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[No.191] 飴色茶碗 価格 1個 700円 '19. 7. 1 up
(約共に 85 X 75 mm )
いつのまにやら世の中大きく生活が変わってしまったと感じます。
延々と培って来た暮らし向きの中で、埋もれてしまって二度と日の目を見なくなってしまった物が沢山あることに気が付くのです。
私が陶芸を始めたころ、電気窯でした。当時そこで出来上がったものでも私としては凄く感動した記憶が今でも鮮明に想い出されます。
それから幾年かして燃料に灯油を使いロータリーバーナーで噴霧焼成した時期もありました。そして今では薪を燃やして陶芸をするようになりました。
つまり時代に逆行して陶芸の原点に立った気がするのです。薪を焚いて高温にする、煙は出る、灰は飛散る、火炎は揺れる、作陶した品物はそこまで行って初めて神の領域に委ねてくるのです。
人の作為はすべて打ち砕かれて真っ赤な火の玉となって姿を変え、ときとして形までかえて神からの贈り物として届けられるのです。
そんな事を思うとき、私たち人類がまだ経験したことのない世界を見て来た証人としての崇高なものに見えてくるのです。素朴なお茶碗ですが大したもんだ。
次回の更新は 8月 1日となります
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[No.190] 焼き魚の皿 価格 500円 '19. 6. 1 up
(約 100 X 230 mm )
今頃の年になって体のことを思って魚ばかりでなく肉も意識して食べるようになりました。何か逆ですか?、いえ、そうなんです。
ですから60代ころまでは動物蛋白と言えば魚一片道だった私ですからその食べ方も生半可ではありませんでした。
食べ終わった後も綺麗であってほしい、それが料理した方に対する「美味しくいただきました」の言葉以上の感謝の気持ちと心得ていました。
先にもご紹介しましたが我が家の食器は一通り全てを自作で賄うようになりました。
しかし、秋刀魚の姿焼きを盛りつける皿がありませんでした。止む無く半分に調理したものを焼くことにしていました。
今回はそんな夢を実現させてみました。そう、一匹丸ごとの秋刀魚の姿焼き。食べ終わった後の頭から尻尾までの念願の骨格完成でした。
食事は決して豪華でなくとも楽しくしたいものです。
次回の更新は 7月 1日となります
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[No.189] 母の分骨の為の骨壺 価格 ******円 '19. 5. 1 up
(約 120 X H 65 mm )
母、藤森はるよ は3月3日にその101歳の生涯を閉じました。正直言って私が4〜50歳代の頃の母の記憶はあまりありません。
母を意識するようになったのは私が定年を終えた60歳前半ころからでしょうか。「老いては子に従え・・」に猛反発して過ごしてきました。
周囲は母の安全を祈って施設入りを進めましたがそれも拒み自宅で過ごすことを貫きました。
そんな母ですが私が逢いに行く度に購入してきたお土産を美味しそうに食べながらしていましたが或る日、食べ過ぎてしまったことがありました。
恐らく、無粋な息子が買ってきてくれたお土産ぐらい美味しそうに食べてあげようかい・・という親心だったんでしょう。私もそんなことを想い消化のいいもの、少なくても喜ぶものをと思いやるようになりました。
初めは新宿駅で買える、全国の名物駅弁。全国の珍味物産展。そして新宿駅構内で買える珍しいお菓子。そして遂には上諏訪駅近くの老舗の銘菓。最後は近所の甲子堂の和菓子・・・
耳も遠くなり話題も途絶え、すっかり寝ることが多くなり、逢いに来ても眼を明けないことも増えました。
母が亡くなってそう驚くこともありませんでした。すっかり母との別れは済ませておきました。しかしあなたが育てた息子は元気でいます。
まあ奇しくも我が家には妻の分骨の骨壺と併せて大切に供養します。
次回の更新は 6月 1日となります
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[No.188] ご飯茶碗 価格 3、000円 '19. 3. 1 up
(約 120 X H 65 mm )
数年前から我が家の食器は全て自作で賄ってきました。
長い年月をかけて職人さんが料理に合った最適な形状や大きさと言うものがあって、それが更に洗練されて現在の和食器と言うものが出来上がっているのです。
そんな事すら気にも掛けなかった半人前がただ形や大きさを真似ただけでは行きつくことのできない垣根が有ります。
友人の多くは我が家の食器を使うたびに「ああ、ちょっと素人っぽいね」と愛情有るお心持ちで不満はありますが黙って使ってくれていました。
たかがお刺身の醤油皿一つにしても微妙なバランスがあって、「コテンッ!」なんて、ひっくり返ってしまった方も幾人か見かけました。
一通り揃いはした我が家の食器ですがこれからはグレードを上げていかなければなりません。単にあげるだけではなしに、そこは私の創作意欲を盛り込んで。
酒器、茶碗にこだわってきましたがいよいよご飯茶碗に着手した次第です。 新旧比較すると少しは風格の差が
感じられますでしょうか。
次回の更新は 4月 1日となります
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[No.187] 抹茶茶碗「凛々」 価格 3、000円 '19. 2. 1 up
(約 100 X H 60 mm )
少し小振りな抹茶茶碗です。煎茶を戴いても善いし・・、いずれにしても小ぶりなので持ち運びは便利です。
最近では抹茶アイスはほぼ定番ですが抹茶のスイーツはパティスリーからコンビニまで広がっています。
そして極めつけはコーヒーショップでも抹茶のドリンクメニューを扱う店は沢山あります。
それほどに抹茶人気は高まっていますがいざ普段の生活に抹茶というと何となく敷居を高くしてしまいがちです。
どこの家庭にも・・って、我が家の場合ですが何時でもポットに湯が沸いています。湯冷まし
に一度落とすと適温に直ぐなります。
ちょっと一服という時に簡単に抹茶を戴いても簡単です。むしろ煎茶の様に急須に入れて・・とか後片付けの無い分、ものぐさ向きではないでしょうか。
巷には”茶ガール”・・なんてのもいてマグカップで抹茶を呑んだり抹茶チョコラ、抹茶ボルホローネ、抹茶わらび餅なんてのまで流行らせているとか。いやはや・・
次回の更新は 3月 1日となります
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[No.186] 茶碗・綿帽子 価格 5、000円 '19. 1. 1 up
( 110 mm x H 70 mm )
新年明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします。
人類が日本列島に出現したのはおよそ10万年前あたりといいます。
そして永い混迷の時を経てついこの五千年前くらいになり三内丸山遺跡にみられる集落が現れて縄文時代の最盛期を迎えました。
人々は火を使い様々な文化を育んでいく中で土を焼くと強固な塊になることを知り埴輪や様々な土器を作るようになりました。
私はこうして火に向き合う
ことで縄文人の感じた感動を、日々頂きながら創作に情熱を注ぎ喜びとすることができています。
微力ではありますがそんな感動をこのホームページを通じてひとりでも多くの方に伝えることができたら・・と思っています。
新年にふさわしい純真な気持ちを込めて茶碗・綿帽子、をご笑覧ください。
次回の更新は 2月 1日となります
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[No.185] 手塩皿 価格 1、000円 '18.12. 1 up
(約 185 mm )
前回の「箸まくら」に少し予告的に顔を出していますが今回はその皿が主役です。
もう既に何回も紹介しているのでお気づきの方もいらっしゃると思います。。
お皿の底部、釉薬のかかっていない部分の色ですが陶芸の世界では緋色といわれ珍重されていることもあるのです。
そしてこの色の出ることを私は嬉しく思うのです。この緋色はある条件が必要でその条件を箇条書きにしたりして研究する人もいます。
しかしそのようにしたからと言って必ずその緋色が現れるとも限らないようです。但し確率はかなり高まることのようです。
また、工業的に電気などでつくられたものには現れませんし、使う粘土の種類の中には高確率な粘土が存在します。
その高確率な粘土を使用して作りましたが焼成強度に素人を寄せ付けない難しさがあるようです。
かなりの失敗が土に還ることとなったのは言うまでもありません。
次回の更新は 1月 1日となります
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[No.184] 箸まくら 価格 5個組 1、000円 '18.11. 1 up
(約 60 mm )
昔、山に行ったときの食事にはよくその辺にある木の枝を適当な長さに切りそろえて使った。そして一度使った箸にはその人の魂が宿る、ですから使った後は必ず折って処置をした。
箸を使う文化・・そして神事における箸の扱いでは箸置き、或いはお箸台といって耳皿(丸い円盤の両端を持ちあげた形)の素焼に箸の中心を配置していた・・・。
私のような古い人間にとってその箸の使い方ひとつでその人の人間性まで判断してしまう風習が残っている。テレビに映る絶世の美女が酷い箸の持ち方で食事の録画撮りをする。
もう、それだけで私はウンザリして興ざめしてしまいます。古い人間だと笑うなら笑ってください、日本人には大和民族としての美意識文化を共有していたのですから。
そんな神事や民族意識の中で箸置きは美意識のほかに衛生的観念など加えながら日本食文化の隅っこでひっそりと存在感を示していたのではないでしょうか。
陶芸を志す者にとってその箸置きは箸まくら、箸休めと呼び方は変われども箸に対する信仰心も秘めていると思うのです。割りばしの袋を蝶に結んで箸置きにすることもありますよね。
そういえば亡妻がよく蕎麦屋で食事した後に必ず割りばしを二つ折りにしていたことを思い出しました。もう今は神の膝元に戻ってしまいましたが、あの人は巫女だったのかな〜
次回の更新は 12月 1日となります
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[No.183] ぐい呑み 2 価格 各 2、000円 '18.10. 1 up
(約 60 mm x H 50~55 mm )
再びぐい呑みを並べてみました。
9月も終わりに向けて一気に涼しくなり富士山の初冠雪もありました。
そうなると酒飲みには本当に嬉しい季節が巡ってきたと言う気がします。
とかくこの頃のお若い酒飲みの方の中にはビールにしても「キンキンに冷やして・・」とか冷酒にしても「スッキリ冷やして・・」などと言う方の傾向が多いようです。
まあ私に言わせれば、それではせっかくの味わいの内大切な半分は味わわないまま胃袋の中にたたき込んでしまう気がするんです。
少なくとも日本酒の持つ深いコクと味わいは、舌の上で転がしそして鼻に抜ける香りを楽しんだりと愛でてみたいものです。
その為には常温、そして寒いときには熱燗ではなくひと肌が最高ではないでしょうか。
そして多くの愛飲家から絶賛を得て一つの形がこのぐい呑みという器に発展してきたと思うのです。
そんな気持ちでぐい呑みをもっと多くの方に愛していただきたい。陶工としてのわたしは一途な思いに駆られながら轆轤に向き合うのです。
次回の更新は 11月 1日となります
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[No.182] 白衣茶碗 価格 各 2、000円 '18. 9. 1 up
(約 80 mm x H 60~55 mm )
飾り気のないふたつのお茶碗を並べてみました。
一つは食器の持つ使い勝手からくる安心感のある等芯円。もう一つは不規則な縁の茶碗です。
どちらも単にお茶を飲む・・ことに関しては何の不自由もなく使うことができると思います。
不規則な縁では呑み切る時の茶碗の傾きが方向に寄ってまちまちになります。
人は性格にもよりますが器にそれほど道具以上を求めない人と、道具そのものにパートナーとしての意義を感じる人といます。
お茶を「嗜む」という表現とお茶を「飲む」との意識の差はどちらの器を使うかにも隔たりがあるようです。
我が家でちょくちょく呑み会をするとき沢山の盃のなかからどれでも使う好きなものを選んでもらう時、何を選ぶのか観察するのも楽しいものです。
一番手前の物を手に取って来る人、何時までも決め兼ねて迷っている人。まあ、人それぞれがあっていいんじゃないでしょうか。
次回の更新は 10月 1日となります
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[No.181] 矢鱈縞紋コーヒーカップ 価格 各 2、000円 '18. 8. 1 up
(約 90 mm x H 55 mm )
私がまだ20代の頃、通っていた美術研究所の生徒さんの中にお洒落で可成り年配の画学生がいました。
まだコーヒーを飲む習慣もなく一部の音楽喫茶などで飲むことができる程度の物でした。当然私もそんなものにお金を使える身分ではありません。
しかし、年配の画学生さんとは何故か縁があって当時呑み屋さんのお酒一杯より高価なコーヒーをふんだんに飲むことができました。
その方と私は囲碁のレベルが近かったこともあって彼の経営する秋葉原駅前の純喫茶”風と共に去りぬ”なんて風変わりなお店によく招かれました。
「幸三郎さん、ここでは冷房を目いっぱいに効かせてありますから熱くて香りのいいコーヒーを楽しんでいってください」
スポーツウェアーなどでストライプ・・と言えば縞模様のことですね。着物にも沢山の縞模様があってその紋様には名前がついています。
このコーヒーカップの紋様は”矢鱈縞”という立派?な名前がついています。矢鱈・・というと「矢鱈めっぽう」という連想と共にあまりいい表現には使われません。
しかしその50年前にハイカラなコーヒーをハイカラなカップではなくこの矢鱈縞紋様で飲んだ記憶が今もって鮮明に記憶しているのは何故だったんでしょう。
この粗雑なようで一生懸命さの紋様は、私自身が苦くて魅惑的な香りのコーヒー文化を必死に取り込もうとした記憶の紋様になっているのです。
次回の更新は 9月 1日となります
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