皆川博子 『薔薇密室』
少年時代、ポーランド映画アンジェイ・ワイダ『地下水道』『灰とダイヤモンド』に感激したオジサンはこう読んだ。
2004年10月28日


まず冒頭第1章で語られる異常な情景・極彩色の地獄図に驚かされてしまった。
ポーランド。独立の夢を果たせないままに第一次世界大戦の中でその民族の運命は列強に翻弄される。ドイツの支配下におかれたシュレージェン地方の「私」=コンラートはロシア軍の侵略攻撃から脱走し、人知れず建つ古びた僧院にかくまわれる。僧院の主・医学博士ホフマンの梅毒スピロヘーター研究から派生する異常な人体実験。「私」は薔薇園の中に腐乱した人体が植物の細胞と融合し華麗に咲き誇る薔薇の生命力に支えられ生きつづける様を見ることになる。
時を異にしているかのようであるが同じ僧院に住まう記憶喪失状態からわれにかえった「俺」はひとつの下半身からなるふたつ人格という畸形児や貝殻骨が異常に突き出ている畸形児らとともにナチス将校の支配下で生活をしている。

そして第2章。ワルシャワで比較的恵まれた生活を送る「わたし」=ミルカの家庭は一転してナチスドイツの侵攻により迫害を受ける。「わたし」はドイツのカメラマン・ホフマンの住居に軟禁され、薬物と心理的作為によって、夢と現実の区別がつかない生活を強いられる。

戦争という恐怖からか、ナチスの狂気か、すべての登場人物が病的な精神状態で語るところのどこまでが真実であるのか。この悪夢と恐怖の世界に惑乱するのは登場人物だけではない。読者もまたそのシュールで耽美的な世界をさまようことになるのだ。推理小説のようであり、怪奇小説のようであり、幻想文学のようでもある。

しかし、この冒頭の驚きが大きいだけに、読み進むにつれ、当初の期待は全部、尻つぼみになってしまった。退屈になってしまった。目の覚めるような終結は、これもなかった。

読み終えて著者が語りたかったことは何だったのだろう。ナチスへの怒りが表現されているのだろうか。ポーランド国民の抵抗運動になんらかの評価をしているのだろうか。エンタテインメントであれば文芸性や社会性への野心を捨てて、面白さに徹底してほしい。それにしては面白くないのである。

むしろ著者は語るべき視点を欠いているのではないかと思いすらするのだ。
ポーランド人の歴史的悲惨を素材にしている。ナチスの狂気を素材にしている。生まれながらに背負わされた畸形という不幸を素材にしている。そうでないのならこれだけ重い素材なのだ。はっきりとした主張もなしにうかつな姿勢でそれぞれを描いてはならないだろう。
著者の『死の泉』には構成の巧さ・緻密さに感心させられたが、やはり同様の印象が残ったものだ。

マシュー・パール 『ダンテ・クラブ』
最近のミステリー系海外作品ではついぞお目にかかれなかった傑作中の傑作だ。
著者が構築した縦軸は三本あろうかと思われる。そしてモチーフは一貫してダンテである。このかなり消化の難しい縦軸と横軸がむりなく融合しているところにこの作品の値打ちを見出す。
2004年10月18日


1.「1865年、南北戦争直後のボストン。ダンテ生誕600年にあたるこの年、この街にアメリカ初の『神曲』の翻訳出版を目指し、『地獄編』の翻訳に取り組んでいる文学者らのクラブがあった。クラブの名はダンテ・クラブ」
このメンバーの個性と彼らの対話を通してダンテその人とその哲学を読者に感覚的に理解しやすく浮き彫りにしてくれる。実行力があり熱血漢である詩人ローウェル、困難にあうとすぐ逃避したくなり、最も俗人に見える医師ホームズ、居眠りばかりしている歴史学者・牧師グリーン、最も現実主義者である出版社の社長フィールズ。特にクラブのリーダー格である国民的大詩人ロングフェローは事故で失った妻を追慕しつつ迫害の下で翻訳作業を続けるが、その姿は亡きベアトリーチェを永遠の愛の対象とし、政争でフィレンツェを追われた流浪のダンテと重ねて描かれ、その試みは成功している。彼らはダンテを愛し、家庭を愛する。ダンテ観は微妙に異なるのだが、読み終えてそれぞれの個性がダンテの人間性だったのではないかと気がつくことになる。

2 「そこへ連続殺人事件が発生する。被害者はみな、奇怪な責め苦を加えられて死亡していた」ミステリー世界で言う見立て殺人事件、すなわち『神曲・地獄編』の劫罰にそっくりの残忍な殺され方をしている。彼らは事件解明に立ち上がる。そしてメンバーの個性が事件解明に活かされる。
この作品、推理小説としても読ませるものがある。だいたい見立て殺人事件を扱った推理小説は謎解きを複雑にする目的で「見立てる」ためにその必然性に弱点があるものだ。これはそうではない。私は『神曲』を読んだことがないので語る資格はないのだが、ダンテにあっても人間であるからには内心の悪魔性はあったのではないかと思う。うがって言えば真犯人はダンテであるのかもしれない。

3 この翻訳活動を妨害する勢力はハーバード大学の本流、当時、新世界アメリカの文化、アメリカの精神を確立すべく主導的役割を自認していた理事会。そこの実力者ナンバーワンのマニング財務部長は学生たちの目の前で「ダーウィン進化論」を擁護する書物を焚書する。そしてダンテもこのような結果を迎えると恫喝する。
その背景、当時新世界アメリカが目指した文化・精神に思いをはせる必要がある。それはひとことでいえば、旧世界の伝統や文化から断絶することであった。広大な未知の大陸で新世界を形成していかなければならなかった初期のピューリタンの移住者にとって、新しい社会の秩序と体制の維持や統合のための不可欠であったアメリカ的保守主義。人種問題、移民問題、宗教問題を押さえ込むための方便。特に移民と深い関係にある宗教は人種,言語とともに社会文化の序列づけにおける一つの尺度である。キリスト教は他の宗教よりも上位に,キリスト教のなかでもプロテスタントはカトリックよりも上位に位置づけられ,プロテスタントのなかでもWASP(ワスプ)が社会的に最上位とされた。あたらしいヒエラルキー。White でAnglo−SaxonでProtestantが主導者であること。


本書でも奴隷解放のためのはずであった南北戦争が以降奴隷たちをいっそう過酷な状況に追いやったことが詳述されている。新しい移民たちの悲劇が書かれている。そして、劣等のイタリア文化などはアメリカ文化にとっては天敵であった。著者は明らかにこのアメリカなるものを描きたかったにちがいない。
マニングは絶叫する。「アメリカはこれまで明快な正義と道徳を持つ高貴な国だった。それが今やあらゆる外国人の持ちこんでくる浮薄で不道徳な考えやアメリカの建国理念にまるでそぐわない新しい思想と言った、外部からの侵入物によって窒息し崩壊している」「戦争は、この国の戦争は終わってなぞいない。始まったばかりだ」
この言葉、1865年の発言であるが、アメリカ的「正義」の伝道者ブッシュが叫んでも不思議ではない。                         

篠田真由美 『アベラシオン』
イタリア、山中の巌上にそびえる「聖天使宮」に圧倒される藍川芹。壮麗さの極致が破滅の運命を予感させる、この幕開けは緊張感をいやがうえにも高める。
『ダ・ヴィンチ・コード』を読まれた方には是非とお薦めします
2004年10月11日

輻輳するいくつかのモチーフがそれぞれ重厚で濃密に描かれさらに長編小説として全体調和が完成している。横軸には人間の歪んだ欲望、病的な嫉妬、異常な愛憎、時の流れを超えた怨念が組み込まれ、しかも謎また謎を追うエンターテインメントであるから、この作品、ただものではない。
時は1999年、世紀末。北イタリア、ミラノから遠い山中深くの巌上にそびえる大宮殿・「聖天使宮」。イタリア美術史を学ぶ日本人留学生・藍川芹はこの城館の主で若き美術エッセイスト・セラフィーノの招待を受ける。中欧を中心として広大な地域に君臨した家門、神聖ローマ帝国皇帝の出自であるハプスブルク家。富豪の事業家でもあるセラフィーノはその名門の血を承継する第一級の貴族である。そこには車椅子の少年、天使をおもわせる美しい彼の弟・ジェンティーレが幾人もの使用人にかしずかれて住まいしている。
芹は「聖天使宮」の建築美、広大な庭園の意匠、豪奢な邸宅、その内装や装飾品、調度品、さらにそこに秘匿されている絵画、彫刻、工芸品などの至宝とも言える美術品の数々に圧倒される。美術にはあまり縁のない私にとっても西欧文化史、芸術論、建築学の薀蓄を交えたこの詳述にいささかも飽きることはなかった。むしろ自ら貴族の出身であるルキノ・ヴィスコンティ監督の絢爛華麗な映像を髣髴させる語り口にひきつけられた。壮麗さの極致が、続く破滅の運命を予感させる。この幕開けは読者の緊張感をいやがうえにも高めるに違いない。
天上の光には地獄の闇がつきもの。壮麗な城館の深くには岩盤をえぐった大地下室がある。使用人の居住地区あり、隠し部屋に迷路あり、密室あり、大仕掛けの機械装置まで備える。さらに奇怪な………。この殿堂で繰り広げられる異様な連続殺人事件となればこれはまさしく正統派のゴシック・ロマンだ。あえて「正統派」と述べるには理由がある。最近の怪奇趣味ミステリーには「魔宮」やら「魔城」やらと、パズル型謎解きのために都合よくこしらえたリアリティのない建造物、まるで遊園地のお化け屋敷といった程度のまがいのゴシック風が幅をきかせているからである。もちろんこの作品の舞台設定も存在しようがない著者の虚構とわかっていても、建築、美術、イタリア文化に対する著者の並々ならぬ造詣の深さが子供だましのお化け屋敷とは異なる存在感を与えてくれる。
また芸術論に加え、これも正統派といえるオカルティズムの系譜がたどられる。これら衒学的趣向は作者のこの作品に対する力の入れ方を示すものであって、重厚感をくわえるものの勿体をつけた嫌味はない。錬金術、不老不死の霊薬、聖杯伝説、マグダラのマリアやキリストの末裔、ボティチェルリの「春」そっくりの絵画に隠された謎、異端の象徴「薔薇」などなどの本格オカルトノベルにはなくてはならないガジェットが燦然とちりばめられている。そう、ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』の薀蓄を面白く読まれた方ならおそらく本書もどこかに共通の楽しさを見出すはずです。
さらに陰惨な純血主義というナチズムの狂気がどす黒く貫かれている。ここは皆川博子『死の泉』と同様のモチーフがある。世界制覇のために歴史に隠された霊力の根源を探索する滑稽なナチスでもあってこれは「インディ・ジョーンズ」でもあり奥泉光『鳥類学者のファンタジア』の世界に通ずる。
決して付け焼刃で集めたパロディのごった煮というたぐいではない。読み手次第でさまざまな楽しみ方を見つけられる作品だ。かなり欲張った意匠をほどこした意欲的な作品だと思う。ただ、終結がはなはだグロテスクである。いささかやりすぎではないか。グロテスクではすまされない後味の悪さを免れない。同じような読後感をもたれる方は多いのではないだろうか。とにかくもっと話題になっておかしくない問題作である。


注釈 「ゴシックロマン」 平凡社世界大百科事典
18世紀後半のイギリスに起こった,主としてゴシック風の建物を背景とし超自然的な怪奇を扱い,恐怖感を売物とする一群の小説。現在はさらに拡大し,小説の一ジャンルとして考える傾向が強い。
 ゴシック・ロマンスは背景となる中世風の城,修道院,宗教裁判,牢獄などのゴシック的道具立てにおいて,その推理小説的な筋の展開において,その人物像とくに悪人像において,さらに人物の内面的分裂を分身の形で示す手法において,新しい特質を小説につけ加えている。とくに分身の手法はゴシック・ロマンスが人間の非合理的な内面,心の中の地下風景を探求していることを示している。

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