- (井上事務局長)
- それでは第2部を始めたいと思います。医療に関する質問が圧倒的
に多い様なので第2部司会者のMさんと協議しまして、私が初めの部分の
司会をさせていただきます。もしまだ書いていない方がいらっしゃれば、
何でも結構ですから。今、ここに届いているのも気楽なことが書かれて
いますから、これからでも良いですからこちらへ提出して下さい。
5時まで2時間あります。
まず、最初にT.N副会長から、今まであまりやったことなかったん
ですけども、こういう社会福祉行政の事、大変詳しい方です。今日は
ポイントだけを話して貰って、後は
「らくちん」の14号に詳しく書いて頂こうと思います。
じゃT.Nさん宜しくお願いします。
【T.N副会長による
別掲記事があるので省略】
- (井上事務局長)
- それでは、フリートーク、リレートークって書いてありますが、
フリートークですね、これに入りたいと思います。まず、意見・
質問用紙が何枚か届いています。やはりどうしても医学的なことの
質問が多くなりますので、まず僕がそれらについてお話します。
質問・意見用紙があまり集まってないんで、問題提起、話の
とっかかりと言う意味で、今、ここに
「らくちん」の13号に載せた昨年の会員アンケート調査のコピーを
持って来ましたんで、これをMさんが司会をするフリートークの題材
にもしようかと思います。まずは、医学的な質問だけ最初に私が
受け持ってお話します。
1番目、これは非常に生々しいですね。
「次週、人工股関節の
手術で入院します」。
入院直前に総会に来て頂いて非常に良かったと思います。
「手術後に入院中のベットが心配です。
また術後の固定中の過ごし方、リハビリの注意点など、何でも結構です。
経験された方がいらしたらアドバイス頂きたい」。
これは人工関節を経験された方、今日は沢山来ていらっしゃいますね。
私もそうです。まず私から話しましょう。
「手術後入院中のベットが心配です」。これ確かに心配です。
我々じっとしていたら痛いんですね、じっとしていられないのが
この病気の特徴なんですね。それがなかなか看護婦さん達は解って
くれない。普通の病気はじっとしていれば楽なんです。私達はじっと
していると辛いんです。これをわかっていただくのはなかなか難しい。
とりあえずは、看護婦さんにもお医者さんにもですね、まぁお医者さん
は手術のことばっかり頭にあってあんまり聞いてくれませんから、
看護婦さんの方がいいんでしょうけど、この病気の特徴、何が辛いんだ
と言うことしっかり先に話しておくと良いと思います。
この方は大学病院でやるそうですから、大学病院だと入院直後に
看護計画書というのをしっかり作りますから、まず入院した時の
看護婦による問診の時に、自分の辛いこと、どうして欲しいか、
どうされると痛いか、これをまず話すことですね。最初に来た若手の
看護婦さんは真面目ですから、一字一句書きますからね。患者が
ジョーク言ってもそのまま書いちゃうくらいですからね。何でも
言っておくと良いと思います。最初なら、何でもかんでもって言った
としても、我が儘な患者だとは思いませんから、大丈夫です。
それとですね、ベッドに関しても何も言わないと整形外科医なんかは、
常識的に健康人には堅いベットがいいと、それぐらいのレベルしか
知りません。人工関節を受けるほど重症のAS患者は、堅い平たい
ベッドはダメだからマットを2枚敷いて欲しいとか、勿論堅い方が
いい人はそう言えばいいのですが、それから上半身をを少し上げて
くれとか、枕を四つ下さい……とか自由に言ってよいと思います。
健康な人、あるいは病気が良くなれば我が儘言っちゃいけないけど、
病気で入院した人は我が儘言っていいんですから、どんどん言いましょう。
我慢していることがいけない、術後の経過にも影響します。昔は、
手術後我慢しなさい、痛いのは生きている証拠っ!……なんて言う
婦長さんもいましたけれど、そんなの今は流行らないんです。
痛みを我慢するって事が、サイトカインって言う特殊な蛋白質を
つくり出して、それが痛みを作る物資をなおさら出しちゃうし、
抗ストレスホルモンと呼ばれる、皆さんが盛んに怖がる副腎皮質
ホルモンをたくさん出すように指令を出しちゃうんです。いいこと
ないんですね。だからアメリカなんかでは、お医者さんとか看護婦
さんが、患者に痛いと言わしたら恥だ……と思うぐらいだそうです。
日本の大きな病院の麻酔科では、既にそういう考えになりつつ
ありますから、痛い時は遠慮なく言うということが大事、我慢する
ことは全くない、痛みを我慢した方が却って体に悪いっていうことも
肝に銘じる。やたらにというのはまずいですけども、手術直後は
痛み止めはどんどん使って構わない。最近うちの大学の麻酔科では、
手術後、患者さんが痛いって言う前から痛み止め使います。これ
常識です、これからは。
最初に手術室に入る前に点滴を刺しますが、その時の「チクッ」
っていう痛みを感じてから退院するまで、患者さんに一切「痛い」
と言わせないのが理想なんです。その最初の「チクッ」もですね、
刺すところに先に貼っておくような表面麻酔剤が出来たのですよ。
つまり、点滴の痛みもないんですよ。そんな状況になりつあるん
だから、痛いなら「痛い」と遠慮なく言うということです。
手術が決まったら、私に連絡を下されば、AS特有の術前・術後の
管理法とか特徴を主治医に話してあげてもいいです。
それから術後の固定中の過ごし方、これが難しいですけどね。
これは僕の経験でも、術後何日間はベッド上でジッとしていなければ
ならないので、確かにある辛かったですねぇ。最初の脊椎の手術の時、
両側股関節の痛みが急激に悪化してね、誰かがベッドにぶつかった
だけでも股関節に激痛が走る状態が続いて3ヶ月間天井を向いたまま、
麻薬も含む鎮痛剤漬けになったて、泣いたなんて事もあるんです
けれども、その時には、良くなったらあれをしよう、これをしようと、
楽しい事を思い浮かべるんですね。振り返ってみると、これが一番
よかったかなぁと思います。これは患者としての経験です。
人工関節手術を受けた患者の先輩として、僕はそんなところですけど、
今日は、手術を受けた方が、けっこういらっしゃってますね。術後の
固定中の過ごし方とか、手術に対する先輩としてのアドバイスなど
お願いします。Sさんいらっしゃいますか、なにか後輩にアドバイス
ありますか?。お元気になって青森から来られました。
- (S会員)
- 術後のアドバイスですか?
- (井上事務局長)
- ええ、術前、術後、入院して手術を受ける患者としての
心がまえなんかを。
- (S会員)
- 怖がらない方がいいですね。結構、やっぱり受ける前は
色々と心配しましたけども、知らないうちに終わって、後は
日が経つに従って、段々楽になってきたと言う感じです。
4週間ぐらいでけっこう歩ける様になりました。ホント痛みが
とれて……。最初寝ている1週間ちょっと安静にしていなきゃ
いけないんですけど、排便とかちょっとは辛いことあります
けども、それが過ぎちゃうと、結構楽に4週間過ぎちゃうので、
楽なんだなっていう感じでした。そんな怖がることもないですね。
後は看護婦さんが全部ケアーしてくれる、そういう感じでした。
- (井上事務局長)
- ありがとうございました。Tさん、先輩として一つ……。
- (T会員)
- そうですね。14年前ですので、ちょっと手術の時のことは
かなり忘れたんですけれど、手術してすぐ調子が良かった様な気が
するんです。それで二日目、手術二日目にですね、マクドナルドの
ビックマック二つぐらい食べてですね、下痢になってしまいましてね、
やっぱり手術後はちょっと調子に乗ったらあかんなぁと思いました。
調子良かっても調子に乗ったらあかんと言うのは経験としてあります。
それとあとリハビリなんですけれど、ずっと今、水泳とかやっている
んですけど、水の中でですね、筋肉トレーニングをどんどんやったら
陸上でも調子いいと思いますんで、痛み無くなった分、動き易くなると
思いますんで、人工関節入れたらどんどん動かしたらいいんちゃうかな
と思っております。以上です。
- (井上事務局長)
- はい、ありがとうございます。まぁ二日めにマックを食べる気に
なれるほどに楽だったってことですね。でも、無理してはいけない。
お医者さんや看護婦さんの言うことは守りましょう。それからリハビリの
事ですけどね、理学療法士の人は、すごく難しい国家試験を合格して
きて、外科医よりも真面目な人が多いですから、凄くきめ細かに計画を
して指示するんですけど、これ、ここだけの話なんですけど、あんまり
キッチリ守る必要ないです。
本当は医者のくせこんな事言っちゃいけないけど、僕はね、自慢じゃ
ないけど、手術直後に1日20分だけ股関節を伸展させるために太股の上に
錘を乗せられたぐらいで、それ以外にリハビリっていうのを一回もした
ことないです。人工関節を入れた後、3週間ちょっとで、もう埼玉県の
学会に行きましたからね。これですよ、最大のリハビリは、社会復帰。
どんどん動くこと。なんとか筋となんとか筋の筋力訓練を1日10回を
何セットとか、私の性分では、まどろっこしくてやってられません。
そんなことより早く社会に戻って、どんどん動いた方がずっと良い。
でも、私は整形外科医だから、何をやってはいけない、どんな肢位を
とってはいけないことがわかっているから、こんなことをしてもいいん
であって、皆さんはマネはしないで下さいよ。ちゃんと指示は守らな
ければならないんだけど、そんなにクソ真面目に、今日は10回のところ
8回しか出来なかったからどうしょうとか、明日は必ず12回までやるぞっ
とか、日曜日はどうしてくれるんだ……とか、しゃかりきになって
やらなくてもいい、そんなことよりも積極的に社会復帰をすることが
大切ということです。ちょっと話が極端になってしまいましたが。
Oさんもやったんでしたっけ?
- (O会員)
- やってません。
- (井上事務局長)
- あー失礼、Oさんには、人工関節をやるかやらないかの相談を
受けたんでしたね。じゃもう一人、遠くから人工関節に乗ってきた人が
います。Tさんだ。いらっしゃいましたか。社長!
- (T会員)
- もう6年前になりますけど、井上先生とこの順天堂病院で立派な
人工関節を入れて頂きました。手術前、丁度6、7年前の総会に、
自分も、今ご質問の方と一緒の心境で非常に不安がっておってですね、
人工関節の先輩の人にいろいろ質問したり聞いたりした記憶があります。
で、結果として、今振り返って見ますと、案ずるより生むが易しと言う
ことで、色々とりこし苦労とか心配しすぎたかなぁという様なことも
あります。
自分の場合は、術後3週間から4週間、仰向けのままずーとこう
張り付け状態だったんですけど、その時を振り返りますと、
今辛かったというのは、季節がらですね、暖房が入ってて背中が汗ばんで
ですね、その辺が非常に辛かったなぁーと。1日2、3回ですね背中を
拭いて頂くとかそう言う時は非常に気持ちが良かったという記憶が
あります。
あと、その他に気を付ける事って言うか、まぁ井上先生のアドバイス
にもありましたけど、枕を自分にあわせるとか、姿勢も先生の言うが
ままじゃなくて、なるべく楽な姿勢を保つと言うようなところに気を
付けたかなぁと言う記憶があります。あとは、楽しく過ごす方法ですけど、
順天堂はですね、非常に若くて綺麗な看護婦さんが沢山いらっしゃい
ましたから、今日は誰かなぁとかそういうことを楽しみに毎日過ごして
おりました。以上です。
- (井上事務局長)
- ありがとうございました。Tさんは、入院中は、盛んに看護婦さんの
品定めをしてましたね。それがまあ辛らを紛らわす一つのコツかも
知れませんね。
じゃ次、行きます、
「ボルタレン®で胃が荒れて、
今飲むのを止めています。痛みをどうして止めていけばいいので
しょうか?」。
これはなかなか難しいんで、我々AS患者は、とにかくは、ずっと
痛みとの戦いなんですよね。消炎鎮痛剤ですね。およそ50種類、商品名に
するとその数倍の名前の薬が世の中にあるんですが、この副作用で
最も多いのは胃が荒れる、つまり胃炎です。50%ぐらいの人がなんらかの
胃症状を訴え、内視鏡やると15パーセントぐらいに胃潰瘍がみつかる
という報告があります。痛み止めによる胃腸障害はしょうがないんです
けどね、だけど、しょうがないじゃいけないんで、色々工夫して胃を
荒らさないようなものをつくったり、工夫をしたりしています。
とりあえずは、痛み止めの中でも比較的胃腸障害の少ないプロピオン
酸系の薬を使ってみる(ブルフェン®、
フロベン®、ソナミン®、
オルジス®、ナイキサン®、
ニフラン®、スルガム®、
アルボ®、アクチリン®、
ロキソニン®、ミナルフェン®、
ソレトン®、ペオン®など)。
でも、痛みに効かなきゃ意味がないですけどね。だいたい、副作用が
少なければ効果が少ない、切れ味が悪いのが普通です。
それから薬そのものの性質を変えたものがあります。たとえば
最初は不活性で、胃から吸収されて活性になるプロドラッグとか
(クリノリル®、ロキソニン®、
フルカム®、インフリー®、
ミリダシン®など)、胃を荒らす作用部分は除いて
痛みだけを取るという薬も出来ましたね。去年も大阪で話しましたね。
COX−2ブロッカーっていうやつですね。セレブレックス®
っていう薬、日本では発売されていないんですが、会員の中で、
インターネットを使ってアメリカから個人輸入したり、フィリピンに
出張している家族に送ってもらったりしている方もいらっしゃいます。
よく効いていると言っていました。
日本でも、この4月にモービック®っていうCOX−2
ブロッカーが発売されました。これを飲んだというAS患者の人に聞いた
ところ、確かに胃にはいいけど、効き目もあまり良くなかったそうです。
なかなか難しいもんでね。それから剤形を工夫する、胃で溶けないで腸に
行ってから溶けて吸収されるようにするとか(ミニマックス®
などの腸溶剤)、それから徐々に溶け出すようにした除放剤とか
(インテバンSP®、ボルタレンSR®、
メナミンSR®など)、直接胃から吸収されない座薬……
といろいろあります。
ただ、座薬も血管の中に入ってから胃にも回る訳で、むしろ座薬の方が
薬の含有量が多いことともあいまっても、却って座薬の方が腸障害が
多かったなんていう報告もあります。勿論、何か食べ物と一緒になんて
いう基本的な工夫も大切です。多少吸収は悪くなりますが、心配するほど
のものでもありません。一緒に胃薬を飲むと良い場合も多いですが、
特に鎮痛剤による胃腸障害に効くという胃薬も出ています
(ロノック®、サイトテック®、
カムリード®など)。これらを上手く使い分けるとか、
とりあえずまず使ってみて、だめならまた別のものを……というように
自分の今の痛みの程度に合う薬を探して必要最低限使っていくことが
原則です。
取っかえ引かえやっていくしかない場合も多いんです。それには、
患者の言うことを良く聞いて、そういう工夫をしてくれるお医者さんを
探すのが第一です。患者さんのいう事を聞いてくれて、面倒くさがらずに
薬を換えてみたり、工夫をしてくれる先生、別に専門医じゃなくても
いい訳です。ただ、こういう非ステロイド系消炎鎮痛剤(抗炎症剤)を
使う機会が多くて、しかもそういうことを緻密に考えてくれるのは、
やはりリウマチ医、特にリウマチ内科医です。日本リウマチ学会や
日本整形外科学会の認定医がいます。この先生方は使い慣れていますから、
いろいろ考えてくれると思います。医者選びも試行錯誤しながら、
相性の良い先生を捜し当てるしかない訳です。自分の体のことですから、
それくらいの努力はするべきです。
それから、大事なことは、薬を飲んで何かあったら、必ずお医者さんに
言うこと。あれを飲んだら効いたとか効かないとか、胃の調子が悪くなった、
皮膚にボツボツが出たとか。言わないとお医者さんは、効いている、
副作用もないと思い込んでどんどん出す。効かないんだけど副作用も
無さそうだから一応飲んでるっていう状況、これ一番悪い。
それともう一つ大事なこと、薬で痛みをゼロにしようとしたらダメです。
10痛いのを3か4ぐらいまでに戻ればもう十分、何とか動ける、仕事が
出来るところで効けばいいという気持ちでいなきゃダメです。完璧主義の
病人はダメ。絶対ね。それから何でもやってみて痛みが和らげば、
麻薬とボキボキっとやる整体療法のようなもの以外なら、あまり怪しげな
ものでない限り民間療法でも生薬でも、マッサージでも指圧でも鍼灸でも、
光線でも、体操でも、キノコでも、健康食品でも何でもいい。良い答え
じゃないないかも知れませんがそういう事であります。
では次、
「高齢になるといったん固まった首もトラブルが
起こりやすいですか?」。
高齢になると、普通はですね、この病気って言うのは枯れてきますから、
バーンアウトしたって言うんですけどね、ピークを過ぎると病気の勢いが
落ちますから、首に限らず、全体的に痛みは落ちついてきます。それでも
鈍痛があったり、時々、一過性に激痛がぶり返すこともないことは
ありませんが……。高齢になっても首が僕みたいに全部固まるとは
限りません。むしろそうなる人は少ないと思います。
でも中には、首の下の方から固まって行って頸椎の1番と2番、それと
後頭骨の間が固まらない(強直しない)ままの人がいます。そうすると首は
7つで動くところを1番と2番と頭蓋骨の間だけで動かしている訳だから
そこに負担がかかって、そのうちに緩んでくる、そうするとすぐ後ろに
ある神経を圧迫して、今さっき田中会長もおっしゃってましたが、
項(うなじ)から後頭部が痛くて痛くてしょうがない、こういうことは
高齢でもあり得ます。これしょうがないんですね。
温めたり、局所に注射をしたり、痛み止めを使ったりしながらじっと
待つ、ずっと死ぬまで激痛が続くことはまずないんで、そうやって割り
切って我慢するしかない。手術好きの医者のところに行くと、頸椎が
緩んでいるので固定術だ……とやられてしまう。もう少し待てば自然に
固まるのに。だけど、その前に神経麻痺がはっきりと出てきた場合は
手術をして固定をしなければならなくなります。でも、明らかに麻痺が
でても、少し経つと手術その他の根治治療の適応なく、これまでと同じ
対症療法で時間、自然回復を待つと自然に麻痺が治ったケースも
ありますので、手術は急いではいけない。
それと、一番注意しなけりゃならないのは、首が固まると堅いんだから
折れないはず、そんなこと言ったお医者さんがいますが、全然解って
いない。逆ですね。固まった首は実は脆いんですね、折れ易いんです。
ここ数年で、3人ほど、交通事故で首を折ったASの人がいます。一人は
頸髄損傷で首から下が完全に麻痺、呼吸筋も麻痺して亡くなりました。
後の二人は首から下が麻痺して、寝た切りかやっと電動車椅子で移動
している状態です。一人は自転車に乗ってはねられました。
首が固まった人は、転ぶと、今言ったような人と同じになってしまう
危険が高いので、自転車やオートバイは乗らない方が絶対に良い。
でも、ここまで言ったら、後は個人個人それぞれの人生観です。
倒れると自分で起き上がれない、オートバイも起こさせないのに、
まだツーリングを楽しんでいる人もいます。首が固まった人には
「ムチウチ症」っていうのはない、即、頸椎骨折の危険性がある訳
です。じゃ、怖いから車にも乗らず家でじっとしているか?、後は
人生観です。私は毎日、自動車通勤です。確かに危険は高いけど、
なったらしょうがない……の精神です。
それでもバックレスト、つまり枕にしっかり後頭部をつけて乗るとか、
枕と頭の間に半分空気をいれた空気マットをいれるとか、シートベルト
は絶対にする、エアバック付きの車に乗る、前後の前後距離を十分に
とるよう心掛ける、バックミラーはワイドにして後方視野を広げる、
黄色信号では絶対に交差点に入らない・・などの工夫でかなり危険性は
下げられると思いますよ。でも、ダメなときはダメ、あきらめるしかない。
5番と6番が折れて、一時は完全に麻痺になったけれど、元に戻ったと
いう本当にラッキーな方もいらっしゃいます。
「気圧と体調と関係ありますか?」。
これは前も言ったと思いますが、ありますね。リウマチ性疾患の人は、
天気予報が出来るってのは昔から有名な話で、湿度が高いとか気温が低いと
痛くなるという他に、どうも気圧が下がった時の方が痛いっていうのは
はっきりしてきたみたいです。原因はまだわかんない、おそらく自律神経を
介した機序なんでしょうけど。そういう目でみていると、僕はやっぱり
台風の時が最悪なんですよ。特に台風が来る直前です。雨の日の方がいい
ですね。アメリカの患者会の会報ではよく話題になります。
どうしてなのか、決定的な説明はありませんが。
それから
「虹彩炎の回数が1回から50回とありましたが、
50回もした人がいるんでしょうか?」。
虹彩炎ですね、僕は今11回目の再発中です。これはね、アンケートの
回答にあっただけで、僕は、その人を診ていませんけれども、あること
かもしれませんね。一回あった後、その後一生一度も起きていないという
人もいます。こればっかりは分かんないんですね。虹彩炎になっことが
ある人、今度のアンケートでは43%でした。教科書にも30〜40%ぐらいと
書いてありますが、僕の診ている患者さんでは50〜60%と、もうちょっと
多いようような印象です。
虹彩炎はね、ベテランの患者さんも多くて、早く気づけば治療は簡単、
お決まりのコースです。何度も再発している人は、「あぁ、またきたな」
と自分で早期診断ができちゃうんです。そしたら眼科に駆け込んで、目を
覗いてもらって確認して、ステロイドの点眼か注射をしてもらえばいい
だけです。患者さんが医者を使って治療している様なもんです。
それで十分。早く見つけて早く治療すれば昔みたいに失明することは
まずありません。
僕が、昔学校で習った教科書には、おっそろしく背骨が前に曲がった上、
失明したとあって、髪の毛もボサボサで、悲壮感漂う患者さんの写真が
載ってましたけれども、あれビックリしましたけれども、今は、そんな
ケースまずありません。ああいう教科書は早く廃本にして欲しいと
思います。その時の写真にあったような、背骨が極端に前に曲がった人も
ぐっと少なくなりました。なんでだろう?と専門医の中で時々話題に
なりますが、僕は、早期に発見されて、痛み止めを使って動かせる、
体操できるようになったからという単純な理由からではないかと思って
います。
虹彩炎、こればっかりは、「あなた、今後きっと6回起こるよ」なんて
予測はつきません。虹彩になり易いタイプがどうかはHLAの詳しい検査で
かなり分かる様になりました。HLAのBグループでなく、DRというのが
ありますが、そのうちDR-8型をもっている人に虹彩炎が多いという報告が
あります。DR-8型が陰性の人に比べて陽性の人には10倍虹彩炎が出易い
そうです。しかし、僕は陰性でしたが、虹彩炎が出ましたので、これは
あくまでも「統計学的にその傾向にある」程度のものと考えるべき
でしょう。
「今春、股関節の人工関節を入れ替えました」。
これは、今春もう終わった方ですね。
「療養も順調に進み、昨年総会に出席した
ときからみるとかなり痛みも症状も軽くなりました」。
確かにさっきお会いしたけども大変お元気になられましたね。やって
よかったです。
「これからは働ける職場を探していけるので
頑張っていきたいです」。
ASで手術した人は、会員のアンケート調査では約15%で、
リウマチ友の会のアンケートでは50%近くの人が手術を受けてます。
友の会の会員は比較的重症な人が多い訳ですから、軽い人も入れれば
AS患者のうちで手術を受ける人の割合は、もっとずっと低いと思います。
内訳はほとんどが人工股関節、しかも股関節で膝、肘、肩は僅かです。
リウマチでは膝関節が多いですね。
人工関節っていうのは、今では耐用年数、つまりどのくらいもつかと
いうことですが、20年ぐらいだろうと言われています。何度も入れ替え
出来るようなものではありませんので、なるべく年をとってからやりたい。
以前よりも下がってきましたが、今では55歳以上というのが常識的な
ところです。ただし、ことASに関しては、若いときにやることに
なります。人工関節以外の他の手術法は適さないので、これはしょうが
ないだろうというのが医者の中でのほぼ統一した見解です。
20代、30代の人に、今の技術や材質では、まだまだあまり入れたく
ないんだけど、やらないと働き盛り遊び盛りの人生を充実できないでは
ないか?っていう考え、僕もそうでしたね。だから僕は36歳で入れたと
いうのは、前から何度も話していますよね。一番若い人は19歳っての
知ってます。そりゃ僕はちょっと早いんじゃないかと思うんだけども、
元気で働いてますね、うちの大学でも27歳で入れた男性がいますが、
元気で働いていて、結婚してお子さんも生まれました。
我々AS患者にとって、ただし特に重症の人ですよ、重症の働き盛りの
若い人で股関節が痛くて歩けない人は、人工関節を入れると人生ガラッと
変わります。上手くいけば……です。だいたい上手く行きますけど、
それでもやる時には、慎重に慎重に、人工股関節、なかでもAS患者に
やった経験がある股関節が専門の整形外科医、そして首が動かなかったり、
口が開かなかったり、胸が動かなかったりする特殊なAS患者の麻酔に
慣れている麻酔科医がいる大きな病院で受ける事をお勧めします。
「働ける職場を探しているので頑張って行きたいと思います」。
がんばってもらいたいですね。だけど、今のご時世、健康な人でも働ける
職場が無いことも多くて、大変ですけどね。この点については、僕は
あまり力になれませんけど……。そう、これは、ご存じかも知れない
けれど、思い切って開き直ってですね、身体障害者手帳をもらって、
一定の規模以上の会社では、職員の2〜3パーセントかは障害者を
雇用しなくちゃならないことになっていますので、その枠を使うという
手があります。実際それで就職した人がいます。
割り切れればこれもいいですね。給料の額とか昇給だとかはむずかしい
問題があるかもしれないけど、仕事が無いよりましです。今、40、50で
健康なのに仕事が無くてぶらぶらしている人がいっぱいいるのですから、
それに比べれば、開き直っちゃって障害者枠を使えば、むしろ得かも
知れません。まだ他にも色々手は有ると思います。
私はこうやって仕事を探しました……という方いらっしゃいませんか?。
アンケ−ト調査では、仕事に就いている人が7割ぐらいいましたかね。
これに対してリウマチ友の会のアケートでは3割ぐらいだったと思います。
リウマチは女性に圧倒的に多いということもあるんでしょうね。ASでも、
全く普通の人と同じ様になんの支障もなく……という人は40%ぐらい、
その他は支障は有りながら工夫してなっとかやっているという人です。
僕自身も実際そういうことになりますね。仕事の内容変えたり工夫したり
して、皆さんなんとかやっていらっしゃいます。役員の皆さんは皆そうです。
まぁ死ぬ病気じゃないんですから、頑張って下さい。もし、なんかその就職
に関して良い情報もってらっしゃる方がいたら教えて頂きたいと思います。
それから、これ医学的な事じゃないんですが、
「私の支部の所属先がないので何処の支部か
教えて下さい」。
青森県。ないですね。今、一応関東支部とか関西支部とか言ってます
けども、そんな個別に活動してる訳じゃないですから、とにかくまだ
小さい会ですから「全日本支部」とでも思っておいて下さい。
それから、最後にこれも医学的なことじゃないんですけども、
「会員数の拡大について」
というご意見がありまして、
「本会の性格上、またAS患者の精神的
状況から積極的に会員の拡大を図ることは困難とは思うが、難病指定を
受けることができるよう厚生労働省に対する働きかけのパワーアップの
ために会員数の拡大を計る努力が必要ではないか?」。
そうですね、創立当初から、とにかく会員を増やすと言うことが一番の
目標でした。確実に会員は増えてます。でもまだ十分とは言えません。
東京都の強直性脊椎炎の難病指定患者は約230名。しかし、そのうち
友の会会員は28名のみ。ちょっとガックリ来ました。一番良い方法は、
マスコミを使うことね。田中さんとか僕が時々新聞に出ると、やっぱり
その後パッと問い合わせが来ます。
それからAS Web、Aさん達が立ち上げてくれたお陰で、やっぱり急に
広まりました。Yahoo!なんかの検索エンジンで「強直性脊椎炎」と
入れるとポンと出てくる訳ですから、こんな凄いことない。これで
やっぱり会員が増えました。それから、まぁー僕自身、副業の世界でも
あちこちで宣伝してます。保険会社、弁護士、それに医師会の講演会
なんか行くと、本題の前にですね、最初に自己紹介代わりに、ASと
友の会のことを話します。医師会でやると、後で、出席した先生から
患者さんの紹介が舞い込みます。
田中会長も前から繰り返し言っておられることですが、会員の皆さんも
ASであることをできるだけ公表して、自分でどんどん宣伝して頂く
ということがやっぱり大事じゃないかと思うんです。社会から理解を
得れば、最終的にはAS患者全体のためになると思います。それから、
もう一つ田中会長と計画しているのは、「療養の手引き書」の第2版を
沢山作りましたので、これを全国のリウマチ科を標榜している病院宛て
に送る予定です。やっぱり診断するのは医者ですから。患者さんが
インターネットでみて、「私ASじゃないかしら?」って問い合わせて
来た人のうち1/4ぐらいは違うんですね。やっぱり医者が実際に診察や
検査をしないとASって解りませんので、まずはお医者さんにASのこと
を知ってもらうのが先決だと思っています。
患者自身、会員自身がこの病気を日本に広めると言うことがやっぱり
大切でしょう。それともう一つ、有効な手段、それは有名人にこの病気が
出ると一発で広まるんですけどね。だれか会員の方に売れっ子芸能人に
なって頂くといいんですけどね。
それから
「日本のASの患者の推定は何人ぐらい
でしょうか?」。
これが解らない。4年前の日本AS研究会による全国調査では405人が
登録されただけでした。日本の人口の約10分の1が住む東京都の難病指定
を受けているAS患者が230名、東京都在住の友の会会員が28名、そのうち
東京都在住の友の会会員で東京都の難病指定を受けている人が約50%
………なんていう数値を考えあわせると、全国で純粋な、そしてはっきり
わかるほどの強直性脊椎炎患者は4〜5千人にぐらいなんじゃないかと、
僕としては見積もっています。
でも、軽くて、一生ASと診断されず、あるいは本人も認識しないで
死んでいく人が沢山いると思うんです。だから実際の数はもっとずっと
多いと思うんですが。いずれにしても、希少種族であります。もっと
威張っていいと思いますが。僕は都庁には行きましたけども、普通、
難病って言うのは死んじゃう病気で、幸か不幸か我々は簡単には死なない、
だからなかなか取り上げてくれないというところがあります。でも、
働きかけはしなければいけないと思います。とにかく、各支部別、県別に、
そこの行政機関に対してASの実体を理解をしてもらうような活動が
必要ではないかと思うんですが、これは、これからの課題です。
しかしなかなか難しい、だからさっき話したように、マスコミを
使ったり、インターネットを使ったり、芸能人を輩出したりしてですね、
広めるということが、とりあえずの目先の活動と言えるかも知れません。
以上、そんなところです。じゃ、ちょっと医療関係じゃないことでは、
Mさんにお願いします。
- (M女性部長)
- 質問もありますが、ご意見と言いますかご感想がありますので
それを読みたいと思います。
「一昨年にお会いした方々に会えたこと
事と、夫婦で出席出来る幸せを感じます。田中会長、井上先生、会員の
皆さんそれぞれの立場でASの会を盛り上げて頂けて嬉しく思います。
私どもも頑張って毎年参加出来るように参加したいと思います」。
という意見を頂きました。ありがとうございました。
それから、質問なんですけれども、
「歩くと汗をかきやすいので、秋10月ぐらいの
方が動きやすいようにも思えますが」。
これは総会の開催日の事なんですけれども、総会が10月ぐらいの方が
いいというご意見なんですけれども、どうでしょう。皆さんどんな感じに
思われますか?。何かご意見ありましたら、なんか拍手してはる、ハハハ。
Nさん拍手が見えましたが。
- (N会員)
- 10月ぐらいが……。
- (M女性部長)
- 他にどうでしょう。もしか10月、皆さんがいいと言うことに
なったら10月に出来るんでしょうね。
- (井上事務局長)
- まぁ努力はします。一昨年かな、あのディズニーランドでやった
時は11月だったですね。僕の都合なんかもあって11月にしたんですが、
寒かったって言われましたね。10月にやったことありますか?。9月は
ちょっとバタバタしているって事もありますね。確かに、これまで9月
の開催が多いですね。来年は、またASIFの国際会議が9月にあり
そうなんで……。
- (M女性部長)
- ちょっと聞いてみていいですか。1月が良いと思われる方、手を
上げて下さい、おられません。2月は如何ですか、じゃ3月は、4月、
4月忙しいですもんね。5月、6月、7月、8月 9月、あっ3名
ですか。10月、多いですね。14名ぐらいでしょうか。11月は如何でしょう。
お2人、12月はいかがでしょう。忙しいですね。やっぱり10月が多いこと
が判りました。
- (井上事務局長)
- そうですね、今後、10月は考えてみましょう。来年は大阪ですね。
- (田中会長)
- 大変申訳ないんですけれども、来年は9月15日にもう決まってるんです。
- (井上事務局長)
- あ−そうでした。失礼。敬老の日ですね。あっ今日もかっ。
- (田中会長)
- ええ、国際会議場ということで、もうおそらく一年前からとらな
アカンのでね、もう、予約済みなんです。だから 来年以降でまた考えて
みたらいいと思います。
- (井上事務局長)
- 判りました。次は場所ですね。今日の午前中の役員会で、九州に
来いって言った人がいます。ただ九州では、なかなか集まりにくいんでね。
でも、観光旅行を兼ねてっていう事ができるからねぇ、考えてみたいです
が。たとえば、再来年九州って言ったら、行こうという方は何人ぐらい
いらっしゃいますかね?。温泉付き!。いいですね、Yさん、準備お願い
します。再来年以降ね。ハウステンボスでも良い。ツアーを組めばいい
ですね。是非やりましょう。いずれはハワイかなんかでね。
- (M女性部長)
- あーいいですね。では次なんですけども、
「総会はつまらないので(笑)、夕方集合で
一泊懇親会はいかがでしょうか?」
っていうご意見なんですけども、懇親会と比べると確かに楽しくない
かわかりませんが(笑)、あのーどうでしょう。ご意見がありましたら。
Oさんいかがですか?
- (O会員)
- はい、患者さんが先生方にお聞きしたい事もあるので、
まぁ短くても総会は必要だと私思います。そして、その後にやっぱり
そういう時間がもてるという事がね、楽しみで、この時間を過ごして
おられる方もたくさんあると思いますんで。
- (井上事務局長)
- 辛いのを耐えてるみたいに……(笑)。
- (O会員)
- やはり、もう少し時間は短くてもいいと思いますけど。
でも、無いとやっぱりいけないと思います。温泉とかね、そういう
とこへ再来年行くんでしたら、総会の時間は自ずと短くなると思い
ますんで。
- (井上事務局長)
- 今年はだいぶん努力して、予定より30分短かったんですよ。
来年は一時間で切り上げようと思います。
- (O会員)
- そうですね。今日来しなに、Tさんと新幹線で一緒だったん
ですけど 東京と大阪じゃなくても、まぁ東京に近い伊豆で一泊で
やっちゃうとか、大阪だと白浜のほうでやるとか、九州のほうでも
結構ですし、温泉地でやってもいいなと思ってたんですけどね。
ということを、今日来しなに話してました。
- (井上事務局長)
- そうですね。もうかなり親しく知り合いになれた方とは温泉が
いいんだけども、やっぱり、毎回、必ず何人かは初めて来られる方が
いまして、初めて来た時に温泉で騒ぐの見ると、またショックに
なっちゃうから難しいところもあるんですけどね。
- (O会員)
- そうですね。
- (井上事務局長)
- でも、この会は他の難病患者会と違って涙が出る会ではないから
……、そこがまたここの会の特徴ですから。初めて出た会で、難病患者が
浴衣をはだけて騒いでるのを見て帰るのもいいかもしれない。誰がやるか
知らないけど(笑)
- (M女性部長)
- 楽しい総会というのは、私、体験した事がないので、総会を楽しく
する方法があったらまた教えて頂きたいと思います。はい、では次の質問
ですが
「九州支部は(北海道も)少人数ですが、
医学的にすそ野はどの程度のものなのでしょうか?。50名ぐらいはいる
ように思うのですが」
とあります。Yさんいかがでしょう?
- (Y九州支部長)
- 先ほどの先生のお話で判りましたけども……。
- (M女性部長)
- 50名?
- (井上事務局長)
- いえ、きっと、もっともっといますよ。でも埋もれてる。
医者が見つけられないっていうのが多いんで、とにかく宣伝して、
お医者さんに知ってもらって、診断して発見してもらう事がまず
先決ですね。私の母親が実はASだったんですよ。だけど、僕は
自分が発症して初めて、オフクロもそうだったんだ気がつきました。
私が小さい時に、あちこち病院を渡り歩いていましたけど、診断は
下されなかったです。そういえば、眼科にも時々通っていました。
でも40歳過ぎてからは、全然元気だったですよ。山登りもしたし、
1日に何キロも泳いでいた。でも、後から考えるとASだった。
そういう方がたくさんいらっしゃる。そういう人をどんどんほじくり
だして「貴方は病気だ、ASだ」って言うのも問題ですけどね。
やっぱりかなり埋もれていて、九州に50人ということはないと
思いますよ。
- (M女性部長)
- はい、だそうです。次はこっから見にくいと思いますけど、
会のシンボルマークを考えて下さった方がいます。一つは説明します
と地球儀に座っている人がいる、イメージは「らくちん」のイメージ
だそうです。それからもう一つは四角い旗の中に太陽と鳥のイメージ、
夢羽ばたくという感じ、そんなデザインです。それからもう一つは
輪っかをフラフープっていうんですか、それを男の子と女の子が
支えている、これはつながりの輪という。もう一つは、これは
何でしょう?、体が線で表現してあって真中にハートがあって両方に
手形と足型が書いてあるという、イメージは全身に血が巡るように
温かい会ですという温かさを書いて下さってんですけど、また、
興味のある方は見に来て下さい。
それから、
「家族のために動くとき、ASの痛みを
どのくらい我慢できますか?10段階で答えるとしたら?」
っていう質問なんですけど。家族のために動く時というのが働く
という受け取り方でいいのか?、たとえば休みの日に動くとか、
何か用事で動くという捕らえ方をしたらいいのか分かりませんが、
ご家族でいらしているTさん、いかがでしょうか?
- (T会員)
- 大阪から来ましたTです。私はやはりそんなに今のところ痛みと
いうのがヒドイのがゴンとくるのが最近ないんで、調子が良いなとは
思っているんですけど……。まぁどうしても痛みがあって動きにくいと
いう場合は、逆に私の場合、楽をしたいので家族のほうに協力をして
もらいたいなぁという感じでやっております。ただ、そうですねー、
気の持ち方で、やっぱり子供が生まれてから体調が悪くなる事が少ない
んで、ある程度気を張っていければ、それなりの痛みは我慢できるの
かな−という気はします。
- (M女性部長)
- ありがとうございます。ご家族でみえた事のあるTさん
いかがですか?
- (T会員)
- 10段階って難しいですね。子供とか家族のためですか?。
一応何でもしてるんです。ただやっぱり下のもん取る時とかは取って
もらったり、逆に重たい荷物なんか一番僕に回ってくるんです。
何でか知らないけど。で、自転車もバンバン子供積んで走ったりして
ますんで、荷物も買い物も、半分無職人間なんで主夫してます。
料理も作ってますし。だからそんなに日常生活には困らないです。
ただ車の乗り降りとか、そんなんぐらいだけなんで、別に……。
10段階っていうとすごく難しいですね。1のやつもあれば10のやつも
ある。項目を並べてくれはったら答え易いんですけど。
- (M女性部長)
- 痛くなければ極力動こうみたいな事も?
- (T会員)
- いや、痛かっても動く……。
- (M女性部長)
- かなり無理して動きますか?
- (T会員)
- 我慢できる範囲で。どっちにしても痛いんだから。それなら、
痛かっても、たとえば子供と公園に遊びに行ってボール蹴ったりする
ほうがまだマシかなって思います。僕は外に出かけよう出かけようと
するタイプなんで、それの方が気持ちも変わります。
- (井上事務局長)
- AS診に、患者さんが奥さんや家族と一緒に来た時、
「ドンドン尻を叩いて働かせて下さい、この病気はその方がいい」と
必ず言ってます。で、どうしても出来ない時ありますね、首が上を
向かないので上のものがとれない、体が曲がらないので下のものが
取れない、それからどうしても痛い時は動けない、そういう時は助けて
やって下さいと。それ以外で調子いい時は、死ぬ病気と違うんだから、
心臓病じゃないんだから、ドンドン働かせろ……という訳です。
これがやっぱり結果的にはいいんであって、前も話したと思いますけど、
イギリスの患者会の会報に、ASにとって一番良い仕事は消防士と警察官
っていうのが出てましした。動くっていうことですよ。家でパソコン
やってるっていうのが一番良くないんですね。でも、そういう人って
多いんですけどね。
個人的人生観ばっかり言って申訳ないんだけ、「家族のために」って
考えない方がいいんじゃないでしょうか。自分のためですよ、自分の
ために一生懸命やってると、結果的に家族のためになるんですよ。
僕自身が、今はしゃかりきになって家族のため、家族のためってやって
いませんからね。けっこういい加減です。
- (M女性部長)
- でも痛ければ、家族のためにっていうふうに考えるんじゃないん
でしょうかね? 女性の私、主婦はしんどいときは大変よね−っていう
お話をしたことがあるので、ごめんなさい。Nさんいかがですか?
- (N会員)
- 【マイクに声入らず】
………耐える事ができないとかね、男性とは全然違った悩み事で、
泣きながら過ごした記憶の方がね〜。今はいい思い出になってますのでね。
だから痛みに耐えるっていうよりも、自分のやるべきことを時間をかけて
やっていったら自ずと徐々にこうねぇ、痛みに耐えるというよりも、
徐々に無くなっていったっていう感覚で私は思うようにしてたので、
今は却って楽しみっていうか思い出の方が多いんですけどね。
それと家族の中ではね、どうしてもあまり、私の経験ですけど、
無理をしない。私の場合あまりにも自分でやりすぎて……。主人がこの
病気に対してあまり理解度が少なくて本当に難儀したときに力を貸して
くれなくて、ちょっとその部分でスゴク精神的に辛い思いしました。
先生おっしゃったように本当に動けない時は家族にSOSを出す。
で、動ける範囲は少々痛くっても自ずと動いていったら楽になるって
いうのが私の感覚でしたので、楽しくやっていったらいいと思います。
- (M女性部長)
- ありがとうございます。もう一人女性の方、Hさんは?。
主婦をされているのでいかがでしょう?
- (H(女)会員)
- 主婦といわれるとちょっと困るんですが、と言いながら主婦歴は
長いです。来年で20年になります。私、福岡のHといいます。ピュアな
ASではないんですけども、似たような病気で似たように痛いので、
皆様のお仲間に入れさせて頂いております。家族のためというのは
あんまり考えた事ないんですが、うちは幸か不幸か子供がおりません
ので、主人と二人のときは先生が言われた通り適当にやってます。
これに主人の両親とか加わってくると、今、介護をしないといけない
父が一人いますので 土日になると、ちょっと我慢して、10段階の2
ぐらいは我慢してるようなところもあります。ただ、自分の事に関しては
何も我慢しませんので、あれこれしたいなと思うときは、座薬もバンバン
使ってバンバンしたい事全部しますので。この9月のスケジュールを
井上先生に話しましたら、お忙しい井上先生から笑われてしまいました。
そんな風であまり主婦としてのあれはないですけれども、こんなところ
でございます。
- (M女性部長)
- ありがとうございます。他に何か、私はこんなん、僕はこんなん
……が有りましたら。
はい、○○さん。
- (○○氏)
- 今回、初めて出席させて頂きました。娘が井上先生に5月頃から
お世話になっております○○と申します。今も電話でちょっと本人を
何とか呼び寄せようと思ってたんですけど、まだなったばかりで、
精神的に落ち込んで、なかなか……。痛みっていうより、痛みは
おかげ様でお薬頂いてますので治まっているんですけど、それで
なんとか会社だけでもっていうことで会社には行かせてるんですが、
ただ、会社も辞めたいって言ってますし……。もう生きる望みもない
っていう状態なんですね。
それで、今日も家が割合近くにマンション借りてますので、それこそ
タクシーでワンメーターで来れる所に居ますので、なんとか今も来て
くれないかと思って一生懸命電話で言ったんですけれども、来たくない
って言うんです。まだそういうなったばっかりで、本人が精神的に混乱
してる時っていうのは、家族はどのように接したら良いのか?、親も
混乱しちゃってるんですけど、皆様のお知恵を拝借したいと思います。
宜しくお願いします。
- (M女性部長)
- いかがでしょうか?
- (井上事務局長)
- お嬢さん、是非今日いらっしゃい、皆さんとお話するといい、
女性もたくさんいるからって言ってきたんですけど、まぁ残念です。
でも、今は来れないのは無理もない状況です。そういう状態のときは
どうしても来なさいと言って尻叩くのは絶対ダメですね、そういう時期と
いうのは。今は皆さん明るいけど、ここにいる方全員が、実は同じような
時期を通り過ぎてきたんですよね。僕もそうですけどね。
恐いのは、そのまま自殺してしまう事です。事実、そういう人がいた
んですけど、そういう場合には、単に、気持ちを変えなさいと言っても
無理なものは無理だし、痛みがあるのは確かだし、それで仕事や遊びが
思うようにできなくて、そうすれば将来の夢がなくなってくるのも確か
ですから……。やはり医者としては、医学の力を借りるという事で
精神科の医者にも紹介しました。それで、直ぐに立ち直るとは思えません
けどね。
僕は整形外科医ですから、カウンセリングとか精神療法なんて出来ません
ので、とにかく外来に来たときはお話を聞くだけ。とにかくできるだけ
話を聞いてあげる、病気は治せない、今の心理状態も治せないんだけど、
話相手ににはなれる。診察室で「痛い、辛い」といわれると、
「そうだよな、痛いよな。でもしょうがないよな」と肯定しちゃうん
ですね。それが、まぁ僕のやりかたというか、それしかできないんですよ。
「そんな事言わないでがんばれ、そんな痛いはずは無い、どんどん動けば
痛みも……」といってもダメなんです。
アンケートでも出ていましたが、話を聞いてくれる人がいるというのは
大切かもしれません。教育的な指導をする必要なんて全然ない、
というより裏目にでることが多い。友達でもお母さんでも話を聞いて
あげる。特に両親。僕のときもそうだったんですけど、発症した時は、
僕の両親もうろたえましたね。それで女房とけんかし始めたりしたことも
ありましたけどね。あまり両親が騒ぐといいことないような気がします。
一番心配しているのは両親だと判っているんだけど、でもウルサイ、
ウザッたい。
だから、さし当たって、周囲が過剰に騒がない、うろたえないこと
じゃないかと思うんです。よく言うのは「死んではダメよ。生きてれば
きっといいことがある。世の中100%いいことばかりじゃないんだから
……」。去年もこんな事言ったような気がしますが、生きてれば、
美味しい物が食べられる、きれいな物を見聴きできる、感動を体験
できる、楽しい事も経験できる、そういう可能性が絶対あるんですから
……。
イスラム原理主義者質は死んだ方が幸せと思ってるそうですけど、
日本人は違いますからね。やっぱり、「生きていれば、絶対いい事あるよ、
だからちょっと待ってよ」でしょうかね。あまり神経質になっても
いけない。まぁ、本当は僕はこんな偉そうなこと言えるほどの人物
じゃないんで、今日、お嬢さんに来ていただいて、とにかく田中会長の
顔をみるだけ、Mさんと話をするだけでもしてもらいたかったんです。
残念です。まぁ、電話でも大丈夫ですから、いつでも田中会長やMさんと
話してもらいたいと思います。会長、何かありますか?
- (田中会長)
- お目にかかるのを楽しみにしていたんですが、会社に行って
おられるという事を、今、お聞きしたので、井上医療部長、この方は
どの程度の症状なんですか?
- (井上事務局長)
- 症状が目立ってきてからは間もないのですが、すでに今年の
春に、他の病院で股関節のカップ形成術を受けています。まだ若いから、
一般のお医者さんはやっぱり人工股関節は早すぎるという事でカップ
形成術をやったようです。病気によっては、人工関節までのつなぎと
してカップ形成術がすごく良い場合もあるんですけど、ASに限っては、
良いという話をあまり聞きません。彼女は今、やっぱり痛みが残って
杖ついてゆっくり歩いている。
「カップ形成術だって、筋力増強訓練をやれば、それで一年半ぐらい
頑張れば、痛みが軽くなって今よりずっと楽に歩けるようになるから、
とにかく一年半は頑張ってリハビリやってみたら。それでダメだったら
僕の主治医としての方針は人工股関節に入れようかと思っている、
一箇所でも非常に調子良くなると、人間って有機的にすべてつながって
いるから、全体的病状も活動性も良くなるし、そうなると気持ちも
前向きになって、痛みはあるんだけど苦痛としてはずっと楽になる、
これは僕の実体験」と言っています。
それから、病状としては、今、非常に燃えてる時です。30歳でしたかね。
普通の薬じゃ手に負えないんで膠原病内科の医者と連携して少し強めの
免疫系に作用するような抗リウマチ剤を使って、とにかく初期の消炎鎮痛
に努めているという状況です。
- (田中会長)
- まぁ、痛みをとる事が最優先ですね。それしか手がないと思います。
今、事務局長が言った人工股関節に切り替えるってのが一番いいかも
知れませんね。カップていうのは、お医者さんはねぇ、患者さんの痛みが
分からないから、手術は成功したとか言うんですけどね、痛いですよ。
井上先生、何とかして上げて下さい(笑)。痛みをとるように。
- (M女性部長)
- ここにたくさんねぇ、痛んだ事があって、苦しんできた方達が
これだけいるのですから、痛むときに自分は家族にどうして欲しいか
という事を痛む側からちょっと聞きたいなと思うんですけど。
(ここから、家族のあり方について話が展開)
- (M女性部長)
- 個人的な意見なんですけども、患者さんと一緒に暮らす家族とか
いますけれども、家族の悩みというのもあるので家族の相談できる
部屋とかそういう機会があったらいいなぁと思うんですけど。
- (井上事務局長)
- 家族の会のようなもの?
- (M女性部長)
- はい。
- (井上事務局長)
- それね、アメリカなんかはあります。家族とか恋人なんかが
集まった会。患者がいない時も、患者が一緒のときありますけどね。
こういうのは企画しても良いかもしれない。まぁ、今、患者さん自身でも
これだけしか集まらないんですから、家族だけっていうのもむずかしい
ですよね。でも、とりあえずは、Mさんを中心としてそういう輪を広げて
行く努力は必要と思います。一つの案ですけど、後の懇親会でですね、
家族専用の席、奥さん同士のテーブルつくってもいいと思うんです。
そこで、患者に対するグチとか、取り扱い方のアドバイスとか、いずれ
うちの女房が本を書くと言ってまずが、そういう話をするという事でも
良いかもしれないですね。今日なんか、テーブル一つ囲んでみて下さい。
- (M女性部長)
- 他にご意見がありましたら。はい、どうぞ。
- (N会員)
- 発病は20歳でしたけどね。判らなくって26歳で判って、その時には
一歳の子がおりましたのでね。さっきもチラッとしか言いませんでした
けどね、娘さんの事ね、すごく判るんです。それこそ、私結婚してました
から離婚も考えましたね。もぅホント、子供を誰に預けたら良いのかと
かね。今、本当にすごく悩んでらっしゃる、で、どこにやり場を持って
いって良いのか判らない、その横で私の母の場合は、もう別居してました
から、主人に当たる事も出来なくって、ただただ主人の重荷にならない
ようにっていう部分がね、すごく葛藤があるんです。娘さんのなかでね。
だからね、私と彼女とは違うと思うんですけど、私が抜け出せた一つの
原因としては、何か目的っていうかね、私の場合でしたら子供を自分の
手で抱きたい、おしめを換えてやりたい、人の手を借りないで……、
そういう目的っていうもんがあったのでね。そういうものを彼女が見つけ
出すまで、お母様泣かないで、ただただ祈る思いでね。祈るゆうたって
手を合わせるとかそんなんじゃないんですよ。本当に愛情込めて、
娘さんにね、それだけを望んであげて頂けたらすごく成長されて乗り越え
られると思うんです。
ただただ目標っていうか、自分がやりたい、やりとげたいっていう何か
見つけはりますんでね。それは一年二年かかりますのでね、私らでも
かかりましたのでね。今、こんなして笑っていますけどね、4回ほども
波がありましたね。だからそれだけ、それMさんら皆一緒だと思います
けどね、形は違えどそれだけもすっごい辛い思いよく判るんでね、
余計にね。頑張って下さい。すいません、余計な事言って。
- (M女性部長)
- ありがとうございます。Oさーん。Oさんいかがですか?
- (M女性部長)
- 痛むとき、しんどい時に家族にどうされると自分は一番嬉しい
かなっていうご経験が?
- (O会員)
- まぁ人によって違うと思うんですけど、ほっといてもらいたい時と、
助けてもらいたい時と、まぁいろいろあって、私は運良く娘が傍にいる
もんですから全部出来ない事は助けてもらっちゃったりするんですけど。
うーんそうですね、私ちょっと気が強いから、意地でも何とかしてやろう
かなって思っちゃうんで。私の母親も心配してゴチョゴチョ言うんです
よね、だからちょっと腹立つんですよ。やっぱりほっといて欲しいって
いうか何て言うかな、本当ならもっとまともだったのにぃーとかね、
そういう事を言われると、えっ、今の私は何なの?、これで認めて
欲しいのにっていうところがあるから、もう少し黙って頑張って暮らし
てる姿を見てて欲しいかなぁっていうところもあります。心配している
のは判るんだけども、黙って心配しててもらいたいなっていう気持が
あります。申し訳ないんだけど、そういう風に親の事は思います。
判んなんいけど……。
- (M女性部長)
- ありがとうございます。Oさんの息子さんと娘さんがみえて
いますが、聞いてもいいですか?
- (O会員)
- もー、いつも世話になってて感謝していますって、ついでに
言っちゃおう(笑)
- (M婦人部長)
- ありがとうございます。娘さん、ご意見を。お母さん痛む時、
調子が悪い時になにか気を付けている事とか有りますか?
- (O会員の娘さん)
- 何となく一緒に暮らしていると、私に手助けをして欲しい時と、
そうでない時っていうのが判るんですよね。それに応じて手助けを
したり、ほっといたり、そういう感じです。でもそれはずっと暮らし
てて小さい時からずっと見ているから判る事で、たとえば知り合いとか、
お母さんのお母さん、私のおばあちゃんなんかが一緒に居たとしても、
それは判んないんですよ。なので、出来るだけ、私がおばあちゃんが
判らないんであれば、おばあちゃんに説明してあげて手助けするように
してます。
- (M女性部長)
- 息子さんはいかがですか?
- (O会員の息子さん)
- 息子のKです。基本的に、私、離れて暮らしていますので、
手助けっていう事は何もしていません。時々一年に一回か二回帰る
んですけど、そういう時も、手助けっていうよりも、逆に何食べたいとか、
甘えてばっかりで迷惑かけているかなって思ってます。基本的に、
一緒に居ても病気の事はそんなに気にした事は無く、母と息子という
関係で今も付き合っています。
- (M女性部長)
- ありがとうございます。思い出せば、この質問は前回の総会の時に
Nさんの奥様がマッサージ以外の何か出来る事は有りますかっていう
ご質問を書かれましたよね、一年経ちましたけれどもいかがですか?
- (N会員の奥さん)
- 去年、この会に初めて参加させて頂く前は、自分の気持ちがしっかり
していなかったんですけど、皆さんに会って、あと外来の診察の時に、
主人に付いていって井上先生と話をしたりして、やっぱり自分が強くなる
しかないなと思ったんですね。例え主人が病気であっても、病気でなくて
も、やっぱり二人で結婚したからには幸せになりたかったので、病気が
有るとか無いとか関係なく暮らしていきたいと思ったんです。
それから、すごく自分が強くなったと思います。主人は元気な時も
あれば、すごく落ち込んでいる時もあって、すごく痛そうな日もあれば、
そうでない日もあって、もう玄関から帰ってくる時の姿勢で、今日は
痛いんだなぁとか、今日はそうでもないんだなぁとか判るんですけれども、
あんまりそれには触れないようにしています。私の所は子供がいるので、
今日、子供の事こんな事があったんだよって、普通のご家庭の奥さん、
近所のママ友達がパパに報告するように報告して、あんまり変に心配
しないというか、心配はしてるんですけども、どういう状況になっても
自分が強くいられるように、むやみに主人に振り回されなくたっていいと
思うんです。自分がしっかりしないと、もぅ自分の家庭が病気につぶされ
ちゃうと思ったんです。それで去年参加させて頂いてから強くなったと
思います。
- (M女性部長)
- ありがとうございました。Iさん、親子でいらしてるんです
けれども、娘さんは看護婦さんしていらっしゃるので、いかがで
しょうか?。お母さんが痛む時にどう接して欲しいか?という事と、
娘さん側からどうしているか?、注意している事、気を付けている
事がありましたら一言お願いします。
- (I会員)
- 私の場合は、診断がついたのはかなりの年齢になってからですし、
発病していたなと思う時は子供がまだ小さかった事もありまして、
誰に痛みを訴えるっていう事は出来ないという事と、自分がやっぱり
しっかりしていかなければ家庭を守っていけないっていう事が常に
ありましたので、痛みがあってもお薬で治療して頂いてる以外は、
感じなくて……、感じないっていうか考えないようにして生きるって
いう事の方が主でした。
- (I会員の娘さん)
- 私は、母が本当に昔からよく痛がっていて、動けない事を子供の
時から見ていたので、それがどうしてなのかは子供心に判りませんでした。
けれども、家のお母さんはよそのお母さんに比べると病気がちだなって
いうのは、何となく染み付いてきちゃったようです。子供の時、本当に
幼い時には、元気なお母さんが羨ましいなと思いましたけど、それを
そのまんま受け止めてきたような気がします。
私は、母が痛くて動けない時は、勿論手伝いとかしましたけれど、
家の母は結構厳しくって、仮に自分が動けないとかじゃなくっても
私に手伝いっていうのはするように、娘としての役割を果たすように
育てられてきたので、ごく普通に家族の役割として親が出来ない時に
やってきたという感じです。あとは、私は看護婦になるための勉強で、
親元をずっと離れてしまっていて 今もこのASの会に母と一緒に出る
事が、一年に一回は必ず会えるっていう私たちにとっての会になって
いるので、すごく意味があるんです。
看護婦になってからも、やっぱり正直ASっていう病気を知りません
でした。母が診断がついて、それで自分でもASって何だろうって調べて
みて判るようになってきたんですけども、痛みはあったら仕方がないなと、
かなり痛いんだなという事は母が痛がっている姿で思いますけど、
でも結局は、私にはその痛みは理解し得ないものだって思っています。
冷たいようなんですけど、本当に判らない痛みなので、だからといって
ほっとくっていう気持ちも無いし、母がSOSを出している時には、
私で出来る役割をやればいいかなって思っています。
看護婦っていう性格上、やはり、必要な時には痛み止めを使うしかない
だろうなって思っているので、一回一緒に母と海外旅行に行った時に、
もぅベッドから転がり落ちるほどに夜中に痛がったことがあって、
その時には、私が心配しても痛みが減るわけでもないし、やはり薬を
使ったらどうなんだろうかっていう事を母に、まぁ冷たいようなんです
けど、そう言って見守っているしかなかったなと思います。看護婦という
部分があるので、ちょっと客観的に見ている部分がありますけども、
まぁこんな感じで、あまり参考にならないかもしれません。
- (M女性部長)
- ありがとうございました。お子様がASで、私は親でっていう
立場の方がいましたらご意見頂きたいんですけど。私の体験なんです
けど、親の焦りは確実に伝わるので、本人は余計に焦っちゃう。
痛みを抱えながら、自分をどうする事もできへんのに、自分の焦りプラス
親の焦りも貰っちゃうって言うところがあるので、ドーンと見ているよー
……みたいな感じでいてくれると嬉しいかなーって思います。
私の母はとても心配して、治ること治ることって走りましたので、
私も治らなここにおられへんのかっていう、そういう感じですごく
焦りました。だから、治っても治らなくてもずっと見守っているよ−っ
ていう、調子が良くても悪くても見守っているよーっていう態度
というか、そういうことが、私は親に対してもう少し欲しかったなって
いう思いがあります。ゴメンナサイ、勝手な事言いましたが。
- (井上事務局長)
- そうですね。両親が一緒に来て、あんた絶対病気に勝つのよっ!
とかね、負けちゃダメよっ!ってやってるじゃない、あれはやっぱり
良くないと思うんですよね。やっぱりどうなっても、あるがままと
いいますかね、なるがままにしかならないんですから。まぁ確かに、
今Mさんが言っていたように、親はドーンとしていたほうがいいかも
しれないですね。もちろんSOSを出している時とか、脇からカバー
出来る時には出来るだけしてあげる、その程度のところで距離を
置いていた方がいいんじゃないかと僕は思います。
- (M女性部長)
- はい、ありがとうございました。ここまでが頂いている質問
なんですけど、この他にふと思い浮かんで聞きたいという事が
ありましたら、どうぞ質問して下さい。どうぞ。
- (T会員)
- 東北大学の医学部の研究科の教授で辻一郎さんていう方の
記事をちょっと読んだんですが、ボルタレン®とか
インテバン®とかっていう非ステロイド系の鎮痛剤を
常用している人がアルツハイマーとか痴呆症になりにくいという
データがはっきり出ているのを読んで、アレッと思ったんですが、
私ももう68歳でインテバンとか常用しているですが、現在は
なるべく薬を飲まないでいられるようになったので、朝食後1錠だけ
という事でなんとかやれるものですから、そういう服用の仕方で
先生には薬を頂いて、半年に一回診察受けているような状態です。
どうも最近、まぁ痴呆とは言えないんですが、人の名前とか地名とか、
それから漢字がね、すっと出なくなっちゃいまして、いやに進んだ
なぁという気がするので、それがこの教授の説と反対みたいなので
そういう事があるのでしょうか?
- (井上事務局長)
- そのニュースは知ってます。消炎鎮痛剤っていろんなところに
作用するんですね。例えば面白いんですけど、消炎鎮痛剤って骨を
作らない方向に働くんですよ。それじゃ、ASにとって、痛みが
なくても、この非ステロイド系消炎鎮痛剤をずっと飲んでいれば、
骨ができない、つまり強直しないんではないかという話もあるん
ですよ。アルツハイマーにはならないっていうのは、もちろん東北大で
やったんですから確固たる学問的な統計なんでしょうけれども、
そういった類のニュースは無数とありますね。
それをいちいち信用してしまって、そのうち、逆に消炎鎮痛剤を
飲んでいるとこの病気になってしまうという記事が出て、じゃ飲む
のを止めよう、痛いけど我慢してジッとしてようなんて事になると、
AS患者は大変です。こういった記事には、あまり一喜一憂しない
方が良いと思います。インテバンを一日一回に減らしたから
アルツハイマーが進んだっていう短絡的な考えは絶対しない方が
いいですね。僕は専門家じゃないけど、今おっしゃられたぐらいの
ボケは、僕なんか10年前からありますよ。普通ですよそれは。
だから、失礼ですけど、もう60を過ぎていらっしゃいますよね、
それなら普通でしょう(笑)。それじゃ、消炎鎮痛剤を朝、昼、
晩とたくさん飲んでれば、こんなに物忘れをするようにはならなかった
だろうと考える方が異常であり危険だと思うんですよ。ステロイドにも
極端に恐怖感を抱く人がいますけど、同じことです。非ステロイド系
消炎鎮痛剤では骨がつきにくいと言われるから、たくさん飲めばいい、
それで、胃に穴を開けてしまっては元も子もない。あまり細かなことは
気にしない方が、体のためにも良いように思います。
- (T会員)
- それと、小金井市の小金井公園に総合体育館があるのですが、
たまたま私もプールにずっと通ってまして そしたらシルバー人材
センターの腕章をつけた人をずいぶん見かけたものですから、
たまたま私もサンデー毎日をみて、何かやりたいなぁと思っていた
矢先でしたので「シルバーセンターにああいう方が働いているの
ですか?」と聞いたところ、「実は求めておりますのでやって
みますか?」という事で、今年の5月から月に18日ぐらいなん
ですけど、1日5時間で給料は勿論安いんですが行っています。
最近、各市町村で人件費の節減でシルバー人材センターを使って
安く上げようとしているのでしょうか、体育館の管理事務なん
ですけど、大体60歳ぐらいから上は70歳ぐらいまでの人が働いて
います。体育館の中の卓球とかバレー、バスケット、水泳、それから
いろんな設備があるのですが、そういうところの管理、運営、料金の
徴収とかですね、簡単な仕事ですけど、これを始めましたら、
確かに疲れますけど、働いているというか働き甲斐があるというか、
そういう意味で体調が良くなって、逆にちょっと食事が不規則に
なるものですから、2キロぐらい体重が落ちたんです。
まぁこれは交代制勤務で、朝早い時間、真中の時間、夜は10時まで
と3交代の組み合わせでやっているものですから、どうしても家族との
関係で、食事しないで出ちゃったりとか、そういうことでちょっと
いかんのかなと思ったんですが、でもやっぱり、人生こうダラダラと
いう生活から働くという生活になる事が非常にいい事だなぁと思って
います。サラリーマンの時とはまた違う喜びを感じております。
さきほど、お嬢さんが仕事を辞めたいという事をおっしゃっているのを
聞きながら、仕事っていうのは人生で大事な事だなぁと思ってるんで、
是非続けたほうが良いんじゃないかなぁという気がした次第です。
- (M女性部長)
- ありがとうございました。時間はどうでしょう?。いいですか?。
他にご質問ありましたらどうぞ、折角の機会ですから。
他にご質問ありませんか?
- (井上事務局長)
- もう15分ぐらいは大丈夫だと思いますが、すぐ隣が懇親会場です
ので、すぐ移動できますから。まぁ、さっきTさんが仕事をするという
お話をされましたけど、仕事をするという事は、結局、社会活動をする
という事ですね。他人と接触する、あるいは他人のために何か自分が
するということです。やはりこれが本当に生きる糧、生き甲斐になるんだ
と思います。例え寝込んじゃって動けなくなったって、同じ病気の人の
話し相手になるだけでも良いし、それから、ただ生きているというだけ
でも、あっ自分より悪い人ががんばって生きているんだと誰かが思えば、
それだけでも十分役に立つ。
こんなこと言っちゃ失礼ですけど、僕は辛くなると田中さんの事を
思い出すだけで、また元気が出ますね。あんな重症な人を私は見たこと
無いし、日に5回も痛み止め打っている人が、ちゃんと和歌山県の
障害者の団体の重鎮を務められ、痛いのに無理して外出されて
立ち上がって挨拶される。こういう人がこの世の中にいるんだっていう
だけで元気になる。それだけで、何も特別会社に出て働かなくたって、
世のため人のためになれる。こういうのが、生きている価値だと思います。
それが一人で何人もの人のためになる人もいるし、たった一人のために
なる場合もある、誰のためでも、何人のためでもいいんだし……。
お手元にあるこの前のアンケート調査の一番最後の質問の回答にも関連
してくるんですけども、まぁそういうことではないかと私は思って
おります。
なにかご意見ありませんか?
もうちょっと時間があります。じゃ、最後に、折角刷ってきたんで、
アンケ−トの結果を……、あっある?、失礼しました。どうぞ。
- (H会員)
- 東京中野のHと申します。今のここでやっていることをテープで
録っているっていう事をちょっと聞いたので、これをダビングして
もらって、○○さんのお嬢さんに、もし良かったら聞いてもらったら
どうかというような事をちょっと感じたんですけど。本人が聞く気が
あれば、家でもって聞いて頂ければ、少しは役に立つんじゃないかなと
思います。それから先ほどから出ていた痛みの10段階の話ですが、
その痛み、私が考えるに、1、2、3、4の痛みはあっても、ASには
5、6、7の痛みは無いんじゃないかと。あとは、8、9、10って
飛んじゃうんじゃないかと感じているんです。体験上あるんですね。
それで1、2、3、4ぐらいの痛みだったら、我慢してできる事は
精一杯やろうとして動くんですが、突如8とか9、10という痛みが
来るわけですね。その時はもう人に触られても痛い訳です。そうすると、
家内が一生懸命やってくれるんですけれども、触られても、あれも
しようかこれもしようかって傍に来られても、地響きで痛みが増す
ような状態ですよね。だから、その時はほっといてもらいたいっていう
のはあります。
この間も7月にその痛みが起きたわけですけども、お風呂の中から
立って出るのに、今度は倒れる危険があるので、傍に来て支えて
もらわなければ困るんですね。だからと言って、支えられると痛みが
倍増する訳で、その辺が難しいのが、この病気の痛みだろうと思います。
そんなような事を考えてみると、この病気にも「心」があるんじゃ
ないかと思います。それから、私の個人の「心」が「気持ち」がある
訳ですよね。あれもしたいこれもしたい……。だけど、この病気の
「心」というのはこの辺まではいいんだけど、それ以上やると危険
だっていう「気持ち」がある。それをこっちが察しないで自分の
わがままで動こうとすると、その瞬間に痛みがドカーンとくる訳で、
その辺のわきまえっていうのは、何回か繰り返した体験の中からつかんで
行くものではないかなぁ……ということを、今つくづく感じてます。
- (井上事務局長)
- ありがとうございました。ASについては大ベテラン・大先輩の
お言葉でしたから、深みがありますね。確かに1、2、3、4で、
その後は飛んで8、9、10、これは確かにそうですね。ですから
8、9、10のひどい時にはやっぱりほっといてくれたほうがいいし、
あるいはある程度のわがままを言わせていただいて良いと思いますね。
そして、出来ない事はやってもらう、さすってもらう、1、2、3、4
の時は自分で頑張ってやる……というのがピタリの病気じゃないかと、
今、お話をきいていて思いました。あと何か?
これはさっきのアンケ−トの質問の38番(あなたのASとの付き合い
のコツは?)にも関連すると思いますが とにかく、今、おっしゃられた
ようなASとの付き合い方、コツというか、先輩から後輩へのお言葉、
他に何かないでしょうかね。このアンケ−トの回答にズラーッと回答が
書いてあります。その中に「痛みが強烈な時には、声を出して、ヒュー
気持ちいいほど痛いわい……と言う。それにより痛みにやられないもう
一人の愉快な自分ができる」とありますが、ここまで達観できると幸せ
ですよね。
僕はまだ「気持いい」まで行きませんけどね。こういうふうに言える
ようになるまで、それまでが大変なんですよね。さっきの、あのお嬢さん
の時期をずっと前に超えた方なんですね。ここまで来たら、もうシメタ
ものなんですけどねえ。そして、人と話をする。近くにいなければ、
いろんなメディアを通じて話をする。メールもあるし。電話の向こうに
田中会長も、Mさんもいるし。これはやっぱり大事じゃないかと思います。
もっともっと、この会の人は、電話、Fax、メールを使っていいんじゃ
ないかと思います。それと、この病気に関してね、やっぱり、お父さん
やお母さんは、おそらく何も出来ないと思うんです。自分でしか乗り
越えていく事は出来ない。
- (N副会長)
- この病気なって、一番難しいと思ったのは、入院して、手術して
治る病気じゃないもんで、コントロールを自分でしていかなあかん。
悪い時と、そうでもない時。だから、さっき先生言われたように、
少々痛いときは、動いた方が調子よくなりますし、悪い時は、無理やり
動かすと、ようけ悪くなる。その辺がね、やっぱりなり始めの頃ゆう
のはね、非常に難しかったですね。だから、僕18才の受験の時に
なりましたけど、やっぱり、非常にその辺は難しかったように思います。
ただ親がね、家はちょっと小学校2年の時に実の母が亡くなりまして、
それから、3年か4年の時に育ての母がずっと面倒見てくれたんですけど、
その母親と子供の関係ゆうのが、実の母と育ての母親とはちょっと違う
んですよね。それ感じたんは、自分の嫁さんが子供に対する接し方ゆう
んですか、それが僕が育ててもうた母親とはやっぱり違うんですよね。
かなり、こう踏み込んだとこまで言っちゃうのが、産みの親かなと。
ただ、この病気にとってはね、わりと、育ての母は外から見守るだけで、
踏み込んでまで言えなかった様な、そうゆうとこありましたんで、
だから、接し方としたら、そういう風な見守っていくような感じの方が
良いかも知れませんね。だから、向こうから来たら、玄関あけてやると
ゆうような、そういうやり方の方がうまい事いくんじゃないですかね。
ただ、自分でのり越えなあかんからねえ、今、非常に辛い時期でしょうね。
- (井上事務局長)
- そうですね、今日の結論になるかわかりませんが、家族とかご両親には、
この病気をまず理解して頂きたいですね。痛いんです。痛くて痛くて
しょうがない。痛い時は、死にたいほど痛いです。確かに。もう僕なんか
オシッコも我慢しちゃうくらいに痛いですね。そうなんだけれども、
だからって他人にはこの痛さ、辛さはわからないない、回りで逆立ちした
って治るわけじゃない。結局、それを乗り越えて行くのは本人なんだから
……。
あんまり構え過ぎない、しかし、どっかでは支えてあげると言うような
適度な距離というのが大事かも知れません。その前に、ご家族には、
「療養の手引き」
をじっくり読んで頂いて、ASという病気がどう言うものかをしっかり
把握して頂きたい。不足なら、私に聞いても結構です。
そろそろ時間になりました。
議事を早く終わったお陰で、今回は、いろんな話をじっくり出来たと
思います。まぁ結論が出るわけじゃないんですけどね。これからまた
懇親会でですね、同じような仲間がたくさん居る訳ですから、個別に
色々とやっていただきたいと思います。アルコールが入ると、もっと
舌も滑らかになると思いますんで、ぜひ楽しんでいって頂きたいと
思います。懇親会は隣の部屋です。その前に、恒例によって集合写真を
撮りますんで、どっか行っちゃわないようにして下さい。
では、これで第2部を終わります。この後、長い間、ありがとう
ございました、お疲れ様でした。
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