… … 読後感想文
Since 2008/ 5/23 . To the deceased wife
あなたのご来場はカウンターカフェ番目になります

わけがありまして「読後かんそう文」一歩一歩書き留めていきます。

妻の生前、展覧会の鑑賞や陶芸の町を見学したりと共にした楽しかった話題は多くありました。
読書家だった妻とそうでない私は書物や作家、ストーリーについて、話題を共有し語り合ったことはありません。
悲しいかな私は学生時代以来・・半世紀近くも小説や文学作品を読んだことが無かったのです。
妻から進められていた本をパラパラとめくり始めたのをきっかけに・・・

先にある”もっと永い人生・・・”かの地を訪れるとき、共通の話題を手土産にと思って。

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<<2026年度・読後感想文索引>>
読書順番作家・書店 書   名読 み 切 り 日
N0.701新川帆立・講談社□□ 「 競 争 の 番 人 」      7月  18日
N0.700中山七里・宝島社□□ 「 と ど け チ ャ イ コ フ ス キ ー 」      7月  12日
N0.699内館牧子・講談社□□ 「 す ぐ 死 ぬ ん だ か ら 」      7月   6日
N0.698伊与原 新・角川文庫□□ 「 オ オ ル リ 流 星 群 」      7月   2日
N0.697砥上裕将・講談社□□ 「 線 は 、 僕 を 描 く 」      6月  28日
N0.696辻村深月・文芸春秋□□ 「 嘘 つ き ジ ェ ン ガ 」      6月  19日
N0.695葉室 麟・朝日新聞□□ 「 風 の か た み 」      6月  10日
N0.694原田マハ・毎日文庫□□ 「 翼 を く だ さ い 」      6月   7日
N0.693山口惠以子・角川文庫□□ 「 食 堂 の お ば ち ゃ ん 」      6月   2日
N0.692青木祐子・集英社□□ 「 こ れ は 経 費 で 落 ち ま せ ん ! 」      5月  21日
N0.691藤ノ木 優・文芸春秋□□ 「 コ ウ ノ ト リ と ん だ 」      5月  11日
N0.690樹原アンミツ・集英社□□ 「 東 京 藝 大 仏 さ ま 研 究 室 」      5月   1日
N0.689原田マハ・文芸春秋□□ 「 美 し き 愚 か も の た ち の タ ブ ロ ー 」      4月  24日
N0.688瀬尾まいこ・文芸春秋□□ 「 私 た ち の 世 代 は 」      4月  10日
N0.687原田マハ・幻冬舎□□ 「 す べ て が 円 く な る よ う に 」      4月   2日
N0.686伊坂幸太郎・新潮社□□ 「 ジ ャ イ ロ ス コ ー プ 」      3月  23日
N0.685柚木裕子・小学館□□ 「 教 誨 」      3月  19日
N0.684中山千里・宝島社□□ 「 さ よ な ら ド ビ ュ ッ シ ー 」      2月  26日
N0.683朝倉かすみ・光文社□□ 「 満 潮 」      2月  15日
N0.682眉村 卓・講談社□□ 「 な ぞ の 転 校 生 」      1月  22日
N0.681岩井圭也・集英社□□ 「 生 者 の ポ エ ト リ ー 」      1月  18日





[No.701]  7月 18日


   講談社「競争の番人」新川帆立
          2022年作・ 370 ページ 

・・・白熊は言葉を詰まらせた。豊島は悪くない。その言葉には少しの嘘が含まれていた。

北関東で数十年続いてきた談合だ。発注者側の市役所が知らなかったわけがない。むしろ便宜を図ることで天下り先を確保していた。

先輩職員たちの引退後の生活がかかっている。そのポストを守るためにも、担当者の豊島は談合の事実を隠し通す必要があった。聴取開始から二ヶ月経っても、談合に関して豊島が口を割ることはなかった。

しかしあの日、豊島は涙ながらに語った。

「密室でオジサンたちが集まって何でも決めてしまう。こんのもう止めなきゃいけない。日本がどんどんダメになる。イキのいい若者が起業して営業したって無駄ですよ。何十年と続く村社会に入って、オジサンたちに認めてもらって、下積みを経て、それでやっと受注の機会が回ってくる。仕組みが出来上がってしまっているんです。ブレーキの壊れた列車みたいに、走り続ける仕組みが。でも誰かが止めなきゃいけない」

聴取を終え、作成した調書に署名捺印してもらった。その日の夜、市役所に戻った豊島は屋上から飛び降りた。

警察から連絡を受けた時、白熊は自分の耳を疑った。聴取を受けている時も、帰路につく時も、豊島は落ち着いていた。思いつめた様子は見られず、むしろすっきりとした表情を浮かべていた。最初から覚悟の上の行動だったのだろうか。・・・・。



公正取引委員会で審査官をしていた白熊楓29歳は葬儀会場の手洗いで「どうしてお父さんは死んだの?」・・と少女に声を掛けられた。自殺した豊島浩平の高校生の娘、美月からだった。

元々白熊は父と同じ警察官になりたかった。大学では空手部に所属し卒業して警察官のコースを選択中に父が危ない目に遭って一命はとりとめた。だから母親からのたってのお願い・・で警察官になることをあきらめて審査官になったのだ。でも昔から白熊はどちらかというと空手にしても試合の最後には負けだったり、くじ引きでもみんなが嫌がることに毎回当たってしまったり・・とドジを踏むことも多かった。

そんなとき、栃木県のS市にある温泉ホテル3社が談合・・で調査していた。探っていくととても根が深くそして豊島の勤めていた市役所とも関わっていることがわかる。



日本の古くからの商習慣の中には比較的利益率の高い公共施設の建設に伴う談合を含めた収賄事件が多く見られる。特に公共施設などでは役所と業者間、そして関わる金銭は一般庶民の税金・・ということで金銭感覚も少し鈍くなる。そして役所には定年があってその受け皿として業者が天下り先として迎える。

いまもって私の年齢の人たちの中には盆暮れの付け届け・・のなかに「本の気持ちです・・」という下心は必要悪と思っている人も多い。



[No.700]  7月 12日


   宝島社「とどけチャイコフスキー」中山七里
          2025年作・ 239 ページ 

・・・コンクール会場でも晩餐会でも監視の目が光っているのは重々承知していた。だから明白に党を批判するような言動は控えていたのだ。だが男は容赦なかった。

「お前の振る舞いが党批判になるか否かは我々が決めることだ」「強引なのね」「今までも名家ガガリロフの人間という理由で大目に見てきたんだ。あまり自分が特別だと思わない方がいい」

「自分が特別だと思ったことなんて一度もないわ」「国内コンクールで何度も優勝したのにか」「あなたたちは世界を知らない」ナディアは精いっぱいの虚勢を張ってみせる。

「世界を知れば、国の中だけで有頂天になるのがどんなに恥ずかしい行為なのか思い知る」「別に知る必要はない。お前もだ、ナディア・ガガリロフ」「世界を知らないと、いつの間にか置いてけぼりにされるわよ」

「我が国はいつも、いつまでも世界の頂に君臨している。追いつかれることも追い抜かれることもない。わが国で最高の栄誉を得るのは世界最高の栄誉を得るのみと同義なのだ」

思考停止だ、と思った。

大いなる不安や恐怖と対峙した時、安寧を保つために考えることを放棄する者がいる。男と男の上司たちはそうした類の人間なのだ。・・・・。



第一回チャイコフスキー国際コンクールは当時のソ連・フルシチョフ首相の肝いりで開かれた。当然誰しもが地元ソ連の出場者3名のうちの誰かに栄冠が‥と思っていた。しかしその栄冠は若干23歳のアメリカ人ピアニストクライバーンに奪われてしまった。そして当時ソ連で第一人者であった女性ピアニストナディアは二位に甘んじた。

しかしナディアは世界のレベルを知っていたのでクライバーンには賛辞の拍手を惜しまず、彼への祝辞も惜しまなかった。そんな態度を機密警察は良しとしなかった。

音楽名家ガガリロフもソ連のお墨付きということで大目に見てもらってきたこともあったがナディアは遂に自国を捨てどこかの国の大使と結婚して出国してしまった。ソ連の国家警察もナディアのことは無かったこと・・として始末した。

時を経て・・プーチン大統領は隣国ウクライナに侵攻を開始した。そんな中でのチャイコフスキー国際コンクールは日本人ピアニスト・岬陽介に注目がかかり栄誉を手にする。ロシア選抜のガガリロフ家からヴァレリーが参加したものの5位どまりだった。しかし岬とヴァレリーは大の友人となった。

世界を演奏しながら活躍する岬がロシアにやってくることを知ったヴァレリーは悩み事もあり祖先の墓で想いを巡らそうとした時先にその墓にいる人を見つけた。なんとそこにいたのは岬陽介だった。岬は曾祖母だったナディアの墓所として立ち寄っていたと・・


この所いろんな特技を持った作家さんの作品に出合う、ついこの間は画家になった気持ちでその所作を演じることを体験した。今度は音楽の演奏を文章にして表現できる作家です。中山さんは前回の作品もショパンのピアノ演奏を見事に文章表現していた。そしてここが本髄なのかな・・ミステリっくな作風と落としどころがあって・・


亡妻の代わりに私が本を読んであげ始めてからこの作品で節目の700作品目になった。年を重ねるごとにいい意味での読書という楽しみを教えてもらったことを感謝しつつ・・


[No.699]  7月  6日


   講談社「すぐ死ぬんだから」内館牧子
          2021年作・ 347 ページ 

・・・「ハナ、絶対に忘れるな。オレはどんな延命治療も全部断る。忘れるな。子供や孫にも行っとけ」「しつっこいよ。わかったって。それに、私らどうせすぐ死ぬんだから、生きている間は死ぬこと口にしちゃダメだよ」

土建屋の父が縁起を担ぐのは、仕事柄だったのだろうか。いつも言っていたものだ。「ハナ、そうなっちゃ困ることは口にすンじゃねえぞ。昔っから日本には『言霊』ってのがあってよ、口に出すとそうなっちまうんだ。ことばの霊がよ、そうさせるんだな。だから、そうなっちゃ困ることは、腹ン中で思っても絶対に口に出すンじゃねえぞ」

小さいころから聞かされていたせいか、「言霊」は私の中にしみついている。

当然ながら、今流行りのエンディングノートとやら言う遺書も、まったく書く気がしない。自分が死んだ後のことを生きているうちに書くと、言霊の通りになる。

それに、そんなものを用意しては、生きる気合を削がれるだけだ。終活はよくない。これは岩造にもきつく言い、かたく守らせていた。

第一、死んだ後のことなんか知っちゃいない。もめようが、仲違いしようが、生きている者の問題だ。だいたい、生きている人間が死後のことまで指図するという姿勢が、私とは合わない。

「俺もハナに教育されて、遺書なんか書く気は一切ないよ。騒動になるほどの財産もないしな。だけど、延命だけはやるなよ」・・・・。



三代続く酒屋をしてきた忍岩造は幼馴染だったコウチャンの見舞いから帰ってきて妻のハナにしみじみと言った。コウチャンは遺漏を造られ、人工呼吸器やら多くの管につながれ、病室のベットに寝たきりになっていたという。

残された奥さんはこうしてお父さんが生きていてくれるだけで私は生き甲斐にもなるし幸せだ‥と言っていたがキャツの目はオレに向かって「こんな無様な姿で申し訳ねえな・・」って顔してたんだ。あんまりにもコウチャンが可愛そうで見ていられなかった・・・と。



ひところ昔は「‥お医者さん、出来るだけのことはしてやってください・・」という言葉をよく聞いた。しかし今の医療では出来るだけのことをすれば本人の尊厳も何も無く生かされている状態は永遠に続けられる。そして莫大な医療費を費やして現実的に必要とされる人のための医療費予算を圧迫しかねない。

私も現実的な問題として妻、義理母、実母・・・と三人の終末を真剣に医師と話し合った経緯もあった。ご本人たちの理解も当然必要ではある、看護側の気持ちの整理もある。そして自身はどうすべきだろうか・・身内や周囲にはその意思をしっかりと周知確認しておく必要がありそうだ。



[No.698]  7月  2日


   角川文庫「オオルリ流星群」伊与原 新
          2024年作・ 370 ページ 

・・・「でも」慧子が南の夜空を見渡した。「今夜は本当に、パチンコ店のサーチライトがない。いつもは光の筋が空をグルグル回ってるんだ。あれがないだけでも、ありがたいよ」

そのとき、千佳が「あれ?」と声を上げ、光の濃い街の中心部を指差した。「今、ビルのてっぺんのライトが消えたよ!? あっち。どの辺になるんだろ」

「渋沢駅のほうだな」修も前のめりになる。「ビジネスホテルじゃねーか?屋上の看板を煌々と照らしてるところが一軒あるだろ」「あー}今度は久志が気づいた。畑の中の集落で光が消えたのだ。「あの家、灯かり消した!ほら、あそこも!」

「確かに今、何か所か立てつづけに消えたね」慧子が冷静に言って、腕時計に目をやる。「ちょうど八時になったからかも」「おい!あっちで何かいっぺんに消えたぞ!」修が左方向を示した。「工業団地のほうだから、工場関係だな、ありゃ」

「見て、あのマンションでも!」千佳が声を高くする。信じられない思いで見つめていると、その後も街のあちこちでぱらぱらと明かりが消えていった。目で追えるほどなので、割合としてはわずかなものかもしれない。

流星の見え方が大きく変わることもおそらくないとは思う。それでも秦野の街は、いつもより確かに暗いのだ。何より、自分たちを思う和也の声がこうして街に届いたのだという事実に、胸が熱くなる。「−−−嬉しいね」千佳が涙声になった。

「ほんとに」慧子が遠くに目をやったままうなずく。・・・・。



秦野西高校3年生の夏、恵介が「俺たち何か高校の記念になるような・・たとえば巨大なタペストリーみたいなもの作らねえか?」とぐうたら過ごそうと思っていたクラスメートに語り掛けた。すると久志、和也、修、慧子、千佳など7〜8名が「やろうか・・?」と集まった。デザインは千佳の考えた秦野でよく見かける青い鳥オオルリの絵を慧子がパソコンでグラフィック化しそれをもとに空き缶をつなげて作ろう‥と言うものだ。空き缶の数は一万個以上必要だった。そして完成したのだ。

それから何年したか・・薬局を継いだ久志はも45歳。街を出ていった仲間もそれぞれにまた街に戻ってきたが皆傷ついていた。テレビ局にいた修は辞めて司法試験を受けて弁護士になろうと・・、和也は大きな会社の技術者だったが新製品のデータ改ざんを上司から要求され精神を病んで自宅に籠ってしまった。国立天文台に勤務していた慧子は研究に行き詰って居場所がなくなって・・、千佳は中学の理科の教師もマンネリ・・と言う時に慧子がこの秦野の街の山の上で小さな天文所でもいいからそこでひっそりと自分の研究をしたい・・と漏らした。

精神を病んで引きこもってしまった和也は趣味の音楽をミニFM放送で流しては気を紛らわしていた。たまたまそれを聞いた千佳は「この選曲は和也にちがいない」。昔のメンバーが慧子の夢をかなえるためにミニ天文所を作る手伝いを応援してくれと・・、開局の日は流星群観測の日に決まりその日は秦野の街の灯かりを少し控えるよう呼びかけた。



この所立て続けにそれぞれの専門家が小説を書き大変興味深く読み終えた。この前は水墨画の画家砥上さん、そして本作品は地球惑星科学の研究者だった伊与原さん。何も恐れずに突き進んできて‥気がついたらもう45歳。周りの仲間を見ると皆それぞれにマンネリ化人生を振り返りそれぞれに苦しんでいる。しかし高校生の時苦労して作った仲間がまた集まって今度は天文台迄作ってしまった。そう、その名もオオルリ天文台、中年青春ドラマ万歳ですね。



[No.697]  6月 28日


   講談社「線は、僕を描く」砥上裕将
          2021年作・ 370 ページ 

・・・これは明らかに、美などではない。美しさなど思いもしなかった。そうではなく、ただ心が震え、一枚の絵、一輪の花、たった一つの花びらの中に命そのものを見ていた。

西濱さんの急激に膨らんでいく生命感が、画面の中に叩きつけられていく。筆致のことなどどうでもいい、ただ、その大きな空気が美以外のえたいの知れない感情を僕の中に呼び起こした。湿度があり、揺さぶられ、そして何かを感じずにはいられなくなる。自分もこんなふうに何かを成すことができれば、という想いを掻き立てられてしまう。

僕は感動していた。ぼくは感動に手が震えていた。絵はあまりにも早く出来上がった。出来上がった絵は、千瑛や斎藤さんのものよりも乱れ、写真のようではなかったが、それは牡丹よりも牡丹らしいものに見えた。

何がそう見せているのか形もどこか破綻していて、形よりも筆致の方が強く表れている面と線の応酬に、どうして牡丹を感じるのか分からなかったが、その絵には、斎藤さんと千瑛の絵にはない圧倒的な存在感があった。

並べてみて、僕の目にはようやくそれが映った。湖山先生が、何が気に入らないのかもその時に分かった。「命だ」西濱さんの絵には命が描かれていた。

一輪の牡丹と真剣に向き合い、その牡丹に命懸けで向き合っている西濱さんの命が、こちらにまで伝わってきた。

手先の技法など無意味に思えてしまうほど、その生命の気配が画面の中で濃厚だった。・・・・。



大学一年生になった青山霜介は所属する文化サークルの先輩から展覧会場の下準備バイト要因として借り出された。その展覧会というのは日本を代表する水墨画の一大イベントだった。しかしその準備は文科系の自分より、むしろ体育会系でなければ務まらない重労働であった。一人抜け、二人ぬけ・・彼一人になってしまった。

急遽先輩の機転で体育会系のバイト要因を集めて何となく切り抜けたが・・。そこの場を取り仕切っていたのは水墨画壇の中堅作家西濱湖峰さん、青山霜介の責任感に感服そして大御所の篠田湖山にも誠実さ、物腰、そして絵を見る力を気に入られて弟子にならないかと誘われる。

すでに湖山じか門下には西濱湖峰の他に斎藤湖栖、孫娘の篠田千瑛らがいてそれぞれの個性のもと活躍していた。そして湖山のもとにたまたま全員が集ったとき重鎮の目の前で弟子たちが作品を描く場面に遭遇した青山は絵を描くということの意味を悟った気がした。



砥上裕将氏のこの作品、ただ物ではなさそう・・・。作家が絵を描く気持ちをこれほど言い切って伝えられるにはそれを経験したことのない人には書き切れない凄さを感じます。その経歴を見て驚いた、やはり水墨画家‥と言う一面があった。湖山先生が弟子たちを前にして「水墨画というのはね、神羅万象を描く絵画だ」‥と言っている場面があったが、水墨画にかかわらず絵画は全てがそうであって私もハシクレとして目指しているのだから。



[No.696]  6月 19日


   文芸春秋「嘘つきジェンガ」辻村深月
          2022年作・ 281 ページ 

・・・学生時代に軽い気持ちでついた嘘は、まだ、紡の胸に残り続けていた。私は、谷嵜レオの「知り合い」。あの人は幼馴染、昔から知っているお兄ちゃん―――。するとそのころ、奇跡みたいな一文を読んだ。

ブレイクして売れっ子漫画家になってからも、谷嵜レオは相変わらずSNSもやらず、私生活を一切明かさないスタンスを貫いていたが、その唯一の例外が、「週間スコップ」の巻末、編集後記が乗る欄に、毎回、漫画家たちが一行だけ寄せるコメントだった。

編集部が決めた「この夏にしたいことは?」とか「繰り返し聞く音楽は?」という質問に対し、谷嵜と幸森が交互に答える。

そこに、ある時、「窓からスカイツリーが見えます。できるの、楽しみ・谷嵜」とあった。このコメントに紡は激しく反応した。ものすごくものすごく―――胸がときめいた。紡の部屋からもそのころ、建設中のスカイツリーの姿が確認できた。−−−あの人の窓からも、これが見えている。今、自分の窓の向こうに見えるのと同じ、このスカイツリーが。

スカイツリーは何しろ大きいから、相当遠くからでも姿が確認できる。だけど、紡はうれしくて、ベッドの上に寝転がって、窓の外を見ながらその日一日ずっとうきうきしていた。谷嵜レオの家からも、スカイツリーが見える。あの人が生きて、この世界のどこかに存在している。

地元が一緒、とついていた嘘が、本当になった。実際には谷嵜は昔からこの土地に住んでいたわけではないかもしれないけれど、それでも嬉しかった。

谷嵜の存在を近く、特別なものに思い過ぎるせいか、紡は、SNSで感想を書く時も、時折、距離感が単なるファンからちょっと曲がる。「この展開、いいと思ったけど、もっと違う方向性もあったんじゃないかって、今度会ったら言ってみよう」・・・・。



紡は区役所勤務の父親と専業主婦をしている母に無理を言ってアニメ作家などを養成する専門学校に入れてもらった。しかし卒業してみてもそれに見合った仕事もなくさりとて作家としての才能も見いだせないまま年齢を重ね・・いつしか「子供部屋のおばさん・・」と言われるくらいになってしまった。

紡はSNS投稿でいつの間にか谷嵜がこんな場面のコメントは梅雨知らずの世界と判っていたので・・いつの間にか作家谷崎に成りすました投稿を繰り返すようになる。

どうしたことでしょう・・、それを見た人が助長する「谷嵜先生ご本人でしたか・・?」紡はついつい・・ええい、ままよ!!、「はい実は・・」と言ってしまった。



私くらいの年代になっても未だ平気で嘘をつく、しかも誰にでもわかるのに平気でつく人がいる、周りの人ももう心得ていてまたあの人の嘘は可愛げのない・・。と、幼い子供の可愛い嘘あつかいする。でも世の中には嘘の上塗り・・ですが少しの嘘を隠そうとしてまた嘘でごまかそうとする。終いには財務局長の嘘を部下が覆い隠して自殺までしてしまう。また大きな詐欺事件に発展する場合もあるようです。


この作品には3編の嘘から出たコマ・・?ならぬそれぞれ3つの嘘から発展した詐欺事件が収められているがいずれも幸いにして人生を棒に振るような大事件にはならなかったようです。作家の辻村さんの優しさがほんのりと醸し出されています。でも誰しも嘘はつきます、でも騙されないように気お付けて生きて行くしかないでしょう。


[No.695]  6月 10日


   朝日新聞「風のかたみ」葉室 麟
          2020年作・ 191 ページ 

・・・「世間では武門の者はいついかなる時でも死を決しているべきだと申しますが、わたくしは、それは殿方に限ったことだと思っています。女子は子を守り、家を守って生き抜くのが務めです。殿方は死んでしまえば務めが終わりますが、女子はいかなる艱難にも負けず生き抜かねばなりません。それは時には死ぬよりも辛いことだと思いますが、生きる戦いにたじろがないのが女の真です」

きぬは淡々と言う。伊都子は息を詰めてきぬの言葉を聞いた。「それでは初様も女の義を貫こうとしているのだ、と言われるのですね」

「わたくしはそう思います。この白鷺屋敷の女たちは生き抜く戦いをしているのです。だから伊都子殿にはそれを見ていただき、そして時に応じて力になっていただきたいのです」

伊都子は戸惑って訊いた。「わたしにさようなことができますでしょうか」

「わたくしたち皆のために力を貸してくれとは申しません。この結のためだけにでも力を貸してやってください」

きぬにいわれて、伊都子は改めて結の瞳が大きい愛らしい顔を見た。そうだ、何があろうとも、せめてこの娘だけは守りたい、それがこの屋敷に来ることになった自分がしなければならないことではないか。

「どれほどのことができるかわかりませんが」伊都子が言うと、きぬはほっとした顔になった・・・・。



九州豊後安見藩、一門衆の佐野了禅は主家との意見の相違から上意討ちになるがそれをわかってたうえで了禅はすでに女を白鷺屋敷なる隠し屋に疎開させていた。妻のきぬ、長男の嫁芳江、次男の嫁初、孫で芳江の子結、そして召使の春、その、ゆり・・・の女ばかり7名。

一方、藩の目付け役、椎野吉左衛門にまだ経験の浅い女医であった伊都子を呼び出して「・・・頼みとは、ある屋敷に赴いて、そこの女人を診てもらいたいのだが通いではなく、住み込んで・・だ。いずれにしても男の医者を遣るわけには・・」上意討ちは主家一族連座で抹殺されるのが筋であるがこの佐野一門は名門のため男のみの処分にしたかった。しかし女人の中にはすでに子を宿しているものもいるやもしれぬ・・、その時にはすぐ知らせるべし。



いわば7人の女人衆にして見れば伊都子は敵方の見張り役から廻されたスパイではあった。しかし奥方のきぬと接するうちに武家の女の生きざまに共感し、女としての自覚も深まって来る。

そしてあろうことか長男小一郎は佐野家の血筋を託して召使のゆりを身籠らせていたことを知る。このことは早速目付け役に報告せねばならぬことであったが守ろうと決意する。


葉室麟さんの作品には4〜5編ほどお目にかかった。いずれも武家社会の厳しい掟や風習など威厳を持った作品が多かった気がする。ふとしたことからこの方がすでにお亡くなりになられていることを知って・・66歳、まだこれから多くの小説も読みたかった。


[No.694]  6月  7日


   毎日文庫「翼をください」原田マハ
          2025年作・ 616 ページ 

・・・世界は一つじゃない。アインシュタインに否定されて、エイミーはふいに暗い夜空に取り残された気がした。いままでそこにあると信じて飛んできた街の灯かりが、いっせいに消えてしまったように真っ暗だった。

「じゃあ、私はなんのために…」そう言いかけて、うつむいた。運ばれてきたコーヒーカップから、ほんのりと湯気が立っているのが見える。その向こう側、楽譜の上に組んだ無骨な手がある。

やがて、その手が、トントン、トトトンとリズムをとるように、テーブルの上を叩き始めた。あ。エイミーはじっと博士の指先をみつめた。耳はリズムを追いかける。無線信号のリズムを、指先が弾いているのだ。

だからこそ‥‥大事なのは‥‥共存すること。エイミーは顔を上げた。博士はやっぱり、ちっとも笑わずにエイミーをみつめている。

湧き上がる感動を押さえながら、エイミーは静かに言った。「私たちはひとつじゃない。だからこそ、共存しなければならないんですね」博士は、トトン、と指でテーブルを弾いた。Y / E / S .

「民族の違い、国家の違い、個人の違いはどうしたってある。それを認めて、受け入れること。それが共存共栄への第一歩だと、私は思うんだが」エイミーの顔に光が射した。博士はちょっとまぶしそうに、エイミーを見る目を細めた。

「私は、あんたではない。あんたは、私ではない。でもこうして一緒に『ランバーズ』でチョコレートブラウニーを食べている。どうだい、すばらしいことじゃないかな?」・・・・。



全米を代表する女性パイロットとして空から見た地球には国境もない。だから世界はひとつでなくてはならないんだ・・そこに平和が生まれるんだ‥と言う持論を持つようになったエイミーはとあるきっかけからアインシュタインとフィラデルフィアにあるカフェで会う約束をしていた。

第一次世界大戦後の世界はもはや飛行機にとって単なる偵察を越えて攻撃する武器の一つ‥と考えられ始めたことにエイミーは大きな危機感を覚えていたのだ。

そして一方でアインシュタインは自分の出生がドイツをはじめとする民族への危機と考えてアメリカに移民してノーベル物理学賞を受賞していた。

エイミーはこの地でテスト飛行、そしてアインシュタインはこの地で講演があることになっていたのでエイミーは非常に楽しみにしていたのだが博士から指摘された共存・・に深い共感を覚えた。



アメリカの女性パイロット、エイミーが世界一周の単独冒険旅行に失敗した数年後の1939年遂に日本のニッポン号が世界一周に成功した。日本人7人だけのクルーで成し遂げたこの成果の写真に戦後70年も経ってからなぜかその窓辺に女性らしき影のある事を突き止めた女性記者がいた。

飛行機による世界一周の成功はもっと余韻を持って喜びとしたかったが世界情勢はすでに‥この2年後に日本は真珠湾攻撃という形で戦争になってしまった。だから喜びもそして謎も一緒くたにされて忘却の彼方に置き去られて戦争一色となってしまったのだ。

今になって女性記者はこの写真に微かに映っているものは何か調べるために今はアメリカ・カンザス州アチソンの「聖アンナ敬老の家」にいる搭乗者で当時の新聞社カメラマンの山田順平を尋ねた。



初版は上下の編集になる長編小説。そしてあざやかな手さばきで史実の出来事とフィクションを織り交ぜて作品にする手法は幾度も見てきました。これが今まで私が絶賛して数多く読んできた原田マハ氏の芸術小説に受け継がれていたんだと。・・・最後に女性記者が突き詰めた結論は衝撃のスクープであったにもかかわらずボツ!にしたいきさつも鮮やかでした。



[No.693]  6月  2日


   角川文庫「食堂のおばちゃん」山口惠以子
          2022年作・ 257 ページ 

・・・はじめ食堂が若い女性で埋まったのはあの日だけで、その中の一人は別の友人を連れて裏を返してくれたのだ。それにあの”事件”は常連客の間で話題になってけっこう盛り上がった。

「むしろ、お礼を申し上げないと。こんな店に可愛い女の子がいっぱい来てくれたんですから」「そう仰っていただけると、気が楽になります」

これまではブログに店のことを書いても、ファンが二、三人立ち寄る程度で、大量に押し掛けるようなことはなかったという。

「ぼく自身すごくこのお店を気に入ったんで、力が入りすぎたのかな。お店によってはメディアに露出するのが迷惑な場合もあるって、気付くべきでした。これからはキチンと配慮しようと思います」

二三はほとんど感動した。当麻の態度は折り目正しく誠意が感じられ、しかもあくまでも爽やかなのだ。要のまなざしも心なしかヨロンとしていた。生ビールを三口しか飲んでいないので、まだ酔ってはいないはずなのに。

「それにしても、当麻さんのブログの影響力は大したものですね。若い世代の新しいカリスマってA新聞に掛かれるわけですわ」「そんな、大袈裟ですよ。せいぜいお神輿じゃないですか。担がれて、放り出される…」

「そういうクールな分析が、またカッコ良いんですよ」要は担当編集者として当麻にお世辞を言ってるのではなく、本気でそう思っているように見えた。・・・・。



ここ佃の街で地元の皆から愛されていながら堅実な食堂を経営している”はじめ食道”は地元の人にとっては安定した人気を持ってきていた。もう82歳になる一子おばあちゃんとここに嫁入りしてきた二三とで先代の開いた洋食屋を継ぐにあたっては和食定食に切り替えてからである。一子の故長男と二三の間にもうけた長女、要は出版社に勤めて編集者として忙しく働いていた。

当麻清十郎はは最近やたらと人気の出てきた食のブロガーとして名を馳せてきていて要は偶然にも出版社の中で当麻の担当編集者となっていたのだった・・・が。



佃は東京都中央区、東京のど真ん中にある佃島と称する昔からの下町。大きな工場が移転した後に超高層ビルが林立し街に住む人も街の雰囲気も一変してしまった。

この街には私のスキー仲間が偶然にも二人もいらっしゃってそんな事の繋がりからもんじゃ焼きをはじめ様々な呑み会で訪れることもあってとても身近に感じる。

山口さんの描く女系家族だけの食堂を地域の皆で愛してやまない雰囲気は今の佃の街そのものだと思いました。


[No.692]  5月 21日


   集英社「これは経費で落ちません!」青木裕子
          2016年作・ 223 ページ 

・・・「−−−あら」窓口の処理を終えたマリナが、沙名子に気づいた。沙名子は軽く黙礼する。マリナは足を止め、少しためらってから歩いてくる。

「こんにちは。ええとーー」沙名子は少し待つ。秘書なら人の顔と名前を覚えていないはずがない。「−−−ええと?経理部の人よね」「森若です」

「ああ、そうそう。そうだったわね」マリナは沙名子のとなりの空いている席に座り、長い足を見せ付けるように足を組んだ。

この人は高飛車な美人秘書を演じているのか、自分の経理担当の名前を覚えていないのかどっちだ。覚えていないならそれはそれで問題だろう。

「それなら、あれ、読んでくれたかしら?わたしの―――」「メールなら削除しました。ご心配なく」「−−そう。今日はお仕事?会社にいなくていいの?」

経理部員が就業時間中に銀行にいれば、仕事に決まっている。マリナは少し落ち着かないようである。これまでも銀行で見かけたことはあったが、わざわざとなりに座ったことなどない。メールを誤送信したことを気にしているのかもしれない。

「はい。先週後半はすみませんでした。お休みをいただいていて。佐々木真夕さんからお金は受け取りました」「そう、よかったわ。あの子どうなの?頼りないわよね、子どもみたいで」「佐々木さんは優秀なので大丈夫です。できるなら、十万円を超す入金は銀行振り込みでお願いしたいのですが。難しいですか?」「言っている意味がわからないけれど?」

「できないならできないでいいのですが。初めてのお客様ですし、場所が熊本ですよね。現金を持ち運ぶと間違いが多くなりますので。これからの取引のことを考えて。請求書を発送していただければ」「お金は現金書留で来たの。相手が払ってきたものを、要りませんなんて言えるわけないでしょう」

「ということは、領収書はこちらから別送ですね?」「−−そうよ」

マリナはわずかにしまったという顔をした・・・・。



森若沙名子は27歳独身、天天コーポレーション本社の経理部で人望も厚く常に営業部や総務部、また研究開発部、などからの領収書に関してのいっさいの取りまとめを仕切っている。そんな領収書一枚の中にもいろんな担当者の人生模様も感じ取りながら仕事をこなしている。

秘書課の有本マリナは秘書課の中でも特に社長のお気に入りだろうか秘書課の経費などの書類はすべて経理部が秘書課に受け取りに行く。他の部署のように領収書などの資料は必ず持ち込んでくるのとは別である。マリナから誤送信したメールを読まずに削除してくれと依頼された・・沙名子はこれについても件懸念をもつ。



いまもって、、今度は北海道新幹線工事に伴う事業者の間で談合があった・・などという記事を目にしました。企業の体質の中には明らかな不正を見て見ぬふりのできる社員を出来る社員だと勘違いしている風がまだある。つけ届け・・の風習は昔からの商業発展に寄与してきたかもしれない。しかしこれこそ贈収賄の根源です。

私たちの近場でもよくある「これはホンの気持ちですから・・」ギクシャクする仕組みの潤滑油だなどとまだ思っている人がいる。


[No.691]  5月 11日


   文芸春秋「コウノトリとんだ」藤ノ木 優
          2026年作・ 276 ページ 

・・・小沢は力を使い果たしたのか、呆然とした表情で天井を見つめて、「生まれた…。本当に生まれた」と、うわごとのように呟いていた。

「元気ですよ。処置をしたら、すぐにお見せしますから」亜美が吸引管で赤子の口膣内に溜まった羊水を吸い取り、臍の緒に2箇所クリップを止めて、間をクーパーで切断する。

独り立ちした赤子を不織布シートで包んで抱えると、菜摘の方を向いた。「二川先生、産後診察と処置をお願いします」「はい‥‥」我に返ったように、菜摘が返事をした。その声に、自分も亜美の分娩介助に見入っていたことに気付かされる。

しかも、尻もちをついたままで。足にはようやく力が入るようになっていた。立ち上がったまゆは、インファントフォーマーに赤子を移そうとする亜美の隣についた。

「すみません。腰を抜かしてしまって」亜美は無言のまま、赤子にモニターを付け始めている。「手伝います」手を出そうとするも、鋭い視線に一瞥された。

元気に手足を動かす赤子を見つめながら、亜美は深いため息を吐いた。「師長から聞いてはいたけど、まさか本当だったとはね」押し殺した声には、棘がある。

「いざ子どもが生まれる場面になると、極度の緊張から迷走神経反射を起こして気を失ってしまう」黒い瞳に射抜かれる。「何がトリガーなんだ?血か?感触か?それとも失敗するのが怖いのか?」

尋問するように訊かれるが、何も答える事が出来なかった。大きなため息が返ってきた。「お産を取れない助産師‥‥か」・・・・。



大学で助産師の資格を取って横浜の産婦人科の病院に配属されたばかりの新人、守谷まゆはこの病院のベテラン助産師のプリセプターとして鎌ヶ谷亜美の指導を受けながら実践していくことになった。

今日は最初の助産実習となり初産となる小沢さんのお産に立ち向かうことになった。しかしその出産間際になってまゆは突然に気が遠くなってその場にへたり込んでしまった。大学での学課の成績は抜群であったが実習においては難がある・・とは内申書にも記述があった。

どうやらその原因はまゆの出生の中に潜んでいた。実はまゆ自身生まれた時は母親が産み落とした時の額に傷がありそして病院の玄関にカーディガンに包まれて・・・と深いわけがあってのことだった。


人にはトラウマという無意識下のなかに自信の方向付けを左右してしまう魔物が潜んでいるらしい。それを乗り越えないことにはいつもそこを超す事が出来ずに引き返すことになる。

もっともそんなことにも無頓着な人間もいるようだが私も他人事のように言う資格はなさそうだ。


[No.690]  5月  1日


   集英社「東京藝大 仏さま研究室」樹原アンミツ
          2020年作・ 350 ページ 

・・・「・・・・やで」「えっ?」石田氏がなにごとか話していた。あわてて向き直る。「ご本尊さんは本堂においでやで、好きなだけ見たらええわ、言うたんや」

無住の寺院の場合、盗難や破損を恐れて蔵に仏像をしまっていることも多い。しかし景徳寺では、別の寺から僧侶を呼んで檀家の法事などを行うことが「たまーに」あるため、本尊はそのまま「いていただいている」そうだ。

扉の鍵は石田夫妻が管理し、希望者があれば拝観にも応じているのだという。

「うちらの仏さんなんやで、会えんかったらお互いに気の毒じゃ」石田氏はつぶやくと、「まあ、残っとる檀家はうちら夫婦以外、みーんなえらい年寄りやで、どっちが仏かわからんけどの!」と続け、カラカラと笑った。か、かみづらい。

クルマは海沿いの道を右折して矢祭に入った。景徳寺の山門をいったん通り過ぎ、すぐ隣の石田氏宅へ向かう。県道に面したプレハブの事務所の後ろに、立派な日本家屋が建っている。

前庭を兼ねた広い駐車場にバンが停まると、エプロン姿に作業着のジャンパーをはおった中年女性がプレハブから出てきた。「まあまあ。よう来たわね。昨日の今日で」

ふっくらとした頬に暖かな笑みを浮かべている、この人が民代さんにちがいない。あたしは深々とお辞儀した。

「ほんなら、お寺は民代が案内しますわ。うらはちょっこし、近所のおばあさんとこ行かなあかんで」・・・・。



東京藝大・・平均競争率は8倍、油絵科では19倍・・そして現役ではなかなか入学できず2浪3浪は当たり前の世界、生徒もやりたい放題が一目置かれる変な世界。

しかしここには仏像修復の理論と実践を学べる唯一の研究室があるのだ。それが東京藝大保存彫刻研究室。

川名まひるは那古屋美術大学を卒業したが更に彫塑を極めたいと東京藝大修士課程に入学した。修士一年生はこの研究室に入ったからには国の重要文化財の調査・保存など最先端の技術を身に着けることも求められる。したがって先ず「文化財調査心得」を読んで実践的に研究寺院を尋ねなくてはならない。

そして二年の最終年では「模刻制作」といって実際の彫刻を調査し当時の有名な彫刻作家の心境になって制作する。実像を調査するにあたり最新機器でX線や3D計測などしながらであるが多くの寺院はそれを快く思わないため川名まひるの場合もやっと承諾してくれた福井県小浜市にある景徳寺から許可を得たので出向いた。


毎年何千人という芸術大学の卒業生のうち芸術家として生活をしていける人は数人・・、あるいはそれ以下でしょう。多くの卒業生はその技と技術を生かしながら食べられる道を選ぶ。教職に就くものもいるだろうがこうして芸術を追求することなく下向きに技を習得し国宝を守る作業に従事する人もいる。

昨年、茂木健一郎さんの「東京藝大物語」を読みましたが共に共通して破天荒ではあるがどんな若者であっても純真なひた向きさ・・が伝わって来る。わたしも望んだ進路ではなかったが若い日に見た純真なひた向きに真摯な心で見つめていこうとしています。


[No.689]  4月 24日


   文芸春秋「美しき愚かものたちのタブロー」原田マハ
          2019年作・ 513 ページ 

・・・ある年、この査察使に任命された吉田は、ソ連の日本大使館視察のためにモスクワを訪れた。滞在中に街なかを見て回ったが、「フランスの美術品をたくさん展示している美術館がある」とのうわさを聞いて、なぜソ連の美術品ではなくフランスの美術品を展示しているのだろう、と興味がわき、そこへ行ってみた。

展示室に入ったとたん、吉田は荒々しい美の荒野に足を踏み入れた心地になった。

壁いっぱいに見たこともないような不思議な絵がずらりと並んでいた。あざやかな色彩、自由自在に躍動する形。歌い、奏で、踊り、笑い、怒り、泣き、生きる。人も、動物も、風景も、静物も。いっさいがおおらかで、この世界に生きて呼吸している絵画がそこにはあった。

ーーーこれはいったい、なんなんだ? もとより、絵画に明るい方ではない。画家の名前も知らなければ、描かれた時代も分からない。しかし、そんなことは関係ない。今、自分が目にしている絵に宿る「命」の輝きはどうだ。ぐんぐんと迫りくるこの力強さは。

ーーーこのすべてがフランス絵画だと? どれもこれも、圧倒的な「傑作」じゃないか。何をもって「傑作」というのかわからない。それでも吉田の脳裏には「傑作」のふた文字以外には浮かばなかった。

体がかっかと燃えるほど吉田は興奮した。胸を熱くしたままで、美術館を後にした。ーーーすごいものをみてしまった。吉田は胸の内で賞賛した。これほどまでの傑作を美術館に揃えたソ連を――ではない。フランスを賞賛したのである。

ソ連国民を感動させるばかりか、日本人の自分の心までも熱く湧き立たせる、そんな傑作の数々はフランスで生まれたものなのだ。これほどまでに傑出したフランス絵画の大コレクションがソ連にあるのには感嘆したが、結果的に、これは、ソ連におけるフランス文化の大いなる宣伝となっている。

これこそが、芸術、文化の底力ではないか。若き日の吉田は、そう悟りを得た。その思い出話を、外相会談の冒頭で、切々と語ったのだ。・・・・。



敗戦の日本はフランスとの平和条約締結のため当時外相だった吉田茂はフランスのシューマン外相にそう話を持ち掛けた。当時、松方幸次郎がフランスで購入した作品のすべては戦勝国フランスが接収しフランスの国の財産になっていたものを「ぜひ日本に・・、これはフランスにとって損にはならない、否、必ず有益な結果となる。いかがでしょうか」

美術愛好家でもない松方が何で美術館を日本に作ろうとしたのか。そして私たちが松本コレクションとして本物のフランスの芸術作品を見る環境はどんな人たちの苦労があって実現したのか原田マハさんのこの長編小説から私は知った。


子供のころから絵を描くことが好きだった私は今まで色の悪い印刷物でしか見たこともなかった絵の本物が間もなくこの目で見る事が出来る・・と心を躍らせたことを覚えている。外国に行かなくても東京に行けば見れる。中学生の時、上野公園に西洋美術館がル・コルビジェの手により完成したニュースを見た。

奇しくも私は今日84歳の誕生日にしてこの作品を読み終えた。私の人生にいつも絵画が寄り添っていて生きる喜びを与えてくれている。ありがたい。


[No.688]  4月 10日


   文芸春秋「私たちの世代は」瀬尾まいこ
          2026年作・ 248 ページ 

・・・「わたしは一年で辞めさせていただきたいと思っていますが、でも、その一年間、誰よりも働きます」隣の席の女が言った。やべえやつじゃん。

私は思わず顔を見た。まっすぐに面接官を見て話す女は、黒い髪を一つに結んで、背筋を伸ばし見るからに優等生というタイプだ。そんなやつが真顔で何を言っているのだろう。

仮に辞める気満々だったとしても、そこは何とでも言いようがあるだろう。正直ぶって、まったく空気の読めないやつ。就職の面接だってわかってるんだろうか。

のん気に鷹揚に育てられたんだろうな。こういう世間知らずって、本当にいらつく。「それは、どういうことかな?」五十代くらいだろうか。男の面接官が、静かに尋ねた。怒るより先に、驚きが来ているのだろう。

「多くの経験をしたいと思っているんです。社会のことを知りたいというか、さまざまな仕事をやって見なくてはと。五年くらいはいろんな職場で働いて、そのあと、小学校で勤務したいと考えています。大学を出てすぐに教師になっても、世間を知らないままでしょうし、いくつかの仕事を知ることで保護者の方々の思いや各家庭の状況も想像しやすくなるのではと思っています」

隣の女のはきはきした言葉に迷いはない。だけど、今、誰もお前の人生設計なんて聞いていないって。私はうっかり舌打ちをしそうになった。・・・・。



江崎心晴は小学校3年生から大学を卒業するまでの18年間ほとんど学校を含めて家から出たことが無かった。それでも周囲の暖かな見守りもあったおかげで何とか外で就職活動をしようという気になった矢先に面接会場で岸間冴と隣り合わせた。一方の岸間もおなじコロナ禍で学級閉鎖・・そして水商売で生計を立ててくれた母親一人に育ててもらっていた。

物語は2人の小学3年生時代にさかのぼって展開する。そして学校生活の中で大切な友達関係や集団での認識をまったく経験しないままに大人になってしまった。


世界中が呪われた魔の期間‥とでも言いましょう、あのコロナ禍の時代に子供たちはどんな思いで小学校や中学校を過ごしてきたんでしょう。実は全くそこにわたし自身目を向けることも無くそれどころでもなく素通りしてきたような気がする。

そしてやっとその嫌な時代からから抜け出せたと思ったら今度は戦争をぶっぱじめる馬鹿な奴らがまた世界をどん底に引きずり込んで・・まったく!。


[No.687]  4月  2日


   幻冬舎「すべてが円くなるように」原田マハ
          2026年作・ 138 ページ 

・・・通りに沿って国立美術館のバナーが風にはためいていていた。何かの絵画の一部――横向きの女性の首周りの部分が極端に大きく引き伸ばされてそこに印刷されている。

いかにもなめらかそうな肌、首の回りに連なる真珠のネックレス。そして耳たぶに下げられた大きな真珠のイヤリング。真珠の円の中心で光の粒が静かな輝きを放つ。

真珠は絵画の主題ではない、描かれているのは女性のポートレイトである。それでもディテールを一目見ただけで、通りを行き過ぎる人々はその絵の作者が誰なのか分かる。−−ヨハネス・フェルメールだ。

西洋美術の歴史の中で、真珠を付けた人物を描いた画家はあまたいる。しかし真珠を、そのささやかな光を描くことにおいて、フェルメールほどの巧者はいない。

彼のあまりにも有名なあの傑作、<真珠の首飾りの少女>が、人々をしてフェルメールを「真珠の画家」と言わしめた。もちろんフェルメールは女性が身につけた真珠以外にも、「光」を絵画の中に巧みに取り入れて独特の作風を確立したのだが、彼が描く真珠の輝きの気高さ、うつくしさ、およそこの世界に存在する佳きもののすべてを結晶化したようなその光が、なんと言っても人心をとらえて離さない。

ゆえに、人呼んで「真珠の画家」。実に名誉な呼称ではないか。トラムを降りた私は、通りを美術館広場とは反対側に渡ってから、はためくバナーをしばし眺めた。

それから、半分途方に暮れ、半分どうにかなるという強気で、広場に臨む好立地にあるホテルの中へと入っていった。

ここまでやっては来たけれど、さてどうしたものか。私が真冬のアムステルダムまで来た理由。それは、アムステルダム国立美術館で始まったばかりの「フェルメール展」を訪うためだった。・・・・。



美術史家で作家のわたしは、日本とパリとを行ったり来たりの生活だった。ちょうどパリに戻った時友人はフェルメール展を見てきたという。それもルーブルではなくアムステルダムだという。さっそくチケットの予約を取ろうとしたがもはやどこも完売で手に入らない。それでも何とかなるだろうとオランダまでやってきてしまった。

泊まったホテルのコンシェルジュが一枚持っているので差し上げるという。


今でこそ私は美術館に行って絵を鑑賞するときはそれ相応のチケット代を支払って絵を楽しみます。しかし私にも貧乏な画学生の時代があってそれでも勉強のために何とかしてその企画展を見たい・・。そんな時には美術館警備の仕事の人も良くその心情を察してくれた時代があった。つまり裏口から・・

この本には真珠にまつわるエピソードを短編として登場させ最後にマハさんが三重県鳥羽・英虞湾にある真珠の養殖加工を訪れて真珠の素晴らしさを深める様子も記述されている。


[No.686]  3月 23日


   新潮社「ジャイロスコープ」伊坂幸太郎
          2015年作・ 283 ページ 

・・・母と一緒に病院の外、中庭に出たとたん、冬の風が私の顔面や首を撫ぜ、ひやりとさせる。さらに両手をぎゅっと握り、ひんやりとさせてくる。

隣りの母が手をこすり合わせていた。「あと何回、春を迎えられるか」

二年前に入院してから、母はよくそういうたぐいのことを言い、私を暗い気持ちにさせた。「またそういうことを言う。戦争だって終わったんだから」

「勝とうが負けようが、戦争は、ほとんどのものを壊すんだから。勝っても壊れて、負けても壊れて。秩序も、普通の生活も壊れて」「それでも戦う必要があった、ということだよ。きっと、これから景気も良くなる」

母は黙って、横を向いた。周囲を見渡すついでを装い横顔を眺める。ずいぶん老いて見えた。いや、私と母は年が離れていたから、母は昔から、「老いた母」だった。

子供の頃、母は常にいらいらとしていた。「宿題をやりなさい」「どうしてこんな漢字も分からないの」「お父さんに謝りなさい」と年がら年中、金切り声を上げた。

納得できる叱責もあれば、理解不能の、承服しがたい場合もあった。母に褒められたいがあまり、いや、とにかく、見離されることは避けたいと、よい子になろうと頑張った。

頑張りはもちろん無理を生み、無理の重なる日常は子供ながらに苦しく、いっそのことすべてをおしまいにした方が楽ではないか、とぼんやりと、頭の芯というよりは胸や胃腸のあたりで考えることも多かった。・・・・。



伊坂さんの珍しい短編集、6編が載っていて彼独特の近未来的小説と身近な心境を小説にしたものを織り交ぜている。「二月下旬から三月上旬」と題するこの作品、私もよく母を尋ねてこんな感情を受けた記憶がまだ生々しい。

しかしどこの母親も概ねこんなもんだ・・そして老いてから改めて必死で育ててくれたんだ・・と。


[No.685]  3月 19日


   小学館「教誨」柚木裕子
          2022年作・ 320 ページ 

・・・「さきほどあなたは、人の命を奪った響子さんはいい人ではなかった、そう言いましたね」どうしてここで、改めて訊く必要があるのか。香純は戸惑った。

住職は香純の目を、まっすぐに見つめた。「人に、善人も悪人もありません。どちらも心にあるのです。響子さんにも、悪だけでなく善もあった。ただ、ほんの一瞬、善より悪の気持ちが強くなり過ちを犯してしまったのでしょう。それは殺人とか窃盗といった形ではないかもしれないが、誰にでもあることです。

生涯、ひとつも過ちを犯さずに過ごせる者など、この世にはいません。あなたも、そして、私もそうです。」

香純は、響子がこの住職との面会を望んだ理由が、わかったような気がした。・・・・



吉沢香純は埼玉県で母子二人暮らしをしていた。ある日、東京拘置所から死刑囚であった三原響子の遺骨と遺品を受け取って欲しいと母親のところに連絡があった。

母の静江にとって、響子は従姪にあたる。響子の祖父と、静江の父親が兄弟だったからだ。三原の本家は、青森県相之町にある。遠縁とはいえ,響子ともっと交流があったならば親しみも覚えただろうが静江は高校卒業と同時に故郷を離れそして結婚後埼玉に住んでいた。

しかし法事の時香純は青森の三原家でお互い小学生の時に逢っていた記憶もあった。そこには旧家三原家の中に渦巻く怨念を取り巻く嫁と姑との関わりが根底にあった。



教誨・・なんて言葉は初めて聞いた。死刑が執行される前に囚人は教誨師の説教などで心穏やかにその時を迎えるという。

この時はその役を受けた住職が香純に響子のことについて思いを伝えたようでしたが80年以上生きてきた私にも重い言葉として残る。


[No.684]  2月 26日


   宝島社「さよならドビュッシー」中山千里
          2020年作・ 434 ページ 

・・・「先生は無茶を言ってます!」「今更何を言っている。三ヵ月前にあんな大火傷をしておいてピアノコンクールに出場しようなんて考える方がよっぽど無茶だ」

新条先生は返事に窮したあたしを真正面に見据えた。「だが私は、そういう無茶な患者が好きでね。何にせよ、成功する人間はどこかで無茶をするもんだ。平坦な道、穏便な場所に恋々とするヤツは山にも登れないし、ましてや空を飛ぶことなんて絶対にできやしない」

はっとした。これと似たような台詞を他の誰かから聞いた覚えがある。「あたしは鳥じゃありません」「君自身はな。しかし、君の奏でる音楽には翼がある。あの日、娯楽室で君が引いたピアノを何人もの患者が聴いた。

その中にサッカー選手を目指していたのに事故で片足に大怪我をした子供がいてな。手術はしたものの、自由に動かせない足に失望してリハビリもお座なりだった。ところが、ほんの数か月前まで身動き一つできなかった女の子がその曲を弾いたと聞いた日から目の色を変えてリハビリに精を出し始めた。

君の奏でた曲は羽を生やして同じ境遇の患者の心にまで飛んだんだ。君の演奏を聴きたがっているのが私一人だと思ったら大間違いだぞ」「先生…それってズルい」

「大人が狡いのは当たり前だ。これも覚えておくといい」・・・・



資産家の孫娘として育った香月遥は15歳、そして同じ年の遥にそっくりな従妹の片桐ルシアとは小さいころからピアノの練習に明け暮れていた。

そんな幸せそうな家族はルシアがたまたま日本に滞在していた時に起こった。資産家のお爺ちゃんが趣味で作って居たプラモデルの材料が出火元となってその離れに付随していたゲストルームもろもろを焼失してしまった。

お爺ちゃんとそこに隣接していたルシアの部屋は2人を葬り更には遥の部屋まで迫った火炎は彼女の身体に大火傷を負わせたほどでもあった。整形外科医の新条先生は母親から遥の顔写真の提供を受け見事なまでに生前に近い整形をやり遂げた。残る回復はその皮膚の最終的な機能回復に向けてのリハビリが要求される。



私が食道がんの手術と抗ガン治療を終えた時、主治医は安静にして副作用のあった糖尿機能や腎機能、それに白血球低下や各種抗体を示す値が著しく損なわれている。

だから安静に過ごすようにと、でも私はすぐに雪山のしかも酸素も少ないがウィルス性の菌の生息も少ない標高2千mで機能と体力の回復を兼ねてクロスカントリースキーを3ヶ月に渡って励んだ。83歳の身体ではありますが全ての副作用による数値の改善を6か月で克服した。私も新条先生に言わせると「無茶な患者」かも知れなかった。

中山さんの作品はこれで4回目でしょうか、今まですべての作品は3百頁を超える長編ですが今回特に430を超す超長編、そして音楽を文章で表現しようとする意欲的な作風には頭が下がります。


[No.683]  2月 15日


   光文社「満潮」朝倉かすみ
          2019年作・ 457 ページ 

・・・だが、適度の昂りと猛りは必要だ。この計画を遂行するには、もっとも大切なものだった。

ぼくは繰り返しイメージした。適度の昂りと猛りというやつを。適度の昂りと猛りに満たされたぼくを。頭に浮かぶのは、満潮になった海だった。

月と太陽に引き寄せられ盛り上がった海水である。知らぬ間に潮位を上げ、干潮時、浜辺に散らばっていたきたならしいガラクタを飲み込む、豊かな水。おだやかな顔つきの裏にとてつもない破壊力を秘めている。

ぼくも人知れず潮位を上げ、おだやかな顔つきのまま秘めた力を解放しよう。そうして、ひと仕事終えたら、元のおとなしいぼくに戻るのだ。

ぼくが満潮になるのは生涯で一度きり。残りの人生は潮が引いたままだが、いっこうにかまわない。満潮になる前だってずっと引き潮だった。ちがうのは、きたならしいガラクタが沖に流され、なくなってなっていることだろう。

それと、満潮になることの喜びをあじわえること。満潮になったとき、ぼくは、たぶん、生きている、と実感するにちがいない。・・・・



北海道から受験のため東京に出てきた木乃内眉子はそれに失敗しアルバイトに食品会社、真壁コーポレーションに入った。元々見た目の良さに独身社長だった直人に見染まれて結婚することになった。

この結婚披露会場にアルバイトで茶谷という青年がアルバイトでこのホテルの配膳係をしていて偶然にもこの披露宴での新譜を見て魅了されてしまった。


この作品はいわゆる「玉の輿」になった女とそれを更に見染めてしまった貧乏学生という設定でしょうか。安っぽい西洋劇に出て来そうな日本版ストーリーだ。

無駄な時間を取られてしまった。


[No.682]  1月 22日


   講談社「なぞの転校生」眉村 卓
          2014年作・ 182 ページ 

・・・お父さんは静かに、しかしよくとおる声で話し始めました。わたしたちは、そうですね・・・・次元放浪民とも呼ばれる一族なんですよ」「次元放浪民?」「ええ」

お父さんは、スモッグにおおわれた夜空を仰いだ。「この世界でも、最近ぼつぼついわれているようですが、宇宙というのは一つだけではないんですよ。限りなく重なり合い交錯しながら、同時に存在しているんです」「・・・・・」

「一枚の紙にかかれた絵を考えてみてください」典夫のお父さんはいうのだった。

「そこには高さの概念はありませんね。紙も何百、何千枚重ねても、おたがいには無関係です。それぞれはふれあいながら、全く他の存在を知りません。つまり、そこでは世界は縦と横の軸だけで成り立っているんです。平面上の点や図はすべてX軸とY軸の座標で表すことができます…我々の世界だって、同じようなものなんですよ。縦と横と高さの三つの軸でできるこの空間も、第四の軸のある世界から見ると、似たようなものです」

「それは・・・」「もちろん、私たちは四つも軸のある世界には住めません。でも、そこを通って別の世界へ移ることができます。こうして移動装置を使えばね…」

「ちょっと待ってください」広市がたずねた。「その第四の軸は時間でしょう?とすればその機械は・・・タイムマシンですか」・・・・



この作品はいわゆるSF作品というタイプでしょうか、でもこの作品を読む対象者は・・?と考えたとき恐らく小学低学年生だろうか。

内容的にかなり深い意味で大きな課題を含んでいるようです。しかしそれらの問題点をつついていては結論に至りません。しかし作者はいとも簡単にそうでなくてはいけないと決め込んで納得させてしまう。


こういった作品を何の迷いもなく読んで楽しめるほど私は素直に楽しめない。




[No.681]  1月 18日


   集英社「生者のポエトリー」岩井圭也
          2025年作・ 304 ページ 

・・・見物人たちを前に堂々と歌う青年のいでたちは、前向きな力強さを感じさせた。人前で発声することは勇気を伴う。杏子も彼と同じように、聴衆が投げかける視線を受けながら、詩や物語を読み上げていたのだろうか。

生前、杏子は朗読サークルに入っていた。普段はサークル内で文学作品の朗読会を開き、たまに図書館で絵本や児童文学を読むボランティアをしていた。

私も何度か誘われたが、人付き合いが苦手なこともあって参加しなかった。今はそのことを少しだけ後悔している。参加していれば杏子との思い出が増えたはずだ。

本当は、ずっと羨ましかったのかもしれない。沢山の知人に囲まれ、人前で胸を張って朗読する妻のことが。結局、私には人前で声を出すという、ただそれだけの勇気がなかったのだ。

杏子の朗読を見たことは一度だけある。七、八年前、調べ物のふりをして、杏子がボランティアで朗読する日を選んで図書館へ足を運んだ。児童書コーナーの一角で本を読む姿は、家にいるときより少し血色がいいように見えた。化粧がそう見せただけかもしれない。

四年前の正月、杏子は心臓を悪くして亡くなった。入院した時点で、家族にできるのは一緒にいることくらいだった。私は毎日病院へ通った。娘のあかねも仕事で忙しいはずだが、週末のたびに都合をつけて顔を見せた。・・・・



この作品には六人の老若男女が登場して‥しかもそのほとんどの人は自分の思ったことを人前で話したことも無いという共通点を持っていた。

ひとに自分の意思を伝えようとするとどちらかというと文法上の規則があって主語は・・?、人称は・・?、結論は・・?、とどうしても億劫になってしまう。


それでは何も伝えたくないのか‥?というと全くの逆。伝えたいことが沢山あってただそのすべが見つからない・・、でも思ったことの単語を並べただけでも十分に意思は伝わるし飾りのない言葉にこそ真剣みが伝えられる・・、それが詩なんだよ・・ってお知えられた。




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