第二章 阪大生協事件の経過と内容

   第八節 暴力問題その一
                  −生協理事会の立場から−

 デ学同は総代会を有利に終わらせながら、その強引さの故に教職員理事、一般組合員の反発をくらい、せっかく理事会で四人の解雇を決定したものの、それを執行することもできないまま「不正」と「暴力」のキャンペーンをくりかえすのみだった。デ学同のもつ政治的理論や主張はこの時存在していなかった。彼らの全精力は「四人の排除」のために献げられており、その遂行のためには自己の政治的信条を放棄するのはなんでもなかった。そのことは逆に、デ学同が「四人の排除」という悪霊にとりつかれた狂気せる集団になりはてた、といえないでもなかった。もっとも、ある意味では彼らの行なった「不正と暴力」のキャンペーンは自己のもつ理論の一つの証しである、ということもできた。
 そこで筆者はこの節と次の節において、大阪大学に起こった「暴力問題」についての二つの見解を挿入してみたいと思う。それによってデ学同の行なう「不正と暴力」キャンペーンの意図と実体とを理解してもらうことになり、「阪大生協事件」の背景をより知ってもらうことになるのではないかと思っているからである。とはいえ、「不正」についてデ学同は「阪自連アピール」のなかで「生協法、定款違反で六百万円の資金を理事会を無視して(使って)行なった外販活動、妥結事項をふみにじって続けられた不法なストライキ、勝手気ままな自主管理、食堂主任らの業務命令無視、4名の解雇者の居すわり」などをあげている。これらはいずれも外販問題をめぐる抗争から生じており、それについては本章第五・六節でのべてあるので、読者諸兄はそこから判断できるのではないだろうか。そこでは、デ学同の「法」についての解釈が鮮明にされたのではないかと思われる。従って「不正」の問題はここでは省き「暴力」の問題についてのべるわけである。
 デ学同の場合、「不正」が「法」と関係があるのなら、「暴力」は「秩序」と関係がある、といえるだろう。いわゆるデ学同のいう「民主的秩序」である。理事会と労組との間に生じた労働争議が労働傷害事件にまで発展し、学園の民主的秩序を破壊するに至ったのは、大学の自治をおびやかす重要事である、と彼らは主張する。一九六七年一二月一三日付「阪自連ニュース」では「大学自治の中枢機関である教授会は適切な処置を明確に直ちに決定されるよう要請する」と「お願い口調」でやわらかく書いているが、一月九日発行のデ学同の機関誌「デモクラシイの旗」では語気強く、次のようにのべている。「暴力的従業員、反戦者会議の度重なる暴力行為について、わが同盟は各教授会、生活委員会に、暴力が発生し、まさに大学の自治が侵害されているその時、適切な措置もとることを再三厳重に要請した。自由は、侵害された後には取りもどすことは出来ない。大学自治擁護のため暴力行為については、その発生を未然に防ぎ、発生の際には断固たる態度を教授会を先頭とする全大学人がとることは、大学人の当然の責任である」
 この暴力問題をめぐってデ学同がキャンペーンした内容は、最初は「不正の事実の隠蔽」の故に労組が暴力を働いた、から、「不良従業員の存在」が学園の民主的秩序の破壊に導くから彼らを追放しよう、に変わってきている。そして、その目的の達成のためには警察権力の手をかりるのもやむをえない、という結論になったらしい。それもはじめの頃は「トロツキストはとにかくなんとしても追放する。混乱が生ずるなら警察に依頼する」(「阪大生協問題」より引用)といった同盟員の個人的発言であったものが、組織決定にまで追い込まれていったものと観測される。この点は以下の記録が残されていたことからもあきらかであったのである。

 …我々は、総評弁護団、大学評議会、と話し合いの上、告訴を行なうと決意している。第一に、事実を暴露し、第二に学生部長に告訴を要求し、即時回答をせまり、拒否する時は同盟の指導権で告訴し、学園から追放しよう。とくにその際、大衆団体で討議し、その支援に基づいて行なうこと。第三に、N(仕入係、解雇決定者)検挙に際しては、学外検挙を行うように大学側に警察側に要求させること…
                       (デ学同同盟員集会一月提案レジュメより)

 一方、大学当局も、事件が生協の理事会と労組との争議行為の結果生じていると判断したものの、学園内に生じていることから、無視することもできず、次のような総長告示を行なった。

 告示
 最近学内において、さまざまな形の暴力行為が発生していることは、まことに遺憾にたえない。
 暴力行為は、そのよってくる原因を、どのように理由づけようとも、行為そのものは、断じて容認することはできない。
 真理を追究する場としての大学は、ふさわしい秩序と静かな環境を必要とするものである。したがって、学内における諸活動は、良識と知性に強く支えられた言論によるものでなければならない。
 暴力行為は、学内にいたずらな混乱と無秩序をもたらすものであり、大学の自治にとっても、極めて有害なものである。
 大学は、最近発生した一連の暴力行為を極めて重視し、学内の秩序と静穏とを維持するため、一切の暴力行為、暴力を誘う行為を学内から排除し、これを犯す者に対しては、学則に照らし厳しく処置する方針をきめるにいたった。全学生諸君においては、かかる大学の意志を深く認識され、暴力行為の絶無を期することに協力されたい。
                         昭和四十二年十二月二十日 大阪大学総長 岡田 実

 生協労組は争議中のトラブルが、いわゆる「傷害事件」としてキャンペーンされ、ナカヤ学生理事の告訴によって逮捕され、起訴された労組員や、「労組は暴力団と結託して…」なる破廉恥なキャンペーン及びそれに追随したマスコミ報道の犠牲者(彼は名誉毀損の訴えをおこしている)が出るにいたり、窮地におちいった。
 しかし一般学生組合員により新たに組織された「生協刷新委員会」が労組の立場にたち、これまでの唯一の情報源であったデ学同系のビラ等によっては十分理解しえなかった争議中のトラブルについての様々の事情を、生協組合員をはじめとする大学人に知らせた。阪大の人間は今までのデ学同、阪自連の説明と刷新委員会のそれとではずいぶん食い違いのあることに驚いた。読者諸兄は以下に暴力問題に関する二つの見解をみるであろう。(尚、ここで「生協刷新委員会」について一言のべておく必要があるだろう。生協刷新委員会はこの「阪大生協事件」中に結成された阪大学生による組織で労組の立場を理解する唯一の存在であった。後にこの生協刷新委員会が生協理事会に大衆団交を求め、その事が原因で生協のヤマミネ学生理事が告訴し、学生二名が逮捕され、また、授業を妨害したということで大学から学生三名が処分をうけ、それが又原因して、後に各大学を襲った「学園紛争」の阪大における「勃発」のきっかけとなったのである。)即ち諸兄は本節の残された部分においては「阪自連」発行のパンフレットを、次節においては「生協刷新委員会」のパンフレットを吟味することによって、いわゆる「暴力行為」についての学内における二つの考え方の違いをよりはっきりと知るであろう。

A、大阪大学自治会連合執行委員会発行パンフレット

暴力を根絶し、学内の民主的秩序を回復しよう
─大阪大学は暴力根絶に適切な措置をとれ─
<生協不正事件にともなって発生した一連の組織的、系統的暴力事件についての事実経過>   
 △12月1日に理事会を開きK(仕入係)従業員を生協法、定款違反につき、解雇を決定したわけであるが、この二、三月前、常任学生理事クズノ君は、K(仕入係)に石橋のある喫茶店に午後3時頃呼び出され「仕入部にいるN(仕入係)という男はもと暴力団小頭にまでなった男だから何をするかわからんよ」という脅迫を行っていた。
 △12月5日午後6時50分頃、生協組織部室で、組織部員三名、クズノ理事、キタノ(中之島支部)従業員が会議中に、一団の従業員を含む男達─そのうち一人はバットを持ち─が訪れ、部屋内に押し入り、N(仕入係)は「ナカヤはどこにいるか」と問うたのでクズノ理事が「わかりません」と答えると、「知らないはずはない」と理事に詰めより、傍にあった蛍光燈スタンドをつかみ、それで「殺してやる」と叫びながら理事を殴りつけ、止めに入ったキタノ従業員にも殴りつけた。そして「外へ出ろ」と脅迫し、理事を室外に連れ出そうとした。理事は身の危険を感じて隙を見て戸外に出たところ、外にいたK(仕入係)が足をかけ転倒した。外には二、三人の男達がいた。すぐに起きあがり逃げたが、N(仕入係)と一人の男が執ように追いかけたので基礎工の建物に逃げこんだ。
 △12月6日、朝、学生数名が(生協)組織部ニュース二号を配布していたところ、K、N(仕入係)ら数名がドライバーをちらつかせながら強奪し去った。
 △同日10時過ぎ、N(仕入係)ともう一人の男が二回にわたり組織部室に訪れ、理事、組織部員に脅迫的言葉をなげかけ、さらにサカキ組織部員にはカバンをなげつけ、重要書類を持ち去った。
 同日昼頃、ナカヤ学生理事がN(仕入係)と会うために新館事務所を訪れた。入口にS(労組委員長)が立っていたが、そこを通り抜け事務所へ入っていくとその場に女子従業員二人と男子従業員数名がいた。「N(仕入係)君居ますか」と問うと、誰かが呼びに行った。N(仕入係)が黒メガネをかけて入ってきたので、理事は車のキーの件(次節参照)について説明すると、物も言わず入口右手の畳の間に連れこみ、N(仕入係)と仕入部の一人が交代で殴打した。殴り、けり、倒れるところを引きずり起こし、又殴るということを六、七回くり返した。顔面、後頭部、腰部等全身に打撲傷を負い、特に左眼に全治一週間の内出血を負った。
 △12月6日午後5時半頃、学生数名が阪自連ニュースを配布し終え残ったビラを文法経控室に持ち帰ったところ、反戦者会議を名乗る学生が入ってきてそのビラを奪い去った。それを追い学館前で「ビラを返せ」と口々に叫んでいたところ、反戦者会議のH(L四年)がナルヤマ君(L三年)を池の方へつきとばし、それを助けにいこうとしたモリナガ君(J三年)のあごをK(仕入係)がけとばした。モリナガ君は眼鏡をとばされ、軽い脳しんとうを引き起こした。これについては12月8日午前中に開かれた法学部学生集会でK(仕入係)は認めている。この事件の他に多くの学生が暴行をうけている。6時頃「スズモト(C委員長候補、生協学生理事)、ナカヤ理事、ヨシタカデ学同委員長をはじめデ学同学生理事十数名が角材をもってなぐりこみにきたのだ。そして外販用の牛乳ビン千本を手あたりしだいにたたきこわし更に従業員個人所有のタイヤをパンクさせ、バンパーを破損させた。その上騒音に気づいて出てきた従業員二名に対し、角材をもって重傷を負わせたのだ。」とは反戦者会議12月8日発行のビラである。第一に、問題の6時前後、スズモト、ナカヤ、ヨシタカ等は宮山寮B棟415室にいた事、また第二に、タイヤの件、牛乳ビンの件については12月12日の基礎講習会でT、G両氏はその事実はあるが、誰がやったかはあきらかでないと発言している。8時頃、K(仕入係)、S(労組委員長)等十名余の従業員を含む男達が黄色の手ぶくろをつけ、手に手に角材を持ちトラック二台に分乗し宮山寮にのりつけた。「スズモトを出せ」と怒号しながら土足のまま寮委員長の注意を無視して乱入、そのうち一人は角材をもってA棟四階まで上りこみ、ウエマ君(T一年)を寮外に連れ出し、角材で五、六人が集団暴行を加えた。彼はみけんに三針の挫傷(全治一週間)を負い、前歯三本折られた。また寮生多数にも殴るけるの暴行を加えている。彼らは続々とつめかけた寮生の非難の前に退散した。彼らはウエマ君の血のついた手ぶくろを残していった。(これが後の裁判の際の証拠物件となった。)
 △12月7日朝、阪自連、(生協)組織部、宮山寮寮生が6日夜のなぐりこみ事件を学生に訴えるべくテニスコート横へビラまきに行ったところ、昨夜の暴力集団がおそいかかりなぐるけるでビラを強奪し去った。阪自連委員長、寮委員長をはじめ多くの学生がなぐられ、けられ追いまわされた。同日9時過ぎ、理学部守衛室前にあった「理事会決定を支持し、暴力行為に抗議する大院協委員会声明」の立看板をトラックでのりつけた後、一従業員が破棄した。また10時頃、理学部玄関前でビラまきをしていた大院協委員二名にトラック二台に分乗した約八名の男達がおそいかかり、一名は二十数分にわたり暴行を受け腹部に完治二週間の打撲傷を負った。
 △12月8日朝、K(仕入係)、S(労組委員長)らが宮前寮のまわりや構内を車に乗って「パトロール」しビラまきを威嚇した。テニスコート横で再度寮生を含む十余名がまたまた彼らにおそわれ、なぐられ、けられ、ビラを強奪された。
 △1月13日、午後1時頃、学生五十名余が総代会の整理に当たっていたところ、従業員多数が大講義室入口に押しかけ、入口を破壊しようとした。ロ号館ロビーで整理に当たっていた学生ミヤモリ君(T二年)はS(労組委員長)にカバンで頭を強打され、ミヤモリ君は脳しんとうを起こし救急車で石橋学舎近くのM病院へ運ばれた。多数の学生の説得の後、彼らは後部へ引きさがり、総代会は無事資格審査を終え開催された。総代会はS(労組委員長)を中心とした従業員と、反戦者会議学生によって妨害されようとしたが整理員の努力によって議事は最後まで運営された。
 △1月18日4時過ぎ、A棟横で組織部、学生理事会のパン牛乳売り場に赤いセーターの男と従業員Iが現れ、牛乳ビン、牛乳バコを持ち去ろうとした。それを止めようと近づいたナカヤ理事に対し、N、O(仕入係)従業員等四、五人がつき倒し、殴るけるの暴行を加えた。数十人の学生が「暴力ヤメロ」と叫んだが、さらに角材をふりまわし、「あんた達話し合ったらいいじゃないですか。なぜ暴力をふるうんですか」と止めに入った学生にも「関係のない奴は口を出すな」とけりあげるなどしたが、学生が続々と集まってくるとすてぜりふを残して退散した。
 △1月19日午後2時過ぎ、K(仕入係)など二、三人が文法経控室に現れ、その場にいたアオイ君(総代会での発言者)をなぐりつけ、アオイ君は鼻血を出した。また午後4時過ぎ、同じく控室前でカンバンを作っていたキムラ君(総代会議長)にS(労組委員長)が近づき、何も言わずにひたいをけりあげて傷を負わせた。同日5時過ぎ、ナカヤ理事がガレージ横、掲示板前でパンを買っていたところ、S(労組委員長)、K(主任)、G(労組執行委員)が近づき、S(労組委員長)、K(主任)はナカヤ理事になぐりかかり全治五日間の傷を負わせた。
 △1月20日午後1時頃、学館食堂を通り抜けようとした学生ニシムラ君(基礎工三年)はS(労組委員長)、S(労組執行委員)等が行っていた「総代改選の署名」を強要され、それを拒否したところ口論になった。従業員風の男が「ヤルならヤレ」と口をはさんだところS(労組執行委員、彼は調理師をしている)がデバ包丁を持ってきた。身の危険を感じたモリヤマ君は外に逃げたが、S(労組執行委員)は運動場入口まで追いかけてきた。夕方、車に乗って学内を回っていたヤマミネ常任学生理事はS(労組執行委員)の乗った車に執ように追いかけられ、蛍ヶ池付近でつかまり車のキイを奪われた。S(労組執行委員)は一旦その場を引き返した後、S(労組委員長)ら三人の従業員を伴って再び現れ、ヤマミネ理事に集団で激しく暴行を加えた。ヤマミネ理事は顔面に十日間の打撲傷を負いコートは血まみれになった。(これも証拠物件となる。)
 △1月22日、昼休み、控室前広場で宮山寮委員会主催の生協利用者集会を学生五十数名で行っていたところ、N、O(仕入係)他二、三人が近づき、集会にヤジをとばしていたが、暴力糾弾の発言がでると「暴力とはこんなものだ」と近くにあったこわれた窓ワクをふりまわし、宮山寮委員長の顔をなぐる。耳のつけ根に全治十日間の傷を負う。続々と学生二百余名が集まり、また学生部の職員がかけつけ、暴力を振るっている者をなだめ連れていき、その場はそれでおさまった。集会参加者は暴力事件の目撃者として署名を行ない、学生部長に会見を求め、四百名余で集会を持った。
 △3月9日12時頃、ナカヤ理事、ヒラマ理事が組織部室へ行ったところ、壁一面に「学生理事はふざけるな」「ナカヤ君、君のためにならないよ」等のビラがベットリとのりづけされていた。二人でそれをはがしていたところ、S(労組委員長)らがやってきて、二人を室に十数分間とじこめ、ナカヤ理事をめった打ちにしたり、ホホにタバコの火をつけたり、ツバや青タンをはきかけたりの暴行を加えた。顔面には十日間の打撲傷。

<全大学人の手で暴力従業員を放チクし大学の自治を守ろう!>
 元生協一部従業員による暴力事件は、去る4月2日の三人逮捕と宮山寮を含む学内現場検証に引きつづき、4月23日、三人の元暴力団員を含む九人の逮捕という新たな事態にいたりました。当日「毎日」、「朝日」、「サンケイ」新聞等は、「阪大生協従業員に元暴力団」の大見出しで「国立大学の組織暴力団関係者が学園内をわが者顔に横行していたことは前例のない事」とセンセーショナルに報道しました。学問研究、教育の府である大阪大学が自主的に解決しえなかったことは社会的信頼を著しく傷つけました。まことに残念に思います。経過報告で述べられている一連の系統的組織的暴力は、彼らの阪大生協食いつぶし、不正の摘発、長期にわたる不法ストライキを隠蔽しようとするものでした。それはまた学園の民主的秩序に対する破壊行為でありました。従って全大学人が自らの手で学内から暴力を一層し、大学の自治を守りうるか否かを社会から問われていたのであります。

<学校側は自治擁護の先頭に立て!>
 私達はこのような事態に対して12月7日の阪自連集会での暴力糾弾や、1月24日の暴力糾弾集会や学内デモに見られるような学生の自覚ある大衆的行動を追求し、大衆的集会で彼らの暴力的行為を糾弾し、大衆の前で謝罪を要求しつづけました。同時に大学の管理責任機関に対し事実を明らかにし、学内世論に支えられた適切な処置をとられる事をくりかえし要請してきました。しかしながら大学はほとんどなんら善処されず、一応暴力事件のおさまった12月21日、一片の総長告示を出されたのにすぎません。告示は暴力行為を「大学の自治にとっても極めて有害なものである」と指摘されてはありましたが、「暴力をさそう行為も又慎まなければならない」と述べられ、あたかも私達の暴力糾弾の「良識と知性に強く支えられた言論」(告示)と行動を暴力をさそう行為であるかのような表現さえ行われております。
 さらに1月25日、学生部主催の学生部長説明会で、学生部長は一連の暴力事件は大学の自治とは無関係であり単なる傷害事件として考えるべきであると説明され、被害者個人の告訴に「解決」を求められました。さらに1月24日、阪自連の呼びかけで、のべ千人の学生が「暴力を働いた従業員は謝罪せよ」と起上がった集会に対して、あれは集団的暴行であり、個人の人権を無視したつるしあげに他ならないと言われ、もし再度集会、デモが行われるならば責任者を厳重に処分するとも発言されました。こうした大学の自治機関による自主的解決という基本的態度を大学の管理責任者が曖昧にされた事がさらに学生の暴力行為を許しました。そしてついにナカヤ理事は3月9日四度目の組織的テロルを受けました。

<四人を解雇し、生協民主化、大学の自治を擁護しよう!>
 さらに教科書問題で明らかな様に、現在解雇された四人の元従業員の学外排除により、学内の民主的秩序を取りもどすことなくしては生協の再建もありえず、理事会の「訴え」の指摘するところであります。この様に大学管理責任者の無責任な態度は、一生協の再建問題にとどまらず、大阪大学の自治に対する社会的信頼を回復しえるか否かという大きな社会問題にまで発展したのであります。
 私達は大学の管理責任者が最近の一連の事件に対してすみやかに態度を明確にされ、四名の学外排除、暴力根絶の先頭に立たれる事により、大学の管理責任を明確にされる事をここに要請するものです。


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