81 風早の三穂の浦廻を漕ぐ舟の舟人さわく波立つらしも
烈しい風が吹くことで恐れられている三穂の浦辺を漕ぐ舟の船頭が騒いでいる。海が荒れて波が立ってきたらしい。(読人不詳) (7-1228)
風早の-風が速いこと、風が烈しくふくこと
「三穂の浦廻」とは日高郡美浜町三尾の海のことで煙樹ケ浜、三尾海岸から日の岬にかけて半島になっており南側は太平洋に面しているため風が強い。日の岬の沖合いは潮流が早く、その上岩礁も多くひとたび強風が吹き荒れると手のつけらない恐ろしい海に豹変する。近年においてもしばしば海難事故があった。
日の岬と紀州灘 2002/02/15
クヌッセン機関長の胸像
デンマーク彫刻家グームンセン・ホルムグリーン氏製作
海の守護神 ヨハネス・クヌッセン機関長
1957年2月10日、21時40分頃,紀伊水道を航行中のデンマーク国籍のエレンマークス号は緊急非常信号SOSを受信しました。同船は直ちに現場に急行。日の岬灯台、北北西5海里の海上で火災を起こしている徳島県舟磯庚一氏所有の機帆船「高砂丸」を発見し、高砂丸に接近して該船船尾で非常灯を振っていた船員一名がエレンマークス号から提供された救助挺に乗り移り、エレンマーク号の舷側の縄梯子をつたって移乗する際、疲労と火傷のため登りきれず海中に転落しました。このとき暗黒の荒れ狂う海に飛び込んだ乗組員がいました.その方は機関長として初航海に従事していましたヨハネス・クヌッセン氏(39歳)でした。いったん高砂丸船員を舷側に引き寄せましたが折からの20mを越える季節風と山のような高波によって引き離され二人は「風速の海」に没しました。翌朝日高郡田杭の海岸にご遺体が打ち上げられました。人種,国境を越えた彼の人間愛と勇気ある行動を永遠に称え、同時に冥福を祈り故郷デンマークから幾万海里離れた東洋の国、日本の太平洋の海原が一望できる「風速の丘」に桜の木に囲まれ顕彰碑と胸像が建立されています。美浜町では毎年2月9日に慰霊祭が行われ彼の遺徳を偲いでいます。くしくも2002年日本でワールドサッカーが開かれます。和歌山市はデンマークチームのキャンプ地として選ばれました。県民こぞってデンマークを応援しまししょう。又来日される選手団のご家族にたいしても心からのおもてなしをし友好と親善をはかりたい。
煙樹ケ浜 浜ノ瀬から和田、本脇に至る幅500m、5kmにわたって松原をなしている。2002/02/15
「和歌山県日高郡美浜町三尾」について
1960年,今から40年前頃まで陸の孤島といわれ、耕地面積すくなく漁を業とする寒村だった。大正、昭和の戦前、シアトルやカナダ北米西海岸への移民が多く彼の地で漁業に従事し,紀州人特有のフロンティア精神と勤勉さによって成功した人が多い。漁港前のバス停広場に移民の先覚者、工藤儀兵衛の顕彰碑が建立されている。通称アメリカ村とよばれています。