第二章 阪大生協事件の経過と内容

第三節 左翼組織内における政治的葛藤の意味

 デ学同による阪大生協一元的支配の布石はついにうたれた。ここから事件は波乱含みに進行するわけであるが、その前に読者諸兄はしばらくの間このセンセーショナルな雰囲気からはなれて、もう少し事態を客観的にながめてみようではないか。賢明な読者諸兄はすでに次の疑問をもっておられるはずである。「デ学同はどうして阪大生協の支配を考えるのであろうか。わざわざいやな人間を追放してまで得るなにか利点が阪大生協にあるのだろうか」である。いいかえれば、一つの組織を自己の権力下におくことによってどれだけのプラスになるのか、ということであろう。
 この疑問は大学における各自治会の主導権争いにも同様になげかけられるであろう。ある商業新聞は「政治的セクトが自治会の主導権をもちたがるのは一般学生から集められる厖大な自治会費を思いのままに使用できるからで、それでもって自分達の活動の資金源とすることができるからである」と書いている。この商業新聞のいっていることが正しいとするならば、それは生協の場合にもあてはまるであろう。生協は単に食事を供給したり、本やノートを供給したりする事業体的性格だけをもつのではなく、消費者の利益を擁護する使命をももたなければならないとされている。それが、生協は単なる事業体であるのみならず、運動体でもあるといわれるゆえんである。
 全国大学生活協同組合連合会の経営標準値表によれば、供給高の一%に相当する金額を「教育文化費」としてその運動の推進のために使用するよう奨励されている。又生協法によっても事業剰余の二十分の一を毎年くりこして、教育文化費用にあててもよい旨、記されている。ちなみに大学生協では中規模といわれる年間供給一億円のところでは百万円の教育文化費が充当されることになる。
 なるほどこれは無視できない金額である。この教育文化費は主として生協組織部の活動費用として使われるのである。(但しセクトをもつ活動家の名誉のためにいっておくが、自治会での主導権争いはこの商業新聞のいうような「金めあて」のための争いであるというのは大部分あやまっており、実際、セクトが主導権争いをするのは、それによってセクト的主張の普遍性を実証するためなのである。)
 さて、そのような一般論から阪大生協に目をむけてみよう。阪大生協はそれまで年間二億円の供給実績をもっていた。それだけに生協の組織的規模も大きい方といわれたし、他に対する影響力も強いと思われてきた。しかも自治会と違って、大阪大学全体をかかえこむ全学的組織なのである。もし教職員、学生の生協への組織化が徹底されれば、これほど強固な大衆組織はないだろう。左翼的運動を志向しようとする者にとっては、このような組織の存在は大きな魅力であったのである。
 次に、読者諸兄は以下の疑問を用意しておられるのではないだろうか。「デ学同が個人の排除を意図しているといっても、その奥には、おたがいの思想間にある根深い対立意識が働いていると思うのだが、阪大生協の場合、それはどういう風になっているのだろうか」である。
 この疑問の解明はまことに重要且つ不可欠である。然り、阪大生協の場合にも、左翼運動論において結びあうことのない方法論の違いがデ学同の支配する理事会と従業員側の労働組合とにあったのである。いいかえれば、大ざっぱにいって、デ学同と労組の対立は生協運動における位置づけをめぐって、体制内的改革を重視する方法論と反体制的革命を優先させる方法論との対立であり、従って前章でのべた生協理論における古典的テーマをめぐる争いが阪大生協においても存在していたのである。
 そして現在の日本の場合、生協におけるこの対立は、マスコミ好みの言葉を使わせてもらえば、日共系と反日共系との思想的対立ともなっているといっても間違いではないだろう。もっともデ学同は日本共産党から分裂主義といわれ除名された組織ではある。そのことからデ学同は反日共系と呼ばれてはいるものの、細部の点においてはともかく、本質的には日共系とかわらぬ体制内的改革論者であるといってもまちがいではないだろう。そこで、巷間、今回の「阪大生協事件」の背景には「体制内的改革論者」と「反体制的革命論者」との思想的争いがあって、体制内的改革論者になったといわれる日本共産党が自己から分裂した異端者デ学同をして反体制的革命論者つまり日本共産党のいうところのトロツキストを追放させようとする政治的陰謀があった、ともいわれうるのである。(この点については後にあきらかにされるであろう)
 それでは理事会と労組はいかなる主張をしていたのであろうか。デ学同理事会は自己の野望をはたすために「法律違反」、「不正」、「横領」を機械的にくりかえすほど政治的信条がないというのではない。又労組は解雇がデ学同の政治的介入だとくりかえすほど単純であるのではない。少なくとも両方とも左翼的運動体といわれる組織である。それぞれに対して説得性ある主張をもっていたのにちがいないのである。
 そこで筆者は「阪大生協事件」をめぐって生じた諸問題を、両者のいい分を聞くといった形で読者諸兄にお知らせしてみようと思うのである。筆者は主観をまじえぬために、ビラ、声明文等をそのまま引用することで、理事会側(内実はデ学同そのもの)の見解と労組側のそれとの違いをあきらかにしようと思うのである。読者諸兄の公正な判断がこの事件に関する歴史的評価をくだしてくれることになるのである。


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