バイク
1996年、久しぶりに友人とツーリングに出かける。私は中古で手に入れたTZR250Rである。後方排気システムのオートバイは旧型ではあるが前のオーナーがかなり手を入れており、なかなかのジャジャ馬でかなりパワー感はある。軽さにものをいわせたコーナリング、元々オフロードしか興味のなかった私にオンロードの楽しさを教えてくれたバイクである。
古い付き合いの遠慮のいらない仲間に誘われたこのツーリングは半日程度の軽いノリの走りである。日常生活の気分転換にバイクは最高の道具となる、走り出せばお互いのリズムが感じ取れ前後入れ替わりながらのコミニケーション、バイク乗りにはわかる世界。それぞれのバイクスタイルは時として変わり、このごろはオンロード志向、当然行き着く先は大型バイクである。私はと言えば相変わらずのオフロード好きでDR250SがメインでTZRはサブである。
友人のGSX1100Rの迫力はまさに大型バイクである、アルミの太い2本出しマフラーは圧巻である。しかし私の興味はそれほど惹かれることは無くコーナリングの遅さが印象に残る程度、しかし休憩でスピードメータを覗き込むと一気に興味が湧いてきた、なんとその目盛りは250Kmを遥かに超えてるではないか国内仕様の常識を遥かに超えた世界それを実現させる証明がこのメータである・・・・
1998年3月納車
CBR1100XXのメータは330Kmを刻んでいた。

1979年、大学入学の年、入学祝いに買ってもらったオートバイである。地元の工業高校を卒業する年、私は完全にバイク好きとなりこれ無しに大学生活は考えられなかったのである。
XL250S、初めは確か輸出専用だったような気がする、国内販売となり私のものとなったこのバイクで3年間に5万Kmを走破した。九州、山陰、東北、北海道、ツーリングの記憶に残るこの単車を生涯忘れることは無いだろう。
*特徴* 23インチのフロントタイヤはもはやこの世に存在しないのではないだろうか?。立ちの強い粘りのあるハンドリング、バイク任せにひたすら走り続けても疲れる事の無いポジション、心地よい軽い振動、オフロードの走破性はかなり高く、それまでの4ストロークオフロードの重さも解消、乾燥119Kgの車重は驚きの軽さであった。
・・・オートバイに乗って風を感じているだけで楽しくてしょうがない、そんな時期、乗っていたオートバイがXL250Sである。
オートバイ人生のスタートを切った最初のバイクがハスラー90(スズキ)である。 当時男子高校生のほとんどは16才でバイクの免許を取得しあたりまえのように通学に使用していた。親になんとか頼み込んで新車のTS90を手にいれた私も同様である。まばゆくオレンジ輝くタンクは6リットルと少なめな容量ではあるが魚釣り、買い物、通勤、川原遊び、友人宅訪問など重要な足となり高校生として生活圏をかなり広く保てたのは全てこいつのおかげである。雪が降ろうが雨が降ろうがとにかくこれに乗りどこにも出かけ90ccのパワーがどれほどの物か体感し、叉絶望した。
2年をを費やし約2万キロを走破するころには限界に達し、つぎのバイクを探し初めていた。
*特徴* やはり90ccの排気量は中途半端、パワーと車重はアンバランス。長い登り坂では明らかに速度が落ち、空冷の弱み熱ダレとともにさらに進まなくなる、このジレンマとも言える感覚は今でも夢に現れこの記憶がパワーへの執着をより高めているのかも知れない。 小排気量車に乗ったことのある人しか感じることのない弱者の心理を私に植え付けたのがこのオートバイである。その後何年か実家においていたが盗難にあってこのバイクは消えてしまったが、私のバイク人生は始まったばかりであった。
(TY50,TY80 ヤマハ) 当時すでに弟はトライアルを始めていたので私もよく借りて遊ばしてもらった。50ccにくらべ72ccはやたら元気が良かったのが印象に残ってる。排気量がオートバイに与える影響の大きさを特に感じた。
トライヤルを初めて2年が過ぎノービス、ジュニアと昇格し2年ほど中部選手権を転戦するも入賞は無し、ジュニアライセンスが国内A級と呼ばれるようになり、現状での限界を感じつつもバイクを変えて何とかしようと考えている時30万ほどで手に入れた競技専用バイクである。
トライヤルバイクとしては世界最大排気量350ccの2ストロークマシン、HRCのRTL250S(4ストローク)からの乗り換えでそれなりに乗りこなせる用に慣れるまで半年ほど要した、実に個性的な味付けで悪く言えばじゃじゃ馬どうしても扱いきれない部分が存在した。
2サイクルの良さはその単純な機構にある、山の中で練習中エンジンが掛からなくなり原因はどうも圧縮がされてないのである、早速シリンダーヘッドを外しピストンも外しピストンリングの固着を直してキックするとエンジンは一発で目を覚ました。何事も無かった様に午後の練習を開始。
*特徴*このバイクの扱いにくさの要因はその巨大なピストンとフライホイールの発生する慣性である、強力な低速トルクは4速で沼地を走破可能となりヒルクライムを得意としエンストの心配も皆無ただし、エンジンを回しきってしまうとなかなか回転が落ちないのである、この時クラッチを繋ごうものならロケットの様にすっ飛んで行くか、タイヤが空転するか、制御不能状態である。結局(僅かな時間ではあるが)回転が収まるのをじっと待つのみである。
世間ではその後350ccエンジンは姿を消してしまうが、このバイクを手放す時なんとも惜しい、寂しい思いをしたのはなぜだろう。
・・・時代の最先端として開発されたマシンも5年も経てばほとんどが鉄屑である、私の関ったバイクは今いったいどうなっているのだろう。