「生きる〜不良少女風典子の場合〜」
宮田 達夫
私は偶然のことから典子を知った。
典子と書いて「のりこ」と読むが、私は「てんこ」と呼んでいる。
平成二年生まれ、今年成人式を迎えた。つまり二〇歳の午歳だ。
ワイン好きな私達夫婦は、たまたまある駅の近くのイタリア風の物を食べさせる店を見つけて入ると、チェーン店なのにDOCGのピンクのシールをつけたキャンティワインを置いてあるのを見つけた。メニューにあるピッツァを頼むと、皮の薄い値段は安いが味も手ごろでワインにぴったりだった。
最近ワインの店というのを売りにしている店があるが、ここの店はそんな面倒ではなく、いいのはいつ行ってもワインがあることだ。酒を飲ます店は大概は夕方の五時半とか六時からだ。酒の好きな友人と会うのに、ワインが美味しい店がある。そこで会おうと言うと、必ず時間は六時ごろですかと聞く。いや夕方?午後の四時でどうだろう?お互いに時間に制限がある身分ではないし、早く会ったほうが早く帰れるじゃないか?と言うと、えっ?そんな店あるんでっか?飲めるなら何時でも良いですという返事が必ず帰ってくるから面白い。
どこかのチェーン店だから働いている人も学生のアルバイトが多い。そんな中で、髪の毛を赤く染めロングヘヤーを店の被り物でまとめた化粧は、一寸ヤンキー風のいかにもつぱっているという感じの女子がいた。それが典子だった。いかにも不良少女典子といえる風貌だが、私は見た瞬間に典子が生きることに悩んでいる少女だと直感した。その時はまだ一九歳だった。注文をとりに来た時、聞いた。
「君の名前は?何と読むの?」
典子は、胸の名札に目を落として「のりこです」
「のりこ?てんこだよね」
典子は、厚い化粧を施した顔にわずかながら笑みを浮かべた。その笑みは人なつっこさを感じさせると共に、人を求めている人恋しさを感じさせた。それから、私達夫婦は、しばしばこの店を訪れては赤のキャンティワインか白のソアヴェを楽しんだ。勿論薄い皮のプレーンピッツァもだ。典子は私たちが行くたびに店に丁度勤務の時間なのか何時もいた。注文を聞いてもすぐに私たちの傍から離れようとはしない、なにか話したそうな気配を感じた。
「典子は何処に住んでいるの?」
「この近くです」
「一人で住んでいるの?」
「はい」
「男と住んでいるんだろう?」
「違いますよ」典子は打ち消した。
「でも、やっぱり不良少女だ」
それから典子を私は常に不良少女典子と呼んでいた。それは一見、不良少女に見えるが、愛称のつもりだった。
「典子は不良少女だよね、不良少女てんこだ」
「違いますよ」
典子は、そういわれると何時もはにかみながら打ち消したが、そういわれるのがいやだという素振りは見せなかった。
「不良少女と一度ご飯食べに行こうか」
すると、典子は「本当ですか」と目が輝いた。
「連絡するから電話番号教えて」
典子はすばやく差し出した紙ナフキンにボールペンを走らせた。
約束の時間に約束の場所で私達夫婦は典子が来るのを待っていた。そこに現れた典子の姿は、大きな黒のサングラスをして、短パン姿で胸には安物と一目で分かる、きんきらしたネックレスなどで身を飾っていた。勿論赤い髪の毛は店では被り物の中に隠されていたが、すべて丸出しで胸の辺りまでを覆い隠している。年相応にこれ以上つっぱり出来ないという身のこなしだ。
この日、食事をしながら典子の口から出た話は衝撃的だった。
「私は一五歳の時、子供をおろしたんです。両親はいたのですが、私はほとんどおじいさんに育てられていて、食べるものもお惣菜屋さんから買ってきて食べていたし、家に居ても面白くないので男と住んだのです。当然子供が出来て、生むといったら男が生むなと。それで子供をおろすお金は男が出したのですが、男はそれっきりです。
病院には一人で行っておろしたんです。おじいさんにはそんなこと言えないので、病院からその日のうちに家に帰りましたが、お腹は痛いし気分は悪いし、ふらふらだし、歩くのも大変でしたが、そんな素振りも見せられないので、我慢して、だからもう男なんて懲りごりです。それから、不良仲間と過ごすようになり、妹も両親と折り合いが悪く家を出てしまったんです。もともと父親は理由は不明で母親と離婚、新しい父親が来たが体が弱く働けないので母親が代わりに働いているが、自分の稼ぎからいくらかは母親に渡している。少し貯めても、そんなに稼いでいるわけではないですが、今月いくら足りないからと言っては数万円もっていくんです。そんなことですから、学校なんて勿論中学ですが行ってません。でも今はそんなことしていてはいけないと、家には居にくいので一人で住んで働いて生きているんです。昼はチェーン店で、夜は近くの夜の店で、つまり今で言うガールズバーみたいなところで、でも年が未成年ゆえ、カウンター中で働いているんです。昼の食事はチェーン店で店の値段の半額で食べられるんです。夜は午後九時から店へ、終わるのは午前一時ですけど終わった後、店のママさんとお客さんと食事行ったりすると、帰りにドンキホーテで買い物して帰ると午前三時か四時、なんか不眠症ですぐに寝付けない。すぐに又チェーン店へ、という生活です」
私は典子から聞いた住所に典子が自分で好きですと言う食べ物を箱につめて送った。すぐに礼状が届いた。いかにも十九歳の女の子が書いた手紙の封筒という感じの飾り物が沢山ついていた。蝶ネクタイのデザインしたレターペーパーに、しっかりした文字でうずめられていた。
『手紙なんか書くのが久しぶりすぎてなんて書いていいのかわかりません……(笑)いつもお店にくるたびに声をかけて下さって正直うれしかったです。働いていてよかったなと心から思いました。こんなに親切にしてもらって……人ってあたたかいなと思いました。あたしは、あなたの子供でもまごでも、身内でもないです。血もつながっているわけでもないのに……ピアスやあったかいフランス料理、ポップコーンやチョコレート。ほかにも書ききれないぐらいよくしてもらって。あたしは、幸せですね。あたしは、今まで生きてきて見たのは、人の汚さ、みにくさ、ざんこくさばかりでした。世の中の人がみんなあなたたちみたいな、あったかい人たちだったらいいのになと思います。あたしは、いいこぢゃないです。人を信じない、どこかさめた目で見てしまいます。育ったかんきょうが悪すぎたんですかね??子供らしくない。自分がきずつきたくないから人を信じる事をしなくなりました。人を見るたび、みにくい、こころと思います。昼の仕事で、夜の仕事で、みる人たちは、決してあなたたちみたいな心のやさしい人たちばかりぢゃあないです。あなたたちといるとほっとします。何も考えなくていいから。いやな事もなにもかも忘れてのんびりした時間をすごすことができます。のんびりとは、すごくかんたんなようであたしにはとてもむずかしい事です。この前は、あったかい食事に、あったかいふんいき、あったかいお話し、いろんな事をあたしに教えてくださって本当にかんしゃしています。有難うございます。どうおんがえししていいのかわからないです。』
典子の手紙は便箋に細かい字でびっしり書いていたが、私は字を知らないのですと言うとおり、大半がひらがなで書いていた。でも書いている文面の内容は若すぎる人生の中で修羅場を潜りぬいて冷たい空気の中で毎日を過ごしてきたと言うことが、恐ろしいほど表現されていた。しばらくした日曜日に私達夫婦はまた典子と食事に行くことにした。初めて典子と食事をした時、私は典子の手相を見た。手相を見て驚いた。手のひらが余りにも荒れ果てて、まるで象さんの足の裏みたいだたからだ。夜の店で洗い物をしながら、お客に飲み物を出すので手袋をして洗えない、それで洗剤で十九歳の手のひらは荒れ果てたのだ。手のひらの荒れを治すクリームを探してもらい送った。典子は私たちに自分の秘密を話した。それは耳が難聴だということだ。なんとなく聞き返しがあるので、もしやと思っていたら、典子が自分から言い出した。お店でお客さんが一人だと聞こえるんですが、横で他のお客さんが喋っていると反響して聞こえないんです。
でもこれはお店では誰も知らないことですから、耳が聞こえにくいと知られたら何かに影響するでしょう。自分では店のメニューは決まり物だから、時には客の口の動きで読み取るのだと告白した。ジャングルの中で獲物に食い殺されないよう生きるという方法を自然に身に付けていたのだ。でもこれは、典子の過去の不良少女時代に身に付いた、生きるという事だった。しばらくした日曜日に、典子と私達夫婦は食事に行くことにしていたが直前に手紙が来た。手紙にはこう書いてあった。
『日よう日たのしみにしてます。でもお店がその日7時までなのでまちあわせが7時半ぐらいになりそうです。もし先におなかがすいたらさきにたべてて下さい。どっかでお茶でもして3人でまたはなしましょう。いつも あたしのつごうばかりで申し訳ないです。』
相変わらず、ひらがなが大半の文面だった。珍しいものを典子に食べさそうと思い連れて行くが、何を食べても初めて食べるものばかりで、美味しい美味しいの連発だった。又手紙を書きますと言って別れてから、音信が途切れた。ワインを飲みにいくと店では時々姿があり、言葉を交わすのだが何か釈然としない雰囲気を感じた。典子はやはり不良少女してるんだよと私達夫婦は話をしていた。勿論、電話をしても応答が無い。そのまま数ヶ月が経った。
成人式には着物着るんだろう?着たら写真撮るだろう?写真くれよねと話して居た事を思い出した。年が明けて、店で典子の姿を見つけた時、成人式の時、写真着物で撮った?と聞くとバーのチーママが着物を貸してくれたので撮りましたと。では写真イーメイルで送信できるねと言ったきり写真は届かなかった。
ワインを飲みに行くと典子が注文を聞きに来た。顔を見ると化粧が変わっている。髪の毛も黒っぽくなっている。
「どうしたの?化粧も髪もこのほうがいいじゃない?」
「そうなんです、人は外見で判断するので」
「ご飯食べに行こうよ」
「行きましょう。日曜日がいいです」
典子の雰囲気は少し前と違い大違いで明るかった。突然典子が質問してきた。
「自重ってどんな意味ですか?どう書くんですか?」
私は紙ナフキンに漢字を書くと共に意味の説明をした。そのあと古本屋で用語漢字字典を見つけたので、典子が勉強したいと言うので購入した。久々に典子と私たちはしゃぶしゃぶの鍋を囲んでいた。典子が口を開いた。
「私今週中に昼のお店と夜のお店やめます」
「で?どするの?」
「パチンコ屋さんで働きます。そこは夕方五時から十一時までで夜のほうが高いのです。昼は家に居てゆっくりします。最近すぐにパニック起こしてお客さんと喧嘩になったりするんです。何か昔の生活を思い出して、焼きを入れたりしていた時代の仲間を火で焼いたり、そうライターで焼くんです。でも私はされたことが無く、少年院へも捕まりもしないで来ましたが私の友達も妹も少年院に行きました。何か心が不安定になり、人と上手くいくことばかり考えて生活していると心が安心しなくなるんです。自分でもこれではいけないと思い、夜のお勤めをしていても将来そういう仕事をするわけもないし、勉強しようと思うんです。今の昼間の店も店長は可愛がってくれるんですが、最近、皆働き方が悪いと辞めさせられて、そうなると、いつ自分もそうなるか不安なのです」
三人で鍋を囲んでいた店は、アルバイトの女子大学生が多くて、店のきまりは着物で客にサービスする事だ。料理を運んできた女の子に私は何気なく聞いた。
「貴方は何どし?」
「私午歳です」
「へえ、じゃあ平成二年生まれ」
「そうなんです」
「ここは時給いくら?」
「夜のほうが高いんです」
「着物を着るの大変だね?」
「そうなんです。ここは六時からなんですが五時には来るんです。着物着るのに時間がかかるので」
典子が口を開いた。
「五時に来てお金出るんですか?」
アルバイトの女性が答えた「いいえ出ません」
典子は今週中に今の仕事をさよならして、午後五時から十一時までの比較的人間的な生活の出来る仕事に変わる予定だ。昼は家でくつろぎ、貰った用語辞典を眺めて漢字を覚えるという。そういえば典子は妹が親とは上手くいかないが自分とは仲がいいので、時々会うのだそうだ。今二〇歳年上の男性と住んでいるが、家に居て色々その男性から物を教わっているようだと話した。それで充分ではないですかという。典子に化粧ももう一息薄くして、若いのだから化粧しなくても良い位だよと。心が安定すると顔つきも可愛くなったというと、今まで見せたことが無い可愛らしい微笑をちらっと見せた。人間になった猫と言う芝居があったが、典子はようやく成人式を迎えた年に荒んだ人間の心から癒しのある人間の心に変わり始める事が出来たのだろう。崖っぷちの人生をかろうじて崖から落ちないですみそうな幅の道にたどり着いたのかもしれない。常に心の中にさまよっていたライターで相手の体を焼くという最悪の場面に遭遇していても、その環境から抜け出せたのだから、生きるためには、自分の人生は自分で生きようと、強い意識を感じ始めたのだろう。育った環境が最悪だったがそんなことを考えても何の役にも立たないのだ。とにかく自分で働いて生きていかない限り生きていけない環境の中にいるのだ。
今度、私のところに来る手紙もひらがなが減り、漢字が増えているだろう。この先の典子の、「生きる」人生がどう変わっていくか見つめるのが楽しみだ。不良少女風典子から普通の二十歳の典子になれるよう頑張れ!
化粧も変わり態度も優しい感じになった典子を見て、20歳年上の男と住んでいる
妹がこうはなしたと言う。
『お姉ちゃん、そんなに優しくなったら騙されるよ』と。