補10.続その後

やはり世間の風は心して吹いてくれる様なものではありませんでした。

死ぬまでに一度言ってみたかったのが「持って死ねる訳では無し」で、絶対に言わないでおこうと思っていたのが「早くお迎えが来てほしい」でしたが、前者は一生言えそうも無く後者を呟く様に為っていました。

大体まだ若いのに引退後の事など考えたのがいけなかったので、自分の書いた字すら読めないのに硯と墨などに凝ったのが間違いでした。

下の娘の結婚式が終った後、遠方から来てくれた友人の部屋番号を自分でメモしていながら読み違って会いに行った部屋が空室だったのに慌てた事があります。

それなのに悠悠自適、机に向い墨を磨るなんて事を考え、例によって硯墨関係の書籍を買い漁り、端渓水巌の各種斑紋の見本みたいな硯や唐物和物の古墨も手に入れる事が出来ましたが、70の手習いの間も無く、走り回らなければならなくなりました。

せっかく棘が取れて丸くなりかけていたのが亦もとの棘棘の海栗か水雷に無理して戻りました。

一病息災、振り返って見ると今まで自分の能力以上にいろんな事でうまくいった事が多かったのは金欠病という一病が有ったからという事が解りました。

能力以下の結果だったのは学校の成績だけで、これは字が下手だから試験官が答案を正確に読めなかったからだと解っていました。

この度この金欠病が治りそうだと考えた途端、治る前から全てがうまく行かなくなりました。

もう一度初心に戻りマイナスからスタートする積りでこのH.P.を閉じます。
2006(18)/1

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