第一章 阪大生協の歴史

  第一節 生協総代会開催当日の一光景


 その日は朝から小雨がぱらついていた。昼前になると、止むと思われていた雨が大粒の水滴となって大学構内を襲った。たちまちアスファルト道路に水たまりができ、それが折からの寒さで凍らんばかりの鋭い光を学舎に反射させていた。雨でたたきおとされた立看板がどろ水に泳ぎ、最初の頃の鮮明な文字を濁らせていた。そこには「本日、一月十三日、一時より、ロ号館大講義室にて、生協総代会あり。全総代は参加されたし」と告示されてあったのだ。
 不思議と風はなかった。威勢のよかった雨も次第に小降りになると、やがて学舎のところどころでざわめきが聞こえはじめた。すべて総代会の話だ。「阪大生協ってどうなってんの」「この総代会がおわれば、労組のストもおわり、われわれも生協の飯がくえるさ」「総代会といっても大した解決策もでてくるわけないさ」と、茶化し気味の人も、冷淡な人もいる。種々様々な人間がそれぞれ自分なりの思惑をもっていた。
 やがて一時近くになると、それらの集団も会場であるロ号館大講義室前に集まってきた。ここでも顔みしりの者がいると、たがいにつかまえては雑談に花をさかせている。大学の教授もいる。学生もいる。各社の新聞記者もいる。大学の職員もいる。当地区担当の共産党員や、私服の刑事もまぎれこんでいる。総勢六、七百人はいるだろうか。いずれも彼らはこの生協総代会を紛争の大きな山場とみて、興味本位で、あるいは職務上、傍聴するためにやってきたのだ。
 この日の陰の功労者であり、大阪大学では最大の勢力を有していたデモクラティック学生同盟(略してデ学同)は、学内で可能な限りの同盟員及びそのシンパを動員し、会場整理係と称して五つの行動班と一つの写真班を設けていた。腕章をつけた彼らは会場の内外であわただしくかけめぐり、それが又いやが上にも緊迫感をもりあげているのだった。
「おおい、もう一時になるぞ!」会場を偵察にいった若い生協労組員の一人が自分の斗争本部である新館食堂(図書館下食堂)にもどってきて叫んだ。ストライキを続ける生協労組員約八十名は、すべてここに集まり、緊張した面もちできたるべき総代会を待っていたのだ。彼らは総代会々場にのりこむつもりだった。
「みんなハチマキをして集まれ」一人の斗争委員が叫ぶ。
「みなさん、まもなく、総代会がはじまります。だが、みなさん、私達はこの総代会に期待をかけてはいけません。周知の如く、この総代会は非民主的な選出に基づくデ学同独裁であり、いわば翼賛総代会なのです。私達はぜひがでもこの一・一三総代会を粉砕しなければなりません。デ学同は口では労働者とともに連帯をなどといっていますが、そのデ学同が労働者である私達の仲間の一人をクビにしようとしているのです。もちろん、クビをいいわたしたのは生協の理事会ですが、その理事会を牛耳るデ学同は、政治的組織的圧力でもって、それを実現しようとしているのです。私達はこんなデ学同を許しておくことは断じてできません」と斗争委員長は労組員を前にして一気にしゃべる。
 「打倒デ学同!」「デ学同は労働者の敵だ!」「一・一三総代会粉砕!」期せずして労組員の中から叫び声がおこった。シュプレヒコールが何回も何回もくりかえされる。やがて『ワルシャワ労働歌』と『インターナショナル』の合唱がはじまり、彼らは隊列をくみ会場にむけて出発した。
 K主任も労組員だった。彼もデ学同にきらわれ、解雇の対象とされていた人間だった。たまたま教職員理事の良識によって解雇にならずにすんだのだった。彼は斗争委員長がみんなを鼓舞している間、「ついにきたるべき時がきた」と考えていた。しかし彼にとってはこの総代会がそれほど重要事であるとは思われなかった。「きたるべき時がきた」というのは、当事者能力を喪失した理事会にあいそをつかしたデ学同が、この総代会ですべての決着をつけようと焦りはじめたということであった。「デ学同はそこまで追いつめられたのだ」彼は事態を冷静に分析していた。「デ学同の牙城がくずれるのも時間の問題だ。なぜなら、今やデ学同は完全に右翼であることが証明されたからだ」彼はそう判断していた。労組員の隊列にまじって、彼はなんども心の中でつぶやいた。「チェッ、デ学同ってのは、どうしようもない右翼なんだなあ」
「おおい、労組がやってきたぞ。注意しろよ」会場前では、腕章をまいた人間が口々に叫んだ。
「やつらは暴力集団なのだ。なにをされるかわからないぞ」
「一般の学生のみなさん、彼らはいつ暴力をふるうかわかりません。私達は良識ある行動でもって暴力を防ぎましょう」
 純朴な腕章組はあたかも暴力団の殴りこみであるかのようにわめいた。彼らとしては、労組員によってこの民主的で、かつ生協の最高の議決機関であると考える総代会を荒らされたくはなかった。そのためには、労組員を断じて総代会々場にいれてはならないのだ。彼らの内の一人は彼の尊敬すべき先輩から次のように聞かされていたのを思いだしていた。
「阪大生協はわれわれ阪大人すべてのための生協なのだ。一部の者の私有にさせてはならない。阪大生協労組はその一部をなす暴力集団なのだ。彼らは生協を破壊しようとしている。われわれ同志はその生協をみんなのために救うのだ。それが今、同志諸君に与えられた義務なのだ。同志諸君、われわれはこの神聖な総代会を彼らの暴力によってふみにじらせてはならない。このわれわれが、われわれの力によって、それを守るのだ」
「そうだ、われわれは彼らをこの総代会々場にいれてはならないのだ」彼は自分の決意は正しいのだ、と確信していた。
 会場前は依然としてむんむんと熱気がただよっていた。雨にぬれた傘からしたたりおちるシズクで床はびしょぬれになっていた。そこを泥靴がにじる。各学生サークルの出したビラが持主にみすてられ、床にその残ガイをさらす。そのビラ自身も口論していた。「本日の総代会を成功させよう!」「本日の総代会を粉砕しよう!」
 だが会場へのトビラはぴったり閉ざされたままだった。生協労組員がそこに到達したとき、ひとしきり高い喚声がわきあがり、腕章組はあわただしく動きはじめた。
「労組、帰れ!これはわれわれの総代会だ。お前らの総代会ではないぞ」一人が勇敢にも労組員にむかって叫んだ。
「これは生協総代会ではないか。われわれは生協の従業員だ。われわれの仲間の一人をクビきるための総代会をほっておけるものか」
「お前らは不良従業員ではないか。不良従業員を追いだそうとするのがなぜいけないのか」「茶番はよせ。君達はデ学同のロボットではないか」
「お前らこそ、不良従業員ではないか」
「黙れ、デ学同!」
「帰れ、暴力労組!」
 腕章組は必死だった。二つの集団が狭い通路ではげしくもみあった。怒号でほとんどの声がききとれなかった。新聞社の好奇のフラッシュがさかんにたかれる。
 突然、一人の腕章組がしゃがみこむ。彼の顔からは冷汗がにじみ出、はく息がいかにも苦しそうだ。
「暴力だ、暴力だ。労組がいつもの暴力行為にでたぞ!」他の腕章組がひときわ高い声でわめきちらした。この「暴力だ」という声に一瞬、静寂が訪れた。みんながかたずをのむその静寂の中を、待っていたかのように、二人の腕章組が担架をもって、すでに倒れこんでいる男のところにかけよる。建物の外ではそれと呼応して、救急車のサイレンの音が聞こえる。まるでなにか芝居でもみているかのような錯覚をみんなは覚えた。男は担架にのせられていそいそと救急車のところへ運ばれる。ざわめきが再びおこった。
「あいつ、みんなから押されたものだから脳貧血をおこしたんだよ、きっと」一人の傍観者がそうつぶやく。
 この間、腕章組は誰かれとなく、暴力事件が発生した、労組が暴力をふるったから断じてこれを追及しよう、とアジ演説をはじめた。
 そのとき一人の総代が会場入口前の腕章組にいった。
「おい、君達、開会が一時というのに、とっくに時間はすぎているじゃあないか。僕はこんな騒がしいところにいられないよ。会議がはじまるまで、内で待たしてもらいたいね」 なるほど、時刻はすでに二時をしめしていた。期せずして「責任者はなにをしているんだ。われわれを早くいれろ!」と各自が叫びはじめた。
 実はその頃、理事会は別の建物にいて、みんな深刻そうな顔をしていたのだ。とくに理事長であるK教授の苦悩は大きかった。彼は総代会にでることがおそろしかった。総代会がはじまるというのに、提出議案がまとまっていなかったのだ。前日まで理事会は一本にまとまっていた。解雇問題は一時保留し第三者機関に委ねるという前日までの理事会案が、総代会当日になって、デ学同系の学生理事の反対をうけたのだ。学生理事は目当ての従業員をあくまでも解雇するといいだしたのだ。「またも学生理事はいらざることをしてくれた」K教授は腹がにえくりかえる思いだった。彼は総代会提出議案が理事会内部で統一されることなく、教職員理事案と学生理事案の二つに分かれるという前代未聞の不祥事をはずかしく思った。それでも教職員理事案の良心的内容が総代会で認められると楽観視していたので、学生理事案を提出議案と認めても、結局は事態はうまくいくだろうと考えていた。彼は沈痛な面もちで、各理事に総代会々場に行く旨、指示をあたえた。
 理事達が会場についたとき、腕章組と労組はあいかわらずもめ続けていた。各理事は表の入口から会場に入ることができず、腕章組の協力をえて、別の入口から入らざるをえなかった。
「いつまで待たすのか。早く会議をはじめろ!」傍聴するために集まってきた人々はしびれをきらして叫んだ。
「待って下さい。労組が諸君の入場を実力で阻止しているのです」さきほどから状況が少しかわっていた。数の上では負けていた労組員が、必死の思いで会場入口前で逆ピケをはって、労組員の入場を阻止しようとしていた腕章組を実力で追い払ってしまったのだ。はじめの頃は、労組員と自分達の仲間がいいあらそっているのを会場の中から面白そうにながめていた別の腕章組は、労組員が入口前を占拠したので、ドアを破って侵入してはこないかと、あわてて机などをもちだして、内側からドアにバリケードをつくった。
「このままでは総代会は流れてしまう」中の腕章組の者は心配しだした。総代会そのものが流れてしまうのは労組の思うツボではないか。やつらはそのことが目的ではないのか。総代会が流れてしまっては、自分達の計画そのものがだめになってしまう。情勢悪しと考えた腕章組は、やむをえず、上の者の了解をえ、当初の意図をすて、労組員を中にいれることに変更した。
「労組のみなさん、みなさん方は傍聴できます。ですから、ドアのところから離れて下さい。総代のみなさんを入れるために、そこから離れて下さい。総代のみなさんが入ってから労組の方を入れます。これは絶対お約束いたします」歓声がおこった。こうして、労組員も又総代会々場に入ることができた。
 同じ頃、阪大生協の常務理事であったM専従は、雨にぬれた舗道を一人、ゆっくりと歩いていた。彼は理事会には出席できなかった。それは彼が理事会の中で無条件で解雇に反対しているからだった。そのことで彼は労組とあい通じているとみなされていたのだった。理事長であるK教授は、今回の理事会に対しても彼に召集をかけなかった。一方、労組員でもない彼は労組とも行動を共にすることもできなかった。彼はたった一人だった。相談する人もいなかった。唯一の仲間であったもう一人の専従は争議行為がおこるや、ふんぜんと辞表をだして出ていってしまったのである。歩きながら彼はやりきれない思いでつぶやき続けていた。「おれは両方から非難されている。両方から誤解されている」怒りとも悲しみともつかない感情が彼を襲っていた。
「ともかく、総代会には出てみよう」と彼は思った。どこでも発言を禁じられている彼は総代会の中で自分の主張ができるかもしれないと考えた。彼は静かに足を総代会々場にむけた。彼がそこに到着したとき、会場は人いきれでいっぱいであった。
 かくて総代会ははじまった。定刻より遅れること二時間余り、紛糾に紛糾を重ねた末の、本番であった。
 しかしながら、総代会ははじまる前に事が決められていたのだ。総代定員は一六○名、その内教職員総代ははじめから選挙されておらず、学生総代がすべて。しかも学生総代は一部を除いてすべてがデ学同系である。一部とは、はじめデ学同のシンパのつもりで総代を選んだのが、後に反デ学同系になった学生及びごく少数のノンポリ学生であって、それらを合わせても数の上ではとてもデ学同系の総代数にはかなわなかったのである。かくて、従業員を無条件に解雇するという学生理事案が喧騒のうちに可決された。
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 これが後に「阪大生協事件」といわれ、大阪大学を一年あまりもゆるがした長い戦いのある日の一コマである。筆者は奇をてらってドラマ風に展開してみたが、実際、この事件の当事者のすべては、この期間において、舞台ですべてを表現しなければならない俳優のような役割を、意図するとしないとに関わらず、もたされてしまっていたのである。しかし、このようなドラマ風の事実の展開は場合によって当事者の真意を曲解するおそれもあるので、以後筆者は出来るだけ文字通りの『記録』として、この事件を読者にお知らせしようと思う。


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