「女狂言2003」
企画プロデュース演出/野村万之丞 台本/山崎陽子 小笠原恭子
打楽器/田中悠美子 杵屋七三 弦楽器/山下由紀子 管楽器/荒井貴子
出演/春風ひとみ 富田靖子 藤夏子 山水隆京 風さやか 菅原香織 麻生あくら

「女狂言2003」を見た。
野村万之丞によると狂言の伝統芸能を女性がやるのではなく、日本の歴史上、
最もポピュラーで民意を反映した男性の視点から創られた狂言という芸能を
今度は女性の視点から見直し、それを現代の芸術と共に創り出しながら、
ちょっとキュートで、そしてお茶目な女性が作り出す新しいジャンル、
それが女狂言である。
とプログラムに書いている。
面白い狙いである。
私はかなり以前にロンドンでミュージカル「シカゴ」をウテレンパの主演で見て
遅まきながら、洋物は日本人には無理と悟った。
岸田国士が「どん底」を演出していた時代の役者は翻訳劇の出来る顔をしていたが、
今の役者はとても舞台で翻訳物をする顔をしていない。
それに生活習慣総てが違うなかで、日常の中でキスも抱擁もなく、
いきなりそれを舞台でしたらそぐわない。
そんなことでなぜ日本人の物をしないのか、すべきが持論である。
そうした中で山崎陽子さんの朗読ミュージカル「山崎陽子の世界」、
タイトルは少々堅苦しいが内容は正に日本人が日本人のものを見事に作り上げている。
そこに出てきたのが、女狂言だ。

「うわの空」
若い僧/春風ひとみ、中年男/未央一、これは狂言「水汲み」よりである。
春風が意図することはよくわかるが、この人真面目すぎるところがあるので、
それがいいか悪いかは別にして、遊び心を内面に持ちつつしてくれると、
更に女狂言の初期目的に到達出来たのでは?
夢かうつつかの空気を舞台の上に欲しい、それを起こすのは春風だ。
変化が欲しい、縦横にそれが欲しかった。
春風の姿、気品は充分だけに惜しい。
周辺で舞う尼達の処理がもっときめ細かであるとよかった。
未央の男は宝塚の男役の男とは違う感じが欲しかった。
自分で男役をしようとしたのではないだろうか。
女のままで男になれたら言う事なしだったのに。

「春うらら」山崎陽子作
嫁と嫁の心、姑と姑の心が舞台でいろいろと語る。
感じは日頃の「山崎陽子の世界」を足して二で割ったみたいだが、
そこが山崎さんの包丁裁きが板についているからいい。
発想と言葉の使い方、言い回しに才覚を感じる。彼女の才能だろう。
ただ、このようなものを演じるにはそれなりの演者がいるのだ。
そこがこの舞台では適役といかないと感じた。
こうした女狂言はかなり個性的な演者が必要ではないだろうか?
その部分も成功させる大切な要素だと思う。

未熟であったが、これからの未来を感じたのは「あそび」である。
ずいずいすっころばし、とか、とーりゃんせ とーりゃんせなど、これが日本人の心が
本当に演じられる大切な素材なのである。
これをしっかり振付けて音楽もメリハリ付けてしたら、
もっと楽しい素晴らしい未来の舞台が生まれるのではないだろうか。
野村万之丞の才覚を感じた。
音の付け方も一体感を持つように創って欲しい。
日本本来の芸能が余りにも粗末に片隅に追いやられ失われつつある今、
女狂言がこれに光を当て、こんな素晴らしい遊びの中に潜んでいる芸能を
今の若者に教えて欲しい。
春風ひとみは宝塚入団時代から稽古場での姿など、総ての良さを知っているだけに、
今改めてこういう場を持てたことは、これからの意欲と活躍に更なる期待が望める。
頑張れ、春風ひとみ。

   2003年3月8日 神戸オリエンタル劇場 ちゅー太

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