エバー・グリーンの朝食
宙港から見る宇宙は絶品だと人は言う。
高度500km、足下に青い星を望み、巨大な港が浮かぶ。
何隻もの宇宙船が発着し、大勢の人々が行き交う。幾層ものフロア、交叉する自走歩道、並列する入出国ゲート。天蓋で覆われた人工の浮島。
死んだ曾祖母の子供の頃は、民間人が普通にシャトルに乗って宇宙へ出るのですら、とても珍しかったらしい。今や中学生の修学旅行で月に行く。
俺は、社員食堂で遅い朝食を取りながら、窓際の席で外を眺める。港の主幹部分とは反対側だから無駄な照明もなく、瞬く星が綺麗だ。他所にも社員食堂はあるが、この景色の為に来る社員も多い。
かく言う俺もその一人だが――目的が少し違う。
俺は星ではなく、緑の樹を探している。
小学三年の時、兄と喧嘩した。
原因は多分、とても些細で、物を片付けなかったとか、そんなもん。お互いに譲らず、どんどん険悪な方向にズレていった。
踵の潰れたスニーカーに足を突っ込んで玄関を飛び出した。
行き先なんて考えてなく――しかし足は自然と、とある場所へ向いていた。シャトル港。宇宙へ出る為の、艀。
地上から宇宙へ、宇宙船は何で直接行かないのか、その頃は不思議だった。――あんなデカ物を重力に逆らって打ち上げるのは燃料費がしこたまかかる、なんてのに子供が気づく訳もなく。
港関係者の住む社宅から港は、子供の足でも充分行ける距離にある。勿論シャトルの滑走路は安全性その他の理由で離れた場所にある。遠方から見学はできるが、立ち入りは厳禁――の筈だった。
滑走路に整備中なのかシャトルがあった。金網にへばりつく。太陽光を反射して白銀に輝く胴体。あれで宙港へ行く。
…少し離れた先、金網が破れ捲れている箇所。
躊躇なく潜った。
眼前にシャトルがあるならば、尚更。
小石一つ落ちていない、真っ平らな滑走路を駆ける。近づくにつれてシャトルのデカさが迫る。口を開けて見上げる。
向こう側の側面に、梯子が架けられているようだった。胴体を潜って行ってみると、梯子の先でハッチが開いていた。周囲に人が居る様子はない。
一気に登って、内部を覗き込む。
殺風景なそこは、貨物室か何かのようだ。壁には正方形の扉が、床には頑丈そうな棚が並んでいる。どれも荷物を収容する為のものだろうか。
壁の隅に小さな収納式のシートがあった。引き出して固定する。四点式ベルトは一番きつく締めても少し緩かった。横には円い窓。
空気の抜けるような音がして、気づくとハッチが閉まっていた。景色が緩やかに動き出す。
焦ってベルトを外そうとするがロックがかかって外れない。
響いていた微かな振動は、次第に大地震のように揺れて。
必死にベルトにしがみ付く。フットレストから足が浮く。
窓の外は見る間に景色を変え。空の青から炎の赤、真空の黒へと。
怖かった。正直に言うと。そして、それ以上にわくわくしていた。
家の天窓から見上げる星の空は憧れだった。あそこには何でもあるように思えた。何でも願いが叶って、不可能は何もなく。
円窓に張り付いて外を見た。
期待に反して、真っ暗だった。星も見えない。方向が違うのか、地球も太陽も。がっかりしたが今だけかもしれない。
変わり映えしない外を飽きずに眺める。
――いつのまにかそれはあった。
奇妙な物が。
木、だ。
暗黒を背景に浮かぶ。
最初は綿埃みたいだったのが、徐々にその全景を現す。
生い茂る葉。絡み合う枝。捩れた幹。四方に張り出した根。
太陽が何処か解らないが、一杯に光を浴びて、霞むように輝いている。
遅くはない速度で流れてくる。巨きい。視界に収まりきらない。樹幹は幾本もが絡み合って『一本』を形成しているようだった。
最接近。
無音の邂逅。
一瞬。
ざわめく葉擦れを、俺は確かに聴いた。
あれは、宇宙の樹。
永遠に枯れない緑。
気が付くと俺は、草むらに仰向けに寝ていた。目の前に広がる空。青。破れた金網。
吹き抜ける風が葉を揺らす。
瞬きをして、立ち上がれなかった。
夢――。
鮮やかに蘇る。葉脈、木肌、樹冠。
緑の。
両掌を目の前にかざす。
押し付けた硝子の冷たさを、今でもはっきりと思い出せる。
天蓋の向こうの宙。
20年近く経った今も俺は、探している。