第二章 阪大生協事件の経過と内容

     第七節 生協総代会以後

 だが、デ学同のこの賭は成功したのであろうか。デ学同自身のかかげる「生協再建の為の八提案」が総代会で可決されたという意味では成功であっただろう。もっともそれは当然の話であった。なぜなら、総代会はほとんどデ学同の別組織であったからである。彼らは文字通りに民主的に採決をとり、学生理事案というデ学同案を可決したのであった。
 しかしデ学同が意図していたのは総代会で自作自演の芝居をすることだけではなかっただろう。総代会を勝利に終わらせることによって、自己の政治的野望、即ち敵対する生協従業員の排除を実現させることではなかったか。確かに彼らのいう総代会は成功し、その勢いで、理事会決定ということで、S及びMの両専従理事を解任し、新たに、K仕入係を含むK主任、N仕入係、S労組委員長の四従業員を懲戒解雇にし、彼らにいわせれば「生協の民主的再開の第一歩」をふみだしたのであった。
 とはいえ事実はどのように進行したのであろうか。結論を先にいおう。それは悲惨というもの以外のなにものも招かなかった。そのことはデ学同側にもいえたし、労組側にもいえた。
 デ学同にとっての不幸は、この総代会をのりきれば必らず援助してくれるものとあてにしていた大学当局及び大学生協連が実はそれほどにデ学同に好意的でなかったということである。大学当局は大学当局独自の観点から動いていたわけだし、何もデ学同にことさら味方するなんてことは考えてはいなかった。大学生協連も、デ学同の上部政治組織である「日本人の声」の日本共産党への復党問題が日本共産党の拒否にあって失敗する過程にあって、これまた独自の行動をとるようになったきたのである。さらにデ学同にとって致命的であったのは、自己の組織内の矛盾が顕在化し、その中から、いわゆる「ネオ・トロツキズム」が出現し、組織の力そのものも弱大したことであった。同時に彼らのトロツキスト排除の大義名分の権威も影がうすくなってきた。
 一方、労組側も「生活の論理」に追われだした。十二月以来の無収入によって斗争に対する懐疑心が頭をもたげ、労組を脱退し理事会側に走る者や、裏切らないまでも他の職場を求めて奔走する労組側の姿もみられだした。
 こういった事態になると、斗争における勝利と敗北の区別はつきにくくなってくるものだ。どちらも傷つき、再生のエネルギーまでもついやしてしまう。ところがその中にあっても、漁夫の利をしめる存在がうかびあがってきたのである。それは当事者をたくみに渡り、正義を常に合法的にもっているだけに紛争をとりしずめるにうってつけの存在であった。
 実はそういった存在こそ、常に勝利者なのであり、敗北者の多数をこしらえあげることによって、現存の秩序を保持しようとするのである。そして、それは最も権力のあるものであり、それに対する打破をねらう反権力者には、いかなる存在であれ苛酷であり、恭順な小ヒツジである限りは、いかなるものをも利用しつつ、恩ちょうを与えようとする権力者の象徴、即ち国家権力そのものであった。われわれはその具体的なものとして国家権力に反逆の牙をぬかれて恭順な大阪大学当局のあわれな姿をみるのである。
 それはともかく、デ学同が強引に総代会をのりきったところに話を戻そう。彼らはそれに成功したと主張したけれど、事態はどうだったのか。スタートから、つまずきをみせたのではなかっただろうか。当時の模様を一月一四日付の「朝日新聞」は次のようにのべている。

 阪大生協、教職員の七理事が辞意
   学生理事と対立、再建さらに困難に

 外販活動をめぐって生協理事会と従業員の労組が対立、去年十二月初めからストが続いている大阪大学生活協同組合(理事長、K 慎一法学部教授、組合員七千五百人)の再建をはかるための理事総代会が十三日午後、同大学教養部大講堂で開かれた。しかし、再建案をめぐって教職員理事と学生理事とが激しく対立し、K理事長ら教職員理事七人が辞意を表明、事態の収拾は一層困難になった。
 同生協は、去年八月から豊中市の団地などで生鮮食料品の販売をはじめたが、理事会は「外販活動は生協の定款に違反するうえ、勝手に生協賃金を使い、赤字を出した」として従業員の一人を解雇した。これに対し、同生協労組(S順次委員長、九十人)が解雇撤回を求め去年十二月六日以降波状ストに突入、同生協の運営は行詰まった。さらに、解雇を妥当とする阪大自治会連合(阪自連)と、労組を支持する反戦者会議(三派全学連系)の学生が反目し合い、暴力事件まで起った。
 この日の総代会は開会前から会場入口で労組員と阪自連の学生が小ぜり合いを続け、工学部自治会の学生が脳しんとうをおこして倒れ救急車で病院に運ばれるなど、緊迫した空気に包まれた。
 具体的な生協再建案について、教職員側が再開に当たっては労組の協力を求めることを強調したのに対し、学生側はストで生協を危機におとしいれた労組員を処分したうえで再建に乗出すとして見解が分かれ、調整のつかないまま午後八時前、学生理事案が可決された。
 このため、教職員理事八人のうち、K理事長ら七人は「学生案では問題の解決は望めず、これ以上理事として責任は持てない」と辞意を表明、退場した。これで同大の生協問題は労組もまじえて、三つどもえの対立状態となった。
 一方、こんどの事態について滝川春雄学生部長は「大学側としては生協再建に協力できる点は協力したい。しかし、生協理事会が正常な姿に戻ったうえでないと、どうにもならない」といっている。
 
 以下、われわれはそれ以後の経過をよりよく知るために一九六八年五月一○日付のデ学同の機関誌「デモクラシイの旗」労組発行の「阪大生協問題」より抜粋してみよう。

A、デ学同側の主張
 
  総代会成功する
 生協から不正と暴力を追放する為、一月十三日、臨時総代会が開かれた。事態収拾に自信を失った一部教官理事は、理事会の機能を生活委員会小委員会(注・大学行政の一機関)に委譲することを主張した。しかし総代会は、生協のことは理事会が全責任をもって生協で解決するという学生理事案を圧倒的多数で可決し、労組の五項目要求は拒否され、不正と暴力の徹底的追放を決議した。総代会を暴力的に破壊しようとした反戦者会議や、一部従業員の妨害も、学生の理性ある行動によって排除された。この総代会の成功は、生協の民主的再開の第一歩であった。十九日の理事会(注・これが後に問題の理事会といわれる。即ち誰がどのように召集したのかは、ついにあきらかにされなかったのである。)は不正と暴力の首謀者四人を解雇した。だが、一部教職員理事が辞意を表明し、理事会出席を拒否することによって、理事会は一時機能マヒに陥り、再建の実現は遅らされた。

  労組による生協の自主管理と暴力事件の再発
 一月十八日、全く学内で孤立した一部労組幹部は、自らの責任を曖昧にし、組合員、一般従業員の要求に答えるようなポーズで、労組の自主管理による業務を再開した。しかし理事会の管理を離れたこのような自主管理は、金銭関係が曖昧になり、不正を拡大し、社会的信用を落とすのみであった。この自主管理を批判する学生に対し、一部従業員は再び暴力を振るい始め多数の学生を負傷させた。一月二十二日には宮山寮生の集会に、元暴力団員ら一部従業員がこん棒で殴りかかり、寮委員長などが負傷した。その場で約三百名の暴力排除の集会を開き、学部長に対し、暴力事件を未然に防ぐための措置をとるよう要求した。一月二十四日、阪自連は暴力糾弾の集会を呼びかけ約八百名の学生が「暴力反対!」のシュプレヒコールで学内をデモした。デモ行進は生協施設の前に結集し、生協施設を占拠していた労組幹部に、暴力行為の自己批判と施設の理事会への明け渡しを要求した。そして施設の前に陣どり不当占拠をかばっていた反戦者会議の妨害を排除して、施設の鍵と帳票類を理事会の管理の下に取りもどした。ついに労組の自主管理は組合員自身の手によって阻止されたのである。ところが翌二十五日、我々のこのような学生の正当な行動に対して、学生部長は、授業を打切り、千名の学生を集めて「暴力事件についての大学側の説明会」を開いた。学生部長は、暴力事件を解決することに中心をおかず、二十四日の阪自連集会の非難に重点をおきながら、一連の暴力事件は大学自治とは全く関係なく、被害者が告訴によって解決すべきであり、その場合、警察権の導入もあり得ることを説明した。このような学生部長を始めとする一部大学管理者の無責任な態度こそが、暴力的従業員を勇気付け、暴力の徹底的排除を不可能にしたのである。

  生活委勧告と理事会再開
 教職員理事七名は尚も任務放棄を続けた。しかし阪自連、各自治会の「総代会決定に従い、民主的業務再開」の署名活動を始めとする粘り強い運動はついに大学を動かした。学生生活委員会は、二月十七日、教職員理事に、理事会に復帰するよう勧告した。理事会は再び業務再開の具体案の検討にとりかかった。どのように業務再開するかで学生部長、一部教職員理事、「全学連」支持者会議は一時棚上げにした即時無条件業務再開を主張した。しかしこの三ヶ月、我々が闘った目的は阪大生協から一切の不正と暴力を働いた一部従業員の追放なしには、生協の再建は不可能である故に業務の無条件再開は真に問題の解決をもたらさないのである。真に正しいスローガンは、不正と暴力を追放し、民主的業務再開であった。二月二十九日、広範な学生の支持に支えられた学生理事の努力によって、理事会は四人の解雇を確認し、四人を除く全従業員に業務命令を出し、業務再開を行なうことを決定し、三月一日、業務は再開された。この間、「全学連」支持者会議は、何の自己批判なしに、こっそりと方針に手直しを加え四人の解雇を支持する側に回った。不正と暴力の追放を要求する学生の強い意志に抗しきれなかったのである。

  解雇者の居すわりと一部主任の業務命令無視
 不正と暴力の張本人である四人の元従業員は、業務命令を全く無視した一部主任の指導の下に、三月以降も生協で就労している。さらにそのうちの一人S(労組委員長)は、三月九日、またも学生理事に全治十日間の傷害を加えているのである。(この理事は合計四回の傷害を受けた)現在生協は事実上理事会の業務命令が貫徹しないが故に、労組によって自主管理されているといっても過言ではないのである。今や、四人の元従業員の追放以外に問題の解決は全くあり得ないことは明白である。ともかく、彼らを追放し、管理体制を正常化しなければ、誰も阪大生協を援助することはないのである。今回の教科書問題はそのことを明確にした。教科書販売の為についに大学生協連も援助を行わず、教官の連帯責任で購入せざるをえなかったのである。

  <今後の方針>不正と暴力追放、大学自治確立のために
 四人の追放は、単に生協だけの問題としてとどまらず、全阪大人の取り組むべき課題となっている。第一に、暴力行為が元暴力団員三名を含めて組織的系統的に白昼公然と学内で学生にふるわれたものであり、大学の民主的秩序を破壊し、大学自治を根底から脅かしたからである。第二に、阪大生協を、単により安くうまいものをという生協から、この運動を通じて学内の自治活動を発展させ、民主的雰囲気を作り出す生協に全大学人の力で変えて行かなければならないからである。以上のような任務を果たさなければならない大学の一部管理責任者(学生部長)らは、学生の度重なる暴力排除の要請にもかかわらず、一貫して責任を放棄し続けたままである。そのことによって、四月学内現場検証、さらに機動隊導入の動機等々この問題が大学で自主的に解決されることなく警察権に委ねられようとしている。当面、四人の追放を勝ち取ることなしには、一切の問題解決の第一歩は踏み出し得ない。この闘いの先頭に大学を立たせ、大学の責任ある行動をとらせることが我々の任務である。阪大全体に既に一部従業員の不正と暴力行為については明らかになりつつある。

B、労組側の主張

 臨時総代会について
 総代会は臨時総代会として当事者能力を喪失した理事会に対して新たな方針を提示するものとして客観的には設定された。だが、現総代は非民主的選出に基づくデ学同独裁であり、理事会の無能には、現総代会にも責任がある。ここに我々が<総代会改選─新総代会>なる路線を対置した所以がある。<1・13総代会粉砕>なるスローガンはかかる路線の政治的表現である。…
 第三波スト決行中に開催される「総代会」はまさしくこのストライキによって告発された生協理事会の無能及び生協組織編成上の問題性が、いやがおうでも顕現するものとして(1)総代会形式における間接民主制の形がい化、(2)先の現「総代」の問題性、を中心に訴え、<全組合員の生協>への再出発を強く要請した。そして事態の真の「解決」は5月総代会においてこそなされるだろうと先見的に明らかにした。

 業務再開と四人の解雇について
  一月一五・一六日 労組、<総代会決定>の非現実性、反生協的内容を検討した結果、一刻も早い業務再開こそが課題であるとし、教官理事(前理事長のO教授のこと)と個別交渉に入る。
 一月一七日 夜、合意。(合意文書も作成される)
 一月一八日 食堂再開。理事長、「理事長指示で再開」する旨のビラを書けと主張。労組、「学生に書かすべきだ」とする。労組はこのビラの件をこの程度のものと理解。「業務再開…労組」のビラをもって「自主管理」とするのはコジツケ以外の何ものでもない。理事長、1・13における教職員7名の辞意の為、理事会としてはもたれず、(従って)理事会決定には参画しないが、業務執行には協力する旨、態度表明。
 一月一九日 理事会(が開かれたらしい)。
(1)この「理事会」で18日からの業務再開に関して理事会が認めたということにしてほしいという見解と、総代会決定によって自主管理を中止させようという見解が<対立>、結局、後者の学生案が「決定」される。先の合意に参画した一名の教官(O教授)は、あの話はなかったことにしてくれ、と通告してくるし、他の一人(現理事長のK教授のこと)はビラのせいにして労組がビラを書いてくれなかったからと公言しはじめる。ダラシナイ話だ。しかし、これは単に学生理事の圧力というよりも、もっと大きな背後の圧力があったものと思われる。「これが真の『敵』である。」事実、1月19日、前者の教官理事は大学厚生課に、昨日より理事会指示で再開した旨、報告しているのである。後日、撤回させられたと思われる。
(2)この日の「理事会」で問題の四名懲戒解雇を「決定」したという。
a、理事会は存在していない。
b、暴力を理由とする懲戒解雇は成立しえない。事実調査さえしていない!
c、外販を理由とする懲戒解雇は12月13日の確認事項に反する。
※この決定は1月27日本人に発送された。理事調印が二つ存在していることが判明。この日の「理事会」の議事録はついに公開されずじまいである。

 デ学同、施設をロックアウト
 一月二四日、午前中、大学当局のK学生課長(大学当局)は労組斗争委員に「デ学同の挑発にのるな。今日一日は絶対にたのむ」なる電話を入れてくる。十二時半以後、デ学同系の集団リンチ、ロックアウト。デ学同、施設の鍵を強奪、伝票類も同様。
 一月二五日 学生部長見解、内容は次の通り。
 ○暴力の禁止
 ○1月24日の学生の行為も又、暴力である。
 ○警察権力の学内導入も場合によってはありうる。
 ○大学の自治とは教授会のそれである。
 なお、この部長見解には学生側からの正面切った反論がいまだにみられない。それ程、阪大学生運動は不毛なのであろうか。この日まで学生理事は、総代会決定に労組も従え、なる宣伝を行って来たが、労組は総代会決定に一義的に拘束されるのは教官を含めた理事会全体であること、しかるに現在理事会は分解している。かかる理事会の統一こそが総代会決定の拘束力のコンテキストにおける課題ではないか、と主張。労組に関していえば理事会を媒介として総代会決定なるものと関係するのであって、拘束のレベルがそもそも理事会に対するのとは違うのだと主張して基本的に学生側も認めた。

 再び業務再開
 二月一七日 生活委員会告示、実質は勧告、「2月29日までに団交を持ち3月からの再開を図れ」というもの。労組は、実行不可能な勧告をすることによって介入の布石を巧みにしこうとする策動として批判する。
 二月二二日 理事会、2・17勧告を受けて「一月一二日以後はじめての理事会だ」と理事長発言。
 二月二八日 理事会、この日団交を二十九日に持ちたいと通告。労組受諾。夕刻、「明日の団交を平和的に簡単に誤解のないようにすませるために少し打ち合わせをやりたい」旨、教官理事より斗争委に連絡。労組受諾。
a、<勧告>にそって3月1日からは是非営業再開したい。
b、処分問題に関しては学内の第三者機関の意見に従いたい。
c、第三者機関の結論が出るまでの期間の四人の就労は認める。
d、団交は29日12時からにしてくれ。
(この教官理事の提案に対し)労組、c項提案がある限りa項には協力する。但しb項には筋論からすれば反対しなければならない。(とし合意。打合せ終わる。)
 二月二九日 12時からの予定が4時35分団交開始となる。じつはこの遅れた間、理事会をやっていた。理事会案、a項、b項そのまま提案。「学内の」にえらくこだわる。第三者とは職組、大院協を指定、c項就労は認めないと、前日の申し合せ事項をひるがえす。実は最前の理事会で28日提案のcの部分が何かの圧力でひっくりかえったのだ。(1)学生理事のつきあげで28日提案の教官理事の提案がホゴにされたのか、(2)学生理事のつきあげはあったにしても主要なモメントではなく、大学の然るべき部分の見解に従ったというべきか、<「四人の就労を認めるのはマズイ」なる意見が28日から29日までにある教官理事の耳に入っている。>(3)とにかく、28日の件(申し合せ事項)については「話はなかったことにしてくれ」と団交休憩中に通告。1・19につづいて二回目、教官理事の自主的判断なるものは存在しないのである。労組、b項に関してはあくまで白紙撤回を要求、c項は従ってナンセンス。休憩。この間、教官理事(理事長を含む)、監事と話し合う。労組、理事会が第三者機関に委託する以上、理事会としての権限放棄である、従って第三者機関にまかせる以上そこでの結論が出るまでは処分棚上げとみるべきであるとする。教官は基本的に認めた。教官、結局、就労してもそのことによって業務命令違反とか学生が反対して排除するとかいうことにならないようにすると確約、従って、理事会として一本にマトマッタ形での業務命令を個人宛に出すと混乱するのでそれはさしひかえるということでマトマル。団交再開、(上記のことを)簡単に説明し、第三者については今日のところは決まらないということで9時終了。
 三月六日 朝、ヒラマ(学生)理事、2・29付の業務命令を総務に持ってきて全員に配布するよう通告。労組直ちにつきかえす。「四人を除く業務命令」を骨子とするもの。理事長「業務命令を出すのは当然だろ」と開き直る。労組、2・29確認事項の再確認こそ課題であるとして団交要求。(業務は三月三日より食堂、食品から再開していた。)
 三月八日 5時団交、上記の確認なされず、従って第三者問題については一向に話は進展せず。

 弾圧に屈することなく業務を守り抜く。
 デ学同・理事会は生協をつぶすつもりでいる。
 彼らの陰謀を粉砕せよ。
 業務再開後、理事会は一方的に確認事項<生協存立のためには業務を再開するが、争点は何一つ解決していないことを確認するとともに、処分問題は「第三者」の意見によって決め、それ迄、1月19日理事会決定なる処分は棚上げに付す>を踏みにじり、デ学同、民青同と共に「元従業員」なる表現のビラを意識的に流しはじめ、不当な解雇を「正当化」し「既成事実化」しようと図った。我々はかかる事態においても、確認事項の再確認こそが急務であると考え、この間再三再四団交の申し入れを行なったが理事会は一方的に拒みつづけた。あげくの果てに、4月になれば決着をつける、3月中は一切団交に応じない、などと公言する学生理事まで出る始末であった。事実、4月1日以後デ学同、学生理事のヒステリックな「暴力」宣伝を唯一の手がかりに内偵を進めていた大阪府公安警備課特捜部は、大学当局、理事会との入念な打ち合わせののちに一挙に横暴な労組弾圧に乗り出したのである。逮捕者延18名、参考人出頭延17名、その他聞き込み等延数十回、現在も尚呼び出しが続いている。この間労組は、権力の実体と直面し原則的に斗い抜くと共に、その意図背景を適確に暴露した。さらに、ほとんど無差別逮捕に近い状況の中で、弾圧は業務の中枢に迄及んだが、我々は献身的に労働力を提供している刷新委員会、アルバイト委員会の学生と共に断固として業務を守り、再建への物資的礎を築いた。この力のみが再建への唯一の手がかりとなるであろう。
 こうして今や、デ学同学生理事が「4月になれば決着をつけてやる」とうそぶいていたその意味が公然と明らかになった。労組に対し挑発の限りをつくし<ナカヤ学生理事は3月某日労組執行委員長にケンカを売るし、ヤマミネ学生理事は業務の責任者である一主任に「シンドイなら早くヤメロ!」と暴言をはく等>あわよくばストライキを誘発し労組の手で生協を危機に陥し入れんとしむけ、我々の毅然たる態度の前に失敗するや、今度は自ら告訴し警察権力が公然と弾圧にのり出したことから4月23日付夕刊報道を唯一の手がかりに「暴力従業員」なるデッチ上げを大々的に行ない、大学当局に「責任」なるものをなすりつけ、泣きつこうと必死にもがいているのだ。自ら招いた権力導入という事態に対して、全く無責任にも「学問研究、教育の府である大阪大学が自主的に解決し得なかったことは社会的信頼を著しく傷つけました。まことに残念に思います」などと白々しい態度をとりつづけている。彼らは1月25日の滝川(学生部長)見解が「一連の暴力事件は大学自治とは全く関係なく、被害者が告訴によって解決すべきであり、その場合、警察権の導入もあり得ることを説明した」ことを、大学責任者の「無責任な態度」となじりながら、実のところ、その「教え」に忠実に従って告訴したのはデ学同自身であることをかくそうとしている。まことに立派な「教育の府である大阪大学」の教官にして生徒であるといわねばならない。そしてついに5・16付「デモクラット」号外では「生協そのものが」「有害なものに転化し」「今や阪大のガンになってしまっている」とまで言うに至った。これこそ、12月以来の彼らの策謀の帰結である。デ学同生協をつくるためには今の生協をつぶさなければならないというのである。民青同、全支会の諸君がこの間一貫として「不正」「食いつぶし」「黒い霧」なる表現で企図したことは要するに、今の生協はダメだ、我々が大学生協連を呼んで、民青同生協をつくらなければならない、ということである。…彼らは共に、5月も下旬をむかえようとしているのに「総代選挙」を真面目にとりあげようとはしていない。「暴力」問題で組合員の目をごまかし、そのうちなんとかつぶれてくれるだろうとでも考えているのである。だが生協組合員諸君、彼らにだまされてはいけない。早急に「総代選挙」を要求し、彼らを生協の一切から追放しよう。それこそが、「生協問題」の「真の解決」なのだ。()内は筆者挿入


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