「王様と私」

オスカー・ハーマンスタインU/作 リチャード・ロジャース/作曲 演出/中村孝夫
出演/一路真輝 高嶋政宏 本田美奈子 石井一孝 秋山恵美子 藤木孝 松山政治
 
1951年ブロードウエイで初演のミュージカル。
今、日本の商業劇場で興行する作品としては格好な演物とは言えない。
東は東、西は西の中で、舞台はシャムという国、そして思想、風俗、宗教、
生活が重要なテーマとなってくるこの芝居は
2002年の時代に何を理解しろと言いたいのか無理がありすぎる。
1988年には松平健、鳳蘭、増田喜頓、久野綾希子、羽賀研二、
淀かおる、金田龍之介という顔ぶれで公演されている。
重厚な配役で商業演劇に徹して興行するのなら別だ。
ブロードウエイミュージカルは常に人種、宗教の問題がその底辺に存在しているところに
日本でやる難しさがあり、どうしてもそのあたりが無視されてしまう。
今回の公演でも少なくとも西洋の文化を東洋のシャム、今のタイの王様に
理解させようということ、ビルマの王子からの贈り物タプチムという娘が
ルンタという若者の使者によって届けれられるが、
この二人が恋仲の間柄で哀れな最後を迎えるのだが,
そうした部分の物語が舞台の上に現れてこない。
王様の高嶋はもっと豪快の中に繊細さを見せる芝居が欲しい。
一路も英国婦人アンナ先生としての気位の高さを感じさせながら
王様へ心の移り変わりとタプチム、ルンタの二人の若者たちの理解者であることを
もっと表現してもらわないと「王様と私」の本来の持ち味が出てこない。
そうでないとただ歌って踊っているに過ぎない舞台で終わって、
では何だったんだろうということになる。
こうした中でチャン夫人の秋山恵美子がかろうじて雰囲気を締める役柄を演じていた。
日本人が演じやすいはずの役柄なのに、舞台にで出てくる役者が皆タイ人風に
見えないのも努力不足。
単純明快に言っても王はアンナを好きになっていき、アンナも王の人間性に惹かれていく、
その雰囲気が互いに不足。
肝心の劇中劇「アンクル・トムの小屋」の場面の演出も
下手にタピチムを、上手に王を配しているが、これでは芝居の流れが伝わってこない。
もう一つ、アンナとタプチムとルンタの絡みも描き方が不足。
全体に芝居が場面ごとに独立しているように感じて流れがないのは演出の責任。
藤木のラムゼイ卿は風貌不足、いつも言う「それ風」がいるのだ。

   2002年4月8日 大阪・梅田コマ劇場 ちゅ−太


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