事の発端は、クエストの募集。格別に条件が良かった。前払いで日当と交通費と食費と宿泊費と危険手当、それから成功報酬。経費超過分も領収書出せば貰えるって。珍しいよね。
　ここんとこハズレばっかでさ、懐も寂しかったもんで、逃がしたくなかった。

　並み居る応募者を押し退けて、無事採用。野を越え山越え谷越えて、ついでに川と海も越えて。モンスターとも遭遇して。
　ついに辿り着いた。
　ギルド支給のボトルに、摘んだ薬草を突っ込んで栓閉めて、自動的に封印呪文が作動（あたし魔法使えないしね）。
　そして帰還。

　ギルドの職員は満面の笑みだった。
「これが、成功報酬です」
　後日、呼び出されて渡されたのは、長さ30cm太さ5mm、真鍮の、片側の先端が2、3周渦巻いてる、その他にデザイン性も何もない、単なる棒だった。何かのしっぽみたい。
　損はしてない。旅費はギルド持ちだし、節約したし稼げたし、クエスト成功でレベルも名声も上がった。下宿先の店賃も払えた。
　なのに。
　これは何？
　文字通り目が点になった。
「かの有名なる偉大なる大魔術師、ガーギシュナル・フォンダナ・アールー・ルー・ダナン・フランが作りし物」
　いやンな長ったらしい名前言われても覚えらんないから。
「…、で、えーと、これ、どうすれば良いんです？」
「どうぞお納め下さい」
　職員は最後まで笑顔を崩さなかった。

　使い途、ないよね。
　家に帰る道すがら、棒を眺めて思案する。
　重みがある。そりゃま銅だしね。植木鉢のピックにでも使おうかな。錆びないし。渦巻きが可愛いって言えない事もないし。
　住処にしてる宿屋は、表通りから2本、奥に入った処。
　帰ったら、女将さんが興味深々に顔を覗かせた。
　あたしは苦笑しながら首を横に振ると、気にしなさんなって言ってくれた。色々親身になってくれてんだ。親代わりっつうか。
　気の良い女将と、築ウン十年、ピカイチな頑丈さがウリの宿屋の2階の、手前から4番目があたしの部屋。
　ベランダで栽培してるバジルとミニトマトのどっちにしようかな（どっちも貴重な食料。冒険者なんて自由業、いつ喰いっぱぐれるか解んないもん。失業保険も下りないし）。
　ん、バジルにしよう。緑の葉っぱばっかりで寂しいしね。
　適当にブッスリ刺す。
　ついでにお水もあげて。

　爆発する勢いで白煙が立ち昇った。

　バジルとトマトの鉢を粉砕して（きゃー！！）、狭いベランダに窮屈そうに人間（と思われる）が1人、座っていた。
「…おお、久しぶりの外じゃ」
　そいつはあまつさえ口を利き、両腕を高々と上げて伸びをした。
　あたしはと言うと、如雨露を片手に床に尻餅。…押し出されたのよっ。水が零れて床びしょびしょ。
　茫然と、するしかなかった。
　今時古臭い黒いローブ、被ったフードの隙間から零れる金髪。長い手足。革の編み上げブーツ。性別…多分、男。体格と声からして。
「だ、誰あんた」
　思い切り伸びして脱力してたローブ男は、初めて気がついた面持ちでこちらを見やる。
　やだイイ男。不審者に違いはないけど。
「我の名は、ガーギシュナル・フォンダナ・アールー・ルー・ダナン・フランである」
　近頃どっかで聞いた事ある文字列。流行ってんのかしら。
「…。…。で、ガーさんが、何の御用？」
「我の名は、ガーギシュナル・フォンダナ・アールー・ルー・ダナン・フランである」
　繰り返されてもね。
「…えーと、ダナン・フランさん？」
「我を解き放ったはそなたか。感謝する」
　尊大にのたまった。
「それはどう致しまして。でさ、そこ下りてくんない？　目立つし、土で服汚れるよ」
　放っとけばいつまでも座ってそうなのを、腕引っ張って立ち上がらせる。一緒に裾も叩いてやって。
　あーあバジル。トマト。見るも無残。重宝してたんだよね。パスタとかサラダ作る時。
「んもどうしてくれんのよこれ。弁償してよね」
　根を傷めないように土を寄せる。大丈夫かな。早い内に植え替えれば。
「直せば良いのか？」
「え？」
　訊き返そうとして…鉢が、元通りになっていた。
　あたしは覆い被さるようにして凝視する。バジルとトマトは何ともなかったですよと言わんばかりで、鉢にもひび割れはない。
　驚いて背後の変質者を振り返る。
　あたしだって冒険者のハシクレだ。知り合いに魔術師くらいいる。でもそいつは呪文を唱えなきゃ魔術を発動できない。つか魔術師はそういうもん。
　なのに。
「これで良かろう？」
「え、うん。ありがと」
「礼には及ばぬ。これくらい、我には造作もない」
　偉そうに腕組んでる。
　あたしは溜め息を吐いた。
「説明してよ。あんたホントに何？」

「我は封じられていた。200と19年」
　えー。意外に年寄り。見た目は20代半ばなのにね。
　じゃなくて。
「何だってあんなのに？」
「解らぬか？　三重の渦巻きは北璃の証」
「ほくり？」
「魔王じゃ」
「正気？」
　魔術師は嫌そうに眉を顰める。
　でもだってこの時代、魔王なんつったって誰も信じないよ。
「今の世情は知らぬ。だが真実じゃ」
　うんまぁ魔王はともかく、封じられてたってのは本当よね。水かけたら解けたってのも胡散臭いけど。魔王ってハーブ嫌いなのかしら。
　えとじゃ、渦巻きは魔王さんの作成物なんじゃん？
「とにかく、我は封印された。今思い返しても口惜しい。そして野に討ち捨てられ、風雨に曝され、競売に掛けられ、踏まれ、埃塗れの物置に放り込まれ…長かったぞ」
「はぁ…」
　苦労したのねー。思わず目頭を押さえる。
「で、これからどうすんの？　行くあては？　魔王さんとこ行って逆襲すんの？」
「魔王は気紛れ故、常に居場所を替える。見つけるにはそれ相応の準備が要る」
「えっとじゃ自分ちは？」
「ない」
「…マジ？　友達ん家とかは？」
「知り合いなんぞとうに墓の下じゃ」
　それもそうか。
「ここに置いて貰えまいか」
「えー？　んーまぁ仕方ないかぁ。ちょっとくらいなら。行き先が決まるまでね？」
「恩に着る」
　…変な変質者。
「して、我は腹が減っている。飯はまだか？」

　数刻後、あたしはギルドに乗り込んでいた。ちなみに数刻前、せがまれて振舞った貴重な食料を、ヤツは不味いとか抜かしやがった。
「ちょっと！！　あれ何！！」
「あれとは？」
　シラばっくれんな！
「成功報酬つって渡した…！」
「おお。あれがどうか？　何か変化でも？　何らかのご利益とか鳥除けとか火掻き棒とか」
「はあ？　だから、あれは何なの？！」
「かの有名なる偉大なる大魔法使い、ガーギシュナル・フォンダナ・アールー・ルー・ダナン・フランが作りし物」
「それはもう良いっつの！」
　しっかし早口だなこの職員。
「何でそんなの寄越したのよ？」
「得体の知れない物品だったから」
　あっさり吐かれてあたしは床に四つん這いになった。力入んない。
「あの薬草は貴重でな、大変ありがたかった。かの有名なる（以下略）作りし物を賜るに充分な働きだった。取っておきなさい。では失礼むが」
　職員に飛びついて、ギリギリ襟を締め上げる。
「くぬっ！　くぬっ！　くぬっ！」
「離せ！」
　別の職員が、横合いから同僚の襟首を引っ掴んで救出する。余計苦しそう。
　あたしは外に放り出された。

　夕暮れの街中をとぼとぼ歩く。色んなクエスト受けてきて、家までこんなに遠いと思った道程はないわ。
　狭い裏路地を抜けて、宿屋の見える処まで来た。
　魔術師は、窓際に居た。
　フードを外して剥き出しの金髪が、夕焼けに彩られて燃え盛る炎のよう。
　何を見ているのか、何を考えているのか、湖のように深く澄んだ蒼色の双眸が、遥か遠くに向けられている。
　白皙の横顔が、痛いくらい、寂しげだった。
　この人は孤独なんだ。唐突に思う。
　知っている人の、誰一人としていない世界。
　魔王に封じられて、省みられる事もなく、長い長い年月を過ごした。
　封印されてる間、そこはどんなだったんだろう。暗い？　寒い？
　解らない。
　解らないからこそ、彼の憂いが伝わるような気がした。

　佇むあたしの気配を感じたのか、彼は視線を通りに落とした。
　一瞬、何かに驚いたかのような表情――すぐに消えた。
　次いで、喜色を浮かべて言った。
「おお、帰ってきたな！　我は腹が空いたぞ、飯の支度を頼む」
　ああそう。
　何処でも良いから回れ右してどっか行きたくなった。

　波乱の予感。