控訴理由書

第三 本件変更計画の違法性に関する原判決の誤り

一 本件事業の必要性及び費用対効果

1 本件事業の必要性について

 原判決は「事業の必要性があるかどうかの判断は、当該事業の施行に係る地域の自然的、社会的及び経済的諸条件を基に、当該事業による効用を多角的に評価しながら総合的見地により決すべきものであり、専門技術的かつ政策的なものであるから、行政庁の広範な裁量にまかされているとして、裁判所はこの点に関する行政庁の判断が全く事実の基礎を欠くとか社会通念上著しく妥当を欠くなどその裁量権の範囲を越えまたはその濫用があったと認められる場合に限って違法と判断すべき」と判示する。

 しかしながら、原判決の判示は、行政計画の中には@直接国民の権利義務に関わらない計画と、A直接国民の権利義務に関わる計画を峻別せずに一刀両断に通常の裁量よりも広い計画裁量を認めているものであって不当なものである。

 なるほど全国総合開発計画や国土利用計画などの場合には、計画といっても青写真を示すものであることから、通常より広い裁量を認める余地があろう。

 しかし、本件のような土地改良法による利水事業変更計画というのは、言うまでもなく農業資格を有する者に対して用排水事業、農地造成事業、土地区画整理事業等を実施するものであり、農民の権利義務に対して直接的かつ重大な影響を及ぼすものである。従って、前記Aの直接国民の権利義務に関わる計画であるということは明らかである。

 事業の「必要性」というのはいわゆる不確定概念であるが、本件事業変更計画が国民の権利義務に直接関わっているものであり、権利を制限する以上はその必要性の判断は講学上の「覇束裁量」に該当するものである。

2 国民の権利義務に直接関わる計画については、一般に計画の公共性、効率性などが検討される。このことは、明文の規定があるか否かに関わらないが、本件の土地改良法上の事業変更計画については土地改良法施行令、及び施行規則が計画の公共性や効率性に関して明記している。

 そして、覇束裁量については経験則に従って客観的に確定し得るのであり、裁判所においても司法判断が出来るものである。

 たとえば、土地改良法二条は基本的要件として事業の必要性(一号)、事業が技術的に可能であること(二号)、費用対効果(三号)、法三条に規定する資格を有する者が当該土地改良事業に要する費用について負担することとなる金額が、これらの者の農業経営の状況からみて相当と認められる負担能力の限度を超えないこと(四号)等。

 これらの規定は、国民の権利義務との関係で変更計画を、必要性、効率性、費用対効果等の要件でチェックしているのであり、必要性についても、司法判断が出来るものである。実際、原判決も必要性を判断している。

3 次に、原判決は前記のように「政策的、専門技術性」ということを行政の広範な裁量の根拠としている。

 しかしながら、原発のような高度の科学技術であればともかく、用水路が老朽化しているとか、茶畑のスプリンクラーによる防霜の必要性などというのは、中学の教科書に出てくる程度の専門性であって、判断困難な専門技術性とは全く異なっている。調査報告書(乙第三六号証)では「県南部の山村経済について、二〇%の就農人口や野菜指定産地、果樹園生産田地の指定、茶畑のスプリンクラーによる防霜の必要性などの特色をあげ、用水の確保や規模拡大などのため、本事業変更計画の必要性を強調しているが、これらの事業の必要性の判断は証拠調べをして事実を確定することが十分可能である。

 にもかかわらず、この程度の調査報告の「専門技術性」を根拠に裁判所が厳密な司法審査を棚上げし、「違法性」の判断を現実には起こり得ないような「裁量濫用」のケースに限定しており、かかる原判決の判断手法は誤りである。

4 次に、原判決の判示は立証責任という観点から見ても、はなはだ不当なものである。事業を遂行しているのは被控訴人農水省であり、土地改良法も事業の必要性を要件としている以上、その必要性の立証責任は被控訴人側にあること自明である。

 従って被控訴人は事業の必要性を基礎づける事実として具体的な事実を主張、立証すべきである。

 ところが、原判決を前提とすれば現実には起こり得ないような「裁量濫用」の場合でしか、裁量権の濫用で違法ということはあり得ないということになる。

 これでは被控訴人は本件で変更計画の計画書(乙第三六号証)を提出すれば、その計画書において指摘の事実が具体的に存在しているか否かを問わず、この程度の主張立証で足りるという極めて不合理な結果を生じるし、事実上控訴人に立証責任を転換した結果になり不当である。

5 本件における必要性の判断は前記の如く覇束裁量であり、事実の基礎を欠くのに事実があるものとして計画を策定した場合には裁量権の濫用になる(行訴法三〇条)。本件においては、報告書を提出しただけであって、報告書を基礎づける事実の有無については全く考慮することなく変更計画を実施するものである。

 又、本件では控訴人に限らず、多くの農民が水は不要であるとして、利水事業について反対の意思を表明している。

 このように多くの農民が事業が必要ないと表明しているという事実も、事業の必要性の重要な判断要素である。

 以上のように、本来考慮すべき事情を考慮せずに、事実があるものとしてなした本件変更計画は裁量権の濫用である。

6 なお、必要性の判断の基準時については、変更計画が将来の目標を設定してその目標達成のための手段が実際に担保されているかどうかが問題である以上、判断の基準時についても処分時以後の事情を考慮すべきである。事情の変化によりその実効性に疑いがあるにもかかわらず、計画が維持されるとするのはいかにも不合理である。

 

二 本件事業の受益面積に関する違法性

1 本件事業の受益面積が本件変更計画により、施行令四九条一項所定の基準面積を下回ることによる本件変更計画の違法性について、原判決は「施行令四九条一項は、国営土地改良事業を申請する場合の受益地のおおよその規模を定めたものにすぎないから、国営土地改良事業計画の受益地が同条項所定の面積を下回っても直ちに右計画が違法となるものではなく、又、国営土地改良事業計画を変更する場合の要件を定めたものとも解されない」と判示する。

2 しかしながら、施行令四九条一項が「おおむね」という表現を用いているからといって、原判決のように国営土地改良事業計画を変更する場合の要件を定めたものではないというような解釈は飛躍であり誤りであると言わなければならない。

 原判決のように解した場合には、国営土地改良事業につき受益の面積が一定の規模以上であることを要求した趣旨は全く没却されることになる。

 極端な場合、用排水事業、区画整理事業、農地造成事業について、受益地がいずれも全く存在しなかったような場合でも、原判決の論法からすれば、かかる変更計画であっても違法ではないということになろう。

 しかし、いくら原判決でも、このような場合にまで変更計画が違法でないとは言えないであろう。

 このように見ると、受益面積が一定の規模を満たしていない場合には違法の問題とならざるを得ないのであって、問題はその限界いかんということになるのである。

 本件においては、受益面積が用排水事業についてはおおむね三〇〇〇ヘクタール以上、区画整理事業についてはおおむね二〇〇ヘクタール以上、農地造成事業についてはおおむね四〇〇ヘクタール以上でなければならないと定めてある。

 このような定めがなされたのは、国営土地改良事業においては多額の費用が税金から投じられることから、国費を投じるにふさわしい規模であることが必要だからである。従って、この「おおむね」という表現は「約」という程度の意味であり、大幅に下回る場合には「おおむね」には該当しないと解すべきである。

3 当初変更計画段階においては、右各事業とも右基準を満たしていたが、本件変更計画段階においては、用排水事業が三一一〇ヘクタールから二八二〇ヘクタールに、区画整理事業が五六〇ヘクタールから五〇ヘクタールに、農地造成事業が四八〇ヘクタールから一九〇ヘクタールに、それぞれ変更され、右基準を大幅に下回っている。

 従って、かかる場合には「おおむね」に該当せず、違法の瑕疵を有すると解すべきである。

 

 三 本件公告手続の違法性

1 土地改良法による三分の二の同意取得手続が、憲法上保障された財産権の制約のための手続であることは、控訴人が一貫して繰り返し主張してきたところである。この観点からは、同意取得の対象となる変更計画の内容がまず特定された財産権の制約を受ける本人に対して、十分に知らされていなければならない。少なくとも十分に知りうるだけの機会が保障されることは手続上不可欠である。

 計画概要書の公告は、右要請に応えるべく、土地改良法八七条の三第一項、同施行規則六一条の八の三が準用する同規則八条において要求されていることである。従って、右公告は憲法上の要請であり、その方式は実質的に財産権の制約を受ける者が十分に内容を知りうる形で実施されなければならない。単に形式的に掲示したというのでは足りず、それが実質的に閲覧が可能であるところまで満たさなければ、機会が保障されたということはできない。

2 ところが、本件において、同意取得の対象である本件変更計画の概要の公告については、以下の瑕疵があった。

(一) 本件変更計画の概要書は、被控訴人の主張によれば、平成六年二月八日から同月一四日まで各市町村の掲示板に掲示された。しかし、この公告の事実を三条資格者が知ることができたのは同月一〇日の新聞の報道によってであった(甲一一九号証)。翌二月一一日は建国記念日であり、続く一二日、一三日は土曜日及び日曜日となっており、この三日間いずれも関係市町村の事務所は休みであった。実際に閲覧可能だったのは一〇日と一四日の二日間にすぎない。

 前記施行規則第八条は、公告の方法を「当該申請に係る地域内にある土地の属する市町村の事務所の掲示場に五日間掲示しなければならない」としている。これは五日間は閲覧可能の状態におかなければならないとする趣旨である。ところが実際の閲覧可能日は二日間しかなかったのであるから、本件の公告方式は右法の要請を満たしていないと言わざるを得ない。

 仮に、掲示された当初(二月八日)から閲覧が可能だったとしても、祝日、土曜日、日曜日は市町村の事務所は閉鎖されるのであるから、右期間の掲示では形式的にも閲覧可能期間は八日、九日、一〇日、一四日の四日間しかなく、「五日間掲示しなければならない」とする法文に明確に反している。

(二) また、掲示方法についても、本件では概要書は各市町村の鍵のついたガラス戸の中に掲示されており、誰でも容易に見られるような形式とはなっていなかった(同号証及び梅山究本人尋問)。これは、あえて閲覧を困難にするための措置を取ったものとしか考えられない。本件の公告方式は、対象農家に十分に知りうるだけの機会を与えなかっただけでなく、十分に知りうる手段を妨害するものであった。

(三) さらに、被控訴人はこうした不完全な公告のほかには、本件変更計画の概要書を事前にすべての三条資格者に個別に回付するなどの可能な措置を何ら取らなかった。

 要するに、本件においては、同意取得手続の前提となる変更計画の内容を十分に知る機会は、ついに三条資格者らには保障されなかった。

 本件における被控訴人のこうした対応は、公告に限ったことではない。同意取得に際し法定の添付書類を添付しなかったこと、被控訴人が配布したと主張するパンフレットには充分な説明がなされていないこと等、被控訴人は全体として本件同意取得手続においては、「見せない」あるいは「知らせない」という姿勢をどこまでも貫いているのである。

3 右瑕疵について、原判決は、法の趣旨を「施行地域内にある土地の属する市町村の事務所の掲示場に五日間掲示することで足りると解される」ところ、そのとおりの公告手続がなされている、として、右主張に正当な注意を払わなかった。

 しかし、右に指摘したとおり、本件では掲示されていた期間は四日間である。原判決は事務所が閉鎖されていてもなお掲示があったと解しうるとする点で、法の趣旨を全く無視した解釈を行っている。これでは、年末の御用納めの日に掲示を開始して事務所を閉鎖し、年始の仕事始め(一月四日頃)に掲示をやめても、五日間の掲示がなされたことになる。

 原判決の誤りは、そもそも土地改良法による同意取得続きが財産権制約のための手続だという根本的理解を欠くところにある。そのために、手続の厳格性の要請を顧慮せず、全体として本件同意取得手続が「見せない」「知らせない」という姿勢の下で実施されたことを看過し、ここで問題とする公告手続についても、たとえ事務所が閉鎖されていても、五日間形式的に掲示されていればよいなどといった無謀な解釈に至っているものである。

 以上のとおりであるから、本論点に関する原判決の判断は重大な誤りを犯している。

 

 四 同意取得手続きの違法

1 三条資格者特定に関する違法

(一) 原判決の法解釈

 原判決は、三分の二以上の同意を要件とする法八七条の三第一項について、その趣旨を、「三条資格者の意思を可及的に反映させようとする趣旨」とした上で(一二九頁)、「三条資格者の一部に対し同意するかどうかを聴取しなかったからといって、他の三条資格者がした同意の効力に影響を与える性質のものではない」(一三○頁)し、「事業規模が大きく三条資格者も相当多数になることが予想される国営土地改良事業において、すべての三条資格者を把握するための手続が法的に整備されていない現在の状況の中で、これを漏れなく正確に把握することは必ずしも容易ではないのであるから、真実の三条資格者の総数を基準とし、現実に同意をしたと認められる三条資格者の人数が三条資格者の三分の二以上となるという実態を備えている以上、三条資格者の中に同意署名簿に記載されず三条資格者として把握されていなかった者がいたとしても、それだけで直ちに変更計画を違法として取り消すべきものとするのは相当でない。」(一三一頁)と述べ、かかる場合において取り消す要件を「被告が三条資格者を確認した方法、三条資格者であるにもかかわらず三条資格者として把握されなかった者が生じた事情にかんがみ、前述した法八七条の三第一項の趣旨に照らして著しく適正を害しその趣旨を没却すると認められるような瑕疵がある場合に限られる」(一三二頁)と極めて限定的に解釈している。

(二) 財産権不可侵と土地改良事業との調和

 しかしながら、財産権不可侵の原則(憲法二九条)に鑑み、これとの調和の観点から規定された土地改良法の規定が厳格に運用されるべきことは当然のことである。その中でも最も重要な点は、手続の対象者の特定であろう。なぜなら、財産権は人権であり、当該人権主体のみが処分権を有するものであって、他人が手続に参加したことによって、その手続から排除されていた人の財産権が侵害されることを是認することはできないからである。すなわち、告知と聴聞を受けるべき人物の特定がなされていなければ、そのまま進められた手続は決して適正手続に従ったものとは言えないのである。

 このことは、全国土地改良事業団体連合会出版「土地改良法関係質疑応答集」(甲第一○九号証)からも明らかである。すなわち、土地改良法八五条の県営事業関係での想定問答の中で、三条資格者が九九○人であるとして同意署名簿を作成し、その一○○パーセントが同意し、知事が適法として決定、公告縦覧の異議申立期間も終了した後に、三条資格者であるにもかかわらず同意を求められなかったと申し出た者がいた場合について、「同意署名簿に重大な誤りがあった」ことになるから、手続をやり直す必要があると説明しているのである。この文献は、農林水産省構造改善局管理課長が「はじめに」の部分で実務に役立つようにという趣旨の推薦文を書いていることからしても、被控訴人の公式解釈を記載したものと評することができるものである。

 なお、右文献は、「九九○人」の事業について、一人でも真の三条資格者の把握漏れがあれば、それは「重大な誤り」なのであるから手続をやり直す「必要がある」と述べているものである。これに対し本件事業は、用排水事業でも原判決の認定によれば「三九○四名程度」であり、これと比較してみても、原判決の述べるような「漏れなく正確に把握することが容易でない」から原則を緩和できるというほどの、すなわち右の解釈をどうしても維持できないような巨大事業ではない。

 しかも、真の三条資格者の把握漏れは、一、二名程度の話ではないのである。公告手続開始前までに死亡していた人の署名が、現時点で判明し、被控訴人が認めた限りでも七四名あり、少なくともその裏に、同意取得手続で告知・聴聞の機会を奪われた真の三条資格者が、最低でも同数(共同相続されていれば、この数は増える)存在する。その外にも、本件を提起した同意を求められなかった真の三条資格者が相当数存在するのである。この事態は、もはや被控訴人のいかなる言い訳も通用しない違法状態であり、法の趣旨に従って手続をやり直す必要性のあることは明らかと言うべきものである。

 原判決は、かかる当然とも言える解釈からはずれたものであり、憲法における人権保障の意味を見失っていると評せざるを得ない。人権とは、少数者(前述のとおり、本件では必ずしも少数と評すべきかは問題ではある)の人権を保障してこそ意味があるものであって、司法こそはその最後の砦となるべきなのである。原判決は、少数者切り捨て、財産権不可侵という人権無視の判決と言わざるを得ない。

(三) 原審判断方法の問題点

 原判決の判断方法の問題点としては、まず三条資格者の三分の二以上の同意があったことを前提としているところ(この点については後述のとおり前提自体を誤ったものと言うべきであって、そもそも理由とならないものであるが)、適正手続の保障という観点からすれば、その結果がどうかという観点を最優先すること自体、手続的正義の実現という憲法三一条の趣旨を理解しないものである。証拠に従い、まず厳格に手続に法規違反がなかったかどうかを認定すべきである。

 証拠関係を見れば、被控訴人から提出されているのは、同意書綴りであって、同意署名簿ではない。土地改良法に則った適式な書面が証拠として提出されているのであれば、これは法に従った同意取得手続がなされたものとして適法と推定することは可能であろうが、かかる法定の証拠も提出できないのに、どうして適正手続に従ったものと認定することができるであろうか。むしろ、法を踏み外した手続がなされたものであり、違法と推定されるべきである。そして、三分の二以上の同意の存在という点も、その意味では前提として認定することは許されない。法定の適式の証拠が提出されてこそ、土地改良法という財産権不可侵の原則と緊張関係に立つ法の趣旨が守られたと考えるべきであり、逆にこれが提出されなければ、法の趣旨は没却されたと考えるべきである。

 さらに原判決は、現実に三条資格者が同意取得手続から漏れていた問題について、これを違法として取り消さない理由の一つとして、「恣意的に特定の者を三条資格者から除外しようとしたような形跡はうかがわれないこと」(一四○頁)を挙げる。

 しかしながら、本件は損害賠償を求めた裁判ではなく、行政行為の取消訴訟である。そこでの違法性判断に、行政担当者の恣意性を必要とすることは論外である。もしそうであれば、これは行政訴訟における取消訴訟の実質的否定に他ならない。

 同様に、原判決の指摘するところの、被控訴人が三条資格者の特定を関係市町村に委ねたこと自体は格別問題とすべきでないとか、確認作業が的確に行われるための方策も採っている等の理由も(ただし、その確認作業が全く杜撰であり、各市町村への指導に際しての法的な検証もなく、統一基準も統一的指導もなく、各市町村ごとにバラバラに行われる等、到底的確に行われたとは言えないことは、控訴人の原審最終準備書面第六の二項4で詳述したとおりである)、結局は行政側の過失の有無を問題としている理由付けに過ぎず、本件における違法判断とは無関係ないし次元の異なる問題であって、真の三条資格者なのに、本件同意取得手続の過程において、告知・聴聞の機会を実質的に奪われたという違法性を覆し、これを適法とする理由にはならない。

2 同意署名簿の添付書類の欠缺

(一) 原判決の判断内容

(1) 施行規則六一条の九、九条二項にいう「公告した事項を記載した書面」とは、公告に付した書面そのものに限らず、公告に付した書面の要旨を記載した書面でも足り、無論、公告手続開始前に作成されたものであっても内容的に公告に付した書面の要旨を記載したものであれば差し支えないというべきである。

 本件パンフレットには、受益面積、主要工事計画、工期、総事業費、事業費の負担区分及び三条資格者の負担額等の変更計画の要点が、当初計画と対比しながら記載されている上、本件パンフレット中の「川辺川地区計画概要図」には本件事業の受益地の分布や本件事業で造られる水路、揚水機、ファームボンド等の施設の概要も記載されており、本件公告手続で公告に付された書面(乙27〜32)の要旨を簡潔ではあるが分かりやすくまとめたものと評価できる。したがって、本件パンフレットは、公告に付した書面の要旨を記載したものとして「公告した事項を記載した書面」に当たる。

(2) また、上記規定は、同意署名簿に「公告した事項を記載した書面」を添付することを定めている・・・が、三条資格者から同意の署名押印を得る際に上記書面を三条資格者に交付するという方法を採ったとしても、上記規定の趣旨に反しない。

(二) 原判決の不当性

(1) 施行規則六一条の九、同九条の二は厳格に解釈すべし

 土地改良法八七条の三に基づいて計画変更の同意を得るには、土地改良法施行規則六一条の九が準用する同規則九条二項によれば、同意署名簿に、法五条二項により公告した事項、即ち「変更後の土地改良事業計画の概要および予定管理方法その他必要な事項等」を記載した書面を添付しておかなければならないと規定されている。これは、「同意」というものが同法において持つ意味からして、重要な手続規定である。すなわち、自己の財産権を処分するか否かの判断(同意の有無)に際して、右添付書面を見てから決断するからである。ところが、本件同意署名簿には何らの書面も添付されていなかった。

 被控訴人が取得したという同意書綴りは単にそれだけの書面であって、何らの添付書面がなかった。同意書綴りの署名者らは、単に署名押印を求められて応じた者もいれば応じなかった者もいるが、それこそ回覧板のようにして署名押印を求められた者が殆んどであって、添付書面などなかった。

 右規則が必要とする添付書面とは、まさしく「変更後の土地改良事業計画の概要・・・・を公告した事項」そのものを公告後に記載作成した書面でなければならず、これは、被控訴人の受益農家に対する説明義務を尽くすために不可欠な書面である。

 なお、被控訴人は、右変更後の国営川辺川土地改良事業変更計画概要書(農業用用排水・農地造成・区画整理)を作成し、書証としても提出している(乙第二七号証の一ないし第二九号証)。右各概要書こそ同意署名簿には添付すべき書類として作成された筈である。そして、右概要書を添付することは容易であった。ところが、法を守って執行すべき立場の被控訴人が違法にも右各概要書を添付していなかったわけである。また、そのことをチェックせず、同意があったと判断しており、被控訴人自ら同意手続が法律上問題ないかを確認すべきであるにも拘らず、そのことを怠っていたのである(証人藤本宣彦第一回四六項ないし四九項)。

 右規則で要求している書面を同意署名簿に添付しなかったということは、それだけで明らかに法規に違反する重大な瑕疵である。右規定の重要性からして、これだけでも重大な違法であり、結局のところ、法が要求している手続に基づく同意はなされていないと判断すべきである。

 (2) 本件パンフは右条項の書面に該当しない

 被控訴人は、本件事業計画の変更を行うに当たり、平成五年七月から同年一一月にかけて、関係市町村の四六会場において本変更計画の概要に基づいて作成されたパンフレット「人吉・球磨に水を活かす(国営川辺川綜合土地改良事業の計画変更のしおり)」(以下単に「本件パンフレット」という。乙第四六号証)を三条資格者等に配付し、各会場において約一時間程度本件事業計画の変更についての説明会を開催したと主張している。すなわち、本件パンフレットは、本来、説明会における資料として、本件公告の半年以上も前に作成されていたのである。ところが、前記のとおり、右規則が必要とする添付書面は、公告後にその公告した内容を記載作成した書面でなければならない。従って、本件パンフレットは右添付書面とは言えない(証人藤本宣彦第二回一五八項ないし一六二項)。なお、本件パンフレットですらも同意署名簿に添付されていなかった。

 また、本件パンフレットに記載されているのは、川辺川地区計画概要図、事業の実施状況、事業計画変更の内容(受益面積の減少・主要工事計画の減少・工期の延長・総事業費の減少)、農家負担の軽減、施設の予定管理(土地改良区の新設)だけであり、このパンフレットを配付しただけで右規則が規定している「必要な事項等を公告した事項を記載した書面」を添付したことには到底ならない。

 (3) 本件パンフレットでは瑕疵が治癒されない

 本件パンフレットでは、受益者にとって最も関心のある重要事項が脱落している。例えば、既存の水路や水利権が本件土地改良事業によって一体どうなるのか、既存の水路は全く利用不可となって取壊しをしなければならないのか、それとも利用しようと思えば利用できないことはないのか、分からない。また予定管理方法等についても具体的なことは何ら触れられていない。例えば、具体的に受益者の所有する農地まで直接接続される水路は一体誰のどの程度の負担でなされるのか、スプリンクラーまでの蛇口はどうなるのか、それは誰の負担でどの程度費用がかかるのか等全く触れられていない。

 これでは同意するかしないかの判断に当たって必要かつ十分な情報が与えられていないし、本件パンフレットは意図的に国営事業と関連事業との関係を記載していない、と言わざるを得ない。

 なぜならば、本件パンフレット以後に作成されたパンフレット(甲第九八号証・甲第九九号証)には、右関係が記載されており、本件パンフレットを作成した当時も一定の事項を記載することはできた筈である。すなわち、右パンフレットの作成者であった藤本宣彦は、本件パンフレットを作成した平成五年七月当時、同六年六月に作成されたパンフレットに記載されている関連事業の計画や水手当の必要性のことは分かっていた旨証言している(証人藤本宣彦第一回一六四項ないし一七五項)。

 このように、本件パンフレットの記載内容は同意するか否かの判断にあたって一番重要な費用負担にかかわる関連事業の情報を提供せず、むしろ受益者が、国営事業は受益者負担がなく全体が無料となる旨誤信することを狙ったものである。すなわち、国営事業については費用負担がなくても、関連事業である県営や土地改良区の事業における受益者負担の段階で負担金の調整がなされ、結果的に対象農家の負担金が増大する可能性がある。

 なお、本件パンフレット以後に作成された平成六年六月付パンフレット(甲第九八号証・以下「平成六年六月パンフ」という)および同八年六月付パンフレット(甲第九九号証・以下「平成八年六月パンフ」という)は、いずれも被控訴人が作成したものであるにもかかわらず、被控訴人は書証として提出しなかった。そこで、やむを得ず控訴人側の書証として提出したが、本来は被控訴人が進んで書証として提出すべきものである。しかしながら、平成六年六月パンフと平成八年六月パンフを提出せず、平成五年七月付パンフレットを「本件パンフレット」(乙第四六号証)として、あたかもパンフレットはこれだけしか作成していないかのように被控訴人は提出した。このような不公平な提出の仕方は、平成六年六月パンフや平成八年六月パンフに記載されている関連事業等のことをあえて本件パンフレットに記載しなかったことが追及されないように、本件パンフレットのみ提出したと言わざるを得ない。

(4) 情報の開示・提供義務を怠っている。

 自己の財産権を処分するか否かの自己決定をするためには、その判断に必要不可欠の情報を受益者に対し、開示・提供すべき義務を被控訴人は負っていた。しかし、この義務を果たしていない。

 前述のとおり、同意署名の際に法が要求している添付書面を添付せず、統一的な説明もなされていない。従って、農民がどういう経緯で署名したのかその詳しい事情も明らかでない(証人藤本宣彦第二回一項ないし六項、同一一八項ないし一二五項)。

 結局、被控訴人は、意図的に正確な情報を伝えず、むしろ誤った説明をするために法が要求している添付書面を添付しなかったといわざるを得ない。そして、添付書類を欠缺した本件同意署名簿には同意としての効力は認められない。

 ところで、私人間の取引である証券取引では、会社が消費者へ必要書類を交付することおよびその説明を尽くすことが義務づけられている(大阪地裁 平成六年四月一五日判決等)。ところが、本件は被控訴人という公的機関が農民の財産権を侵害するか否かという問題であり、本件の手続規定は単なる便宜的規定でなく、権利侵害から財産権を守るという重要な規定である。

 従って、右手続規定の解釈は厳格にしなければならず、原判決が施行規則六一条の九・九条の二を拡大解釈して、本件パンフレットが右条項の書面に当たり、添付でなく交付でも構わないと判断したことは、不当である。

3 同意署名簿記載事項の不備

(一) 原判決は次の通り同意署名簿の記載には違法性がないと判断しているが、明らかな誤りであり、その詳細は第三、四、1の主張および後述の通りであるので、原判決は取り消されるべきである。

三条資格者の総数の記載がないことは、施行規則六一条の九、九条一項は訓示規定にすぎず、本件変更計画が違法性を帯びるものではない(一四九頁)。

すべての三条資格者の氏名が記載されていないことは控訴人指摘のとおりであるが、真実の三条資格者の総数を基準としてもなお三条資格者の三分の二以上の同意の要件を充足する場合において手続き的瑕疵を理由に変更計画を取り消すべきとするには「被控訴人が三条資格者を確認した方法、三条資格者であるにもかかわらず三条資格者として把握されなかったものが生じた事情等にかんがみ、法八七条の三第一項の趣旨に照らして著しく適正を害しその趣旨を没却すると認められるような瑕疵がある場合に限られる」(一二九ないし一三二頁)とした上で、本件ではそのような事情はない(一三二ないし一四一頁)ので、本件変更計画を取消すべき違法性はない(一五〇頁)。

「同意署名簿に、事業名、公告年月日、三条資格者が受益地に有している権利の種別(所有権かそれ以外の権利か)および当初計画との関係での区分(継続・新規・除外)」の記載が無くとも、同意署名簿にどのような事項を記載するかは事業施行者である被控訴人に委ねられているというべきであり、同意書名簿に同意の対象となる事業および計画を特定するに足りる記載があり、かつ、同意署名簿であることがその記載上明らかであるかぎり、本件変更計画が違法となるものではない(一五〇、一五一頁)。同意取得の時点で、右の記載欄が空白であっても、同様である。

(二) 同意署名簿に三条資格者の総数の記載がなければ違法は免れない。

原判決は、施行規則六一条の九、九条一項は「三条資格者の三分の二以上の同意の有無を土地改良事業者において明確に把握できるようにするための事務的便宜を図ったものにすぎず、いわゆる訓示規定というべき」(一四九頁)なので、同意署名簿に三条資格者の総数の記載がなくても違法ではないとするものである。

しかし、そもそも三条資格者の同意とは、土地改良法により各三条資格者の土地所有権につき一定の財産的制限を受けるのであるから「計画の概要などすべての事項について、同意を得なければならない」(「土地改良法解説」第四回改訂版五六頁)のであって、施行規則第九条は「三条資格者の総数を記載した同意署名簿」に「法第五条第二項の規定により公告した事項を記載した書面(計画概要書)を添付しておかなければならない」として「署名および押印を得なければならない」としているのである。

なお、「同意徴集の時期および期間について明文規定はないが、法三条第一号および第三号の資格者にあっては公告の期間満了の翌日から・・・可能なかぎり短期間に行なうものとし数ヵ月にわたる等いやしくも同意の同一性が損なわれるような事態は回避すべきである」(「土地改良法解説」第四回改訂版五六頁)

したがって、三条資格者の確定はそもそもこうした立場から事前に正確に行い、これを前提に徴集手続きを迅速に行なうことが土地改良法上求められているのである。

この理は、土地改良区の場合はもちろん県営・国営の土地改良事業においても同様である。すなわち、規模が大きくなるからいい加減な手続きが許されるのではなく、事前に十分な準備をして徴集手続きが行なわれることが求められているのである。

ところで、「共有者は各自単独に同意を与えるものと解される」(「土地改良法解説」第四回改訂版五七頁)と記載がある。したがって、三条資格者が死亡し共同相続人が発生した場合遺産分割による共有者が発生することは当然前提にすべきことである。

そのためには、三条資格者確定の基準時を設けて確定手続きを行なうことが求められていることはまさに当たり前のことである。そうすれば、同意徴集手続きに最も接近した基準時における三条資格者の総数は当然確定していたのであり、これを前提に三分の二以上の同意があったかどうかを農水大臣は明確に判断できることになるのである。

施行規則六一条の九、九条一項は、一方で三条資格者の財産権の保障と、他方で土地改良事業者が恣意的な同意徴集手続きをすること(これには無秩序な同意徴集手続きも含む)を許さないための効力規定である。

本件では、被控訴人はこうした必要な手続きを行なわず、結局三条資格者の総数を確定せずに同意徴集手続きを行なってしまったのである。その結果当初計画の同意徴集手続き以前の死亡者まで三条資格者に入れていたのである。

ちなみに、被控訴人は、本件訴訟で同意署名簿ではなく「同意調書」と題する書面を乙号証として提出し、三条資格者の三分の二以上の同意があったと主張した。

なぜ、被控訴人がそのような訴訟活動を行なったか、であるがそれは要するに土地改良法上要求される同意署名簿を被控訴人が作成していなかったことを被控訴人が自認していたからである。

以上、原判決の誤りは限りなく明らかである。

(三) 同意署名簿にすべての三条資格者の氏名の記載が無ければ違法である。

この点については前記(二)でもふれたことと同様であり、三条資格者の確定の基準時における三条資格者の氏名の記載は十分に可能であり、これを怠った本件同意徴集手続きは違法である。

(四) 同意署名簿に、事業名、公告年月日、三条資格者が受益地に有している権利の種別(所有権かそれ以外の権利か)および当初計画との関係での区分(継続・新規・除外)の記載が無くても、それぞれの欄が署名取得時空白であれば違法である。

原判決は、「本件同意署名簿の記載事項については、施行規則九条の外、何らの規定も設けらておらず、同意署名簿にどのような事項を記載するかは事業施行者である被控訴人にゆだねられているものというべきであり、同意署名簿に同意の対象となる事業および計画を特定するに足りる記載があり、かつ同意署名簿であることがその記載上明らかである限り、本件変更計画が違法となるものではないと解される」(一五〇、一五一頁)としている。

ところで、本件変更計画の事業施行者は被控訴人である。したがって、まさに法にしたがって行政を行なうことを憲法上も義務付けられているものである。原判決のいうとおりであるとすれば、「本件同意署名簿の記載事項については、施行規則九条の外、何らの規定も設けられておらず」、土地改良法上の同意署名簿の作成は何よりも施行規則九条に従うしかないはずである。したがって、まず「三条資格者の総数」を記載した「同意署名簿」と題した書面でかつ「公告された計画概要書を添付したもの」で、さらに「三条資格を有するものの署名押印」のあることが法の要求する最低限の形式であることは明らかである。

したがって、原判決はこの点でそもそも法の要求する形式すらも必要ないというのである。しかし、本件は、民事事件における意思表示の有効性を議論しているのではない。なるほど、民法においては、意思表示については意思主義を取っているため書面の解釈にあたっては意思表示がなされたかどうかという観点が重要である。

また、本件は行政不服審査請求をした者がいかなる不服申し立てをしているかが問題になっているのでもない。なるほど、行政不服審査法では審査請求人(異義申立人)が申し立てた内容を法律にしたがって正確に解釈することが求められている。

しかしながら、本件は、土地改良法を所掌し憲法において法に従って行政を行なうことを義務付けられている被控訴人農水大臣が事業施行者として、三条資格者の財産権の制限を伴う行政手続きの効力が問題になっているのである。したがって、憲法に定める適正手続きの要請からしても法の定める形式を備えることは必要にして不可欠であるといえる。

右の点で、原判決の誤りは明らかである。

そもそも被控訴人は「同意署名簿」とも題せず「三条資格者の総数」も記載せず「公告された変更計画概要書」すらも添付されていない「同意調書」を提出したに過ぎない。したがって、そもそも違法な同意署名簿であることは明らかである。すなわち、このようなもので適正に手続きが行なわれたと推定することは到底許されるはずがないのである。

ちなみに、計画概要書が添付されていれば事業名、公告年月日、変更計画により自らが変更計画に継続して参加するのか、それとも新規に加わるのか、除外されるのかは明示されるのであって、その意味では当然に記載事項であるはずである。どのような三条資格に基づくものかどうかを明らかにする上で、受益地に有している権利の種別(所有権かそれ以外の権利か)を記載することは施行規則九条の要求するところである。少なくとも、上記の事項が三条資格者毎に個別的記載してあればその内容を説明したということを一応いえるであろうが、記載してなければむしろ説明がなかったと推定すべきである。

原判決は、にもかかわらず「(権利区分欄や事業との関係区分欄へ)の記入が同意取得後になされた場合においても、同意取得担当者は、同意取得時に、三条資格者に対し、業種別受益者調書、三条資格者早見表、名寄調書を用いるなどして、当該三条資格者の土地が除外地、継続地、編入地のいずれに該当するかについて説明していることがうかがわれる」という判断をしている。

しかし、原判決は同時に「各担当者は、三条資格者から同意を得るにあたり、・・・口頭による説明については、個々の場合に相当の差があり、三条資格者が説明を求めたりすることなくすぐに同意の署名押印に応じたような場合には、口頭による説明をほとんどしない場合もあった」(一六三ないし一六四頁)と述べており、右の判断と矛盾する判断もしているのである。要するに、ほとんどの事例で右のような説明はなかったのであり、原判決の立場からしても必要な記載事項が記載されてなかった本件同意署名簿は違法であり、本件同意徴集手続きは違法であり、取り消されるべきである。

  4 同意署名の瑕疵による違法性の有無について

   (一) 原判決は、「施行規則六一条の九、九条一項は、同意を得る場合の方式について、『署名(記名を含む。)及び押印を得なければならない。』と規定しており、第三者が三条資格者本人に代わって同意署名簿に当該三条資格者の氏名を記載することは、右にいう『記名』に当たる」としたうえで、「第三者が三条資格者本人に代わって三条資格者の氏名を記載する場合にその旨を記載しなければならないとの規定は設けられていないのであるから、このような記載をするかどうかは、事業施行者である被告にゆだねられている」と判示している。

     しかしながら、原判決の認定には、事実誤認及び法令解釈(憲法解釈)の誤りがある。

   (二) 原判決は、施行規則六一条の九、九条一項の文理解釈から、第三者が三条資格者本人に代わって三条資格者の氏名を記載する場合にその旨を記載するかどうかは事業実施者の判断にゆだねられるとしている。

     しかしながら、施行規則六一条の九、九条一項は、第三者が三条資格者本人に代わって三条資格者の氏名を記載する場合にその旨を記載することを否定する趣旨を含むものではなく、右記載の要否は、施行規則六一条の九、九条一項の趣旨、土地改良法が三条資格者の三分の二以上の同意を求める趣旨、三条資格者の同意の有無の判断方法などから具体的に判断しなければならず、安易に行政庁の裁量を広く認めるべきではない。

   (三) まず、施行規則六一条の九、九条一項が、三条資格者の「署名(記名を含む。)及び押印を得なければならない。」としているのは、本件変更計画について、対象となった三条資格者本人が、同意するのか否かを明確にする趣旨である。そのため、本件土地改良事業のなかで、用排水事業のように四○○○名近くの三条資格者を対象とする場合には、多数の三条資格者がそれぞれ同意するのか否かを明確にすることができなければならない。

     次に、土地改良法は、三条資格者の財産権に対する制限を内包する法律であり、とりわけ三条資格者の同意手続に関する規定は、三条資格者の権利を制限し、義務を課すことを内容とする規定であるから、三条資格者本人の意思が厳格に問われなければならない。

     ところが、原告最終準備書面(平成一二年三月六日付)においても指摘したように、(原審の)被告指定代理人は、「現段階では特定はできないが、自署のものとそうでないものとがある」「確認はしていないが、担当者が本人の替わりに署名したものや家族が本人に替わって署名したものがある可能性はある」と釈明しており(第四回口頭弁論調書参照)、自署と代書(署名の代行)との区別がつかないことを自認していた。

     そのため、同意署名簿の署名欄には、三条資格者本人が自署したものと、三条資格者本人以外の者が何らかの理由で代書(いわゆる署名の代行)したものとが混在していることになるが、記載上その区別はつかない。また、代書(署名の代行)については、代書した理由はもとより、代書した者の氏名、代書権原の有無など一切明らかにされていない。

     加えて、原審における証人尋問の結果、同意署名の取得手続が杜撰な方法によって実施されていたことが明らかになっている。すなわち、証人友田政春は、自らが三条資格者本人に代わって代書したことや、三条資格者本人に代わって家族に代書させたこと自認したのみならず(証人尋問調書一二一、三三一、三六七、五一二、五一三、六○二項)、家族が三条資格者本人の了解を取ったか否かについて一切確認を取らなかったことを明らかにしている(同六○四、六一三項)。

     このように、杜撰な同意署名の取得手続が行われていることを考慮すれば、誰が、どのような権原で署名・押印したのかわからないような同意署名の形式では、三条資格者本人が本件変更計画に同意したか否かを判断することはできない。

   (四) ところで、原判決は、公職選挙法、刑事訴訟規則ないし戸籍法施行規則に定められた第三者が本人に代わって署名をする場合の手続について、「これらの規定は、土地改良事業における三条資格者の同意の署名の場合とは全く異なる場合について規定したものであって、本件の場合に該当しない」と判示している。

     しかしながら、公職選挙法四八条が、第三者が本人に代わって署名をする場合の手続について定めた趣旨は、選挙において、大量の投票者の投票の有効性を判断するために、第三者が本人に代わって署名した場合を明確にして、投票者の意思を明確にして投票の有効性の判断を容易にするためである。

     本件の同意署名は、前述のように、用排水事業では四○○○名近くの三条資格者を対象に一定の期間に集められたものであり、しかも、対象地区ごとに異なる担当者(推進委員・市町村役場職員など)が、同意署名の取得手続に従事している。

     そうすると、大量の三条資格者の同意署名の有効性を正確に判断するためには、第三者が本人に代わって署名した場合を明確にして、署名の有効性を容易に判断できるようにしなければならない。

     したがって、土地改良事業の場合と公職選挙法四八条の場合とを区別しなければならない理由はないというべきである。

   (五) 以上のように、本件同意署名簿は、いずれも三条資格者本人の署名・押印ないし記名・押印よりなっているが、いずれが本人が自書したものであり、いずれが第三者が本人に代わって署名したものであるか判然としない形式になっている。

     そのうえ、杜撰な同意取得手続により、誰が、どのような権原で署名・押印したのか分からない同意署名が混在している。

     したがって、本件同意署名簿には、その形式及び同意署名取得手続のいずれをとっても施行規則六一条の九、九条一項の趣旨を逸脱した重大な違法がある。

  5 同意署名取得時の説明義務違反

   (一) 広範な裁量を認めた違法

 原判決は、「被告が三条資格者から同意を得るに当たって、三条資格者に対し、変更計画の概要等公告事項に即し、一定の事項を説明する機会を設けるべき場合があるとしても、その機会を設ける方法は様々であって、いかなる方法によるかは、被告の判断にゆだねられているというべきであり、また、被告が説明すべき事項の範囲および程度についても被告の判断に委ねられている部分があるというべきである。」と判断した。右原判決のように広範な裁量権を被控訴人に認めることは、被控訴人に説明義務を課している趣旨を没却するものである。

 そもそも被控訴人に対して説明義務を課したのは、三条資格者が土地改良事業の変更計画に対して同意するか否かの判断材料を与える為であり、それは土地改良事業が三条資格者の財産関係に大きな影響を及ぼすからであり、憲法第二九条の財産権の保障の要請からきているものである。被控訴人の説明義務がこのように憲法上の要請である以上、三条資格者の財産権の手続的保障の観点から、被控訴人には広範な裁量権があるということにはならないはずである。原判決は、なぜ被控訴人に対して三条資格者への説明義務を課しているか、充分な考察をしていない。そのために、原判決は安易に幅広い裁量権を認めてしまったのである。

(二) 説明義務の履行を担保する制度のないことを無視した違法

 次に原判決は、各地区の説明会の状況を挙げて(一五八乃至一六五頁)、被控訴人の措置並びに説明に違法があったとまではいえないと認定した。しかし、三条資格者に対する説明が統一的指針に従って行われた訳ではなく、原判決のように個々の説明会の状況をどのように指摘しようと、そのことが手続き全体における説明義務の違法を否定することにはならない。充分説明が行われたというためには、説明の方法と内容を統一し、その方針に従って説明が行われたということが必要である。

 しかるに被控訴人らが、当時、三条資格者にいかなる説明をしたのか、報告書等何ら説明の状況を示すものが存在せず、充分な説明を行ったという証拠は存在しないのである。従って、本来、三条資格者への説明の実行を制度的に担保するものはなく、被控訴人がすべての三条資格者に対して充分説明をしたという認定はできないはずである。原判決が違法とまではいえないと判断したことは明らかに誤りである。

(三) 説明すべき事項について誤った違法

 控訴人らは@県営、団体営等の関連事業の費用負担、A本件事業で新設された施設の維持管理費の負担、B川辺川ダム建設の事業費の受益者負担について各説明すべきであると主張していたが、原判決はこれをいずれも否定した。

 原判決は県営、団体営の関連事業の費用負担については、関連事業の実施に当たり、三条資格者からの同意取得を始めとする土地改良法上の手続が改めて本件事業とは別個に採られるものであり、三条資格者としては、関連事業の同意取得手続において、関連事業による費用負担の程度も考慮に入れて、賛否を表明することができるから、(中略)被告が関連事業の費用に負担についての具体的な説明をしなかったからといって、これをもって関連事業も含めた一切の費用負担がないとの誤解を与えるような不適切な説明であったとまでいうことができないと判断した。

 しかしこの原判決は次の二点において明らかに判断を誤っている。原判決の前提となるのは、すべての三条資格者が今後関連事業について土地改良法上の手続があり、その中で新たな説明がなされるという認識をしていることが必要である。そうでなければ、三条資格者の真の同意は確保されないのである。すなわち、一方では国営事業についての賛否は、関連事業の賛否と無関係であることが制度的に保障され、また関連事業の賛否にあたっても国営事業の賛否が関連事業の賛否に影響しないことを制度的にも、事実上も、保障されていない限り三条資格者の真意による同意は確保されないのである。一旦国営事業に同意した以上、関連事業についても同意せざるを得ない状況が作り出されることは容易に推測できるのである。

 従って、この前提事実を欠く以上、原判決の判断は誤りである。

 次に関連事業の費用負担について具体的説明がなかったからといって、これをもって、関連事業も含めた一切の費用負担がないとの誤解を与えるような説明ではないと判断した点について、原判決は明らかに違法をおかしている。すなわち国営、関連事業の認識を有しない者に対して、費用がかからなくなったと説明すれば、すべての事業で費用がかからなくなったと誤解するのは当然である。このような状態であるにもかかわらず、説明は違法ではないと判断することは明らかに誤りである。悪徳商法業者が「消防署の方から来ました。」といって、消費者の誤解に乗じて商品を売りつけたり、あるいは、すごくお得に見せかけて実は過大な債務を負わせる悪徳商法のやり方と手法は同じである。被控訴人は、悪徳商法の業者が行うと同じ手法で不要なあるいは過大な債務を負担することになる土地改良事業という「商品」を売りつけたのと同じである。

 悪徳業者には、説明義務違反が認められるのと同じように、被控訴人にも関連事業について説明義務違反があるとされるべきなのである。

 またABについても、右@と同様であり、少なくとも負担の可能性があることは三条資格者に対して説明すべきであり、費用負担がまだ決まっていないからといって説明の必要性がないとはいえないはずである。

 従って、被控訴人が説明義務を果たしていないことは明らかであり、違法であるというべきである。

 

 五 三分の二以上の同意の有無について

  1 三条資格者の人数(分母)も同意者数(分子)も不明である

   (一) 三条資格者の人数に関する被控訴人の主張の変遷

     法八七条の三第一項所定の三条資格者の三分の二以上の同意の成否を検討するためには、まずもって、分母とすべき三条資格者の人数が明らかにされなければならないことはいうまでもない。

     そして、三条資格者の人数につき、被控訴人に主張・立証責任があることも論を待たない。

     ところが、被控訴人は、次のように主張を変遷させてきた。

 

 

用排水事業

区画整理事業

農地造成事業

第四準備書面

三九七一名

一四八二名

八八六名

第五準備書面

三九一三名

一四七四名

八八〇名

第一一準備書面

三九〇四名

一四六九名

八七九名

 

     本来、本件変更計画に対する同意取得手続の段階で確定し、同意署名簿に記載しておくべきであった三条資格者の人数が、右のように、原審の訴訟進行の過程で日毎に減少していったのである。

     にもかかわらず、原判決は、「三条資格者の把握漏れは、本件訴訟の過程でそのほとんどが明らかにされた」とし、分母とすべき三条資格者の人数は「被告主張のとおり」・・であるか、「これを若干上回る程度」(一八〇頁)といういい加減な認定で、被控訴人を救済してしまったのである。

     後述する同意者の人数(分子)についても、控訴審の審理の過程で日毎に減少していくことになろうが、そのとき、「被告の主張を若干上回る程度」などという曖昧な分母で、法八七条の三第一項所定の三条資格者の三分の二以上の同意の要件の成否を判断し得ないことは明らかである。

   (二) 同意者の人数に関する被控訴人の主張の変遷

     被控訴人は、原審の進行過程で死者の署名の存在が判明するなど明らかに同意があったとは認められない署名があることを控訴人に指摘され、同意者の人数についても次の通り主張を変遷させた。

 

 

用排水事業

区画整理事業

農地造成事業

第四準備書面

三二五五名

一二六九名

七九八名

第五準備書面

三二六一名

一二七四名

八三一名

第一一準備書面

三二〇五名

一二五九名

八二八名

 

   (三) このように、三条資格者の人数(分母)及び同意者に関する被控訴人の主張の奇妙な変遷自体からしても、被控訴人は、分母も分子も主張・立証し得なかったというべきである。

  2 同意の撤回を取り下げた者も同意者から除くべきである

(一) 控訴人らの主張

本件同意について撤回の意思表示をなし、更にこれの取り下げ(以下「複数撤回」という。)をなしたとされる者(以下「複数撤回者」という。)(用排水事業の)二六三名についてはこれを同意者から除外して同意者の人数を算定すべきである。

なお、以下は主として用排水事業について述べるが区画整理事業の一二二名及び農地造成事業の三八名についても同様の主張を行う趣旨である。

(二) 原審の審理結果

原審での審理結果は次のとおりであり、原審は左記の者を同意者に算入するという誤りを犯している。

(1) 甲五号証及び甲六号証によれば、複数撤回者の内訳は次のとおりであった。

複数撤回者総数

二六三名

そのうち、

@ 複数撤回者のうち、同意の撤回の取り下げをなしたとされる者(以下「二回撤回者」という。)の人数

一九五名

A 複数撤回者のうち、同意の撤回の取り下げを更に取り下げた者、或いはこれに重ねて更に取下をなしたとされる者(以下三回の者を便宜上「三回以上撤回者」という。)の人数

六八名

 (2) 原審の判断

この点について原審は、大要次のとおり判示している。

@ 法八七条三第一項は、国営又は都道府県営の土地改良事業計画の重要な部分を変更するにあたり、三条資格者の意思を尊重しようとしたもの。

A 同条項の趣旨からすれば変更計画が決定されるまでの間は、同意の意思表示をした者は、これを撤回することもできるが、逆に、同意を撤回した者は、右撤回を取り下げる旨の意思表示をすることにより、再び同意者に加わることもできると言うべきであって、この場合、改めて同意署名簿に同意の署名押印をする方法による必要はないと解すべき。

B 控訴人の民法一〇二五条(遺言の撤回)や、民法五四〇条二項(解除の意思表示の撤回)、行政処分の異議申立の取下の撤回に関する裁判例などに共通する意思表示に対する重複した否定の意思表示の効力を否定した考えについては、特段の理由を述べることなく土地改良法上の三条資格者の同意の場合とは全く異なる場合についてのものだから本件に妥当せずとしてこれを排斥する。

(三) 原審判断の誤り

(1) 原審は、第一に表意者の同意の撤回の撤回(複数撤回)を本件で問題となっている同意と同視することが可能であると評価した点で法解釈上の誤りがある。

第二に本件の複数撤回の方法が同意取得の方法として適法であると評価した点においても法解釈上の誤りを犯している。

(2) 第三に、複数撤回者による撤回行為自体の意思解釈についてなんらの事実関係の検討も行わず、安直に同意者に算入するという事実認定上の誤りも存在する。

(四) 法解釈の誤り(その一)

表意者の複数撤回という意思表示の法的効力について

(1) 基本的な考え方

この問題は、三条資格者が一度は表明した同意の効力を後日になって撤回した者が更にこれを撤回するかのごとき外観を呈する場合に、当該三条資格者の真意(意図するところ)を事後的評価の場において客観的かつ一義的に確定できるか否かという点にある。

この問題は表意者の意思解釈の問題であり、原審の判示するように本件だけが控訴人が原審最終準備書面において主張した民法や過去の裁判例と解釈態度を別異にする必要性も相当性も全く存しない。

特に原審は、三条資格者の錯誤に基づく同意の効力に関しては民法の錯誤論をそのまま援用しているにもかかわらず、複数撤回においては民法の考えを根拠なく簡単に排斥するなどその法解釈は一貫しておらず失当である。

表意者が一度表明した意思表示を撤回する場合、当該表意者の意図するところは比較的容易に確定することができる。

しかし、撤回行為により当初の意思表示の効力が消滅しているにもかかわらず、更に取消の意思表示がなされた場合、それが、当初の意思表示の効力を重ねて取り消す趣旨なのか、撤回行為の効力を取り消す趣旨なのか、当初の意思表示も撤回行為をも併せてとにかくこれまでの表意行為の効力を全て取り消して白紙の状態にする趣旨なのか、当該表意者の真意を一義的に確定することは困難である。

よって、意思表示の撤回を取り消す場合にはその真意を明確に確定できるような特段の事由がない限りは、原則として当初の意思表示の効力と同一の法的効力を撤回の取り消し行為に認めることは相当ではない。

この解釈態度は、次の掲げる遺言の撤回の撤回に関する最高裁判所の判例(最高裁判所第一小法廷平成九年一一月一三日判決・民集五一巻一〇号四一四四頁)の考え方とも整合するものである。

すなわち、「原遺言を遺言の方式に従って撤回した遺言者が、更に右撤回遺言を遺言の方式に従って撤回した場合、遺言者の意思が原遺言の復活を希望するものであることが遺言書の記載から明らかなときは、原遺言の効力の復活を認めるのが相当である」と判示している。

遺言において非復活主義が採られているのは、撤回行為が撤回された場合に原遺言が復活するかどうかは、本来、遺言者の意思によって決定されるべき事柄であるが、遺言者の意思が原遺言を復活させる意思かどうかが明らかではないことが少なくなく、遺言者の真意が不明の場合には、復活させない方が多くの場合遺言者の真意に適するし、復活させたいときは改めて同一内容の遺言書を作成させた方が遺言者の意思を明確にすることができるからである(新版注釈民法二八巻三九四頁、判例タイムズ九五八号一〇六頁右最判の解説)。

それゆえ、遺言者の意思が、客観的に争う余地がないほど明白に遺言の復活を希望すると見られる場合には例外的にその復活が認められるのである。

右の最判においても、撤回の撤回の有効性を認めるのは各撤回行為が法の要請する厳格な手続きに従った場合、すなわち遺言者の意思が一義的に明白な場合に限って例外的に認めているのである。このような厳格な絞りをかけることによって初めて表意者の真意を明確に把握できることになるのである。

本件においても同意取得の期限は法定されていなかったのであるから、同意の撤回者から再度同意を取得するには、当初の手続と同一の手続により改めて、同意署名簿に同意署名と押印を求めればよかったのである。

しかるに被控訴人は、このような手続を履践していない。

よって、このように表意者の真意を明確にする手続的保証などの特段の事情がない本件においては、同意の撤回の取り消しに同意署名簿への署名、押印と同一の効力を認めることはできないと言わざるを得ないのである。

(五) 法解釈の誤り(その二)

デュープロセス無視の同意取得方法

(1) 原審は、「(複数撤回の場合には、)改めて同意署名簿に同意の署名押印をする方法による必要はないと解すべき」と判示する。

しかし表意者の意思表示行為の内容を適切に確定するため、特に反対を表明した者の権利を制限し義務を課す可能性がある場合には、多数当事者の意思表示行為によってもたらされる結果の法的安定性を図る必要性もあることと相俟って、どの意思表示の確定方法、本件に即して言えば同意の取得手続は統一的且つ厳格な方法によるべき必要がある。

さらに、本件事業が当事者申請主義とはいえ、同意取得の対象者である三条資格者の殆どは事業内容の策定に関与していない受働的立場にある者である以上、同意を得るためには同意の対象となる事業内容の説明を十分になして同意の意味が分かった上で同意を取得しなければならない。また、三条資格者本人の同意を得るための本人の確認についてもこれを戸籍等の適宜の方法で調査の上担当職員によって本人確認を行い、同意署名簿に自ら署名押印する方法が要請されている。

少なくとも、被控訴人でさえも原審において同意取得手続について担当者会議を行い、実際の同意取得に於いてはどこの誰によってどのように行われたかを主張している(原審の被控訴人平成八年一一月二九日付け準備書面三二頁、平成一一年一月七日準備書面一頁以下)。

しかるに、同意の複数撤回の場面においては、どこの誰が署名押印したかの確認作業、また複数撤回行為が同意署名簿への署名押印と同一の効力を有することになる旨の説明を被控訴人は行っていない。当然、複数撤回者全員について誰が誰にどの様に話して誰が集めたかについて被控訴人は明らかにしていない。ここには同意取得の統一方針も、ルールも存在しない杜撰な手続だったのである。

このように撤回の取り消しが同意取得と同一視できるだけの手続保障(行政手続きに対するデュープロセスの保障)がなされていない以上、再度の同意者名簿への署名押印を求めるべきであり、このような手続きを経ていない三条資格者による複数撤回行為は三条資格者の同意取得手続と評価されるべきではない。

(六) 複数撤回者の意思表示の解釈

(1) 当時の状況

原審の熊本地方裁判所人吉支部における本人尋問で供述した四〇余名の控訴人らの中でも複数撤回をなした者は次のとおりである。

渕田幸子     森口孝利     白石カツ子

緒方 学     白石 巌     兼田国見

森口直重     城山義治     上原義武

小園重光     横山良雄     中村邦昭

西 静夫     久保田一道    中村政晴

大塚 保     赤坂正光     手石方敏男

この中で、例えば渕田幸子は、「同意の取下」をなした。その後、「同意の取下の取下」をなし、更に「再度、同意の取下」をなしている。そして、またもや「再度の同意の取下を取下」ているのである。

本件では、このように表意者が複数撤回を行っている例が、判明しているだけでも二六〇名以上存在する。

これを見ても当時の三条資格者に対する同意取得手続の混乱ぶりが容易に窺いしれるのであって、このような場合に、本件で問題となっている二六三名の複数撤回者について何らの事実関係の検討もせずに同意者に算入するというのは、杜撰な事実認定以外の何者でもない。

このように撤回行為を複数回繰り返している者の真意は、仮に確定できる場合であっても個別の詳細な事実関係の吟味が必須であって、通常は、これらの表意者の真意を同意とは評価し得ないものである。

(2) 原審の事実認定が失当であること

原審の事実認定が失当であることを原審本人尋問の結果からも窺うことができる。

赤坂正光の例

赤坂正光は、平成六年四月二八日に同意の撤回をなし、同年七月七日に撤回の取下げをなし、同年九月六日に再度同意の撤回取下げをなし、同月二五日にはまたもや撤回の取下げをなしている。

これについて赤坂正光は、「はい、ぐりぐり回ってるんで、誰のほうが本当か嘘か分からんで、その印鑑ついてくれと言うて。」(五七項)とか、同意したことになるということかという問いに対して「訳の分からん。」(六一項)と返答し、「結局反対派の人からも賛成派の人からも違う説明があるんで、どちらを信じていいのか分からなくなったということなんですか。」という裁判所からの問いに対しても「はい、そう思います。」と述べ(二三七項)、「今はどちらのほうを信用していますか。」という問いに対しては「今は反対の方です」(二三八項)と述べている。

この赤坂の当時の真意を同意と評価することはどうみても無理がある。なによりも、当時の赤坂正光の真意が同意ではなかったことは、同人が本件訴訟の原告に名を連ねていることからも明白である。

被控訴人の原審平成九年一二月一日付け第五準備書面別紙2「甲第五号証及び甲第六号証確認調書」を一覧しても多くの者が撤回や取り消しを繰り返している。

同意取得及び複数撤回行為時に被控訴人による事業内容の十分な説明や質疑応答がなかったればこそ、そして、それが極めて一部の例外的事象ではなく、同意取得手続全体がそうであったからこそ、このような異常な事態が多数の三条資格者を混乱した状態に陥れたのである。

このような状況下で単に反対の反対は同意といった机上の理論が通用するものではない。

(3) 本件の適正な事実認定とは

以上、指摘してきた如く、原審は、複数撤回を原則有効としている点で原則と例外を逆転する点で失当であるし、被控訴人の複数撤回という方法による三条資格者からの同意取得に関し適正手続を無視していることについての評価の点で判断を誤っている。

さらに、各複数撤回者の意思表示を同意と評価した点においても事実認定を誤っている。

(七) 結語

右に述べたとおり、複数撤回に関する原審判決は、法解釈上も事実認定上も失当である。

そして、被控訴人は複数撤回者について、新たに同意署名簿への署名押印という有効な同意を徴集していないのであるから、御庁においてはこれらの者二六三名について同意者から除外して同意者を算定すべきである。なお区画整理事業の一二二名及び農地造成の三八名も同様である。

  3 同意書の成立を争った者について

   (一) 署名押印部分の成立及び印影を否認した者(原判決のAの分類)

     原判決は、同意署名簿の署名押印部分の成立及び印影を否認した者については、原告本人尋問を実施した八名のうち五名の者につき同意者と認めたものの、その余の二五九名については、同意者とは認めなかった(別紙八)。

     署名押印部分の成立及び印影を否認した三条資格者については、当該三条資格者が、本件変更計画に同意したことを被控訴人が積極的に主張・立証しなければならず、原審においてこのような主張・立証がなされなかった者について同意者と認めなかった原審の判断は妥当である。

   (二) 署名押印部分の成立を否認し印影を認めた者(原判決の@の分類)

     ところが、原判決は、署名押印部分の成立を否認したが印影を認めた者については、控訴人前田文雄を除き同意者と認めた(別紙八)。

     原判決は、原告本人尋問を実施した者については、「前後矛盾する」とか(一八三頁)、「あいまいな供述に終始している。」(一八八頁)などとして同意者と認めたのである。

     しかし、同意取得手続時から約五年も経過した時点における記憶に曖昧さがあることは当然のことであるし、記憶が鮮明でないことから供述が矛盾するかのように見えること十分あり得ることである。

     原判決は、原告本人尋問を実施していない者については、「弁論の全趣旨によって」同意者と認めているが、これまで述べたように、同意の取得手続が杜撰であったことを考えると、「弁論の全趣旨」としては、署名押印部分の成立を否認している者について、すべて同意がなかった者と認定するのが相当である。

     仮に百歩譲ったとしても、後に述べるように、被控訴人が異議申立手続の中で異議申立人全員に対して十分な口頭意見陳述を実施し陳述録取書を作成しておけば、時間の経過とともに記憶が曖昧になるという事態を回避することが可能であったのであるから、署名押印部分の成立を否認し印影を認めた者のうち、半数の者について同意がなかったとして取り扱い、時間の経過とともに立証が困難になった責任を公平に分担すべきである。

  4 錯誤による同意は無効である

   (一) ウ「あなたの農地は対象地域から除外された」

     原判決は、除外でないにも関わらず除外と説明された者については「念のため」同意者から除いている(二一七頁)。これは、除外であるか否かによって費用負担が大きく異なるにもかかわらず、除外されたとの説明により費用負担が全くないかの如き誤解を与えたことを実質的に考慮した結果と考えられ評価しうる。

     ところが、原判決は、真実除外になっているものについては、何ら錯誤は存しないと判示した(二一四頁)。

     しかし、真実除外である者であっても本件事業そのものについて不同意の者もおり、そのような者が事業そのものが中止になったと思って同意署名をした場合は、やはり同意者から除くべきである。

   (二) エ「国営事業は中止になった」

     「国営事業は中止になった」との説明を受けた者については、「除外された」との説明を受けた(一)の場合と同様、同意者から除くべきである。

     この点、原判決は、同意取得担当者が「国営事業は中止された。」と説明したとか、本件事業が中止されたと誤信して同意の署名押印した者がいたなどとはにわかに考え難い(二一七・二一八頁)としているが、何ら根拠のない認定である。

     国営事業が中止になったという説明は、国営事業全体が中止になったという意味で理解すべきではなく、当該地域もしくは当該三条資格者において、国営事業が中止になったという説明を指している。そうすると、前記の除外の場合と何ら変わるところはなく、除外と同様に誤解を与える説明方法だったと考えるべきである。

     また、証人尋問の結果からは、同意取得担当者によってにわかに考えがたい説明がなされたことが明らかになったのであるから、右の如き誤信をした者がいたと推認することが合理的な認定である。

   (三) ア「負担金(水代)は一切いらない」

     イ「県営・団体営の事業には参加しなくてもよい」

     (一)において、対象地域から除外されていないないにも関わらず「除外された」と説明を受けた者につき、原判決が「念のため」とはいえ同意者から除いたのは、対象地域内か除外かによって農家の負担金(水代)が大きく異なりしかもその点につき農家が大きな関心を抱いていたことを実質的に考慮したためである。

     したがって、負担金に関する錯誤は、同意の意思表示の過程に重要な錯誤があるものとするのが一貫した認定である。

     この点、原判決は、「関連事業の手続で三条資格者の三分の二以上の同意が集まれば自分が関連事業に参加したくなくても参加しなければならなくなる場合があることは、法の規定による効力であって、当初計画以降何ら代わりがなく、・・。本件変更計画の同意取得の時点においては、関連事業における受益農家の負担金額その他関連事業の具体的内容が定められていなかったことからすれば、関連事業への参加の要否が当然に本件変更計画に対する同意をするか否かに影響する状況にあったと認めることはできない。」として、「動機の錯誤が要素の錯誤を認めるに足りるほどの重要性を有しているとまではいえ」ないとした(二〇九頁)。

     しかし、控訴人らは、関連事業の手続で三条資格者の三分の二以上の同意が集まれば自分が関連事業に参加したくなくても参加しなければならなくなる場合があることを、当初計画以降知らなかったのであって、当初計画以降何ら変わりがないことは錯誤の要素性を否定する理由にはならない。法の規定による効力を控訴人らに説明し理解させる義務は、被控訴人にあったのであり、法の規定による効力を控訴人らが理解していなかったことによる不利益はあげて被控訴人が負担すべきものである。

     「第二 原判決の根本的な誤り」の「三 本件国営土地改良事業及び関連事業における受益者負担について」で詳述したように、熊本県は、国営事業の負担金について、受益者負担の立場から、あくまで受益農家に負担させる考え方を変えておらず、そのため、土地改良法が定める受益農家に負担をさせない場合に求められる法律上の手続きをとっていない。したがって、被控訴人や市町村の担当者がいかに「負担金(水代)は一切いらない。」という趣旨の説明をしたとしても、客観的な事実に反する説明であることは明白である。

     したがって、「負担金(水代)は一切いらない。」という趣旨の説明は、署名を行った者を欺く説明であり、同意者を重大な錯誤に陥れたことは争いようがない。

     仮に、関連事業による受益農家の負担金額が定まっていなかったとしても、負担金を支払わなければならないことは前述のとおりであり、関連事業の参加の負担金額が定まった時点で同意を徴集すべきであったのであり、このような手続きを踏まずに安易に同意徴集に走ったことは、受益農家を欺く結果になったといっても過言ではない。

     したがって、ア「負担金(水代)は一切いらない」イ「県営・団体営の事業には参加しなくてもよい」という説明を受けて、その旨誤信して署名押印した者は、同意をするにあたって重要な錯誤があったというべきなのである。

  5 「認否していない者」は同意者から除くべきである

   (一) 原判決は、控訴人が原審で署名押印部分の成立の認否をしていない者につき、「弁論の全趣旨によって」同意の意思表示がなされたと認定している(二〇四頁)。

     認否していない者についても、被控訴人が同意をしたことを主張・立証しなければならないことはいうまでもない。そして、控訴人が認否した者の中にも原判決が同意がなかったと認定した者が含まれていたことを考えれば、認否していない者全員について一律に同意があったとすることは、あまりにも乱暴な認定であるといわざるをえない。

     また、前述のように、弁論の全趣旨から明らかになったのは、被控訴人がいかにずさんな手続で署名押印を取得したかであるから、弁論の全趣旨から直ちに同意の意思表示があったと認定することもできない。

   (二) ここにいう「認否していない者」は、次の計算式により算出できる。

     @被控訴人が三条資格者とした数―

     (A被控訴人が未同意と認めた者+B控訴人が認否した者)

     

 

用排水事業

区画整理事業

農地造成事業

@三条資格者

三九〇四名

一四六九名

八七九名

A未同意者

六九九名

二一〇名

五一名

B認否した者

一一二七名

四一七名

二五五名

認否していない者

二〇七八名

八四二名

五七三名

 

     なお、Bは、一九九八年六月一七日付書証認否書による。

  6 仮に、控訴人が認否していない者を一律に同意者から除いた場合はもちろん、未認否者のままであっても原判決の論理が認定した未同意率にしたがって、すなわち、控訴人が認否した者のうち原判決が同意者から除いた者の割合に即して未同意者数を算出すれば、次のように、用排水事業と区画整理事業については、同意率は三分の二を下回るのである。

 

 

用排水事業

区画整理事業

農地造成事業

@ 三条資格者数

三九〇四名

一四六九名

八七九名

A 控訴人が認否した者の数

一一二七名

四一七名

二五五名

B Aのうち原判決が同意者から除いた者

二七三名

一一〇名

六六名

C 原判決における未同意率(B/A)

二四.二%

二六.四%

二五.九%

D 未認否者数(6(二))

二〇七八名

八四二名

五七三名

E D×C

五〇三名

二二二名

一四八名

F 原判決が同意と認めた者の数(二二六頁)

二九三二名

一一四九名

七六二名

G 算出後の同意者数(F―E)

二四二九名

九二七名

六一四名

H 算出後の同意率(G/@)

六二.二%

六三.一%

六九.九%