関を阪大職員組合だけにし調停をたのんだのは、なんとそれから以後七ヶ月もたったその年の暮の十二月であったのだ。実にその間の空白期間は理事会がイニシャチブをとるための準備期間であり、デ学同の力がマメツし、大学にもたれこみ、あるいは教官理事が大学当局の意向を完全に代弁するように、あれこれ手を打った大学当局のための準備期間であったのだ。
 だが、この事態に対して第三者の人達はどううけとっていたであろうか。この阪大生協事件においては誰が抑圧者であり、誰がその犠牲者なのであろうか。そして基本的人権をおかしたものは誰であり、おかされたものは誰であったのだろうか。俗っぽくいえば誰が迷惑をかけて、誰が迷惑をかけられたのであろうか。筆者は、当時、大阪大学に籍を置く当事者であり、全くの第三者であるわけではない。従って、この年六月三日の「日本経済新聞」に記載された「ニュースの周辺」をもって第三者の一つの考え方としよう。

ここにも学生運動のカゲ<阪大生協事件>
ひきまわされた「当局」
 紛争、なお尾を引きそう

 団地内の大安売りを生協法違反に問われて従業員が解雇されたことに端を発した大阪大学(岡田実学長)の生活協同組合(K慎一理事長)の紛争は、すでに半年間、組合と理事会の間で『ドロ沼争議』が続いている。学内の暴力事件まで引き起こし、ついにはあいそをつかした取り引き業者の納品ストップという事態まで招いたが、やっと関係者間で一応の話し合いがつき、三日からまず食堂の一部から営業を始めた。しかし生協関係者から「前代未聞の不祥事」と評されたこの紛争、学生や教職員の福祉のための生協活動が、学生運動の対立にひきずり回され一層問題をこじらせており、最近の大学の持つ悩みをあらためて浮き彫りにしているようだ。
 ×─×─×─×─×
 学生、教職員の福祉厚生団体である大学生協(法人)は、いま全国で約百十校の大学にあり「全国大学生活協同組合連合会」を結成、共同仕入などで安い品物を一般組合員に販売している。阪大でも教養部など六学部のある大阪、石橋地区を中心に食堂、書籍部、購買部などがあり年間売上げ二億円を超えていた。
 ところが一昨年から売上げの伸びがとまったといわれ、四十二年の六月から従業員が生協法で違反となっている学外販売を池田、豊中の団地で始めた。これに対し理事会(教官、学生十名ずつ)では「生協法違反」などの理由で昨年十二月、一人を解雇、これに抗議して従業員組合(S順次委員長、九十人)ではストに入り、食堂は閉鎖された。ことし一月、理事会はさらにS委員長ら三人を解雇したことから、二月には営業再開のメドも立たず、理事会の機能もすっかりマヒした。学内の声に押され、それまでの負債を一時タナ上げし分割払いするということで話がつき、食堂だけは一時再開されたものの、新学期を前に、二千数百万円のこげつき売り掛け金に不安を持った教科書取り次ぎ業者が、教科書納入を拒否したことから、ますますこじれた。一方では学生や従業員の暴力事件も相次いだため業者側の不信は強まり、「紛争を終わらせないと全部の納品をストップする」という『最後通告』が出て、五月三十一日、業者、理事会、組合の三者会議が開かれた。席上「紛争の調停を第三者にまかせる」という点でまとまり、業者も折れたが、「解雇者四人」の扱いをめぐる理事、組合の対立はまだ根深い。
 ここまで紛争がこじれたのは「生協活動の中に学生運動がはいり込んだもの」(大阪府民生部)、「常識が通らない」(全国大学生協連合会)といわれるように、単なる生協活動にほかの要素が加わったためといえる。反代々木系のデ学同派が主流を占める学生理事、教養部自治会と、従業員組合を支持する反戦者会議(三派中心派)、生協刷新委員会の学生同士は暴力ざたを繰り返した。そして理事会の機能喪失も長期化の原因になった。教科書業者は「全協連が保証すれば納入する」と理事会に申し入れ、全協連もあっせんを呼びかけたが理事会は「学内問題だからあくまで自主解決する」と拒否し、解決の道は断たれた。デ学同の学生理事が暴力反対を叫んで三派学生と対立している間に教官理事はこれといった手を打てなかった。現在八人いる教官理事も一方では講義、研究に追われ、K理事長(法学部教授)は「とにかくここまでくれば、双方とも問題を整理しなければ動きがとれない」と言い、大阪府民生部の藤岡義輝福祉課長も「学内紛争をやめることが先決」と指摘しているように、まず一般組合員のために生協の営業を確保したうえで解雇問題一本にしぼって話し合うことが必要だ。
 五月三十一日、一日の三者会談で、営業再開の見通しは一応ついたものの、紛争のもたらした波紋は大きい。一つは学生運動の対立に生協、大学当局が「ひき回された」ことで、学長、滝川学生部長は「暴力行為は断固処分する」とのきびしい態度をとっており、学生同士の抗争はまだまだ尾は引きそう。また『自治』を許されている大学の生協なのだが、「職域生協である以上、母体となる大学当局がもっと手を打つべきだ」(大阪府民生部)という意見が出ているのも注目される。阪大当局ではあくまでも不介入の立場をとっているが、理事長や一部理事などを将来任命制にするという意見も一部にあり、これには学生理事会、一般組合員の間で早くも反発がある。今後、「大学の生協」のあり方をめぐり議論を呼びそうで「阪大の事件は大学生協全体の問題である」(同志社大生協)といえよう。


     TOPへ 阪大生協事件・目次へ 次へ