第一章 阪大生協の歴史

    第三節 生協の意義

 「生協」は「よりよい品を、より安く」のモットーで知られる組合的事業体である。単なる事業体であるのなら、街でみられるスーパーやSSDCS(セルフサービスによる割引店)とかわりないが、消費者運動という政治性の加味された運動体であることが、今回の事件に重要な働きをしていた。「阪大生協事件」は左翼運動内での小さな波紋の一つであったのだ。
「なんだ、生協とはアカの組織か」と単純に考える偏見はすてよう。実に生協は資本主義社会の弊害に苦しむ消費者がなんとかしてそれを是正し、それにかわる消費者のパラダイスを築こうとして誕生した子供であったのである。資本主義社会の弊害、それはなにか。消費者にとって、即自的に感じられたものは「物価の高くなってくること」であり、「国はそのことについては何もしない」という絶望感であった。それなら、自分達で物価を安くすることはできないのか。苦しみの中でも、行動的なヒューマニスト達がこう考えたのも当然といえよう。
 しかもこの声は資本主義社会が生まれると同時におこっていたのである。近代人によって善なるものの証しであった資本主義社会は、同時に、人々を不幸の境遇においやらねばならない矛盾をふくんでいたのである。たとえばイギリスのロバート・オウエンはこの「社会における不幸の原因」について、それは資本主義制度そのものにあるといいきり、具体的に次の諸点を指摘したのである。
  一、あらゆる国の貨幣制度
  二、現行の富の生産と分配の方法
  三、利益の分配とその結果生ずる一般的不和
 封建社会にかわる資本主義社会のあり方とは、まさにオウエンのかかげる「不幸の原因」そのものであった。この不幸の例は、いうまでもなく、資本主義制度のもっとも発達したイギリスにおいてみられた。がそれと同時に、いわゆる資本家階級による社会支配がすべての人間の生活を安定させ、豊かにするものではないとの批判的な眼も生まれたのである。事実、この国の十九世紀前半において、ある人々は被支配者階級の運動の必然性を説き、「労働者自身の待遇改善、生活保障を求める労働組合」、「人民の民主的権利の獲得をめざすチャーティズム」、「よりよき生活を夢みる協同組合」の運動を三つの必要な柱と考えたのである。そしてこの最後の協同組合のビジョンについていえば、さらに三つの基本的協同組合、すなわち生産組合、信用組合、消費組合の三つの構想のもとに、経済界を支配する準備をととのえ、資本主義社会にとってかわる新しい社会の観念がうちだされたのである。
 だが歴史のしめすごとく、進歩の女神は協同組合至上主義者には味方せず、資本主義者の方を選んだ。まず生産組合が資本には全く対抗しえない微弱なものであることが判明した。資本というものは、生産組合にみられる博愛的、慈善的な、おためごかしのヒューマニズムとは別の非情さをもっていたのだ。物を生産するには、そんなおためごかしのヒューマニズムは不必要であったのだ。より多くを生産し、より多く自己の懐を豊かにするという直接的な物質的欲求は近代人の気持にはぴったりかなっていたのだ。
 それにくらべ、協同思想はすぐには自己の懐を豊かにしてくれはしなかった。協同思想はなるほど立派だったが、現実的効果はなかった。ええい、衣食たって礼節をしるのたとえだ!協同思想とは衣食たってこそ、生まれるのであって、協同思想があるから、衣食たるものではない。人々がそう考えたのも無理はなかったのである。
 すでに賢明なる読者諸兄は、社会の中で最も中心的な作用をするのはその社会の生産関係であることを知っている。生産関係がどの手ににぎられているかによって社会の支配構造がきめられるのだ。資本主義社会では資本の論理が先行するのであり、資本をもつ者の欲望がすべてを左右するのである。こうなると、金融関係を司どる信用組合も、生産された製品を分配する消費組合もものの数ではない。もともと、金融関係も資本自体のある働きそのものであったし、消費部分においても「より自分の懐を豊かにする」ためには資本の力にたよる方がよかったのである。
 「物価はあがり、われわれは貧しくなる」「国はそれについて何もしない」から生じた「われわれの手で物をわけあおう」「われわれが物をつくろう」の叫び声は、人々の共感をこそ、よびはしたが、一つの夢物語に終わらざるをえなかった。
 これはいかなる理由に基づくのだろうか。マルクス主義は協同組合至上主義者の理論を空想的であるとし、そこに現実的意味を認めなかった。確かに資本主義社会の未熟な段階においては、資本家と賃金労働者との階級対立がそれほど先鋭でなかったし、資本家と賃金労働者をふくむ全人民的な立場から、人間のしあわせを考えるのは不可能ではなかったかもしれない。しかし資本の論理は資本家と賃金労働者を階級的な対立へとおいこむ必然的過程をもっていたし、一度確立された資本の論理というものは、自分達と異なるものや考え方に対しては、絶対的排他主義をつらぬこうとするものである。
 その結果、生産組合はおこり風のごとく世の注目を集めたが、資本主義というエンマ大王の一にらみでちぢみあがってしまったし、信用組合もまた、然り。ただ消費組合にだけはエンマ大王も寛容の眼をむけていた。物の生産が資本主義的生産様式に従っている限りは、そして消費組合が資本主義的な生産物の販売をする限りは、資本主義社会を支えているのであるから、消費組合に対してきびしくとがめる必要はなかった。この寛容さのおかげで消費組合はほそぼそと生命を保ちつづけて現在にいたっているのである。
 とはいえ、後のマルキストのある者は協同組合が全人民の解放に貢献するどころか、支配者階級のエジキとなる危険性のあることさえ指摘するようになってきた。彼らは支配者階級が生産組合、信用組合には苛酷であったが、消費組合に対し寛容であったのは、消費組合が生産点とはなんらかかわりのない存在であったからだということ、そして消費組合がいくら発達したからといっても、それは支配者階級の特権的地位を、雀の涙ほどもおびやかしはしないことをはじめから知っていたのだ。
 事実、支配者階級は協同組合を利用することを知っていたのである。ある意味では、協同組合をたくさん作ってやれば、それは「やれ物価が高いの」「やれ国は何をしてるの」なる不満の声をおさえる安全弁になるかもしれないのだ。支配者階級は自己の利益につながるとなればアメ玉をしゃぶらせる。そして自分達に都合がよければ、消費組合のみならず他の協同組合にも同様の寛容さをしめす。農業協同組合はその典型的な例である。
 だが、支配者階級にも一抹の不安があった。もともと協同思想は資本主義の理論に対抗するために生まれたものだった。いつそれが牙をむくかもしれない。協同組合が支配者階級に牙をむくということは、それが被支配者としての階級的特色をだすということだった。もちろん支配者階級にとっては、協同組合の牙はヒツジの牙にもおとるほど、とるにたらぬ存在ではある。だが、やっかいな問題はかかえたくはなかった。そのため彼らは協同組合から階級的特色を失わされること及び協同組合を小市民的な組織にかえてしまうこと、この二点を常に頭にいれておく必要があった。そしてこの二点をすなおに励行する協同組合が彼らにとっては「大変、結構だ」と歓迎されたのである。
 従ってマルクス主義にとって協同組合は支配者階級のこの懐柔策に敢然としてたちむかうのでなければ意味がなかった。マルクス主義的協同組合観によれば、協同組合はたしかに支配者階級の輩下であるが、依存するか、あるいは貢献するかの性格をもつ組織以外のなにものでもなかった。しかし協同組合の構成員が被支配階級である労働者である場合は、彼らは解放運動の主体的存在にもなりうるのだ。従って協同組合は運動それ自身としては直接的にはなんら効果をもたないとしても、それは資本の私的所有制度を廃し、生産関係を変革する解放運動を側面から物質的かつ精神的に支援することはできると考えられたのである。マルクス主義的協同組合観は、あくまでも階級的特色をもつということが前提されて、はじめて協同組合の存在意義が認められているのである。
 この考え方の範となっているのは、二十世紀のはじめ頃に開かれた国際社会主義大会でロシア社会主義民主主義代表者によって提出され確認された次のような案文であったのである。
 一、プロレタリア的消費組合は、各種の仲買証人の搾取の量を縮小し、その請負人の企業に傭われている労働者の労働条件に影響を及ぼし、消費組合の使用人の地位を改善すること等によって、一般労働者階級の状態を改善する。
 二、この協同組合は、ストライキ、閉めだし、政治的迫害に際して、労働者を援助することによって、プロレタリアートの経済的又は政治的大衆闘争にとって非常に重要なる意義を持ち得る。
 だが、現在にいたって資本主義社会における協同組合論(それは主に消費組合についてであるが)がすべて前述のマルクス主義的な考え方によって展開されているとはいえず、いわゆる市民の生活を擁護するという立場にたって展開されているのもあるのは事実である。そしてその間にあって理論斗争が続けられているのも事実である。しかし、もはやわれわれは協同組合の歴史をかいまみるなかで、阪大生協の争議行為が単なるそれではなく、背景に政治的色彩をおびているということを理解したと思うのである。実に生協そのものが政治的な存在であったのである。
 特に、大学生協というところにおいては、比較的、社会的意識の高い教職員、学生によって構成されているので、なおさらに政治的にならざるをえないであろう。とりわけマルクス主義的な協同組合観が、生協の経済的機能に対しては批判的であったが、生協にある種の政治的意義を提供したのは、資本主義に反感を覚え、社会主義に共感を覚える者にとっては魅力的であった。意識ある学生、教職員は丁度学生運動、教職員組合運動に対してもつのと同じ気持で、生協運動にも自己のとるべき道があるとして、生協に関心をむけるのであった。
 しかしながら大学生協が政治的であるといわれるためには、常に二つのことが付随せねばならないのである。一つは政治的行為の対象は支配者階級にのみむけられているということである。この政治的行為の遂行のためには自らの階級的特色を明確に規定すること、即ち自分達は社会においては被抑圧者階級であることの自覚が必要とされている。他の一つは、このような被抑圧者階級としての自覚から生まれるイデオロギーは、方法論上の多様性をもっているために、本質的には目的を同じくするものに対しても戦術的に政治的葛藤がなさればならないということである。いわゆる主導権争いというやつである。かくて大学生協は、支配者階級と対立しつつも、他のセクトを排撃しなければならない政治的課題をももつのである。
 では、大学生協における支配者階級との対決とは何か。大学は教職員、学生に対する厚生事業を行わねばならない。丁度それは支配者階級が自らの存続のために被抑圧者階級への福祉政策の推進と実行とを強制されるのに対応している。大学はその厚生事業を自分の直轄のもとに行うほかに、その遂行を受益者の自主的な働きにまかせてしまおうともする。その方が大学の運営に都合のよい場合があるからだ。これも又自ら労しないで自らの行うべき仕事を代行させることによって、抑圧的本性を隠蔽しようとする支配者階級の常套手段でもあるといわれている。それには、その政治的性格はともかくとして、行政上、大学の厚生事業を肩がわりしようとする生協の存在は大学にとってむしろありがたい存在である。だから大学は生協が大学にとって都合のよい限りは生協に施設を貸与して育成を図る。そして生協が大学のよき補助機関であってくれることをのぞむのである。
 しかし大学は生協が大学に対して権力斗争ののろしをあげようものなら、すぐにでもつぶしてしまおうとする。極言すれば大学運営の権力者にすれば厚生事業そのものは本質的な問題ではなく、いかにして教職員、学生を管理するかが問題なのである。厚生事業に関しても、大学は生協にその担当を委任したとしても、その観点は常に「自主的に生協に運営させることによって規制を図る」ところにあるのである。
 それに対し大学生協の方では、厚生施設の賦与を大学の恩恵としてうけとるのではなく、教職員、学生に与えられるべき当然の権利として獲得していく姿勢をしめそうとする。即ち単に機械的に厚生事業を行うのではなく、大学のもつ行政的管理的意図を察知して、それを権利獲得の運動として、そしてついには、解放運動の一翼として位置づけようとするのである。現代の社会にあっては大学は(とりわけ国立の大学は)国家権力の意図を忠実に反映するもの以外のなにものでもないとみるからである。
 次に大学生協におけるセクト争いとは何を意味するのかを考えてみよう。生協理論には古典的で未解決のテーマがあった。曰く「生協は事業体であるか、それとも運動体であるか」である。もっとも、大学生協の場合においては「事業体」とは、いわゆる小市民的に販売だけをやっておれば生協の役目は果たせたり、という意味でではなく(阪大生協の理事会はそう考えていたきらいがあるが)、事業のスマートさが生協運動の観点から大衆の組織化にとってまず必要だということが強調され、それが解放運動の一助にもなっているという意味でうけとられている。
 そして「運動体」とは、マルクス主義的協同組合観の政治的意義の方が特に強調され、解放運動そのものが目的であり事業はその手段にすぎないという考え方にたっている。ある意味ではそれは見方が異なるが故に生じるテーマであり、二つの間にはわずかな違いしかないのかもしれない。だが大学生協の活動家にとれば、そのわずかな違いが重要なのであり、極端な場合、「事業体」を重視する者はいつのまにか生協の運動体的意義を忘れた小市民的な商売人にされ、「運動体」を重視する者はこれ又生協の事業体的意義など意に介せぬ極左革命家にされてしまうのである。前者は穏健的、体制内的改革論者的、既成左翼的であり、後者は急進的、反体制的革命論者的、新左翼的であるとも解釈されるが、生協運動の場合でも、この間での振幅がくりかえされていたのである。その上、大学生協の場合にみられるセクト争いも労働者、学生の政治活動上のセクト争いに対応している。というよりむしろ労働者、学生の運動そのもののイデオロギーがそのまま生協運動にもちこまれているというケースが実に多いのである。これ又極言すれば純粋な意味での生協運動のセクト争いは存在していなくて、実は労働者、学生間のセクト争いがそのままに生協を舞台にして行われているといってもまちがいではないのである。


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