第二章 阪大生協事件の経過と内容

   第四節 事件の焦点その一
              ─外販問題、地域化問題に関する生協理事会の考え方─

 すでに述べたごとく、この阪大生協事件の契機となった「外販問題」は阪大生協の今後のあり方をめぐっての運動論に起因するものであった。近年の大学生協も流通機構の再編成等のあおりをもろにくらって、存立の基盤さえおびやかされるようになった。これが「生協運動の危機」として各生協においてさけばれるようになり、その打開策はしばしば論争の対象とされた。
 この阪大生協においても四十二年度の四、五月期に約一千五百万円の供給予算からのダウンがみられてから、それらが深刻な問題としてとりあげられた。そして阪大生協の業務基盤の確立の方法をめぐって、他の生協との同盟化及び地域進出をして、広範な地域の消費者運動を展開していく中で解決の方向をみいだすべきだとする労組側と、それは時期尚早でありそれよりも内部の業務の充実をはかり、学内において対大学交渉を通じて阪大における生協組合員の利益を守る運動を先にするべしとする理事会側とにわかれた。デ学同は労組の考え方を「反帝コンミューン協同組合」論を組織論にもった「地域コンミューン」の設立といった政治セクト的野望のあらわれにすぎないと批判すれば、労組はデ学同理事会の考え方を「阪大ナショナリズム」にのっかって、デ学同の勢力の維持を願っているにすぎないと批判している。
 とはいえ、今回の事件中、いわゆる理事会側といわれる考え方の中には、運動論をふまえた外販、地域化問題そのものについてのものが少なく、どちらかといえば、労組の考え方に対する批判という形で展開されているものが多かったのは事件の性格上やむをえなかったのかもしれない。

一、生協の運動論について
 運動論とは指導理念を明確にすることではない。資本制社会に生きる生協という大枠のなかで生協が運動体として、いかに生きていくのかという具体的な運動方針の確立である。………
 経済、流通情勢の転換─安いという党派制は失われつつある。しかし、そのなかでもいかに「安い」ということを追求するかが変わらぬ生協の党派制として確認されなければならない。資本主義社会に生きる大学生協は販売によって生きている。市場価格よりも安い商品を学内で販売することによって、学生大衆、教職員の生活を、高物価から守ろうとしている。生協運動が、その域を脱出し、いわゆる消費者運動のぼっこうを約束しうるモーメントは存在していない。「安い」という党派制は現在の生協の存在基盤である。それなくしては生協が生協でなくなる本質的なものである。運動論とは、生協の党派制を確認することではなしに、どのようにこの「安い」という党派制を擁護、貫徹していくかを具体的に明らかにすることである。現在考えられるのは次の諸点である。
  1.いわゆる「教環運動」、大学からの設備、施設の獲得、水光費斗争→生協資金の節約→安い価格維持……
     <具体的方針>○厚生施設設置基準変更斗争 ○国立大水光費斗争の具体化 
               ○組織部、学内組合員の団結強化
  2.企業規模拡大→共同仕入、同盟化、それへむけての各単協の合理化、経営水準の向上
  3.中地区地域化構想
   従業員寮、従業員を核とした地域化
  4.一般的政治斗争
      諸物価、公共料金値上げ反対斗争の展開、大学生協連にはこれのカンパニア斗争しかないところが問題。しかし我々が労働運動の方針を出しても無意味。当面自治会、寮運動などに協力し、カンパニア斗争は免がれない。
(一九六七年大学生協全国総会にむけての阪大生協の総括、方針のための常任理事改案文責・クズノ学生常任理事兼組織部部長)

二、生協経営の危機について
  外販では経営危機解決はできない!
  危機の原因は書籍、購買の以上利益低下だ!
 以下、話を分かり易くするために労組のなかにいるトロツキスト達の学生における代弁者である反戦者会議発行の「生協スト妥協と今後の我々の任務」なる刷りものから引用を始めよう。彼らによれば「阪大生協の危機の深化」とは次の如くである。曰く「阪大生協は理事会、総代会のデ学同の一元的支配の下にあり、客体的条件としての物価高騰の中にあって、具体的にこれに対処していくべき手段は一切とられてなかった。生協は大衆が資金を出しあい、大量購入、中間機構排除により安く分配することを自らの団結の力で守り生協を防衛していくことが根本理念である。生協は利潤追求を避け、価格を維持、低下させるべく努力するものである。一方に於て物価の上昇がある中で、如何に処すべきであろうか。価格の上昇、従業員の給与の切り下げによって行うべきではない。第三の道として原価、諸経費の低下であり、量の増加による資金割れの防止である。原価、諸経費の低下としては、水光熱費、設備の国庫負担化、大量仕入等であり、供給量の増加は地域化、同盟化の方向である。」─しかるに又、曰く「デ学同理事会は一切」これに「対立してこなかった」と。そしてその「しわよせをもろに喰っているのは従業員であり」ここに至って労働者は、ついに決意し「経営危機の労働者による突破」を「試み」ざるを得なかった、という訳である。刷りものによれば、一回の売り上げが「一八万ぐらいにまで定着化してきている外販活動」が実は高々トラック一杯の野菜と魚の行商にすぎないことが認められているが、これが彼らのあの「金科玉条」の正体であった。それで阪大生協経営の危機は存在するのだろうか。それは実在する。彼らトロツキストたちがいういろいろな<ごたく>の中にあるのではない。これは本来なら一二月九日予定の総代会へ報告されるべき四二年度上半期決算報告の中で明らかにされる筈のものだった。
 順に説明しよう。
 一、先ず、供給高(売上総額)については、購買と書籍は予算未達成、食堂は超過達成。 
 二、次にGP率(もうけ率)、これが低下することは、常識で考えると次の通りである。
  (1)タナ卸しの誤差(在庫高の勘定間違い)
  (2)仕入、返品の際の伝票処理の誤り─たとえば千円で仕入れたのに伝票では千百円となっていた場合や、返品の際の伝票を受け取らないことによる間違い。
  (3)盗難(万引き、その他)
  (4)販売時の手違い(価格間違いなど)
  (5)売上げ後の台帳記入までに生ずる手違い。ところでこれらの通常の手違いによるGP率低下は高々1%止りである。これからみると、購買部(中央売店─石橋)、書籍部の7─5%の低下は異常という他はない。しかも食堂部は超過達成である。
 三、供給剰余(粗利益=売上金マイナス原価)、ここでも書籍、購買は赤字。食堂は黒字。ことわっておくが、通常下半期は、書籍、購買は売上げが落ち、仲仲予算達成ができず、赤字になるのが常とされている。それでも昨年下半期購買は黒字である。 GP率も然り。
 四、最後に当期剰余金(純利益)も同様に、書籍、購買は予算未達成。食堂は超過達成。

 トロツキスト達も、我々も共に阪大生協経営の危機を主張する。ところが阪大生協の危機はトロツキスト達のお題目か念仏のようにいう「外販活動」とやらを認めない理事会の「無為無策」にあるのではなく、誰がみてもあきれるばかりの前期購買、書籍二部門の巨額な赤字、大幅な「GP率(もうけ率)低下」にあることはもうこれで明らかであろう。そしてこの購買部、書籍部こそトロツキストたちの舞台であったことを考えると極めて異常な事態が久しく支配していたとみるのは、うがちすぎであろうか。
 さてここで少々興味ある事実を紹介しよう。この黒い霧を「外販活動」なる呪文で、我々の目から隠そうとしたトロツキスト達の夢は現実とはならなかった。外販活動によって「大量仕入れ」ができるのは前述した如く、主に野菜、魚類でしかないことも明らかである。これが書籍、購買の危機を救うはずがない。しかし、彼らはこう言うかもしれない。「外販活動による大量仕入れのおかげでほれみろ食堂部門は黒字じゃないか」と。冗談ではない。彼らは外販用に仕入れた食料品を阪大生協の食堂へ外販価格よりも高く売りつけていたうえに、外販活動によって得たと称する剰余金十万余円は未だに阪大生協の会計には繰り入れられていない。
 以上が阪大生協経営の危機の本当の姿であった。ところで、危機はただ赤字、GP率低下だけにあるわけではない。トロツキスト従業員の黒い霧を上げてみると…
 一、K(主任)が阪大生協に入ってより阪大生協に於ける伝票、印刷物一切はK(主任)の兄であるK・Sの経営する「サカイビジネス」なる印刷屋─実は取つぎブローカー(古ぼけたアパートの一室で、印刷ができる訳がない)に任されていた。又、発売元阪大生協書籍部と称するローザ・ルクセンブルグなどの一連の外国語書籍を同じK・Sの経営(場所も同じ)になる出版会「四季」より出版した事実。出版会「四季」はいくつかの共産主義同盟関係の図書を出版している。これまで、理事会、常任理事会は、一度も書籍部による書籍の発行、発売元引受に関しては検討を行ったことはなく、従って許可も与えていない。
 二、まだまだある。いわゆる「バック・マージン」の件である。バック・マージンとは、書籍その他の大口取引も、その取引高に応じて、取引先の得るはずであった利益の一部を戻す商習慣であるが、実はこの金の行方が、非常に不明瞭であることが、以前の総代会においても指摘されているのである。すなわち六六年一一月、全国大学生活協同組合連合会を通じて、書籍バック・マージン一七万円が振替で送られた事実がある。これは通常、総務部雑収入として会計にくり込まれているという(M専従言)が同年下半期の決算によれば、雑収入二五万、そのうち組織部広告代による一六万が含まれているので、明らかに一七万のうちの大きな部分がここで消えていることになる。また、書籍のバック・マージンを書籍部に入れずに総務部に入れていたこと自体も不自然極まりないのである。追求にあったS(専従)の発言は「六六年度下半期決算において赤字にならないように出資金の預金約十万円を総務部雑収入にくり入れた」と称するのだが。
 以上で明らかにした生協の黒い霧に対して、理事会は厳密な調査の上、断固とした処置を行うよう要望する。
  (デ学同機関誌「デモクラシイの旗」一九六八年一月九日発行・生協問題号外)

  <筆者より>
 この文章及び次のそれでは、あたかも犯罪的行為があったかのごとくに書かれているが、そんなものはない。デ学同が指摘する事項に類似するものはあるが、すべて説明をうければみんなが納得するものである。この点については、学生主導の理事会依頼の会計士によって確認されているし、後日、生協労組員が大量逮捕された際、警察が彼ら(その中にはK主任もいる)にこの問題について全く事情聴取をしていないということからも確認されるであろう。結局、これらの文章は経理知識の不足からくるデ学同の事実誤認ないしは意識的デマゴギーから書かれたのであろう。

三、外販活動の評価について

 阪大生協の危機は大幅な予算割れ、異常な利益率低下(二五○万資産行方不明)にあった。
 このような生協危機は、特殊阪大にあらわれたものであり、内部の人事体制、管理体制を明確にし、不明朗な経理を一掃し、安定した経理を行うことが唯一克服の道であった。にもかかわらず、この時点で「内部の危機」とは無縁の外販を彼らが強行したのは何故であるのか?そもそもK(仕入係)は野菜の行商を地域化という見通しをもって行ってきたのであろうか。
 <野菜の行商は地域化につながらない>
 K(仕入係)らの主張するように野菜の行商が果たして地域化─経営規模拡大─仕入価格低下という方向につながったのであろうか?このような野菜の行商は、単に理事会に無断で行われ、生協法、定款違反であり、管理官庁たる府の福祉課より理事会へ、再三の中止勧告を受けていた生協の存立そのものにかかわる重大な問題であるというにとどまらない。もともといくら野菜の行商に力を入れてみたところで地域に出来る展望などはなかったのである。何故なら外販の行われていた団地のすぐそばには北生協という地域生協が存在していた。外販はこのような地域生協とは無関係なところで行われており、同一地域に二つの生協が出来るなどということは、生協法の根本精神を否定しない限りありえないからである。
 本来、地域化というのは、その地域住民の消費者運動として展開され、彼らの中から自発的により安く購入しようという声が高まっていく場合に可能なのであって単なる野菜の叩き売りは、地域化とは無縁である。右に述べたように野菜の行商が地域化につながらないとすれば、何故にK(仕入係)らはNら暴力団をひきつれ、縄張りを広げ、理事会に隠れて野菜の行商を行なったのであろうか。それは外販の経理内容を検討すれば、回答は自らでてくるだろう。
 K仕入係が中央市場での野菜買付のため、総務主任Kより受け取った現金は半期(四二・四─四二・九)にわたって六○六万円にのぼる。この六○六万円の一部を使ってK(仕入係)は市場で野菜を買い、仕入価格に一五%以上の利益率をかけて阪大食堂部へ売りつけていたのである。(もち論外販と称して、東豊中、五月ヶ丘団地で行商してもうけていたのはいうまでもない)六○六万円の残りの部分はトラックの購入に使われていた。(車の購入は理事会の承認をえなければならないが、K仕入係は無断で購入している。)
 つまり、K(仕入係)らは、阪大生協の従業員でありながら、就業時間中に、阪大生協の資金と名前を使って、一定の営利活動をしていたことになる。ではこの営利活動によって得たものは何処へ行ったのであろうか。K(仕入係)の報告にもとづきM専従が作った「生鮮物貸借及び損益」によれば、もうけは八四万であり彼の判断で仕入部員を雇ったり、ガソリン代に支出したという。だがそれを裏付ける伝票領収書はなく、大部分は使途不明金である。(K仕入係は伝票の入ったカバンを盗まれたなどといっているが、理事会の命令で資料提出したときには、この点については一切釈明していない)
 右にのべたように、K(仕入係)は総務主任から得た六○六万円の資金を運用して、野菜を仕入れていた訳であるが、中央市場よりの仕入価格を明示する伝票(領収書)はなく、あるのはK(仕入係)が適当に値段をつけて阪大生協食堂部へ売りつけたK(仕入係)、Nのサイン入りの伝票でしかない。総務主任Kは半年にわたって六○六万円を支出しながら故意に会計記録、伝票(領収書)を集約せず、管理を怠っていた責任は重大である。(実はこのようなでたらめな資金の放出が「内部経営の危機」に一層拍車をかけ、生協の資金繰りを極度に困難にしたのである)それどころか彼ものこのこと野菜売りに出かけていっていたのである。以上述べた事から、それは生協のくいつぶしにほかならなかったのである。
                       (阪自連情報一九六八年六月八日号)

四、地域化か安全経営かの問題について
 今日、生協は地域へ拡がって、地域の人民と手をつないで強固な事業体を作りあげる必要がある。だがそれは生協組合員の資産を食いつぶして、たたき売りをする、それを主婦が受動的な買い手として接することによって行われるものではない。地域の人々の自主性を強める方向での援助こそが大切なのである。しかも阪大生協が現在直面している諸問題は、地域へ出ることによって解決されるべき性質のものではなく、内部でねばり強く行っていくことによってのみ解決可能なのである。GP低下については、原因の究明、管理の体制の整備、盗難防止の措置、吹田問題については、資金繰りを含めて長期的な業務計画、食堂問題では、中央厨房化の促進など)
 理事会では…仕入担当者Kを一二月五日付で解雇した。我々は組合員の声を反映し明朗な運営を行える生協を作りあげなければならないと考える。一時的な混乱があっても組合員自らの手で、生協を守り抜き、発展させなければならない。
             (生協組織部ニュースbQ 四二年一二月六日発行)

 阪大生協にとって、地域へ進出して、外販活動を行う事は、死活の問題なのだろうか。団地に安く組合員に高く売る事が、果たして阪大生協の危機を救えるのか。生鮮物という極めて不安定な商品を、阪大生協の犠牲において、団地に売りに行くのが真の地域化でない。真の地域化は、地域住民の自発性により、大衆自らの購買力を結集し、団結する事によって安く購入することが出来る。そういう自らの経験を通じてはじめて、消費者運動の展開とその結晶である地域化が可能なのである。
 阪大生協の危機は、むしろねばり強く、阪大生協のかかえている中央厨房化(これが実現されれば、もっとやすくできる)をはじめとする施設獲得、吹田移転の際の2食堂の経営ベースに乗せるか、約二五○万等の問題は、内部改善等を解決することによってのみ大阪大学生協の危機が救えるのである。
            (生協組織部ニュースbV 四二年一二月一一日発行)


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