1.自分史を創りあげる悦び

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1.3  自分史活動から味わう悦び
 

 モグラは狭い範囲の土の中で一生を終わる。

 リタイア直後は、狭い社会のしがらみの中で藻掻きながら生きてきて、似たようなものだなと、ふと思うことがあった。

 しかし、今は大空をのんびり滑空する鳶にでもなった感じだろうか。

「自分史友の会」活動では人を知り、自分を見直す機会が多くなり、少しずつでも鳥瞰できるようになった自分がとても嬉しい。

 自分史作品からは、人さまの様々で豊富な経験とその心に触れることができる。

 同様な体験に遭遇すると、当時の私が彷彿として浮かび上がり、しばし懐かしい時を過ごす。
 「けっこう一生懸命生きてきたな」、「色々なこともやってきたな」と思い至り、時には自分を褒めてやりたくなることもある。

 定例合評会の予習のためには、会員の作品をじっくり読むことになるが、前述の「自他を知る」良い機会であるとともに、自分史執筆のレベルアップには大いに役立っているのであろう。

 さらに、手作り同人誌『わだち』の完成までには、原稿収集、編集、誤字脱字校正から始まって、段落、句読点の打ち方、文の構成や表現検討など。そして版下作成、印刷・製本。

 それは、より良い『わだち』を目指しての、編集委員はじめ、会員のシステマチックな作業と全面的な協力のたまものである。そのようにして出来たものが全会員、そして関連する方々に手渡されるとき、皆で完成の悦びが味わえる。

 これも市・文化フオーラムの施設や指導講師に恵まれ、ありがたいことである。           ( 洋 )



 



  1.2 これからも道草を             田中 壽一

 ──朝から、家事分担の仕事はすべて片づけて。妻は娘と外出。さて、これから──

 自分史の課題作品が残っている。残っているというよりは、残してある。 一番の楽しみは大事にとってある。何物にもわずらわされることなく、心ゆくまで楽しめる喜びがとってある。

 電気こたつのテーブルの上をきれいに片づける。原稿用紙、大活字漢字辞典、現代仮名遣い表の三点セット、卓上鉛筆削り器をその上に揃える。HBの三菱鉛筆1ダースを50年ぶりに買った。そういえば、トンボ鉛筆はまだあるのだろうか。

 坐り込めば滅多なことでは動かない万全の横えとなる。紙と鉛筆だけで実現できる私の世界が始まる。

 心の中にはっきりと、或いはぼんやりと浮かぶ思いを確かめながら、ゆっくりと一語一語、書き記していく。日頃の生活の流れと時間が、この時歩みを止める。

 或る時の私は誇らしく、かっこ良い。

 或る時の私は、みじめで情けない。

 しかし、どんな時の自分もなつかしい。その時、その時に精一杯の努力をしてきたのか、と自分に問えば、そうでなかった時もある。多少のホロ苦さが胸をかすめる。でも、今の自分以外ではあり得ない。

 自分史を書くことは、自分を探す旅に出ることだと実感する。

 通り過ぎた自分との間に一本の道が繋がる。その一本の道をたどりながら、思いは何処までも広がる。

 忙しくも通り過ぎた道端にポロポロ捨ててしまったものを、できるだけ丁寧に捨い集める。

 ”あんな大事なものを、どうして失くしてしまったのだろう? ”

 書く手を体めて、ふと自分に問うている。はっきりしているのは、ただ一つ。この道をたどる楽しみは自分にしか判らない。だから私は、ただ自分の為にだけ自分史を書いている。

 自分史を書くことは道草かもしれないが、精一杯、道草をしよう。
 


 

 1.1 「私」 にも歴史があります。              
                               国や世界に歴史があるように。           

 仕事に疲れて一息入れたとき、あるいは休日の朝、寝床の中で、ふと考えるとき、案外身近のことしか考えないものです。昨日の出来事、これからしようとすること等。

 これらはみな、自分の殻の中から、あるいは、自分中心に、つい考えてしまいます。

 しかし、たまには、「私」の外へ出て「私」を眺め てみましょう。ほんの、ちょっとのゆとりをつくって。そうすると、昔の私、幼い頃の私などが、いろいろ思いだされます。

 そして、今の私を、第三者になったつもりで、見直してみるのも面白いでしょう。

 やがて、別な私が見え、現に生きている私が愛おしく感じられ、さらに、明日の「私」が朧気ながら浮かんできて、とても楽しいことです。

 このように、断片的にでも思い出したことをメモしておき、時間をみつけて、それに肉づけし、部分史として、書き綴って貯めておきます。

 そして、いつか多くの余裕ができた時に、これらをまとめて、編集すれば、立派な通史としての自分史が出来上がるでしょう。

 ただし、自分史も、ただ書けば良いと言うものではなく、他人様に読んで頂ける自分史を執筆するためには、ある程度の礼儀、ルール、形式等が必要でしょう。

 私達の「春日井市自分史友の会」では、講師指導のもと、上述の部分史を編集しては、会員相互に合評し合い勉強しています。そして、すでに、何人かは自費出版の自分史を編纂しています。         
                                                                                                                                                                                                                                                                          ( 洋 )

       ── 自分史指導 平岡俊佑 講師より ──

 自分史をつづることは、新しい「私」の物語(ドラマ)をみつけること。

 歩んできた道を振り返ると、今日を、そして明日を、どう生きるかが見えてくる。 

 そして、自分史は三度のおいしさが味わえる。

      ・ 原稿用紙を前に、作家気分になれる。

      ・ 本になったときの喜びは何ものにも代え難い。

      ・ 友人知人の読後感を味わえ、新しい友人ができる。
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