啓示
私の経験から言うと、啓示を劇的な方法で得られたことはない。
神様や天使に会ったり、声を聞いたことはない。
示現を見たり、夢の中で答えを得たこともない。
あったのは、平安な気持ちを感じたり、考えが浮かんだりすることだけだった。
まだ、私は未熟なので、浮かんだ考えが、神様からのものか、悪魔からのものか、
単に自分が思いついたものか、すぐには分からない。
悪魔の誘惑を感じることができるなら、神様からの導きも感じることができるはず。
まず、どこから来たものか判別できるように訓練しなければならない。
ラジオの周波数を合わせるように。
ポジティブな感情は神様からもたらされ、ネガティブな感情はサタンからもたらされる。
自分に生じた思いが、神様からのものなのか、サタンからのものなのかを判断するときに、
それに伴う感情で判断できるだろう。
| 神様からのもの | サタンからのもの |
| 愛情 | 怒り、憎しみ |
| 喜び | 悲しみ |
| 平安、安心 | 不安、心配 |
| 希望 | 絶望、諦め、空虚 |
| 満足 | 欲望、不満 |
| 冷静 | 興奮、スリル、混乱、焦り |
| 勇気 | 恐怖 |
| 信頼 | 不信、疑い |
| 感謝 | 怨み、嫉妬 |
歳をとると、肉体は衰えるが、霊は衰えないので、霊を実感できやすくなるだろう。
芸術や宗教の分野では特にそうだと思う。
肉体的な刺激が大きいと霊の感受性が低くなる。
断食などで、肉体的な雑音を排除する。
啓示は肉体の目や耳で感じるのでなく、霊で感じるからだ。
私の経験から言うと、何度か試行錯誤したあと、
途方にくれているときに啓示があることが多い。
余計なものが排除されるからかもしれない。
腰痛に悩まされていた時期があった。
シップを張って、過ごしていたが、痛みが治まらない。
切れ痔だったので、雑菌が入って腰に炎症を起こしているのではないかと思い、
使わずに置いていた、抗生剤を試すことにした。
でも、痛みが治まらない。
ある教会員に、その話をすると、重大な病気であるかもしれないので、
病院に行くよう勧められた。
病院に行った。
背中の筋肉が衰えていて、筋肉が固くなり、痛みが出ているとのことだった。
痛みを抑える薬と、筋肉を柔らかくする薬が処方された。
2か月続いた痛みが2日で治った。
背中の筋肉が衰えるということに、心当たりがあった。
大腸にポリープがあったので、肉を食べるのを控えていた。
それで、筋肉が落ちていたのだろう。
それが、腰痛の大きな原因だったのだ。
自分が考えたことが、神様からの啓示か、単なる思い付きか、区別するのは難しい。
切れ痔が原因というのは、単なる思い付きだった。
病院に行くよう勧めてくれた人は、神様から促しを受けて、アドバイスしたに違いない。
大管長会と十二使徒定員会の話し合いでは、
最初は、それぞれ違った意見が出てくるのだという。
しかし、協議していくなかで、一致した意見にまとまるという。
いきなり啓示を受けて答えが出ない。
教会のトップの方々でさえ、そのようなのだから、
私のようなものには、簡単に答えは得られない。
ニーファイも真鍮版を取りに行ったとき、すぐ成功はしなかった。
2回失敗したあと、なすすべが見つからない状態になった後で、成功の道が示された。
注意点
- 自分でできることは、できるだけやってみる。
- 神様は必ず答えてくれると信じる。
- 重大なことだけでなく、日常の小さなことにも導きがある。
- 聖文や教会の出版物、ビデオなどから答えを得ることもある。
- 他の人から答えを得ることもある。
- 啓示を受けるのにふさわしくなる。
- 聖文を学ぶ。
- 聖餐を受ける。
- 奉仕する。
- 神様に従順になる。
- 悔い改めて清くなる。
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・聖霊を感じるには
・御霊を受けている状態
・霊性
指導者が教える啓示を受ける方法
ネルソン大管長(2018年4月の総大会)
- 繰り返し行くことのできる静かな場所を見つける。
- 神の御前にへりくだる。
- 天の御父に心を注ぎ出す。
- 御父に頼って答えと慰めを求める。
- 心配事や恐れ、弱さについて、イエス・キリストの御名によって祈る。
- 心の切なる思いについて祈る。
- その後で耳を傾けてる。
- 心に浮かんだ考えを書き留める。感じたことを記録する。
- 促しを受けたとおりに行動する。
- 来る日も来る日も、年月を重ねて、このプロセスを繰り返す。
- 手術室で横たわる患者の傍らに立ち、
前例のない処置をどう行うべきか確信がなかったとき、
聖霊がその方法をわたしの心に図解してくださるという
経験をしたことを覚えています。
- 大管長会と十二使徒定員会から成る評議会として話し合うとき、
御霊がそこにあります。
複雑な問題に取り組みながら、
一人一人の使徒が自分の考えと見解を自由に述べる中で、
最初の見解は異なったとしても、互いに対する愛は一貫しています。
一致することで、教会に対する主の御心を識別することができます。
採決は決して多数決では行われません。
よく祈りながら互いの言葉に耳を傾け、一つになるまで話し合います。
そして完全な調和に達するとき、背筋がぞくぞくするような、
わたしたちを一つにする聖霊の影響力を感じます。
ネルソン大管長(「リアホナ」2021年1月号)
- 聖文を熱心に読む。
- 祈る。
神の前にへりくだり、定期的に行くことのできる静かな場所を見つけ、
心を神に注ぎ出す。
- 耳を澄ませる。
祈りを終えた後、しばらくひざまずいたままでいると、
思い、感情、導きが、頭の中に浮かぶ。
そうした印象を書き留めておくと、
主が自分にどのような行いをするよう望んでおられるのかを
覚えておくことができるようになる。
- 悔い改めて、清くなり、聖霊を受けるのにふさわしくなる。
ベドナー長老(Face to Face)(YouTube動画)
- 「Face to Face」のビデオを見て、答えを得た例の紹介
- 質疑応答
- 若くして妻を亡くした男性から、神の御心を知る方法。
- 結論の出せない白黒つけられない問題の解決方法。
- 小さな支部での子供のサポート方法。
- 啓示と自分の思いを見分ける方法。
- 悩み相談をしてくる人に自分で答えを得られるよう導く方法。
- 総大会などで啓示を受ける備えをするには何をすべきか。
- 教義を擁護するにはどうするか。
- なかなか答えが得られないときどうすればいいか。
- 祝福師の祝福に述べられていることが達成できそうにない。
オークス長老(「リアホナ」1999年5月号)(PDFファイル)
- 福音を教える時は、御霊に頼るべき。
知性や理性、テクニックに頼ってはいけない。
自分の準備した内容やテキストこだわり過ぎるのも良くない。
- 御霊を受けるには清い生活をする必要がある。
罪を犯していたり、怒っていたり、教会指導者に反抗的になると御霊は退く。
- 啓示を受ける最善の方法は、聖文を読んだり、
教会指導者の話を研究することである。
- 主がわたしたちに御霊を通じて語りかけてくださるのは、
神ご自身の時に、神御自身の方法で行われる。
自分の都合の良い時に啓示は来ない。
- 啓示は静かな細い声でもたらされる。劇的な方法でない。
- 御霊は心を照らし、平安を告げる。
- 啓示は様々なことを思い巡らせた後に来る。
心に湧いた思いが正しい場合、心に平安、静かな確信、
慰め、温かさがもたらされる。
穏やかで、静かで、友好的で、優しく、温和で、寛大で、
秩序正しく、幸福や喜びや愛の感情を伴う。
- 啓示は常に受けられるものではない。
自分自身の判断の許容範囲を超えた場合に、御霊が働きかける。
オークス長老(「聖徒の道」1983年12月号)(PDFファイル)
- 啓示の方法
- 神様や天使と直接、言葉を交わす。
- 夢や示現を見る。
- 心の中にとどまる言葉や思い
- 突然の悟り
- 自分の判断に対する積極的な思いや消極的な思い
- 優れた芸術に接した時の精神の高揚
- 霊感は音声よりも感じとしてくる。
- 啓示の目的
- イエスがキリストであり、福音が真実であるという証を受ける。
- 将来のことについて予言を受ける。
- つらい時に慰めを受ける。
- 励ましを受ける。
- 知識を受ける。
- 何かを思いとどまらせる。
- 最善を尽くした後、自分の決断が正しいか確認する。
- 行動を促す。
- 注意点
- 自分の責任の範囲外で受けたと思う啓示は間違いである。
- 啓示が与えられないときもある。
- 待つ必要がある場合
- 自分の判断力を用いなければならない場合
- どのような選択をしても可、または、不可の場合。
- 些細なことである場合。
パッカー長老(「聖徒の道」1995年1月号)(PDFファイル)
- みたまに関することは、知性では理解できない。
- 祈りは啓示を受けるうえで不可欠な要素である。
- 自分で考えたことが正しいなら心の内が燃える。
肉体的な感覚でなく、心の中で暖かい光が輝いている感覚である。
- 人は啓示のみたまの最初のささやきを自覚しただけで祝福を受ける。
たとえば聖い知識が心に流れ込むのを感じた時、
あなた方の心にはいろいろな考えが閃光のように
次から次へと浮かんでくるだろう。
そしてそれがその日のうちに、あるいは間もなく実現するのである。
そして神のみたまがどのようなものかを知り、理解するとき、
あなた方は啓示の原則を自分のものとして成長し、
やがてイエス・キリストにあって完全な者となるであろう。
(ジョセフ・スミス)
- 啓示は心に言葉や文の形でもたらされることもある。
- 壮大な啓示を期待しているため、
常に注がれている啓示に気づいていないこともある。
- みたまの勧めを無視したり拒んだりすると、みたまは離れる。
- 信仰を用いることによって、みたまの教えを受けられるようになる。
- 聖なる音楽は、みたまを受けられるように心を備える。
- 批判的、否定的な感情を持つとみたまは退く。
- 試練にあったとき、聖霊が慰めてくれる。
パッカー長老(「聖徒の道」1980年3月号)(PDFファイル)
- 祈りの答えはひそかにやって来る。静かな細い声である。
聞く努力をしないと聞こえない。
- 霊感の声は音声よりも感じとして来る方が多い。
- 知恵の言葉は啓示を受けやすくするためにもある。
禁じられてるものは霊的なコミュニケーションに必要な繊細な感覚を鈍らせる。
- 霊感は自分自身のことよりも他人を助けるために必要とされる時、
一層迅速にもたらされる。
- 騒がしい音楽を聞いているときには霊感を受けにくい。
- 間違った答えを受けない方法
- 常識や良心に照らし合わせる。
- 迷うときには、両親や指導者に相談する。
- 答えが得られないとき
- 「いいえ」という答えを受けているのに、従っていない場合がある。
- 少しずつ答えが来る場合がある。
- 聖典を読んでいるとき、説教を聞いているときに与えられる場合がある。
オークス管長とアイリング管長:評議会における啓示について8つの質問に答える
- 評議会のメンバーの間では、初めは意見の相違があるが、話し合ううちに意見が一致していく。
- 話し合いが終わると、評議会の管理者を通して主の御心を聞く。
- 妥協と意見の一致は違う。納得できない人がいると、別の機会に話し合う。
- 主に祈ることで、自分の意見が間違っていることを知ることもある。
「主に聞く」動画
ラッセル・M・ネルソン
聖文の中には父なる神が語られた数少ない神聖な出来事があります。
その貴重な声に耳を傾けてください。
御父は何度も御子イエス・キリストを紹介し、
「彼に聞きなさい」と言われました。
なぜでしょうか?
御父はなぜ何度も御子イエス・キリストに聞きなさいと言われたのでしょうか。
イエス自らその問いに答えられました。
「私は道であり真理であり命である。
だれもわたしによらないでは父の御元に行くことはできない。」
御父は私たちを愛し、御父の御元に戻ることを願っておられます。
私たちの仲保者、救い主、贖い主として召された
イエス・キリストの声を聞くよう願っておられます。
ぜひ最初の示現の200年を祝うこの特別な年に次の重要な質問を
深くまた頻繁に考えてください。
主の声をどのように聞くことができますか?
また、より鮮明で頻繁に主の声を聞くために行動してください。
この一年は特別な年で、
聖なる森で起きた歴史的な出来事に焦点を当てていきます。
主イエス・キリストに対して、あなたが抱いている思いを
家族や友人と分かち合う機会を積極的に探してください。
復活祭の日曜日に共に礼拝するよう、友人を招いてください。
主の特別な証人の一人として祝福します。
主の聖約の道にとどまり、主の声を聞こうと、
誠心誠意励もうとしている皆さんを祝福します。
ダリン・H・オークス
50年以上前、私はシカゴ南ステークの会長会顧問でした。
聖餐会の話者として、イリノイ州オーロラ近くのユニットで、話すよう招かれました。
家から車で1時間程の場所でした。
話者として割り当てを受けると、普段であれば、内容に関して印象が浮かぶのですが、
その割り当てを受けた時には、何の印象も受けず、そのまま家を出て車を走らせながら、
何を語ろうか思案し、ようやく印象を受けたのは、中間地点でしたが、
それに従って、刑事裁判所での経験を話すことにしました。
窃盗関連で裁判にかけられた若者たちについてです。
万引きを含め、こうした犯罪の重大さについて、警察による援助を受けつつ、
店主がどのように応じて、若き違反者らの逮捕に至ったか、
有罪判決を受けた若者たちに何が起こったのか。
話を終えると、一人の母親がやって来て、涙ながらに感謝してくれました。
万引きに係わった若き息子がいると話し、こう語ったのです。
「弁護士として働くあなたが、今晩、話すことを知り、
息子の助けとなる事柄を語ってくれるよう祈っていました。
あなたのお話は祈りの答えでした。
あのように話を聞く息子を見たのは、これが初めてです。
主の御霊に耳を傾け、従ってくださりありがとうございます。」と。
印象を受けたら、従ってください。
どれほど変わった促しでも、どれほど達成不可能に思えたとしても、従ってください。
分からずとも、必ず理由があり、主に耳を傾けるなら、
皆さんや誰かに祝福が注がれるのです。
ヘンリー・B・アイリング
思い返すと、私が真剣に受け止めないようなことを母は一切口にせず、
何が正しいか知っていました。
救い主が見守るように、母が見守ってくれていると感じていました。
少しでも母の反対を感じる時がどうだったかというと、
例えばある時、10セントを手にした私は映画に行こうと思いました。
初めての映画です。
当時は10セントでした。
「映画に行こうと思うんだけど、どう思う?」
母は言いました。
「もしあなたが行きたいのなら、…」
その口調から、ああ映画には行けないのだた思いました。
行かないようにと答えるよう、
母が導きを受けた理由があの映画のどこにあったのかと今でも考えます。
母はそんな人でした。
父は聡明で、母は賢い女性でした。
母から認めてもらうと、主から認めていただいたかのように、感じたものでした。
私の母や妻のように天と繋がっているのが明白な人々がいます。
彼らに意見を求め、彼らから受けたとあなたが感じた答えは主の声なのです。
M・ラッセル・バラード
雑音に囲まれながら天と繋がることはできません。
日常に静かな時間を見出し、御霊にかかわる事柄について、思いめぐらすのです。
私の経験上、そのような時に印象を受け、考えが浮かびます。
イギリスで宣教師をしていたある日、私はトレント川沿いを歩いていました。
二十歳になる前のことです。
歩きながら私は心の中で、自分の行おうとしていることは、
主を喜ばせるものか、主の望みなのか、祈り求めました。
声を聞いたわけでも、天使を見たわけでもありません。
しかし、胸の中に、心の中に、決して消えない印象が残りました。
その瞬間、二十歳の私は教訓を学びました。
天から聞こえる事柄のほとんどは、心で感じるものであり、
それから、沸々と湧き上がる思いだということ、
そこには、耳にした事柄に従えるよう、助け導く御霊があるということです。
ジェフリー・R・ホランド
聖なる森での経験から学べることは多くありますが、
重要な教訓の一つは御父と御子に関する偉大な啓示に先立って、
ジョセフが反対に遭ったことです。
あらんかぎりの力を尽くしたとジョセフは語っています。
そこには倣うべき模範があります。
力強く確固とした切なる祈り、サタンによる圧力であれ、
日々の悩みであれ、心を乱す物事であれ、
闘い抜こうと捧げる祈りから学べることがあります。
私のとっては言葉を口にする必要性を思い起こさせてくれるものです。
祈りとは胸の内を伝えることです。
声なき祈りは可能かつ必要なものであり、心の中でも常に祈るべきですが、
言葉にすること、私にとっては口に出すことが大切です。
手軽に済ませるものではないと気づかされます。
優先度を高め、良質な時間を確保する必要があります。
可能ならばひざまづき、はっきりと声を上げて、真に主と交わるのです。
寝る直前まで夜の祈りを取っておく人は、やるべきことをこなして、
力を使い果たした末に生半可の祈りを捧げ、ベッドに転がり込むのです。
そうではなく、目が冴えて集中力のある時、
塾考して、力を込められる時まで祈りを繰り上げましよう。
こうして優先度の高さを示し、少しでも上手に生活をやり繰りするなら、
このようにはっきりと、主と言葉を交わす機会を持てるでしょう。
ディーター・F・ウークトドルフ 1
困難は時期に福音を分かち合う
主はこの困難な時期に学ぶべき教訓を与えてくださったのだと思います。
驚くべきことですが、ほんの数日、ほんの数週間のうちに、
順応していき、今では成功例もあります。
宣教師たちは新たな手段を見出し、ソーシャルメディアやテクノロジーを活用して、
これまでになかった手段で、会員たちとつながっています。
これは人と人とつなぐすばらしい手段であり、お宅にお邪魔することなく、
自宅のプライベートな空間にいながら、人々に福音を分かち合うのです。
回復は200年前に起こりましたが、
今、私たちはこの困難な時期にこのようにとてもすばらしく、
とても助けになる事柄を提供しています。
私たちが会員として、また宣教師として団結するならば、
どこにいようと、人々にすばらしい祝福をもたらすことができます。
というのも今回は私たちがこの状況を最大限に活かし、
非常に良いものをもたらす番だからです。
すばらしいことが進展しています。
伝道部は互いに助け合っており、
フェイスブックなどのソーシャルメディアで動画を投稿し、
その方法を共有しています。
そこには創造性があり、新たな進展が見られます。
洗練され、教化され、より力をつけ、刷新された進展です。
私が切に願うのは、この勢いとエネルギーを
教会のあらゆる分野に広げていくことです。
ディーター・F・ウークトドルフ 2
主の声を聞く方法は実に多くあります。
最も個人的な経験は、主の愛と主への私の愛に思いをはせることです。
それは架け橋や、つながり、あるいは、扉を開くようなものです。
こうすることで、聖霊の力と賜物を感じるからです。
この愛こそが鍵だと思います。
感謝を抱いていないとき、この愛を感じられません。
救い主と、受けてきた祝福に感謝するとき、この愛の扉が開きます。
この愛によって、これまで見聞きし行ってきた事柄の流れが放たれ、
正しい決断を下す助けとなるのです。
そんな経験を仕事でしました。
何をすべきか分からなかったとき、
静かな場所を見つけ、天父とイエス・キリストに聖霊の賜物によって、
御二方への愛の橋を通してつながったのです。
すると突然、答えの流れが押し寄せました。
これが主が私に語られる方法です。
主が抱いておられる愛と、私が持つ主への愛に、焦点を当てるのです。
そうすることで、今、まさに必要である答えや、生涯必要としてきた答えに導かれます。
デビッド・A・ベドナー
今日の私たちの生活にとって、主の声を聞き、
主の導き、主の平安、主の守りを受けるという約束があることほど、
大切なことはありません。
聖文から主の声を聞くことができます。
聖文は記録された主の声です。
物理的な声を聞くのではなく、聞けることもありますが、
感じる気持ちを通して、聖文を聞くのです。
思いと心にある印象です。
啓示とは思いと心にある考えと印象です。
その考えと印象を得るためには、聖文は欠かせません。
クエンティン・L・クック
聖霊は祝福や慰め、平安だけでなく、答えや理解をも喜んで与えようとされます。
ビショップだったころの経験です。
あるカップルから電話をもらいました。
切羽詰まった声で、今すぐ会いたいと繰り返します。
私は出張のため空港へ向かうところでした。
時間がないと知りつつも「では来てください」と伝え、ひざまずいて祈りました。
すると聖霊を通して啓示を受けたのです。
「彼らの問題はこうで、このように助言すべきである」と。
彼らが来たので話を聞くと、問題も必要だった助言も啓示の通りでした。
お伝えしたいのは、人に奉仕したり祝福を与える時こそ、
聖霊がよく証される時だということです。
ミニスタリングする時や、伝道する時、子供や青少年を教える時など、
特別で霊的な祝福が必要な時があります。
聖霊の訪れがあるのは、まさにそうした時です。
経験から申し上げます。
そのような時こそ、確かに主の声が聞こえ、必要な導きが与えられます。
D・トッド・クリストファーソン
昔、10代のときに、聖なる森に行く機会がありました。
一人で森に入り、周りには誰もいませんでした。
ジョセフ・スミスにように、祈って答えを受けるのに、完璧な場所だと思いました。
私は確認を求めていました。
主が与えてくださることなら何でも、福音の回復について、
主が語られる真理を何でも受け入れたい、そう思いました。
私はいたって真剣でした。
長い間、誠心誠意祈りましたが、何も起こりませんでした。
返事も答えもなく、何も聞こえませんでした。
諦めて帰りました。
当然がっかりしていました。
何を間違えたのか、他に何をすべきだったのか。
たくさん考えました。
6週間後、家でモルモン書を読んでいました。
静かな時が流れ、私は深く考えていました。
すると、求めもしないうちに、確認の御霊である聖霊が押し寄せ、私の霊に語られたのです。
そして、真理を悟りました。
この経験から学んだのは、神が祈りにお答えになる時や方法について、
私たちから神に指示はできないということです。
「すべて受け入れます。準備万端で喜んで聞きます。」と言うだけです。
神は答えられ、私たちは御声を聞きますが、
全ては神がその知恵と愛の中で、最良の決定を下されるままになされるのです。
ニール・L・アンダーセン
家族や友人から変わる必要があるのではと言われると、
それが正しくても、私の中の生まれながらの人がパッと出てきて、
「こっちの視点から見ていないんだ」とか、
「そうやって人を裁く立場にはないだろう」
「自分の心配をした方がいいのでは」とさえ言いだします。
しかし、へりくだってひざまずき、心の底から、
「天のお父様、何を変えればいいのでしょうか。
どこを悔い改める必要がありますか。
私に欠けているものは何でしょうか」と尋ねると、
静かな気持ちが訪れ、時が来れば主の声を聞くことができます。
主の永遠の真理が心に浸透するのです。
静かな時にささげる、正直で心からの祈りは、天父からの啓示の窓を開きます。
私たちは主の声を聞きます。
主は私たちに語りかけてくださいます。
御霊の静かな印象に耳を傾けようとし、改善できる事に対し、
もっと注意深くなると天父に約束すると、
主の声を聞く能力が高められるように思います。
真の変化が一日で起きることは少なくとも私にはありません。
でも時とともに成長することができます。
主の声を聞き、主からの霊的な指示に従うと、主は豊かに御霊を注がれ、
承認を与えてくださいます。
主に承認していただき御霊を感じるほど、すばらしいことはありません。
私たちへの天父の愛を聖霊は確認され、
私の場合、主はこうした小さな一歩でさえ
私を主に近づけてくれていると伝えてくださいます。
ロナルド・A・ラズバンド
主の御霊の声を聞く最良の方法は聖文を読み聖霊の促しに従うことだと強く感じています。
自分の福音のライブラリーに「聖文からの啓示」という項目を設けています。
今からお話しするのは19歳のときの出来事です。
伝道の召しを心待ちにしていました。
父の任地はドイツ、兄の任地もドイツでした。
私の希望もドイツでした。
郵便受けに手紙が届きました。
教会の大管長からです。
「ロナルド・A・ラズバンド長老、あなたはこの度ニューヨーク州ニューヨーク市に
本部を置く東部諸州伝道部に召されました。」
「そんな!ドイツに行くはずなのに!」
がっかりしてしまいました。
「この態度を改めるべきだ」と自分に言い聞かせ、寝室に入り、
教義と聖約を手に取ると、開いて読み始めました。
第100章から2節だけ、ご紹介します。
100章3節です。
主が私に語られているようでした。
「見よ、見よ、この場所に、また周りの地域に、わたしの民が大勢いる。
この東の地における周りの地域で、効果的な門が開かれるであろう。
それゆえ、主なるわたしは、あなたがたがこの場所に来るのを許した。
わたしは人々の救いのためにこれを必要としたからである。」
東部諸州伝道部に召されたばかりの私に主がこう言われたのです。
「わたしはこの東の地にあなたを召した」
その一瞬がドイツではなく、ニューヨーク市の東部諸州へ
召された私の態度を一変させました。
啓示により、この聖句を通して、それが御心だと分かったのです。
ゲーリー・E・スティーブンソン
幼い頃、父と山へハイキングに出かけました。
父は山道を登り、私は岩から岩へ飛び移りながら進んでいました。
大きな岩へ飛び移ろうとした瞬間、父が私のベルトを掴んで引きずり降ろし、
「ゲーリー、今、あの岩に登っちゃだめだ」と言いました。
私は少々驚きつつも、「分かったよ」と答え、父の後ろに続いて山道を進んでから、
振り返り、登ろうとしたあの岩を見下ろすと、
とぐろを巻いた大きなガラガラヘビがいたのです。
父に聞きました。
「ヘビがあそこにいるって、どうして分かったの?」
父はこう答えました。
「ゲーリー、聖霊について、どんなことを知っているかな?」
それ以来、聖霊の促しがもたらされることを知りました。
私たちは主が望んでおられる事柄を聞くことができます。
聖霊が私に警告し、教えを授けられるのを感じ、
聖霊から平安や慰めを感じてきました。
聖霊から与えられる証を持っています。
ですから、主の声を聞く方法の一つは、
聖霊の促しに従うために、できる全てを行うことです。
デール・G・レンランド
聖霊を含め、誰かのささやきを聞くには、近くにいた方がより聞こえます。
その方が聞こえやすいのです。
主に近づくとき、さらに主に似た者となりたいという望みが増すことに気づきました。
主のようになろうと努めるとき、主も私と語らいやすくなると思います。
御霊がするように促す事柄を行う献身や意欲といった個人的な行いが必要です。
私はいつも教会に集うのが大好きな若者でした。
医学部を卒業後、インターンシップが始まり、忙しい毎日でした。
当時を思い返すと、かつて私に平安をもたらし、
御霊を近づけていた事柄から離れていました。
ある日曜日のことを忘れません。
インターンシップも終盤を迎えていました。
急げばルースとアシュリーと一緒に教会に行けたのですが、
私は遅れて行くことにしました。
二人が先に行けば一人で歩いて帰宅し、昼寝ができると思ったのです。
実際にそうしました。
家に着き、横になり、昼寝を楽しみにしましたが、寝付けませんでした。
いつも教会が好きだった自分の一部となっていた
証や熱意はもうないことに気付いたからです。
あの熱意はどこにもありません。
ソファから飛び起きるとひざまずき、赦しを求め、
行いを改めると誓ったのを覚えています。
私がやるべきことは、日々の祈りや聖文学習といった、個人的な献身の行いでした。
翌日、私は病院へモルモン書を持参しました。
何があろうと、毎日聖文を読むことができるようにです。
やることリストには一日に最低2度祈ることを含めました。
可能な時は必ず教会へ行くようにしました。
その数週間以内に、かつての熱意と温かい証がよみがえったのです。
あの道を歩み続けていたら、どうなっていたかを考えると、ぞっとします。
もし眠り込んで、教会に行かない喜びを見いだしていたら、
人生は異なるものになっていたでしょう。
ゲレット・W・ゴング
主が私たちに与えられた大きな特権の一つは主の息子と娘に手を差し伸べることです。
私たちが周りの人々に手を差し伸べ仕えるとき、主はいっそうの愛を注がれ、
私たちにも愛を注がれます。
私たちは主の声を聞きます。
人々を助けるために祈るとき、普段とは異なった形で主を感じます。
主はそのような祈りに最も答えたいと思っておられるからです。
私たちが一人一人に対して、個別に手を差し伸べるとき、
私たちも主の愛を個別に感じることができます。
主が私たち一人一人を愛しておられるのは、まぎれもない真実です。
ウリセス・ソアレス
伝道部会長をしていた時のことです。
ゾーン大会で宣教師にする話の準備を終え、
とても良い話だ、少なくとも、私はそう思いました。
しかし、当日、目を覚ますと、準備したものを見直すべきだと、強く感じたのです。
話を見直していると、これは違う、別なことを伝えるべきだと感じました。
その瞬間、温かく力強い主の声が聞こえました。
私が準備したものは、主が望んでおられるものとは違い、
主御自身の方法で業を行えるよう助けてくださると、私はひざまずき祈りました。
すると主に教義と聖約33章を読むように指示されました。
預言者ジョセフ・スミスを通して、主が二人の若者を伝道の業に召し、
その方法を具体的に教えておられる啓示です。
それこそ、伝道部の宣教師たちに必要なことでした。
新しく準備した話をし、聖文に則って教えると、
まるで、救い主御自身が話してくださったように感じました。
宣教師たちもよく耳を傾け、進んで指示に従う用意ができたようでした。
一瞬、沈黙がありました。
皆、深く考えていたのです。
御霊と御声を通して、私と宣教師たちの心に、主が伝えてくださったことを。
ジーン・B・ビンガム
どう主の声を聞いているのか、知るのに時間がかかりました。
始めて証をしたとき、ミネソタにいて、12歳でした。
そのワードでは、座っているところにマイクがまわされました。
ドキドキしましたが、立たなければと思い、この思いを止められませんでした。
そのとき初めて立ってマイクが来るのを待ちました。
膝ががくがくでしたが、簡単な証をしました。
とても温かい気持ちを感じ、確信を感じました。
天父が喜んでいるのを感じました。
御霊を感じて、主の声を聞いた初めての経験だったかもしれません。
正しいことをしているという温かい確信でした。
ジョイ・D・ジョーンズ
私はずっと前から思いや気持ちや印象や感情を通して、
主の声を聞くことができると知っていました。
でも最近、名前が聞こえるのです。
昨日、そんな経験をしたばかりです。
名前が聞こえたのです。
ある姉妹から手紙を頂きました。
子供の頃、大好きだった初等協会の教師についてでした。
なぜ、その教師が大好きで、彼女を愛していたのか、
どれほど大きな影響を受けたかが書かれていました。
「ジョーンズ姉妹、なぜ、この手紙を書いているのか分かりません。
でも、私以外の人に、このすばらしい女性のことを知ってほしいのです。
彼女は今ステージ4のがんで、闘病中です。」
私はその姉妹に電話して、話をしたいと思いました。
でも、いくつか会議があったので、終わったら電話しようと思いました。
すると、会議の途中で彼女の名前が聞こえたのです。
「今すぐ電話しなさい」そういう意味です。
私は携帯電話を手にオフィスに行き電話しました。
電話に出たのは、ご主人でした。
付きっきりで介護をしている彼は「目を覚ましているか見てみます」と言って、
見に行ってくれました。
すると起きていたので、手紙を読んで聞かせることができました。
私たちは、とても感慨深い甘美な時間を共有できたのです。
思い返すと始まりは別の州に住む一人の姉妹が主の声を聞いたことでした。
その姉妹が私に主の声を聞く機会を与えてくれました。
そして、この家族と私は電話を通して、一緒に主の声を聞くことができたのです。
主の完全な愛のなせることで、称賛されようとは思いもしません。
しかし、心から感謝しています。
パズルの一部となる機会を私にも与えてくださることに。
全て主がなさることです。
でも、私たちにその一翼を担わせてくださいます。
その過程で、私たちは霊的に高められ、教えられ、霊感され、愛されます。
そして、もっともっと主の愛の業に係わりたいと願うようになるのです。
カミール・N・ジョンソン
私は他の人を通じて、主の声を聞くことがあります。
数年前、12月1日に神殿に行った時のことです。
その日は前年に亡くなった父の誕生日でした。
神殿にいるとき、神殿で働いているある姉妹が私のそばに来て話しかけてくれました。
彼女はあることを見て、意見を言ったのですが、
それはまさに父が言うようなことだったのです。
実際、そのことを言えるのは父だけでした。
その日、神殿に参入したのは、父がそばにいるとの確信を持ちたかったからでした。
そして、まさにその日、見ず知らずの人の口を通して、
御霊は父が私を近くで、見守っていて、愛しているのだと証してくださったのでした。
神殿でその姉妹が言ってくれた言葉は、静かな確認をもたらしてくれました。
救いの計画は現実のものであると。
そのことを、これまでになく深く理解できました。
御霊は私たち一人一人に合わせた方法で、話しかけてくださいます。
ときにそれは私たちを励まし、慰めや喜びを与えてくれる他の人の言葉なのです。
ボニー・H・コードン
家族で休暇を過ごしていた時に、予期しないことが孫息子に起こりました。
突然呼吸が止まり亡くなったのです。
子供病院で彼と3日間一緒に過ごした私たちの心は弱くなっていました。
ソルトレークに戻ると、ある割り当てがあったことに気づきました。
子供病院での割り当てです。
私の心は弱り果てていて、無理だと思いました。
そこで、ひざまずき、「この割り当ては引き受けられません」と言いました。
しかし「行っておこないなさい」と促されたのです。
目に涙をためて、私は子供病院に向かいながら、
「だれの役にも立てないけれど、とにかく来たわ」と思いました。
病院に着くと、何を見ても何を聞いても、心がつぶれそうでした。
でも、オリバーに会うという割り当てがあります。
オリバーの部屋に入ると、ホワイトボードに、聖句が書かれていました。
「心を尽くして主に信頼せよ。自分の知識にたよってはならない。」
どういうわけか、その聖句を読んで目が開き、心が癒されました。
主がその賜物をくださったことに感謝しました。
その主の声を聞いていなければ、どうなっていたか分かりません。
永遠の見地に立つことができ、大きな喜びを感じ、
難しい割り当てを与えられたことに感謝しました。
子供病院に行ったのは、自分のためでした。
主の愛を感じ、主の恵みを通して癒され、支えられました。
それは賜物でした。
主の声を聞けることに感謝しています。
自分の心を開き、主の愛を知ることができるからです。
聞きなさい
このビデオには高まるような音楽もなければ、
激しく行き交う会話も特別な効果音もありません。
なぜならこのビデオは雑音が静まり、気をそらすものが取り除かれるときに、
聞こえてくるものを映し出すからです。
力を抜き、静まり、落ち着き、耳ではなく、心を傾けて、
聞こうとするなら、わたしたちの心に届きます。
静かな細い声のささやき、やさしい喚起の声、心の大きな変化の響き、
静かな聖なる夜と空になった墓の音、そして、古代にも現代にも語られてきた言葉。
「これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい。」
イースタービデオ
人の子が栄光を受ける時がきた。
心をつくし精神をつくし思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。
自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。
あなたがたによく言っておく。
私の兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、
すなわち、私にしたのである。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
これは、あなたがたのために与える私のからだである。
人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
この復活祭に主の教えを聞きましょう。
見よ、わたしはいつもあなたがたと共にいるのである。
主の声を聞く
今は、かつてなく、御霊がどのように語りかけるかを知る必要のある時です。
聖霊は慰め主です。
あなたの心に安らかな気持ちを与えてくださいます。
あなたが主の言葉を聞き読むとき、聖霊は真理について証し、
真実である事柄を確認させてくださいます。
改めて皆さんにお願いします。
個人の啓示を受ける霊的な能力を増すために、必要なことを何でも行ってください。
それを行うことは人生で成長する方法や危機の際になすべきことを知るのに役立つでしょう。
Hearken
聴くことは「御子に聞く」こと。
すなわち、救い主の言われることを聞き、
その後、救い主の勧告を心に留めることを意味します。
「彼に聞きなさい」という言葉で、
神は現世における成功と幸せと喜びの規範を与えておられます。
わたしたちは主の言葉を聞き、それらに耳を傾け、
主から告げられた事柄を心に留めなければなりません。
イエス・キリストの弟子となるよう努めるとき、
主の声を聞くことができるように、
これまで以上に意識的に努力する必要があります。
日々の生活を主の言葉と教えと真理で満たすために、
意識して絶えず努力することが必要です。
Seek to Hear
私たちが不安と恐怖に取り囲まれるとき、
最も助けとなるのが御子に聞くことだと御父は御存じです。
「御子に聞こう」「心から聞こう」とするときに、
どのような状況でも行うべきことを知るように導かれるからです。
救い主が述べられたことや、預言者を通して今語っておられることを
皆さんがもっと意識的に聞き、耳を傾け、心に留めるときに、
どのようなことが起こるでしょうか。
私は約束します。誘惑や困難や弱さに対処する力を祝福として加えられるでしょう。
私は約束します。あなたの結婚生活、家族との関係、日々の働きに奇跡があるでしょう。
私は約束します。たとえ人生で混乱が増しても、喜びを感じる能力が増すでしょう。
困難な時代にあっても、平安を見いだす
人生における個人の試練は、このパンデミックをはるかに超えて広がっています。
将来の試練は事故や自然災害あるいは予期しない心痛から起こるかもしれません。
どうすればそのような試練に耐えられるでしょうか。
主は私たちに備えていれば恐れることはないと言われました。
もちろん、私たちは食料や水を貯え、貯金をすることができます。
しかし、同じように重大なのは、個人の霊的な貯蔵庫を信仰、真理、証で満たすことです。
人生における究極の目的は、私たちの創造主にお会いする備えをすることです。
私たちは救い主イエス・キリストに似た者になれるよう、
毎日、努力して、この備えをします。
また、毎日、悔い改めて、清めと癒しと強さをもたらす
主の力を受ける時に、それを行います。
そうすれば、荒れ狂う時代に会っても、永続する喜びを平安を感じることができます。
主が聖なる場所に立ち、動かされないようにしなさいと命じられたのは、
まさに、この理由のためです。
天の父なる神とその御子イエス・キリストは私たちを心にとめておられます。
私たちも自分にできるあらゆる方法で、
聖霊の力と働きを通して語られるイエス・キリストに聞くように努めるのです。
御子に聞こう、心から聞こうとするときに、どのような状況でも、
行うべきことを知るように導かれるからです。
キリストによって平安を得る
主の光、闇照らし、力が湧いてくる。
荒波の中にいても、主の平安、感じるよ。
He gives us hope when hope is gone.
He gives us strength when we can't go on.
He gives us shelter in the storms of life.
when there's no peace on Earth,
there is peace in Christ.
統合失調症のサイン
啓示なのか、病的な妄想なのかの判断方法
幻覚や妄想のサイン
- いつも不安そうで、緊張している。
- 悪口を言われた、いじめを受けたと訴えるが、現実に何も起きていない。
- 監視や盗聴を受けていると言うので調べたが、何も見つけられない。
- ぶつぶつと独り言を言っている。
- にやにや笑うことが多い。
- 命令する声が聞こえると言う。
認知機能の障害
- 日常生活における理解力が低下したり、記憶力が低下して、
社会生活における問題解決能力が低下する。
会話や行動の障害
- 話にまとまりがなく、何が言いたいのかわからない。
相手の話の内容がつかめない。
- 作業のミスが多い。
意欲の障害
- 打ち込んできた趣味、楽しみにしていたことに興味を示さなくなった。
- 人づきあいを避けて、引きこもるようになった。
- 何もせずにゴロゴロしている。
- 身なりにまったくかまわなくなり、入浴もしない。
感情の障害
- 感情の動きが少なくなる。
- 他人の感情や表情についての理解が苦手になる。
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