空耳少女の行方
雨上がりの朝市だった。
彼女は買い物をするでもなく、軒を並べる露店を覗いていく。
何処の子だろう。
「キーエ!」
厨房の奥から親父が怒鳴る。ウチは朝市の並ぶ通りに面した麺屋だ。通りにも立ち食いの客が溢れてる。配膳台に走って丼を受け取り、背伸びして客に渡す。卓は大人用だから僕には少し高い。
もう一度、通りを覗く。
女の子は見えなかった。
学校からの帰り道、総菜屋前に金色の頭があった。
――今朝の子だ。
「あ、あの。今日和」
ドキドキしながら挨拶した。商品棚を覗いてた女の子は顔を上げた。蒼い瞳を大きくして僕を見たから更にドキドキした。
「えっと今朝、朝市にいたよね? あ、あの僕はキーエ」
「…わたし、リタ」
「よろしく、リタ。何見てたの?」
「色々。珍しい物ばっかりね」
「そう?」
「初めて来たから」
旅行者かな。
「案内してあげようか?」
思わず言っていた。夕方の開店はまだだから大丈夫。
「ホント?」
楽しそうにリタは笑う。
通りには色んな店がある。
リタは金髪を揺らして飛び跳ねるように歩く。
果物屋、蒸し物屋、八百屋、装飾屋、雑貨屋、飲み物屋、服屋、魚屋…。
「ねぇリタ、誰と来たの?」
「一人でよ」
「凄いねぇ」
「うん。やっとお許しを貰えたから」
もし僕が独りで旅行したいって言ったら親父きっと驚くだろうな。
「…あ」
顔に水滴が当たった。
乾いた地面に点々と水玉模様。
通り雨だ。この季節にはよくある。
「リタ!」
振り返って彼女に手を差し出す。リタは僕の手を握って、笑って一緒に走り出す。
軒下に駆け込んで、間一髪。雨脚はさらに強くなった。
「待ってて、拭く物取ってくる」
「キーエの家? 何屋さん?」
「麺屋。小麦粉を練って太めに切って茹でて、出し汁をかけて食べるんだよ」
リタは物珍しげに店内を覗く。仕切り板を外しているから、通りと店内とは吹き抜けだ。殺風景で特に見るものもないと思うんだけど、彼女にとっては違うらしい。
厨房に親父は居なかった。鍋が火にかかってるから奥かな。
「ねー何処に座って食べるのー?」
「立ち食いだから。卓しかないんだ」
「面白ーい」
爪先立って、リタは食べる振りをする。
薄暗い店内が、ほんのり明るくなった。
屋根を叩く雨の音が小さい。
外を窺うと、雲が切れている。
「あ、虹だよ」
空には七色の半円形の帯。
「キーエ、わたし帰るね。ありがとう。楽しかったよ」
「え?」
幾つもの水溜りに映る、たくさんの虹。
リタはトンと地面を蹴る。
背中には三対の細い透き通った羽根。
ワンピースの裾がふわりと翻る。
光が零れる。
眩しくて、僕は目を細める。
水溜りには、波紋だけが残っていた。